彼女の本気、彼の本気(1)
週末、
「…………」
あいた口がふさがらないというか、何というか。
私は呆然とした表情で、目の前でぶっ倒れた彼女を見つめることしか出来ない。
そう、全ては私の非力が招いた結果なのだ。そんなこと、負けた私が一番良く分かっているし……第一、私ごときが勝てる相手ではないことも十分理解しているつもり。
ただ、そのー……何というか。
「やっぱり最後は「大暗黒翡翠拳」ね。久しぶりにすっきりした勝ち方が出来たわ」
……白いワンピースというお嬢様スタイル(偏見)が果てしなく似合う杏奈さんに某格ゲーで叩きのめされた私は……「あぁ、杏奈さん、本当にゲーマーなんだ……」という事実を再認識する気力しか残されていなかったのである。
週末の午後、今回は杏奈さんが私に予定を合わせてくれて、薫は本日お留守番、女二人でゲーセンへゴー。
駅前で合流して、そのまま一番近くてこの辺でも大きなゲームセンターへ一直線。ファッションビルやデパ地下を豪快に無視して、己の欲望のままに行動する私たち二人。何だろうこの構図。
ゲーセン到着後、私たちはUFOキャッチャーやプリクラをこれまた豪快に無視して、店の奥、アーケードゲームが並ぶ少し薄暗い空間へ。ゲームに興じていた周囲(9割男性)が一瞬ざわついたような気もするが、そんなこと気にせず、互いに経験のある格闘ゲームを陣取った。
そして……現在5回戦終了。結果? 勿論私が0勝5敗。いやー、マジ強いっす、このお姉さん。
「本当に強いんですね、杏奈さんってば……」
「沢城さんも大した腕だと思うわよ? 薫よりずっと戦闘時間が長いし」
さすがに一旦席を立った私たちは、電気の明るいプリクラコーナー付近の休憩スペースで歓談中。
自動販売機とベンチがあるこの場所は、他にも女子高生やカップルがプリクラを分けたり、楽しそうに喋ったり。
私たちも缶ジュースを買って、互いの健闘を讃えあっているところなのだ。
最近のプリクラコーナーは、カップルじゃないと男性が入れなかったりする場合がほとんど。そういえば……私、薫と一緒に撮ったことないかもしれない。今度、一緒に撮ってくれるかな。
ふと、昨日の彼を思い出した。私が杏奈さんと出かけると話したら、実に複雑そーな表情をした、彼のことを。
……大丈夫だって、浮気したりしないから。
今日はココからバイトに直行するから、薫に会えるのは夜遅くになってしまうけど。
あ、でもそういえば、今日はバイト終わりの時間が一緒だから、迎えに来てくれるとか言ってたような気がするなぁ……。
最近は時間が合わないけど、終了時刻が一緒のときは……薫が私のバイト先まで迎えに来てくれるのだ。(だから私はパートさんに冷やかされたり、心配されたりするわけですが)
今日は夜まで予定バッチリで、今からニヤニヤしてしまう。
でもそういえば今日の出発前、奈々が……。
「杏奈さんは翡翠をよく使うんですね。私はどちらかといえば、ほうきを持っている琥珀の方が使いやすいんですけど……」
隣同士に座って至近距離から見つめる杏奈さんは、まつげの長さから私と違う。
「あら、翡翠は追い詰められても物を投げればいいもの。技も使いやすいし、むしろ琥珀のほうが特徴的で、扱いづらいわ」
「そうなんですか……参考になります」
うん、歓談中。実に女子大生らしい話題で歓談中!
「……ねぇ、沢城さん、一つ聞きたいんだけど……」
と、今まで双子メイドキャラについて熱く語っていた杏奈さんが……少しだけ、声のトーンを落として、
「私が今でも薫のことが好きだって言ったら、どうする?」
それは、今朝、私が意気揚々と出かけようとした時のこと。
「ねぇ、都ちゃん……今日は新谷君とデートじゃないんだよね?」
寮を出る時間が同じなった奈々が、可愛いミュールを履きながら私に問いかける。
私はスニーカーの紐を結びながら、
「言わなかったっけ? 今日は杏奈さんっていう……」
「新谷君の元彼女、でしょ? ねぇ都ちゃん、奈々、あんまりこういうこと言いたくないんだけど……」
口ごもる奈々に、私は思わず顔を上げてしまった。
私を見つめる奈々は、迷いを振り切るように私を真っ直ぐ見つめて、
「杏奈さんって人、自分で「新谷君とよりを戻した」って言いまわってるんだって。奈々は都ちゃんと新谷君を見てるから、そんな噂信じないけど……都ちゃん、たまに人を疑わないから、奈々は少し心配なんだよ」
……千佳さんや真雪さん、綾美までがこの話を地味に歪曲して把握していた理由も、それなら説明がつくような気がする。
私は奈々を疑えないし、誰かの悪口を言うことを嫌う彼女が意を決して教えてくれたことを、気にしないわけにはいかない。
だけど、
「それでも別に、いいと思いますよ」
私は残ったコーラを飲み干してから、一度、呼吸を整えて、
「選ぶのは私じゃありません。杏奈さんがまだ薫のことを思っているなら、その想いをぶつけてもらったって……私は別に構わないんですよ」
っていうか、今でも彼に告白する声はあるしね。それをカウントして月ごとに集計するのも楽しいよ?
