ちょっとした勇者の、ちょっとした出会い
「あなたが、わたしを、殺してください」
彼女は言った。
彼女を殺すこと、自分を殺すこと。自分を殺して、彼女を殺す。
分かってる。これを逃せば状況は最悪。もはや手に負えなくなることくらい分かっている。
何がおかしいのだろう、彼女はくすり、と笑った。本当に楽しそうに。
「きみは、きみを…………無理だ、無理だよ。僕は……僕は!」
絞るような声で、泣きすがるような声で。彼女は僕の、大事な人。大事な人だから。
僕の抱える悲しみとは裏腹に、体には恐怖が満ちる。本能が僕の剣に伝わる。殺せ、殺せと囁きかける。
「さあ、早く。わたしが死んだら、あなたは絶望してくれるのでしょう?それで十分よ」
優しく微笑む。その微笑みを見た瞬間、悲しみが恐怖に押しつぶされた。時がゆっくりと流れる。飛び散る赤の中、彼女は確かにほほ笑んでいた。
―――――――――あなたの絶望とともに
これが、僕の抱える『絶望』。
「気がつきましたか?」
あいまいな輪郭の中、とても懐かしい声が聞こえる。その声で、意識が急激に引き戻される。
「君はッ!いや、そんなはずは。確かに僕が」
あの時のようにその女性はくすりと笑う。燃えるような赤い髪。透き通るような白い肌、目には優しい光を宿し、まるで吸い込まれていくような錯覚を覚える。大空のような笑み。
「これは借り物の姿です。あなたの中で、もっとも大切な思い出の中にいた人の姿を貸していただきました。…………いけなかったでしょうか?」
そんな風に申し訳なさそうに聞かれて、いけないなんて言えるはずない。
「いえ。それで、あなたは?」
「わたしは、この泉の精霊、とでも名乗っておきましょうか」
確かに、いつの間にかに泉のほとりに寝かせられていた。ファリアスとやりあったのは平原のど真ん中だったのに。
「はぁ、では精霊さん、ここは?」
「エルランディアの西の森です」
ということは、エルランディアをはさんでちょうど反対側に移されたのか、平原はエルランディアの東のはず。
「分かりました、ところで、僕の腹部にはなかなか隠しにくい穴が開いていたと思うのですが」
「はい、ふさがせていただきました。貫いていた剣の方はそこにあります。その剣、いったい何なのでしょうね。なんだかとてつもない魔力と人の念を感じます」
「そうですか?僕にはよくわからないのですが」
「あら、そうですか?なら、ちょっと失礼して」
そう言うと、女性がショウの頭をひとなでした。すると、今度はなにか、形容しがたいものが剣にまとわりついているような、そんな風に感じた。言いようのない感覚だ。
「はい、今度ははっきりと。ところで、あなたはなぜ僕を助けてくれたのですか?」
「人を助けるのに理由はいりますか?」
なかなか一筋縄じゃいかない人だ。
「まあ、冗談は置いといて、あなたが『魔女』を退けたという勇者ですか?」
「いえまあ、そのような大それたものではないですか、そうですね」
謙遜はいいですよ、と女性は続けた。
「あなたは、いま、ある国に『魔女』が味方しているという噂をご存知ですか?」
「はい、ただ、僕としてはあれが形はどうあれ人に肩入れしているということが不可解でなりませんが」
「そうですね。『魔女』はその国を利用しているだけなのでしょうけど。とにかく、『魔女』がある国に肩入れしているという噂はともかく、すでにこの世にいるというのは事実です」
そう言いながら、苦い顔をする。この人がなぜそのような顔をするのか、少し聞いてみたいが、それどころではない。
「そして、あなたを助けた理由ですが、今度こそあれを滅してほしい。簡単なことではないですが、やらなくてはならないのです」
「はい、もちろん引き受けさせていただきます。あれには少なからず因縁がありますから」
ほっとしたような笑顔を見せてくれる。
「今さっき、わたしがお渡しした力が役に立つと思います」
「力というと、この剣に何かがあると感じ取った感覚ですか?」
「そうです。もうひとつ。あなたが死にかけている最中、何か夢を見ませんでしたか?」
そう、とても懐かしい夢を。
「はい、でも、なぜ?」
「あなたは、もしかして怪我の治りがすごく速かったりしませんか?」
「いかにもそうです」
