「お疲れ様」
「……どうして?」
私は首をかしげて、目の前にある店の看板を見つめる。
焼き鳥。
奈々に引っ張られるままに歩くこと15分ほど。大学から程近い場所にあるこの店は、学生の溜まり場として有名な店だ。私はサークル活動をしていないから入ったことなかったんだけど、安くて味もイイらしい。
暖簾がかかっているってことは、既に営業中なんだろうけど、でも……。
「あの、奈々?」
「都ちゃんはこのお店来たことある? 奈々は初めてだよ」
「いや、私も初めてだけど……」
「じゃあ、勇気を出してレッツゴー☆ 久しぶりにレバーが食べたいなー♪」
何の躊躇いもなく引き戸を開ける奈々。突っ立っているわけにもいかず、私は慌てて彼女の後に続き――
「お、都ちゃん。遅かったな」
「大樹君!?」
店のおっちゃんの威勢のいい掛け声からコンマ2秒後、丁度トイレから出てきた大樹君が、私を見つけてひょいと手を上げる。
「えぇっと……奈々ちゃんだっけ。都ちゃんの友達の」
「こうして会うのは初めまして。香月奈々です。都ちゃんがいつもお世話になってますー」
ぺこり、と、大樹君に向かって頭を下げる奈々に、彼は笑顔で「いいってそんな」と手を振ってから、
「そういうことは、都ちゃんの旦那に言ってくれ」
「それもそうですねー」
「ちょっとちょっとちょっと!? 何が一体どうなって……」
完全に取り残された私の背中を、奈々がぐいぐいと押して店の奥へ歩かせる。
奥は座敷になっていて、予約客だろうか……既に楽しそうな声が……。
「あら都、ようやくご登場ね」
綾美がレバ刺しをつつきながら視線を送り、
「おー都ちゃん、ちゃんと乾杯は待ってたからねー!」
綾美の前に座っている千佳さんがビールジョッキ片手に笑顔を向け、
「こんばんは、都さん」
その隣にいる真雪さんがメニューから目線を上げ、
そして、
「隣あいてるよ、都?」
真雪さんから一つ空けた角、薫が笑顔で自分の隣を指差すのである。
……ダメだ、もう、頭の処理が追いつかないというかなんというか……。
促されるままに私は彼と真雪さんの間に座り、その前に奈々が腰を下ろす。
そしてもー流されるままに飲み物を注文し、
「じゃあ、ようやく全員揃ったところで……楽しい飲み会を始めるとしましょうかっ! 乾杯!!」
千佳さんの音頭で、全員がグラスやジョッキを宙に掲げる。
……いやあのスイマセン……誰でもいいから、私に説明してくれませんか?
と、いうか。
「薫、今日はバイトじゃ……」
「代わってもらったんだ。だから大丈夫」
ビールジョッキを傾けながら頷く彼に、私は「あ、そう……」としか返答できない。
中ジョッキのビールを一気に飲み干した千佳さんが、メニューをひろげて「はい、ちゅーもく!」と全員の視線を集める。
「とりあえず、頼んでるのは2000円のお任せコース。飲み物代は各個人で計算すること。あと、追加注文があれば食べたい人と相談しちゃってね」
幹事というに相応しい仕切りに、全員が頷いた。
それを確認した千佳さんは、「すいませーん、ビール追加ー」と厨房に向かって叫び、
「じゃ、後はもう無礼講で。それに……いい加減、都ちゃんに説明してあげようか」
私を見つめ、にやりと口元に笑み。
他の面子も似たような表情で私を見つめ、真雪さんだけがウーロン茶片手に苦笑いだ。
……なんだろうこの空気。
「一体何なんですか? そもそもどうして、今日はこんなことに――!」
「だって都、アンタが言ったのよ? 今日は焼き鳥と日本酒で飲み明かしたい気分だって」
「いやまぁ綾美、確かにそう言ったけど……!」
だから今日この店なのだろうか……もしも私がフランス料理とか口走ってたら、一体どうなっていたのだろう。地味に気になる。
それに、
「薫……どうしてさっきから懸命に笑いをこらえてるの……?」
