勇者のいじ
「最後はショウさんっすよ」
ラークの声にもいくばくかの期待に彩られている。なんだかんだで対人戦の本気とやらは気になるらしい。もっとも、この弟子は、ショウが本気を出すことになるなんて微塵も思っていないのだが。
「そうですね、お、エリス、おかえりなさい。グーパンチはちょっと痛そうでしたね」
有言実行だが、ほめているのだろうか?
「ふふっ、すっきりしたぁ。こんな場所でもないとなかなかできないもんね」
「いや、エリス。こんな場所でも俺はできなかったよ」
幼馴染のアウトローさに思いっきり引いているラーク。
「そうだね、きれいに負けちゃったよ」
と言いながら、三人の輪に加わるさわやかな笑顔。シャルルだ。
「シャルル、俺も楽しかったよ、考えてみたら今まであんなにきれいな剣術見たことなかったしね」
「それは意外。『血濡れの教授』はもっとすごいだろう?」
シャルルが目を丸くする。
「いや、僕の剣術は汚いですよ。シャルルの方がずっときれいな技です。洗練されているとでもいいましょうか」
ショウは代わりに答え、さらに続けた。
「でも、汚いからこそ、戦場向けなんですよね。洗練されているということは、裏返せばそれだけ読みやすくもなります。君はもう、僕が指南するどうこうの前に技を固めてしまっていたのです」
「それは残念だね。でも、ラーク、次は僕が勝つから」
ショウの発言は、「君じゃラークには勝てない」と取られてもおかしくはないはずなのに、至って当り前のようにシャルルは言った。ショウは、技が固まっているとは言ったが、洗練されているとは言ったが、完成されているとは言っていない。裏を返せば、まだまだ伸びしろがあるということ。
「さて、そういえば『血濡れの教授』の、『教授』の所以ですが、教えてませんでしたね。この試合で分かりますよ。僕の発言に注意して聞いていてくださいな」
弟子二人はきょとんと、シャルルは笑顔で、ともにうなずいた。
「そう言えば、アリエルは?」
誰とも知れず出たこの疑問に、苦笑交じりでシャルルは答えた。
「まだ、寝てますよ」
正方形の闘技場、その一辺にショウが立つ。向かいの辺には、この国の皇子、カールが立っている。二人はまさしく対象の動きで、中央へと歩みを進める。
「これはこれは、噂に名高き『勇者』と手合わせできるとは、これほど光栄なことがあるだろうか!」
仰々しい身振りとともに、大男が芝居がかったセリフを吐く。筋骨隆々としていて、これで体に傷痕の一つでもあれば歴戦の勇士といっても差し支えないような男だ。ただ、肌は不健康に白く、ちぐはぐな印象をショウに与えた。ある意味、貴公子然としたシャルルとは対極にあるし、気品あふれる美女であるミシュリーとも対極にあった。
「いえ、それは僕の言葉ですよ。武芸に秀でたあなたの噂はかねてよりお伺いしています」
早く始めたい。こういう応対はなんだかんだ言ってもショウは苦手なのだった。なにより、目の前に対しているこの男が、なにかこう……不快だった。
そんなショウの願いは直後に聞き届けられることとなった。けたたましくなる試合開始の銅鑼。その音とともにバカのように突っ込んでくる大男。ただ、並みのスピードではなく、まるで大岩が突っ込んでくるかのようなプレッシャーを持っていたことだろう。
「そう、あくまで『だろう』ですよ。すこし、考えが足りませんね」
そういうと、カールのふるうメイスのきらめきを紙一重で避けて足を引っ掛けてやる。
大岩は最初の勢いそのままに数メートル転がっていく。転がされた方は顔を真っ赤にしてショウをにらみつける。が、ショウはそれを意にも介さずに、一言言い放った。
「ちょっと情けないですね。特別にご教授して差し上げましょう」
