HALLOWEEN BLOOD KISS
ハロウィンの夜、招待状を拾った。
拾ったというか、一匹の黒猫が背負っていた。
街には魔女や骸骨、ゾンビに扮した人たちが溢れている。
店先にはオレンジ色のカボチャが並び、どこからともなく陽気な音楽が聞こえてきた。
今夜は、誰もが少しだけおかしくなれる夜だ。
黒猫の背中には、小さな黒い封筒が括りつけられていた。
「誰の仕業なの? おいで、スプーキー。いい子ね」
しゃがんで頭を撫でると、黒猫は私の足元に身体をすり寄せ、気持ちよさそうに目を細めた。
人懐っこい子ね。
私はそっと封筒を外し、中から招待状を取り出した。
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YOU ARE CORDIALLY INVITED
HALLOWEEN BLOOD KISS
あなたの血をください。
お礼に、一夜限りの夢を差し上げます。
OCTOBER 31 · 11:00 PM
13 Blackthorn Street
――――――――――――――――
「血? ドラキュラ?」
私は唇を舐めた。
面白そう。
顔を上げると、黒猫はいつの間にか姿を消していた。
「あれ? スプーキー?」
辺りを見回しても見当たらない。
まあ、いいか。
私は招待状をバッグにしまい、記された住所へ向かうことにした。
⸻
十三番地へ向かう途中。
賑やかな音楽に混じって、低いエンジン音が近づいてきた。
続いて、背後からクラクションが鳴る。
振り返ると、赤いコンバーチブルが私の隣をゆっくり走っていた。
「ヴィヴィ! あんたを探したわよ!」
運転席から身を乗り出した友達が、大きく手を振った。
「ロイのハロウィンパーティー、あんたも行くでしょう? 乗りなよ」
私は彼女の姿を見て、思わず吹き出した。
「ちょっと! それってもしかして!?」
彼女は得意げに髪をかき上げた。
天に向かって逆立った黒髪。その両側には、稲妻のような白いメッシュが走っている。
白い衣装には黒いレースが重なり、首元には縫い傷まで描かれていた。
「ロイがフランケンシュタインの仮装するって言うからさ! 分かる?」
「あははっ! それで、フランケンシュタインの花嫁?」
「大正解!」
彼女は投げキッスを飛ばしてきた。
「で、あんたは? 仮装しないの?」
「こんな可愛いモンスター、ほかにいる?」
「はいはい。いつもどおりね!」
「あははっ!」
二人で笑った。
「で、乗るの? 乗らないの?」
「あ、私、別のパーティーに行くから」
「はぁ? 誰の? まさかアクセル?」
「黒猫」
「…………は?」
私はバッグから招待状を取り出し、ひらひらと振ってみせた。
「血をください、だって!」
「ドラキュラ伯爵ですか!」
彼女は声を上げて笑った。
「名前はまだ分からないんだけどさ」
改めて招待状を眺めた。
やっぱり、差出人の名前はない。
「え、それって大丈夫なの? 善人とは限らないじゃない」
「うーん」
招待状を、鼻の前で嗅いでみた。
「事件の匂いはしない」
「私も行こうか?」
「ロイが待ってるんじゃないの? 私なら大丈夫だって」
「本当に? 変な男だったら逃げるのよ!」
「はーい。そっちこそ、フランケンシュタインとお幸せに!」
「ありがとー!」
赤いコンバーチブルは、爆音を響かせながら走り去っていった。
私は遠ざかる車を見送り、再び歩き始めた。
やがて、陽気な音楽も人々の笑い声も遠ざかっていく。
通りには似たような家が並び、窓からは暖かな明かりが漏れていた。
玄関先にカボチャを飾った家もあれば、庭に骸骨を立たせた家もある。
けれど、十三番地だけは違った。
招待状に記されていたのは、ハロウィンの飾り一つない、ごく普通の一軒家だった。
玄関灯すらついていない。
想像してたのと違う。
玄関脇には「13」の数字だけが掲げられていた。
招待状の住所と照らし合わせる。
番地は合ってる。
もう一度、建物を見上げた。
つまんない。
帰ろうかな。
でも、ノックだけしてみようかな。
変な人が出てきたら、ダッシュで逃げよう。
私は玄関の前に立ち、扉を軽く叩いた。
コン、ココン。
返事はない。
誰も出てこないじゃん。
コンコンコン。
それでも、扉は開かなかった。
私は庭に面した大きな窓へ近づいた。
カーテンは、ほんの少しだけ開いている。
両手でガラスへの映り込みを遮り、室内を覗いた。
室内では蝋燭の炎が揺れていた。
淡い明かりの向こうに、深い色合いのヴィンテージソファが見える。
壁には大きな裸婦の油絵が飾られ、あらわな胸元が蝋燭の明かりに浮かび上がっていた。
クラシックらしい音楽も聞こえてくる。
なによ。室内の雰囲気はあるじゃない。
もう少し覗き込んでみた。
けれど、人の姿は見当たらない。
パーティーにしては静かすぎる。
本当にここで合ってるのかな。
再び玄関へ戻り、扉を叩いた。
ドンドンドン。
今度は遠慮しなかった。
出てくるまで、叩き続けるつもりだった。
ドンドンドン!
