今更……ですか?
本当は多分、ずっと、胸の中に残っていた。
「薫、格ゲーは弱いのよ。この間も久しぶりに対戦したけど、やっぱりつまらなかったわ」
彼のことを話す杏奈さんを、妬ましいと思ったんだ。
彼の名前を呼べるのは自分だけだって自負があった。彼のことを知っているのは私だって思っていた。
だけど……彼女は、私の知らない「新谷薫」を知っている。
羨ましいと思う反面、やっぱり、嫉妬してしまう自分がいることも確かで。
……でも、そんなこと言ったら……薫を困らせてしまう。
私は「寂しい」って言える立場にない。そう思って、ずっと、我慢してきたのかもしれない。
――ずっと憧れている女の子は、やっぱり、今の私から程遠いから。
「……で、都、そろそろ説明して欲しいんだけど……」
バイトから帰ってきた薫が、彼のベッドを占領してゲーム雑誌(年齢指定付)を読みふけっている私を見下ろし、ため息をつく。
ちなみにこの本は、私が薫の部屋のベッド下に隠しているコレクションの一つである。一つということは、当然それ以上存在するのだが……それに関してはまた後日、改めて説明できればいいなぁと思っているけど。
アニメが酷評だった(まぁ、あのキャベツはしょうがないよね……)作品の原作メーカーが手がける新作かスクープされ、金髪で気の強そうな女の子が表紙を飾っていた。なるほど、次は学園ものか……「はにはに」という成功例があるから、ある程度期待して大丈夫だと思う。
「説明って、何を? 見れば分かるじゃない」
顔だけ彼を見上げると、冷蔵庫からペットボトルの清涼飲料水を取ってきた薫が、それを口に含みながらこちらに戻ってきて、
「俺のこと、見くびらないでもらえる?」
ベッドの脇にしゃがみこみ、私と視線を合わせる。
――涙の後が残る顔を見られたくなくて、咄嗟に顔を背けた。
「……ほら」
真横で嘆息される。
「な、何よ、いきなり見つめられたらコッチだってびっくりするし、それに――」
「そういうこと、俺の顔見てから言ってくれないかな?」
普段より少し意地悪な態度だけど、コレは結局、私が頑なに抵抗しているからで。
彼がベッドに腰掛ける。ぎしっときしんだベッドには、二人分の重み。
雑誌に顔をうずめてうつぶせになる私の頭に、薫はそっと、自分の手を置いてから、
「都のこと、少しは分かるつもりだけど……どうして泣いてたのか、そこまでは推察出来ないんだ」
優しい声に、心が、緩む。
結局私は、彼に見つけてもらいたくてこの部屋に来た。わざとパソコンの前じゃなくてベッドで雑誌を読んで、帰ってきた彼に笑顔を向けないで、それで……。
「俺が悪いなら、そう言ってほしい」
「……違う」
そして薫は、ちゃんと、私を見つけてくれる。
「じゃあ、何? 俺が聞いていいこと?」
そして、歩み寄れない私に……近づいて、抱きしめてくれるんだ。
結局私は、こんな彼の優しさに甘えたくて、満たされたくて、どうしようもないらしい。
――また傷つけるよ、誰かが囁く。
「ねぇ、薫……」
私は雑誌から顔を上げないまま、彼の顔を見ないまま、
「私……薫のこと、傷つけてるよね」
「都?」
「思い返せばそうだよ、私……いつも薫の優しさに甘えて、薫に我慢ばっかりさせて……」
パソコンを借りるようになってから、私は自分の時間が楽しくてしょうがなかった。
それは、彼と付き合い始めてからも同じことで……前より多少マシになったとはいえ、一体どれだけ、薫の優しさに甘え続けただろう。
「思い返せば、私はゲームばっかりだし……杏奈さんの力になってやれって言ったけど、結局寂しいって思ってるし……困らせてるよね」
今だってそうだ。私は彼に構ってほしくてこの部屋に来た。普段の私は全然そんなことしないのに……自分に都合のいいときだけ、こうやって甘えようとする。
普段は色々無頓着なのに、自分が追い詰められると急に周囲を頼りだすんだ。
……薫が優しくしてくれるって知ってるから、彼にすがって、甘えちゃうんだ。
卑怯、だな。
「だって、同人は私のライフワークよ。私からそれを差し引いたら、何も残らないわ」
私はまだ、綾美みたいに強くなれないから。
何か一つを選べといわれて即答できない。私は欲張りだから……全部欲しいと願ってしまう。
彼は無言で私の頭をなでていたのだが……不意に、その手を離すと、
「――いたっ!」
刹那、髪の分け目に軽くチョップされて、顔ごと雑誌にめり込む私。
何するんだと思って顔を上げると、呆れ顔の薫が私を見下ろして、
「ねぇ都……今更、何言ってるの?」
その口調が明らかに冷め切っていたのは、絶対間違いじゃない。
「あのねぇ都、都は今自覚したみたいだけど……俺、大分前から、っていうか付き合い始めたときから大分寂しいって思ってきたよ?
