決意
「……お姉ちゃんに……会ったんですね」
数日後の昼下がり、たまたま大学構内で顔を合わせた今日も可愛い林檎ちゃんが、苦虫を噛み潰したような表情で呟く。
私は鞄を持ち直し、「うん、向こうから会いに来てくれたよ」と返すと、
「変なこと言ってませんでしたか!?」
私も驚くくらいの大声で問いかける。
「へ、変なことって?」
「えぇっと……その、だから……」
ココで聞き返すのは多少意地悪な気もするが、私の切り返しに彼女は言葉を選びながら、
「……別に構いませんよね。ゲームの話です」
どうやら何かを割り切ったらしい。自分を納得させるようにため息をつくと、気おされている私を真っ直ぐ見据え、
「沢城さんとは絶対話が弾むと思ったから……正直、会わせたくなかったんです」
「別にいいじゃない。林檎ちゃんに被害が及ぶわけじゃ……」
「迷惑極まりなかったんですよ私はっ!!」
刹那、今度は周囲も驚くほどの大声を出した林檎ちゃん。すぐに我に返ったが、本日二度目のため息をついて、
「夜遅くまでガタガタうるさいし、一旦ゲームに熱中すると他のことに気を配らなくなるし、私の部屋のテレビのほうが大きいからって部屋を占領しようとするしっ!」
気がつけば拳を握り締めている彼女。私は段々周囲の目線が痛くなってくるんですけど……。
「でも確か、今は一人暮らし……」
「ええ、だから正直せいせいしてますよ。毎月の電気代が大変なことになってるみたいですけどねっ」
どうやら、よほど迷惑だったらしい。鼻息荒くまくし立てた彼女は、そのままの視線で再び私を見つめ、
「お姉ちゃんが付きまとわれているのも、元はといえば自業自得なんです。ゲーセンとか、一人でフラフラ奥まで入り込むから……だから、変な男に目をつけられるんだっ!」
……なるほど。私の心配はどうやら正しかったらしい。
あの綺麗で清楚な笑顔から、「やっぱり音ゲーはポップンよね」という言葉が聞けるとは思っていなかったのだから。
っていうか、幅広いな杏奈さん。何でもそつなく、すぐにマスターしてしまうのだろうか。そんな気がする。
「――だから、新谷先輩を近づけたくなかった」
不意に。
彼女がぽつりと、私に向かって呟く。
「先輩がお姉ちゃんと付き合ってた頃……先輩は楽しそうだったけど、少し寂しそうだった。
お姉ちゃんはゲームのことになると顔色を変えるから、お姉ちゃんがゲームに熱中しているときの先輩が、ずっとかわいそうだって……思ってました」
その言葉はそのまま、私の真ん中に突き刺さる。
「ゲームやアニメが好きな人って……結局、そうなんでしょう?
好きな人がいても、それよりもゲームやアニメに固執するんでしょう?
沢城さん、貴女は……違うって言い切れる?
私は、貴女がお姉ちゃんと同じ気がする。だから、そう簡単に先輩を諦められないんです。
先輩を悲しませるようなことがあれば、私は絶対、貴女を許しませんから」
真っ直ぐな彼女に、私が何を言い返せるだろう。
そのまま横を通り過ぎていく林檎ちゃんに、何も、言い返せなかった。
私は美少女ゲームが好き。
でも、その「好き」と、薫に対する「好き」は違うって、そう、思い続けてきた。
……だけどこれは、私の、自分に対する言い訳なんだろうか。
「へぇー、新谷君の元彼女って、都と本当に似てる人だったんだ」
その日の夕方、今日はバイトがないので、久しぶりに外へ買い物に出た綾美と合流に成功。駅の中にあるカフェで向かい合って座り、開口一番に聞かれたのが、「都、あんた浮気を公認してるんだって?」という、実に微妙な質問だった。
今日は髪の毛をおろし、ボーダーの長袖ワンピースの下にスキニージーンズを重ね、足元は白いスニーカー。普段の彼女よりカジュアルな装いで、顔色も戻っている。「印刷所に原稿を送った」と笑顔で報告してくれる、久しぶりに見た元気そうな姿に、ほっとしてしまう自分がいた。
綾美もココ最近、色々あったけど……全部乗り越えて、今、もっと魅力的になったと思う。
綾美は私のことを大樹君から(微妙に間違った情報を含め)聞いているらしく、「新谷君にも、メールで確かめようと思ってたのよ」と、複雑な立場の私を気遣ってくれた。
ただ……杏奈さんがゲーマーだということを打ち明けると、途端に「なーんだ、もっと修羅場を期待してたのに」と本音をぽつり。
「でも、だったら何も悩まなくていいじゃない。いっそ、都がその彼女と浮気しちゃえば?」
「……変なこと言わないでよ」
セットのチーズケーキをフォークで切り分けながら提案する綾美に、私はレモンティーを噴出しそうになりながら返答し、
「ねぇ、綾美。綾美は……大樹君と同人活動、どっちが大事?」
「同人」
即答だった。清々しいほど断言した彼女に、本気で彼が不憫に思える。
「だって、同人は私のライフワークよ。私からそれを差し引いたら、何も残らないわ」