そのとき、突然扉が開いた。
振り下ろしかけた拳が宙を切る。
次の瞬間、誰かに手を取られた。
顔を上げると、男が立っていた。
無造作に乱れた髪には、明るいメッシュが混じっている。
耳元には銀色のピアスが揺れ、首元にはいくつものチェーンが重なっていた。
開いたジャケットの襟元から、タトゥーが覗いている。
男は私の手を握ったまま、笑った。
「ハッピーハロウィン」
その歯には、トゥースジェムが光っていた。
尖った犬歯まで見える。
なにそれ。
めちゃくちゃ似合ってるじゃん。
私と同じ匂いがする。
ドラキュラ伯爵ではなかったけど、最高に好みだった。
「ハッピーハロウィン! これ、拾ったの」
私は手を引き、バッグから招待状を取り出した。
男はそれを受け取り、目を落とす。
そして、ゆっくりと私に視線を戻した。
「楽しんでく?」
私は頷いた。
中へ入ると、背後でカチャリと鍵のかかる音がした。
振り返ると、彼の手はまだ鍵に触れていた。
私の視線に気づいたのか、彼が尋ねる。
「怖い?」
一歩、近づいてきた。
私は少しだけ考えた。
「怖いことするの?」
彼は小さく笑った。
「どこからが、君の怖いことなのかな?」
彼の指が、私の髪に触れた。
「リボン可愛いね。でも、これは嫌いだよ」
そう言って、耳の十字架のピアスを軽く弾いた。
私は思わず笑ってしまった。
あくまでもドラキュラ気取りなのかな?
彼は私の顔をじっと見つめていた。
その視線が、目元から口元へとゆっくり移る。
そして、にっこり笑った。
「名前、教えてよ」
「ヴィヴィ」
「ヴィヴィ。覚えておくよ」
「あなたは?」
「俺はジェイド」
「ジェイド。名前も素敵ね」
「本当に? ありがとう」
私たちは、互いに視線を逸らさずに言葉を交わしていた。
胸が高鳴る。
「私、あなたが好き」
彼は嬉しそうに目元を綻ばせた。
そして、私の首元へ顔を寄せ、そっと息を吸い込んだ。
不意に近づいた唇に、思わず息を止める。
「俺も、君が好きだよ。何か飲む?」
彼は奥の部屋へと進んだ。
私はその後を追った。
⸻
部屋に入ると、古いレコードプレーヤーが目に入った。
低いテーブルの向こうには、窓から見えたヴィンテージソファが置かれている。
蝋燭の炎が揺れ、壁に飾られた大きな裸婦画を照らしていた。
柔らかな布の上に横たわる女の、あらわな胸元が淡い明かりに浮かび上がる。
白い肌と、ふくらかな乳房の曲線が、目を離しがたいほど艶めいていた。
思わず、自分の胸元に目を落とした。
……ふふん。私だって、丸くて可愛い胸してるんだから。
黒いLPレコードが回り、ヴァイオリンの妖しい旋律が流れている。
思ってたより、音量が大きかった。
これじゃ、ノックが聞こえないのも無理はない。
「何の曲なの?」
「サン=サーンスの『死の舞踏』」
「ハロウィンの演出?」
「気に入った?」
「うん! 雰囲気は最高! でも私、クラシックはよく知らない」
「クラシックにも、物語を描いた曲があるんだよ」
「そうなの?」
「この曲はね、真夜中に死神がヴァイオリンを弾くんだ。その音に誘われて、墓の中から死者たちが出てきて踊り始める」
彼の話に合わせるように、乾いた音が小気味よく響き始めた。
私は思わず笑ってしまった。
「やがて朝を告げる鶏が鳴くと、みんな墓に戻っていくんだ」
「……へえ」
彼は微笑んだまま、グラスに赤い液体を注いだ。
私はその背中を眺めた。
その見た目で、クラシックに詳しいなんて。
変わり者だな。
ま、そう思ってる私も、変わり者だけど。
彼が振り返り、グラスを一つ差し出した。
透き通った深紅の液体が、蝋燭の明かりを受けて艶やかに揺れていた。
受け取って匂いを嗅ぐと、ストロベリーの甘い香りがした。
また笑ってしまった。