都はゲームか美少女ばっかりに目を輝かせて、俺のことなんか見てくれてないんじゃないかって、何度思ったか分からないよ。
だから、今更そんなこと言われても、俺の傷ついた心は戻らないし、都はどうやって修復するつもり? 過去を懺悔して謝罪すれば終了とか……まさか、そんな安易は発想じゃないよね?」
……笑顔で辛らつな言葉を饒舌に突き刺す薫に、本気で泣きそうになる。
「都は俺より女の子が好きなんじゃないかって……俺、本気で何度思ったと思う? 同じ部屋にいても、都は俺に背中しか向けてないし、たまにこっちを向いてくれたかと思えば、セーブする直前でパソコンがフリーズしたって半泣きで訴えて……俺にそんなこと言われても救済できないし、っていうか5時間ぶっ続けでプレイしてセーブしてない都が悪いと思うんだけど、俺、間違ってる?」
薫が黒くなった、黒薫だ、普段色々鬱憤がたまっている黒薫が降臨したんだ……と、一瞬本気でそう思った。
ただ……その表情が苦笑いなのは、きっと、
「……俺はね、都、そんなこと、今更何も気にしてないんだよ?」
半泣きの私を半ば強制的に抱き起こし、ベッドに座らせた状態の私をしっかりと見つめてから、
「実際、都が俺を困らせたことなんかないよ。都はいつも、俺を喜ばせてくれるから」
目じりに浮かんだ涙を指でそっとぬぐい、優しくキスをしてくれる。
ただ、
「今だって、都……このまま押し倒したいくらい滅茶苦茶可愛いし」
刹那、私は軽く目を見開いてしまった。
「可愛い……私が?」
頷く彼を素直に信じられない。だって、「可愛い」という言葉とは私から縁遠いと思っていた。可愛い女の子になることが密かな目標で、それに近づけない自分は薫につり合わないって……たまに凹んだし。
私の中にある「可愛い」は、ゲームのメインヒロインみたいな女の子で。
明るくて、優しくて、素直で……周囲を思いやることが出来る、好きな人には真っ直ぐに素直で、それで……。
……私はずっと、そんなヒロインになりたかった。
薫というパートナーと出会ってから、より一層、そんな思いが強くなっていくけど……でも……。
「可愛くないよ、私……都合のいいときばっかりワガママいって、薫を、私の気分で困らせて……」
思わずうつむいて、ぽつりと呟く。
周囲に鈍感な気分屋、それが、自分に対する正直な評価だ。
だから私は、ゲームの中にいるヒロインに自分を――自分の理想を投影して、近づけたらいいなと思いながら、変わってない自分に嘆息する日々。
「本当は、多分……杏奈さんに嫉妬してるの。自分がけしかけておきながら、誰よりも嫉妬してるんだよ……」
薫は私の望みを全てかなえようと、必死になってくれるのに。
――私は、そんな彼に何を返せるだろう。
「嫉妬、してくれたの?」
薫の問いかけに、私は一度だけ首を縦に振った。
それからしばし。
「……薫?」
彼が無言になったので、恐る恐る顔を上げてみると……顔を真っ赤にした彼が、視線を泳がせているのが分かる。
「え、と……薫、何事?」
「いや、その……予想外というか、都かまさか、杏奈に嫉妬してるなんて……正直、本当に思ってなくて……」
……いや、普通の女の子は嫉妬するんだよ多分。
彼にそう思わせてしまうことが心苦しいけど、彼はわざとらしく咳払いなんかしながら、きょとんとしている私を見つめなおして、
「もう一度、言っていい?」
「?」
「都、滅茶苦茶可愛い」
「!?」
瞬間、今度は私が沸騰寸前になる。