だからこそ、ファリアスにあんな戦法を取ることができたのだ。題して「死んだふり作戦」。実際、死ぬかと思ったが、おそらく僕は不老不死なのだろう。
「おそらく、魔女の影響でしょう、あなたは今、擬似的に不死身です。老いもしません」
「擬似的に、とは?」
「不老性、不死性は『魔女』の呪いの作用です。あなたが魔女と戦って、退けた際にかけられたのでしょう。それ自体は問題ないのですが、問題は致命傷を負った時です」
つまり、さっきのような状況ということか。
「体力、精神力が著しく下がると、呪いが牙をむきます。具体的に言うとあなたの意識を乗っ取ろうとします。完全に乗っ取られたとしたら、もはやあなたは魔女の眷族。おそらく、魔女はあなたを依り代とするでしょう」
あなたの体はなかなかの好物件ですからね。と、冗談のような言葉で締めくくる。
「つまり、捨て身はダメと。あの戦いの後、あれは僕を依り代とするつもりでいたのですね」
懐かしい。すべてが懐かしい。しかし、あの日の景色、あの日のにおい。すべて鮮明に僕の中に息づいている。
「今日はもう遅いです。体力回復も兼ねて、ここで休んでいったらどうですか?屋根はありませんが、いいところですよ、なかなか」
お言葉に甘えることにした。弟子たちを心配させるかもしれないが、まあ、許してもらおう。なんて言ったって疲れてしまった。
ゆっくり眠っていたせいか、翌日は日が高くなってから目覚めた。ファリアスとの戦闘での戦利品であるバスタードソードを手に取り、軽く振ってみる、片手で、両手で。
とても軽く、平均的なものの半分ほどではないだろうか。しかし、軽いはずなのに、何か重さを感じる。腕にかかる重さではない。分からない。ただ、感覚通りの危うさを感じ取ることができた。だが、これもカンが正しければ対ファリアス戦の切り札にもなりうるものなので、丁重に持ち帰ることにした。
自称精霊の女性から教えられた方向に素直に歩くと、ほどなくして森を抜け、門番の姿も見つけることが出来た。
「おい、お前!そんなに血だらけだが、大丈夫なのか?」
「はい、傷はふさがってますので、見た目ほどじゃないですよ。ところで、おそらく昨日、エルランディアに到着した旅人がいると思うのですが、ラークか、エリスという名前を知りませんか?」
「はて……」
「まあ、東門から入ったと思うので」
そう言って苦笑いしていると、門番は一つ、尋ねてきた。
「おまえ、もしかしてショウとかいう名前か?」
「はい、そうですが?」
「おお、お前か。弟子だとかいうやつに、お前が来たら宿の名前を教えておけと言われたのでな。それにお前が到着したら王宮に報告を上げろと……おまえ、何したんだ?」
本当に不思議なものを見るような眼で門番はショウを見つめている。ショウはこれまた苦笑いしながら、
「ちょっと、『勇者』をするために」
とだけ、答えた。
ラークとエリスに与えられていた宿は、大層大きなものだった。あの子たちが贅沢を覚えなければいいのだが。
それより気がかりなのが、この、宿を包囲するように配置されている騎士たちだ。入る時、いちいち名前を聞かれて、ふてぶてしい態度で「はやくいってやれ」と言われたのはさすがに頭にきたが、僕の予想が正しければ彼らも雇い主のわがままに付き合う立場。彼らも苛立って当然だろう。なにもこんなところに来なくても。
そう思いながら宿の一室をあける。
「ショウさん!」
「お兄ちゃん!」
「ショウ!」
一斉に大声で叫んで、飛びついてくるラーク、エリス、ミシュリー。ミシュリーはわざわざ来なくても。それにしても、僕は結構愛されているようだ。
「ただいま、みなさん。無事にまた会えて何よりです」
ラークとエリスはぐしゅぐしゅと何言っているかわからない。ほらほら、鼻水ふいて。
「ショウ、おぬし、心配かけよって……まあよい。おぬしには聞きたいことが山ほどあるのじゃ。あとで城まで来てもらうからな。ところで、着替えたらどうじゃ?血まみれじゃぁカッコがつかなかろう」
お言葉に甘えて、着替える。今度はそのままこの足で宮殿に行かないといけないらしい。まあ、外にはなかなかな馬車が用意されていたので、歩かなくていいのは助かりますな。
ところで、この都のどこかから、ファリアスの剣よりもはるかにまがまがしいものが感じられる。思いすごしならいい。誤作動ならいい。ただ、念のため、があるだろう。