「この赤い正体はストロベリーなのね?」
彼は笑って頷いた。
そして、手にしたグラスを持ち上げた。
中の赤い液体がゆっくりと揺れる。
蝋燭の明かりを映したその色は、私の飲み物よりもずっと暗かった。
「乾杯」
差し出されたグラスに、私もグラスを合わせた。
澄んだ音が響く。
彼が口をつけたのを見て、私も一口飲んだ。
期待を裏切らず、ストロベリーの甘さが口いっぱいに広がった。
少しアルコールも効いている。
彼は飲み干したグラスを置いた。
その口元から、一滴の赤い雫が伝い落ちた。
妙にねっとりとしていた。
私は自分のグラスを見つめた。
そんなに粘るような液体には見えない。
「同じもの?」
そう尋ねると、彼は口元を拭い、舌で上唇をゆっくりとなぞった。
「味、確かめる?」
味を確かめるって、どうやって?
私は彼の唇に目を向け、思わず笑みを浮かべた。
グラスを置いて、彼に近づいた。
けれど、空になった彼のグラスも気になる。
手に取って匂いを確かめようとすると、そっと手を止められた。
「こっち」
彼は腰を屈め、私と目線を合わせた。
吸い込まれそうな瞳だった。
「キスしたいの?」
彼は笑って頷いた。
「キスすれば分かるよ。俺たちの相性も」
私は思わず笑った。
「いいよ」
彼の顔がゆっくり近づいてくる。
私は目を閉じなかった。
綺麗な顔。
唇まで、あと少し。
「……目、閉じないの?」
「見てたい」
彼は小さく笑った。
「そういう趣味?」
「うん。あなたは、目を閉じるの」
「仰せのままに」
彼が瞳を閉じた。
長い睫毛。
そして、唇が重なった。
冷たい口づけだった。
体温あるの?
最初は、触れるだけ。
離れたかと思うと、もう一度。
彼の両手が腰に添えられた。
そのまま引き寄せられ、私の身体は少し後ろに反った。
今度は少し長く、唇を重ねてきた。
私は彼のシャツを掴んだ。
背中に彼の片手が回る。
甘い。
けれど、ストロベリーとは違う。
舌先に、微かな鉄の味が触れた。
確かめるように舌を絡めると、彼がその舌を吸った。
思わず、シャツを掴む指に力が入る。
私も吸い返した。
すると、背中に回った腕に、少しだけ力がこもった。
唇が離れても、彼はすぐには顔を離さなかった。
そして、笑った。
「主導権はどっち?」
「私」
彼は頷き、私の身体に視線を落とした。
「好きなこと教えてくれたら、全部してあげるよ」
なんて甘いことを言うんだろう。
私は彼の胸元のシャツをグイッと、自分へ引き寄せた。
「あなたの吐息を聞かせて」
もう一度唇を重ねると、彼も私を抱き寄せる。
どちらからともなく、私たちはソファへ倒れ込んだ。
柔らかな背もたれに身体を預ける。
彼の唇が耳元へ移った。
「ヴィヴィ」
耳元で甘く囁かれた。
そのまま耳たぶを甘噛みされ、思わず吐息が漏れた。
ジェイドの唇が、私の首筋に触れた。
私は彼の髪に指を通し、そっと抱き寄せた。
唇が肌を滑るたび、背中に回された腕に力がこもる。
耳元で、彼の吐息が深くなった。
首筋に触れていた唇が、ふと止まる。
浅い呼吸が肌にかかった。
それでも、離れようとしない。
私はそっと彼の頬に触れた。
指先に、微かな凹凸。
顔を覗き込むと、頬から首筋にかけて、細い血管のような筋が浮かんでいた。
「……ジェイド?」
名前を呼ぶと、彼が顔を上げた。
その瞳には、さっきまでなかった赤みが差している。
それでも、私を見つめる眼差しは変わらなかった。
そのとき、レコードから甲高いヴァイオリンの音が響いた。
さっきまで愉快だった旋律が、今は妙に不気味に聞こえる。
ふと、招待状の言葉を思い出した。
あなたの血をください。
お礼に、一夜限りの夢を差し上げます。
もしかして。
この人、本当に吸血鬼だったりするの?