隣にいる彼が必死に笑いをこらえていた。思わずジト目で見つめると、彼はビールを一口飲んでから全然悪びれてない様子で「悪い悪い」と呟き、
「他人のデートを尾行した感想を聞こうかと思ってさ」
「なっ……!?」
心臓がびくりと跳ね上がった。まさかバレていたとは思っていなくて、頭の中が真っ白になる。
ただ、
「まぁ、俺としては……都が途中で見てられないってリタイアしたって聞いて、内心ホッとしてるけど」
彼の意地悪な目が、私を正面から見据えて。
……ようやく理解する。あぁそうか、つまり、
「最初から仕組んでたってこと!? 綾美と千佳さんはグルだったんだ!!」
「ご名答」
鳥のモモ肉を串から外しながら、薫がにたりと笑う。
「嫉妬した?」
「ばっ……! バカじゃないの!? どうして私が――!!」
「――そうそう。大変だったんだから。ねぇ千佳さん?」
刹那、横から口を挟む綾美に、2杯目を半分ほど飲み終えた千佳さんがうんうんと首を縦にふり、
「もう、ほんっとーーーに都ちゃんは恋する乙女だったわー。瞳をウルウルさせちゃって、せつなそーーーに新谷君を見つめちゃってー」
「寮に帰ってきてからも、部屋から全然出てこなかったんですよ。昨日からずっと落ち込んでたし」
焼きレバーを食べながら告げ口する奈々もまた、今回の共犯者らしい。
「……っていうか奈々、あんた、いつの間に……?」
「昨日、都ちゃんが恋する乙女で寮の部屋に引きこもったでしょ? その後、新谷君と藤原さんが訪ねてきて、協力してくれって言われたの」
ぶい、と、右手をピースにして突き出されても……困るんですけど。
「でね、折角だから……新谷君と都ちゃんをいじるために、もっとたくさん集まって飲み会しようってことになったの。えぇっと、だから、綾美さんと田村君と会うのは、奈々、初めてなんだよ」
……何よその理由。っていうか皆暇人すぎるよ……。
悪意のない声で酷いことをさらりと言い放った奈々は、「でねっ」と、大きな目を更に爛々と輝かせて、
「今日は二人に色々聞きたいと思ってたんだー☆ ずばり、告白したのはどっちからなのー?」
「そ……んなこと、言えるわけないじゃない!」
「あぁ、俺だよ」
どうしてそこで答えるんだ新谷薫!!
私のジト目など気にせず、今度はなんと真雪さんが尋ねる。
「そもそも、二人が出会ったキッカケは何なの?」
「新歓コンパですよ。で、その後授業が一緒になって、都が、俺の好きな本をたくさん持ってるってことを知ったんです」
やたら饒舌な彼が、ある程度話を一般向けに作りながら進める。
すっかり質問大会になってしまっているのだが……今の私には、この流れを断ち切るだけの力が、ない。あるわけがない。
どうやってこの激流をせき止めろと? 薫や奈々、真雪さんさえ非協力的なこの空間で……四面楚歌の私が話題の中心を誰にずらせと!?
もう諦めるしかないのだろうか。そんな私へ追い討ちをかけるように、酎ハイ片手に大樹君が声を上げる。
「じゃあ、俺からも質問。ズバリ、キスは薫から? 都ちゃんから?」
「都」
薫が即答した瞬間、全員の視線が私に突き刺さる。
「な、何よ……別にいいじゃない!!」
「誰も悪いなんて言ってないわよ都。ねぇ、千佳さん?」
「まったくだよ都ちゃん。勿論今から、そのときのことを詳しく聞かせてもらうつもりでいるけどね」
……逃げられない。逃げられるわけがない。
忘れた、そんな言葉で納得してくれる人たちでもないだろう。勿論鮮明に覚えてる、私からだったことも事実なんだけど……あぁでもそれをこんな公衆の面前で堂々と言うだけの度胸は備わってないというか、何というか……。
「新谷君、ペース速いねー。お酒強いんだー」
千佳さんと相談して焼酎の水割りを注文している薫に、奈々が感嘆の声をあげる。
……ちょっと。
ちょっと、待て?
