蚊帳の外のアリス-2
「学校に行こう」
行けばいいと思う。
父の言葉を肯定し、わたしはそっと布団をかぶった。
「ユウちゃん、もう休み始めてどれだけ経ったと思ってるの。なっちゃんなんて、心配して毎日迎えに来てくれてるじゃないか。顔くらい見せてあげたらいいのに。女の子同士なんだから、別に部屋に入れたっていいじゃないか」
当然だ。やつを部屋に上げたら二度と口を聞かないと父に宣言し、過去実行している。父とは往々にして娘に弱いのである。
申し訳ないと思いつつも、やはり登校する勇気はない。そもそも行くつもりもない。このままではいけないと分かってはいるものの、どうしたらいいのか分からなかったし、変な意地もあった。年の割に大人びているとに言われたこともあるが、結局わたしは子供なのだ。
洗濯のために部屋を出て行く父をこっそり見送って、居間に用意されたサンドイッチをありがたく食べる。TVをつければ、ワイドショータイム真っ只中だった。全国チャンネルであるというのに、どのチャンネルを見ても話題は地元で起こった殺人事件の話題でもちきりだった。おそとは危険がいっぱい。家にこもるのが正解である。
学校に行かない理由は親にも誰にも言っていない。
ばかばかしくて、笑われると分かっている。しかし中学生だ。中学生なりに、思うところも色々ある。辛いこともある。しかし最後の最後で一本の線の前で留まって耐えてきた。それがぷっつり切れたのだ。
時は少し遡る。
帰宅部の帰りは早い。わたしが家に帰ると、誰もいなかった。帰って早々冷蔵庫を探って、小腹を満たしたところでようやく制服を着替えようと部屋に向かった。竹林が見えた。
ドレッサーの鏡は、魔法の鏡だったのだ。
誰かに伝えなければならない。謎の使命感がわたしを動かした。今思えば、魔法の鏡の力によるものだったのかもしれない。
親に電話は繋がらなかった。私の行動は迅速だった。クールキャラだったというのに、迷わず学校に走った。クラスメイトを連れてきた。普段話さないような派手な女子や、苦手な男子も連れて、家に入れた。
しかし、それもしょうがないと今になってみれば思う。火事をみつければ写メってTwitterにあげる。殺人現場を見つければ写メってTwitterにあげるのが世の常。携帯を持たない多感な貧乏中学生が興奮を持て余せば、普段からは考えられない行動も起こさせてしまうのかもしれない。
ところで、「魔王」という歌がある。音楽の授業で習った、怖い歌詞の歌だ。息子が魔王に襲われると怯え、父親に助けを求めるが、結局魔王に命を奪われてしまう。父親には魔王は見えなかった。
「なにこれ、きったねー部屋」
男子生徒が遠慮ない声をあげる。
「はー?何も見えないけど、なんなの?」
「これが魔法の鏡?やばーい」
なんと、鏡の向こうの世界はわたしにしか見えなかったのである。
選ばれた人間とは辛いものだ。しかし、これが魔王でなくてよかった。死んでいるところである。
「うわーイタター。まじ?」
「以外ー、中二病じゃん」
誰か殺せ。
翌日から私の肩書きは邪気眼である。イジリとイジメに憤死したわたしは、自主謹慎を始めたのだ。
わたしは既に死んでいる。
センチメンタルな過去を振り切り、咀嚼していたサンドイッチを飲み込む。むせた。
牛乳で流し込んでいると、ワイドショーの事件の犯人が妻であり、その息子も行方不明となっているというトンデモ展開が耳に入ってくる。息子、同い年である。この少年に比べればわたしはまだ恵まれたなんちゃって不幸少女だ。まだいける、そんな気がしてくる。でも学校には行きたくない。
ひとまずは生きる糧だ。男気あふれる動作で口を拭うと、再びサンドイッチにとりかかる。しかし、かじろうとした途端に奪われた。
「ユウ!あんた今日休むの!?」
母である。朝からヒステリックに叫び、クマの浮き出た顔でわたしに詰め寄った。サンドイッチを端によけると、どかんと机に乗っかる。
「じゃ、暇でしょ!トーン貼っといて!今日締切なの!」
ノートPCが。
「局部は修正しといたから!」
アブノーマル。ボーイズラブ、R18である。
大人びるざるを得ない理由がこの母である。
「ちょっとちょっとちょっと!ママ!ユウちゃんにこーゆーのはダメって言ってるでしょ!というか違うよ、不登校だよ!そこは学校に行きましょう、でしょ!?」
父がPCを取り上げ、代わりにサンドイッチを戻す。
「それもそうか。ユウ、原稿終わったら学校行きな」
それもどうだろう。
しかし無責任なことを言わないでいただきたい。能天気なこの二人に、わたしの悩みの何が分かるというのか。
「いや、あたしたち二人共中学で不登校だったけど」
「ママ、なんで言っちゃうの」
なんだ、サラブレッドじゃないか。