大男は、手にしたメイスを縦横無尽にショウに叩きつける。だが、まるでかすりもしない。
「ほら、もっと速く!あくびが出ますよ」
よけながらもショウは元気にカールを挑発している。が、むきになって振り回すたびにカールは疲労をため、より遅くなる。
「たまには正面突破じゃなくて、意表を突いてみてくださいよ。ほーら、後ろには目はついてないんですよ?」
そういうと、思いついたように足腰を強化、目にもとまらぬ速さでショウの後ろに回り、思い切り憎たらしい背中にメイスをたたきつける。が、空を切り、石畳を砕いた。まるで目が付いているかのような動きで、くるっと右足を軸にターンして、その後、舞うように皇子の背後を取るショウ、間抜けに背中をさらす大男の肩を叩いて、
「おしかったですね、もうひと頑張りです」
と、のたまった。
「いやらしい戦い方っすね」
今、戦っている男の弟子が心底うんざりしたようにつぶやいた。
「そうだね、ラーク。わたしたち、お兄ちゃんの敵じゃなくてよかったよ」
もう一人の弟子も同感なようです。
「それで、二人は『教授』の理由がわかったかな?」
シャルルは意地の悪い笑みをうかべながら二人に聞いた。
「こんな風にレッスンだなんだ言って教えてる体で対戦相手をいじめるから?」
エリスがそんな身も蓋もない言い方で言った。シャルルはひとしきり笑った後、
「そうだけど、実際手合わせが終わると強くなってるから不思議なんだよね。手合わせの最中はいくら頭に来ても『教授』をやってるんだね。不思議さ」
「っらぁ!」
カールはもはやめちゃくちゃにメイスを振り回すだけだった。
「もう終わりですか?じゃあ、こっちから行かせてもらいますが、いいですか?」
そう言うと、ゆっくりと両手で、ファリアスのそれと同じ、バスタードソードを構えた。
皇子の顔が引きつる。が、意に介すことなく剣は振るわれた。軽く、あくまで軽く。最初はぎりぎりメイスによる防御が間に合うくらいの速さで、そして今はもう、防御が薄いところを見るや否や、剣でつつくように攻撃する。その姿は、まるでダメなところを指摘する先生と、その生徒のような光景だった。
どれくらい、その奇妙な攻防が続いただろう。しばらくたったころ、皇子は不意に飛びずさり、ショウに向かってこう言った。
「いい加減にしろっ!バカに……バカにしやがってぇぇぇぇぇ!」
吠える。吠える。獣のように、そして、それに応じたように、黒いものが皇子に纏わりついていった。いや、その「黒いもの」は、ショウにしか分からなかったのだろうが。
カタリ、まるで人形のように、首をかしげた。大男の体はだらんと脱力し、全身の筋肉が弛緩しきっていた。
うつろな目が、ショウをとらえる。ショウの中で、第二ラウンドの開始を告げる銅鑼が鳴り響いた。
それは、黒い風だった。
大男の体は、何かに吹き飛ばされるようにショウに向かって跳びかかった。今まで得物にしていたメイスは、用済みとでも言いたいのか、打ち捨てて。うつろな目はしっかりとショウをとらえ、顔面から突っ込んできた。
ここからは冗談は抜きだ!といわんばかりに、剣で迎え撃つべく一閃したが、切っ先数センチの場所で、突然に大男の突進は止まった。その動きは物理法則などまるで無視したものだった。
驚きもつかの間、大男はその場所から脱力した右手を鞭のように斜めに振るった。その軌道をなぞるようにとんだ青い光は、そのまま立っていたとしたらショウの体を袈裟がけに薙いでいただろう。ショウは間一髪、体のバランスを崩して体を斜めにして避けた。ちょうど右手の軌道と平行になるだろう。
そんなショウを無慈悲に見下ろす目をしっかりと見ながら、ショウは地面に手をつき、顔面に思い切り足の裏を叩き込んだ。