そんなわけない。
……いや、あるの?
私はその唇を見つめた。
さっきの味。
やっぱり気になる。
「ねえ。血の味がしたの」
もし本物なら、血を吸われちゃうのかな。
死んじゃったりする?
それは困る。
でも。
目の前の男から、どうしても目を離せなかった。
「あなた、人間なの?」
その声は掠れて出た。
「ヴァンパイアだよ」
静かな声だった。
冗談なのか、本気なのか。
その表情からは読み取れなかった。
「怖い?」
ジェイドが笑った。
その隙間から覗いた犬歯が、さっきよりも鋭く尖っていた。
……え。
もう一度、その瞳を見つめた。
蝋燭の炎が揺れ、赤い光が瞳の奥で瞬く。
本物が本当にこの世にいたんだ。
震えるほど、刺激的だった。
怖くない。
むしろ。
「……綺麗」
ジェイドの頬に触れた。
やっぱり、冷たい。
彼は何も言わず、私の指先に口づけた。
そのまま手首へ、ゆっくりと唇を滑らせる。
「……ヴィヴィ」
名前を呼ぶ声が、耳に残った。
「私の血が欲しいの?」
彼は私の目を見つめ、小さく頷いた。
「少しだけ」
「血をあげたら、私は死ぬの?」
「死なないよ」
「私もヴァンパイアになるの?」
「ヴィヴィはヴィヴィのままだよ」
「いいよ」
ジェイドはすぐには動かなかった。
私の返事を確かめるように、じっと見つめている。
私は髪を片側へ寄せ、首筋を見せた。
彼の指が、こぼれた髪をそっと払う。
ひんやりとした唇が、肌に触れた。
一度。
そして、もう一度。
私は彼の肩に手を置いた。
首筋を伝う吐息が、少しずつ深くなる。
彼の腕が背中に回った。
次の瞬間、鋭い痛みが走った。
「……っ」
思わず、彼の肩を掴んだ。
首筋に食い込む牙。
一瞬、身体が強張る。
けれど、ジェイドは急がなかった。
背中を支える手が、ゆっくりと動く。
痛みは次第に薄れ、代わりに奇妙な温もりが広がっていった。
首筋から、胸の奥へ。
自分の鼓動が、いつもより近く感じられる。
彼の喉が、小さく動いた。
そのたびに、牙の触れる場所が微かに疼く。
私は目を閉じた。
遠くでヴァイオリンが鳴っている。
ジェイドの息遣い。
髪が頬に触れる感触。
それらが、少しずつ混ざり合っていく。
私は彼の髪に指を絡めた。
すると、首筋に触れていた唇が、ほんの一瞬だけ止まった。
また、静かに動き始める。
もう痛みはほとんど感じなかった。
ただ、離れてしまうのが惜しい。
そんな気持ちだけが残っていた。
彼の肩に預けた手から、力が抜けていく。
蝋燭の明かりが、閉じた瞼の向こうで揺れていた。
やがて、ジェイドの唇がゆっくりと首筋から離れた。
彼は私の身体を支えたまま、傷口に柔らかな布を当てた。
私はゆっくりと目を開いた。
赤い瞳が、すぐ近くにある。
「……大丈夫?」
私は頷いた。
すると、彼は私を抱き直し、そっと腕の中に収めた。
私は彼の胸元に頬を寄せた。
レコードから、聞き覚えのある旋律が流れていた。
いつの間にか、また最初から始まっている。
ジェイドの指が、髪をゆっくりと梳いていく。
「私の味、どうだった?」
「軽やかなのに、甘くてフルーティだった」
……ワインのテイスティングみたい。
思わず吹き出してしまった。
ジェイドも笑った。
私はその唇に、もう一度キスをした。
そして、そっと囁いた。
「トリック・オア・ブラッド?」
ジェイドが笑った。
「ハッピーハロウィン、ヴィヴィ」
今夜は、誰もが少しだけおかしくなれる夜。
どうやら私は、少しどころじゃなかったらしい。