「ただ、私も黙っていませんから。薫が私を選んでくれるように頑張ろうと思います」
握り締めた空き缶を見下ろし、自分に言い聞かせた。
……私だって、彼の優しさに甘え続けるわけにはいかない。自分の好きなことは好きだって言うけど、それを主張しすぎて彼を困らせたりしたくないから。
薫に泣きついて感じたのは、私も、彼にもっと好かれる努力をしたいということ。
この状況に甘んじていたくない。彼が私を愛してくれる分だけ、彼に何か返せる自分でありたいと強く思うから。
だから、さっきの言葉も私の本心。もっとイイ女になりたいと、いつまでもヒロインにばかり萌えてられないという、私なりの決意なのだ。
が。
「――随分余裕なのね。でも、奇麗事並べれば、私が感心するとでも思った?」
刹那、同じく缶紅茶を飲み終えた杏奈さんが、さっきよりも数段低い声で吐き捨てる。
私は一瞬自分の耳を疑い、それを否定するために彼女へ視線を向けた。
相変わらず見とれるほど綺麗な杏奈さんが、その目に嫌な光を宿して続ける。
「薫が沢城さんをどれだけ愛してるかなんて知らないし、知りたくもないけど……彼は高校生のとき、内申点欲しさに教師と寝た男なのよ?」
「それは違います」
これ以上彼を愚弄されたくない、私がはっきり否定すると、その反応を予想していたのだろうか……杏奈さんが口元に笑みを浮かべて、
「口だけじゃ、薫も違うって言うでしょうね。でも……コレを見ても、そうだって言える?」
唐突に鞄から携帯電話を取り出すと、軽く操作して……私の眼前に突き出す。
そこに表示された写真を見て、思わず、意識が凍りついた。
「分かったでしょう? 薫はそういう男なの。ねぇ沢城さん、私は先輩として、親切で忠告してるつもりなの。貴女は高校時代の彼を知らない、今の作った薫しかしらないから……これ以上傷つく前に、彼から離れたほうがいいと思うわよ?」
何も言い返せない。
放心状態の私を残して立ち上がった杏奈さんは、「じゃあ、また対戦しましょうね」という言葉を言い残し、その場から立ち去っていく。
ゲームセンターの喧騒が、どこか遠くに聞こえた。
「……やっぱりまだ持ってたんだな、杏奈ちゃん……」
電話の向こうの大樹君が、舌打ちしながら続ける。
「都ちゃん、その写真は嘘だ。誰かが勝手に合成しただけの……」
「……その時、あれが、出回ったの?」
ゲーセンの休憩スペース、ベンチに座って電話を握り締める私。
当時のことを知る大樹君に先ほどのことを話すと、彼も一瞬電話の向こうで息をのみ、先ほどの舌打ち。
私の質問に、大樹君は言葉を選びながら続けた。
「メールで一斉に、さ。結局俺たちも、この写真を作った奴の犯人が誰なのか、特定できなかった。でも、絡んでた男の体形が薫じゃないんだよ」
「……」
そんなこと、今の私にはどうでもいい。
問題は、
「……あの写真が出回ったから……薫と杏奈さんは……」
「別れが決定的になった、な。都ちゃんがその写真を見たってことは、杏奈ちゃんが本性見せたんだろ? 彼女、自分の味方じゃない人間には厳しいんだ。都ちゃんも最初は味方認識だったかもしれないけど……いや、最初から都ちゃんを陥れようとして近づいたのか、俺には分からないけどさ」
電話を握る手が、震えた。
「薫は……そんなこと、一言も……っ……!」
「……都ちゃんがもし、そういう立場だったら、薫に言える?」
私を諭すように、大樹君が続ける。
「都ちゃんがもし、ありもしない写真を捏造されたら……それを薫に見せられる? もし、都ちゃんが綾美のそういう写真を持ってたら、俺に見せようと思う?」
大樹君の言いたいことは、痛いくらい分かる。
だけど、今の私は……それを理性的に考えられないから。
再び絡まる感情の糸、電話を切ってからも私はしばらく動けずに……先ほど見た写真を忘れようとしては、涙の混じったため息をつくのだった。
それから、バイト中も……深く考えようとする自分を戒め、仕事に集中した。
今は単純作業がありがたい。返却されたCDやDVDを並べている間は、余計なことを考えなくていいから。
でも……。
「――沢城さん」
バイト終了後、裏口から出た私を後ろから呼び止める声。
店のイルミネーションが届かない、薄暗い周囲。振り返った視線の先には、一緒に働いていた彼の――宮田君の姿があった。
彼は神妙な面持ちで私に近づくと、
「……ゴメンなさい」
唐突に謝罪する彼の真意が理解できず、思わず頭半分ほど背の高い彼を見上げてしまった。
瞬間、
肩をつかまれ、距離が縮まって……唇が、重なる。
「っ!?」
反射的に彼を押しのけ、目を見開いた。
体が震えているのが、自分でも分かる。
「み、やたっ……くん、いきなり何を――!」
いくら人目のないところとはいえ、キスするなんて信じられないというか、「欧米か!」って突っ込む余裕もないというか。
近づいたら殴る、警戒心をむき出しにする私を見つめる彼は、悲しい表情でこう言ったのだ。
「……コレが、俺と「彼女」の約束なんです」
彼女。
それは、つまり最初から――
「――都?」
「その声」を認識した瞬間、私は、色々甘かった自分自身を猛烈に呪うしかなかったのである。