「じゃ、じゃあ……もしも、大樹君から「俺と同人とどっちが大事なんだよっ!」とか、ベタなこと聞かれても、同じことを答えられる?」
「当たり前じゃない。っていうか、むしろ大樹があたしを理解していなかったんだと思って、幻滅するわ」
強い。強いよこの人。
何の躊躇いもなく言い放つ綾美に、正直、唖然とする私。
今の彼女は……色々あったからこそ、少しくらい悩むと思っていたのに。
そんな私の心中を察しているのだろう、綾美は少し表情を緩ませて、
「都には分からないかもしれないけど……同人ってね、本当に、私そのものなの。この世界があるから、今の私がある。そう簡単に切り離して考えられないくらい、私は同人に救われてるのよ。
大樹のことは……勿論大切よ? あたしのことを大切に思ってくれるし、きちんと理解してくれてる。
だけど……大樹があたしが原因で同人をやめるなんて言い出したら、張り倒すわね。
大樹にとっても、その程度の存在じゃないはずだもの。お互い、続けられるまで続けて……自分が納得できるまで続けて、もっと、色々視野を広げたいって思うのよ。少なくともあたしはね。
だから、あたしは……今は、同人をやめない。あたしから同人を取り上げる奴は、たとえ大樹でも容赦しないわ。
まぁ、大樹もそんなあたしの性格は嫌になるほど理解してくれてるはずだから、特に心配してないけどね」
そう言って苦笑する綾美は、前よりももっと、柔らかくなったと思う。
そして――前よりもずっと、強く、綺麗になったと思う。
「都も、同じなんじゃないの?」
「私?」
「都だって、新谷君が理解してくれてるって安心してるから、今みたいに美少女ゲームばっかりやってるんでしょう?
それは多分、新谷君も同じだと思う。何があったか知らないけど……ココまで絶妙なバランスのカップルは貴重だと思うわよ?」
そう、私たちのバランスは絶妙で、傾いてしまうのが――怖い。
前に薫から、「俺とゲームとどっちが好き」なのかと、聞かれたことがある。その時は上手く答えたけど、でも、もしも、同じことを聞かれたら?
――大好きだよ、薫のことは誰よりも。でも、それと同じくらいにゲームが好き。可愛い女の子が好き。
私の中で明確に「好き」に対する線を引いていても、他の人から見れば……同じ「好き」に見えてしまうんじゃないだろうか。
薫への「好き」と、ゲームへの「好き」が、同じだと。
林檎ちゃんはそんな風に思ってる。だから、ゲームに熱中する私が許せないんだ。
……彼も、そんな風に思っているような気がする。
だから薫は、ゲームに熱中する私を見て、寂しそうにしてる?
私が、薫を悲しませてない?
「……都?」
「え? あ、ううん、何でもない……」
一度考え始めると、悪い予感ばかりが渦巻いてしまうから。
私は強制的にその思考を中断し、胸の奥に押し殺す。
そんなことない、誰かに対する言い訳を、心の中で繰り返しながら。
「沢城さん?」
不意に声をかけられ、バスから降りた私はその声の主を探した。
綾美と別れて、大学近くまで戻ってきた。薫はまだバイトのはずだから、これから彼の部屋でうだうだ過ごそうと思っていたのだが。
「宮田君……」
自転車から降りて、彼は私に近づいてくる。内心今は会いたくなかったと思いながらも、あまり強い態度に出られない私なのである。
……コレじゃ、薫のことばっかり言えないよ。
「今日はお互い、バイトじゃなかったんすね」
あっけらかんと話しかけてくる彼だが、不意に、私を見つめる目に強い力を宿して、
「……この間の話、考えてもらえましたか?」
心臓が、一度大きく波打つ。
「俺は本気です」
ココで断ってしまえばいい。私が好きなのは薫で、それは揺るがない事実だから、って。
「正直、あまり迷惑をかけるつもりはなかったんです。ただ……沢城さんがこれ以上傷つくかもしれないなら――!」
違うの。
傷つけているのは……薫を傷つけているのは、多分、私。
「……沢城、さん?」
私が泣いて、どうにかなる問題じゃない。
これは、今までの私の行動が招いた自業自得で、私はまだ、綾美のように強くなれなくて……。
薫とゲームを両天秤にかけて、一瞬でもゲームに傾いた自分が、嫌になる。
――私は都合のいいときだけ、薫のことが好きだって思ってるんじゃないの?
いや違う、それ以前に、薫とゲームを同じ尺度で比べようとした自分に、どうしようもない憤りを感じていた。
「先輩を悲しませるようなことがあれば、私は絶対、貴女を許しませんから」
林檎ちゃんの言葉が、痛い。
私は目じりに浮かんだ涙を強制的に袖でぬぐって、その場から逃げるように駆け出す。
真っ直ぐに私を「好きだ」と言ってくれる彼に、自信を持って答えられないから。
都、初めて3次元で悩む……? どうしてあんなに好かれているのに不安になるのかと思わないであげてください。恋する乙女なんてそんなもんです。(多分)