可愛いという言葉に耐性がない&極度の憧れを抱いているので、一番言ってもらいたい人からの言葉は、刺激が強すぎるのだ。
「か、可愛くないよ! 私……」
狼狽いしながら否定する私に、彼は「いいや」と笑顔で首を振って、
「都は可愛いよ。他の誰よりも可愛いこと、俺だけが知ってる。普段は強気だけど、美少女ゲーム大好きだけど……本当は結構寂しがりで、強がりで、素直な女の子なんだ」
……誰かこの乙女ゲー攻略対象キャラ並みのセリフを何とかしてほしい。刺激が強すぎて色々大変だから。
どうしてこういうことがナチュラルに言えるんだろう、内心疑問を抱きながら彼を改めて見つめて……納得してしまった。
だって、それが新谷薫なんだろうしなぁ。
「俺は、都が俺を好きでいてくれることを信じてる。都がゲーム好きなことも知ってるけど……でも、それとは別に、俺のことも好きでいてくれてるはずだって、そう思ってるから。
だから別に今更、都が何十時間ゲームしたって気にしないし、セーブし損ねて本気で落ち込んだら慰める。現実世界の美少女に萌えてもそういう性格だからって落ち着いて見てられるし……こう考えると、結構寛大だよな、俺って」
はい全くその通りでございます。
言い返せない私の肩身は狭くなる一方なのだが……薫は不意に、そんな私の肩に手を置くと、
「それに――都、夜は従順な受けキャラにもなれるしな」
「ちょっ……!」
先ほどとは別の意味で赤面する私に、「ほら、心当たりあるだろ?」と、悪戯な表情の彼が追い討ちをかける。
く、くそ……主導権が握れない。
視線をそらすことで反抗する私だが、薫はそんな私の心境を100%理解しているので、
「俺はね、都が俺に弱い部分を見せてくれるのが嬉しいし、強がってる都が俺にワガママを言ってくれるのが嬉しい。素直に泣いて笑ってくれるのが嬉しい。都が俺のことを好きでいてくれるのが……嬉しいんだ」
……こーやって言葉で攻めてくるのだ。卑怯者。
「だから、俺に教えて?」
「?」
「俺がどうすれば、都は嬉しいって思ってくれる?」
側にいてくれるだけでいい。そう言おうとしたけど……少しだけ、欲張りになる。
でもこれが、今の私の素直な願望だと思えた。
「名前、呼んで……」
私だけに呼びかけて。
今は本当に、それだけで、いいから。
意外な頼みに彼は一瞬目を丸くしたが、
「えぇっと、都さん」
「そうじゃないっ、いつもみたいに……!」
「じゃあ、みやちゃん?」
「……そんなあだ名で呼んだことないでしょ?」
頬を膨らませる私に、彼がにんまりとした笑みを向けて、
「――都」
優しい声で、私だけに囁く。
私を、麻痺させる。
「もう一回」
「都」
その声を、ずっと、聞きたかったの。
キミが私だけを見てくれているって……実感、したかったから。
「……もう一回っ……!」
「言われなくても、何度でも呼ぶよ?」
彼が私の名前を呼ぶ瞬間、自分から距離をゼロにしていた。
夢中で唇を重ね、そのまま彼にしがみついて……肩を、震わせる。
「都、やっぱ可愛すぎるって……このギャップはさすが、「乙女ゲーム主人公体質」だな」
優しく抱きしめてくれる彼に、凝り固まっていた疑心暗鬼が崩れていく。
ぐちゃぐちゃになった感情の糸が、ようやく……ゆっくりほどけていくのを、感じていた。
「ねぇ、都……俺の話、聞いてくれる?」
それから、薫は私が落ち着くのを待って、静かに話を始める。
それは……誤解とすれ違いが別離の引き金になった、少し悲しい、物語だった。