程なくしてアルコール到着。グラスは2個、千佳さんが慣れた手つきで氷をグラスに入れ、
「新谷君、割合は?」
ちなみにこの割合とは勿論、水(氷):アルコールである。
「そうですね……7:3くらいで」
「おおっ、チャレンジャーだねぇ……明日のバイト、二日酔いは認めないからねー!」
ちょっと待て新谷薫。今までの設定を根本から覆すようなこと、君は今笑顔でやろうとしているんだけど……。
言葉を失った私に、綾美がトドメをさすのである。
「何よ都、新谷君、お酒強いじゃない。アンタが散々大騒ぎするから弱いんだって思ってたけど……ねぇ大樹、新谷君って弱いんじゃないの?」
「ん? そうだっけ」
大樹君が食べ終わった串を片付けながら首をかしげる。
……あのちょっと、ちょっと待ってください「新谷氏」。
私は恐る恐る彼に視線を向けると、片手に持っているグラスからあえて視線をそらし、
「あ、あのさ、薫……実はアルコールとか強かったり、する?」
「強いかどうかは分からないけど、普通にコレくらいなら」
そう言ってグラスを傾ける彼。私の中で何かが豪快に崩れていくんですけど……。
「じゃ、じゃあ、あの時……」
「あの時……あぁ、あれは……」
私が言いたいことを察した彼が、中身を一口味わってから軽く舌を出し、
「……確信犯って言ったら、怒る?」
瞬間、私の中で何かがぶつりと切れる。
「新谷薫!! アンタちょっと……表出なさいよ表っ!!」
……結局、中腰で掴みかかった(正確には殴りかかった)私を、周囲が慌てておさえつけたのであった。
「……都、まだ機嫌悪いの?」
帰り道、隣を歩く薫が取り付く島のない私を苦笑で見下ろし、ため息をついた。
あれから数時間後、初対面とは思えないスピードですっかり意気投合した千佳さん&綾美&大樹君は2次会へ。私と薫、真雪さんと奈々はリタイヤチームなのだが……周囲の協力があり、今は薫と二人で歩いている。
週末の学生街は、どこからともなく騒がしい声。国道を通る車も、タクシーや代行運転の割合が多いような気がする。
結局、ビール1杯、水割りの焼酎を2杯飲んだ薫は、まだまだ余裕。私も軽くアルコールは飲んだけど彼ほどじゃない。少なくとも私の倍はアルコール分を摂取している新谷薫は、足元もしっかりとしていて、いや、世間的に考えれば決して飲みすぎているわけじゃないんだけど……その現実がまた、私をイライラさせるというか……。
「みーやこっ!」
彼が不意に、私の手を握った。びくっと肩を震わせて彼を見上げると、困ったような表情の薫が私を見つめて、
「……ゴメン」
「……」
結局私は、彼を謝らせてしまうのである。
「今回のことは、俺が考えたことなんだ。俺もたまには都に嫉妬してほしかったというか……焦ってるのは俺だけなんじゃないかって、ずっと不安だったからさ」
私は黙って彼の手を握り返した。そのまま、同じペースで歩みを再開する。
「あいつ……えぇっと、宮田が都にキスしてるのを見た瞬間、頭が真っ白になったんだ。都がもし、俺以外の男を好きになったらって思うと……不安になった。だから都を繋ぎとめようとして……結果、また都に助けられたんだけどさ」
「……」
「今日、ちゃんと伝えたんだ。宮崎さんに……そうだ、都にも改めて言っとこうかな」
不意に、彼が手を離して私の肩を抱いた。歩きながら顔を近づけ、小声で……でもはっきりと、囁く。
「俺は、沢城都が好きです」
「っ!?」
顔は見えないけど、でも、確信できる。
こう言ってくれるときの薫は、誰にも見せたくないくらい優しい表情をしてるんだってことくらい。
「……だからあの時も、都を帰したくなかった。もっと都のことを知りたくて、それで……」
「……いいよ、もう」
今度は私が嘆息した。
あのときのことを怒っているわけじゃない。アレには半分私も責任があると思うし、それに……。
「多分、私が薫を本当に好きになったのって……あの夜からなんだよね」
「え?」
「それまでの薫には、優しいけどヘタレってイメージしかなかったの。でも、あれから私の中でイメージ変わったし」
正直な当時の感想を口にすると、彼は無言になる。
その表情を想像できる自分が、嬉しい。
だから、
「それに薫……私のこと、勘違いしてるよ」
「勘違い?」
思い切って自分からキッカケを作った。今なら言える。今だから言ってしまおう。私は足を止めると、呼吸を整えて、
「……誰にだって、嫉妬、してるから……今回だけじゃない、今までは言えなかったけど……私だって、薫が他の女の子と話したりしてるの、見たくない、し……」
たとえそれが、私のストライクゾーンの女の子だとしても、である。
「だから、その……これからは、私も気をつけるから……私の前で他の女の子と一緒にいないでっ!!」
……無理というより不可能に近い注文だと自分でも思う。彼が意識しなくても女性のほうから近づいてくるのだから、どうしようもない。