鼻血を巻きながら吹き飛ぶ巨体は、まるで重さを失ったように軽い挙動で足から着地し、ひるむことなく向かってきた。両手には剣をかたどった青い光。さっきまで、大岩のような存在感を放っていた巨体は、いまではまるでがりがりにやせた男ほどの存在感すら感じさせない。
今度も、何の予備動作もなく皇子は飛来した。砲弾のような勢いの突撃を、正面から受けるのは危険と判断したショウは左にステップする。突撃を軽くいなされた皇子は、鋭角に軌道を変えると、回転しながらショウに剣戟を浴びせる。
が、そこにはショウはいなかった。火の魔法の応用、陽炎だ。いつの間にか背後に回っていたショウが唐突に姿を現し、背中に切りかかる。が、後ろを視認もせずに、ダンスのターンとは言い難いが、シャープな回転とともに大男は斬りかかった。
どういうことだ?ショウは混乱していた。陽炎にだまされるということは、今の皇子は視覚に頼っている、でも、今の一撃は明らかに死角だったはず。いったい……
そんな戸惑いをよそに、大男は斬撃を重ねる。ひと筋、ふた筋と赤い筋をショウの体に刻んでいく。一撃一撃が確実に必殺であることにショウは驚愕した。これって、そういう感じだっけ?
不意に、声が響いた。男とも、女とも取れない声が、しかし、目の前の大男のものでは絶対にない声が。その声を聞いた瞬間、そういえばとんと無口になってしまっていたなといまさらながらのんきに思った。
『おお、久しぶりだな。ショウとかいったか、男よ』
「覚えていてもらって光栄ですね。ただ、僕はあなたのことを知っているのですか?」
純粋な疑問……ではない。確認だ。
『お主らは我を魔女と呼ぶが、お主が知らぬはずがなかろう』
そのことを確認した瞬間に、ショウのまとう空気が一気に剣呑なものになり、言葉づかいも普段のそれとはかけ離れたものになる。
「ほう、久しぶりだな。なるべく会いたくはなかったが、あってしまったらしょうがない、消えてくれないか」
『ふっふっふ、血の気の多いことよ。だが、残念ながら我はここにはおらぬ。まあ、近くにはおるがな。こやつは我が操っているだけのただの木偶よ』
どうやら、皇子は操り人形のように外部から操作されているらしい。その操作者が、観客席あたりからの視点で皇子を操作してるから、舞台上を鳥瞰的に把握できて、死角もないと……。
「そうか、それは残念だ。てめえを消し去らないと僕はおちおち死んでもいられないんだけどな」
そう言うと、『魔女』は心から楽しそうに笑った。
『そういうものがいるから面白いというものよ。お主は人間にしては面白いものだからな、期待しておるぞ』
この世のどの王よりも尊大に、言い放った。まるで人ごとのようだ。
『お主が我を滅ぼすが早いか、我がこの世を滅ぼすが早いか、といったところであろう?見たところ我が前に植えてやった呪いはしっかりと息づいているのだ、お主に勝ち目はない』
「呪い?ああ、傷の治りが早くて助かっているが、どうした?」
そういって茶化してみると、聞く者を体の底から凍りつかせるような声で笑った。
『お主、これを本当にそのようなシロモノだと思っているわけではなかろう?いつか、お主が呪いにくいつぶされた暁にはお主の体は我が使ってやろう。光栄に思うことだな』
「虫唾が走る。お断りだね」
そう、お断りだ。全部、お断りだ。
『話しこんでしまったな。このつまらぬ男も、一応は使える駒なのでな、ここで使いつぶすのはもったいなかろう?それに、近々お主とも顔を合わせることとなるであろうしな』
そう言うと、とたんに皇子を覆っていた黒いオーラが四散し、青い剣が消えたのち、皇子は脱力のそのままに舞台に崩れ落ちた。
ショウは、戦っているさなかには感じていなかった高揚の中にいた。確実に、皇子はクロ。これが何よりの収穫だった。