ただ、これだけは自分の口で伝えるべきだと思った。正直な言葉は包み隠さず、感情のままに伝えるべきだと思ったから。
薫はしばらく黙り込んでいたが、不意に私の肩を抱いたまま大通りを外れ、路地裏へ。
明かりも通りの喧騒も届かない、学生用のマンションが乱立する薄暗い隙間の真ん中で足を止めると、そのまま私を正面から抱きしめた。
「……理性残したから、感謝してくれよ?」
それは、この場所まで避難してきたことを言っているのだろうか。
「頼むから、俺の部屋じゃない場所でそんなこと言わないでくれ。公衆の面前でキスするところだったぞ」
豪快にため息……というか安堵する薫に、私は自分の腕を回して苦笑いを浮かべる。
「……それはよく我慢しました。偉い偉い」
彼の背中をポンポンと叩く、そんな彼を、心から愛しいと思った。
だから、
「もう少し我慢してもらおうかな。少なくとも薫の部屋につくまで」
「無理」
「無理言うな。屋外で、なーんて……ゲームだけで十分よ」
軽口を叩きながら、互いに腕を離そうとはしない。
不意に、あのときの彼が脳裏をよぎった。私を自分とパソコンの間に追い詰めながらも、主導権を握り損ねた……あのときの彼が。
多分、今の彼も……あの時と同じ表情をしてるに違いない。
だから私は腕の力を緩め、彼を一番近くから見上げた。
そう、あの時もこんな顔してたっけ。
赤面しながら少し悔しそう、それでも、嬉しさを隠しきれない顔で私を見つめてくれる。
キスしてくださいといわんばかりの無防備な彼を、放っておけるわけがなかったんだ。
あの時と同じ、今も不意に影を重ねる。それはほんの一瞬のこと。
だけどそれが、新しい関係の始まりだった。今の私なら言える。あの時言えなかったことを、そのまま、キミに。
「……本当は、最初からゲームより薫が気になってしょうがなかったの……多分、ずっと好きだったんだよ、私」
突然目の前に現れたキミは、私の世界を変化させていく。意識するなっていう方が無理な注文だ。
でも……キミは私にとって眩しすぎる存在。側にいたいって願いは、自分だけの妄想だって思っていたから。
「薫に告白……っぽいことされた時、余裕なんてなかった。嬉しくて、頭真っ白になって……夢かもしれないってことだけが、怖かったんだ」
だから、次の日の朝、隣にキミがいてくれた時は……涙が出るくらい、嬉しかったんだから。
それから、私の世界は急激に色を変え、音を変えて……熱を、帯びる。
「薫から突き放されたって思ったときは寂しかったけど、絆が強くなったときは前よりも側にいたいって思えた。でも、薫の、こと……自分ばっかり好きになっていくような気がしてたけどっ……あの時、言ってくれたよね……」
ほら、今だって涙が溢れてしまう。離れた時期こそ短かったけど、そのときのことを思い返せば……胸が切なくて、苦しくて、今の幸せに感謝してしまうくらいだから。
言葉に詰まりそうになる私の背中を、彼が優しく撫でてくれた。動揺した自分を落ち着かせるために、一度、呼吸を整える。
「……ゴメン。大丈夫。そう、あの言葉だよね、半分は私の誘導尋問だったかもしれないけど」
それからまた、周囲が騒がしくなる。そして私は、自分の失態で危機的状況を迎えてしまうのだが、
「俺しか見るな、って……言われなくても見てないよ……他の人なんか、眼中にないんだから……!」
キミと同じ世界を見ていられれば、それでいい。
キミと同じ想い出が増えていくことが、嬉しい。
「杏奈さんのことも林檎ちゃんのことも、気が気じゃないよ……でも、薫は私の彼氏だって自信持って言えなかった。自分に自信がないから、適当なこといって、はぐらかして……」
私はキミに、何を返せるだろう。
腕に抱えきれないほどの愛情をくれるキミに何も返せない、だから少し、卑屈になってしまったけど。
「だから、今度から……もっと、言うようにするね。薫の前では、自分の嫌な部分も隠したくない、隠さないようにする」
キミと、そして自分と向き合うことを恐れない。キミが好きだって思ってくれている私を、嫌いになりたくない。
とりあえず決意は固めた。後は、私が実行するだけ。
「都、俺……」
「――黙って」
彼の言葉をさえぎって、私はもう一度、自分から背伸びして唇を重ねる。そして……心の中に残った想いを、そのまま、言葉にしてキミに伝えてもいいかな。
これからも多分ずっと変わらないであろう、そんな想いだから。
「大好き……ううん、愛してるよ、薫」
最初は奇妙な利害関係から始まった、私と彼の物語。
だけど、物語はむしろこれから。相変わらず個性的な私たちに、どんなトラブルが待ち構えているのか分からないけど。
でも、少なくとも……私は、薫とエンディングを迎えるための選択肢なら、絶対間違えたりしないから。
騒々しくも愛しい日々を潜り抜けてきた、これからも潜り抜ける二人は、確実にトゥルーエンディングに向かっているって……これだけは、誰にも負けない自信があるんだ。