2 初めての感覚
翌朝、アルヴィスは狩人の仕事へ向かう準備を始めた。
「ねぇ、アルヴィス。私も連れていってほしいの」
怯える少女を演じながら、単刀直入にお願いしてみた。
けれど、アルヴィスの答えはもちろんこうだ。
「駄目に決まっているだろ。擬態生物は人間を食う怖い化け物なんだ。ノアも昨日の、あの男の人の死体を見ただろ?」
首元と腹部を抉られた特徴的な死体だ。もちろん、私がやったことなので、よく覚えている。
「一人でこの部屋で待つのが怖いの……」
私は震えてみせた。こういう演技は慣れたものだ。
「いや、でも……」
アルヴィスはそれでも、首を縦に振らない。
「アルヴィスなら信用できるし、君が近くにいたらそれだけで安心できるんだ」
上目遣いでアルヴィスを見つめる。
「う……」
もう一押しといったところか。
「……君が私を守ってくれるんだよね?」
「それはもちろんそうだが……」
「お願い、アルヴィス。一人は本当に怖いの……」
私は俯いた。
外見よりも長く生きている私にとって、この程度の演技はなんでもない。
自分で餌を釣るために――生きるために覚えた技術だ。
「ああ、もう。分かったよ。確かに、ノアを一人にするのは心配だ。だが、ちゃんと言うことを聞いてくれよ?」
「うん……!」
「逃げろと言ったら逃げるんだぞ?」
「分かってる。ありがとう、アルヴィス」
私が笑顔で礼を伝えると、アルヴィスは照れくさそうに顔を逸らした。
彼は扱いやすい。
アルヴィスは準備を再開したので、あらためて観察することにする。
首元から腹部は厚手の革鎧で守る。
「それはどうしてつけるの?」
「あいつらは首か腹を狙ってくることが多いからな」
「鉄とかじゃ駄目なの?」
金属鎧の方が、防御面では有用のはずだ。
「悪くはないけど、重いからな。擬態生物の速さに対抗するには、重すぎるのは良くない」
機動力を削がれるということか。
私が狩人を狙う時は対策を考えないといけない。
彼は続いて剣を鞘から抜いた。
おそらく、私の仲間――というほど擬態生物同士に仲間意識はないが――を何体も殺してきた剣だ。
「それは何をしてるの?」
「刃こぼれがあったら折れるかもしれないし、錆びたり血糊が残ってたりしたら切れ味が落ちるだろ? その確認だよ」
なるほど。
「刃こぼれがあったら、どうするの? 錆は?」
「専門の人に研いでもらう」
私が今後生き残りやすくするためには、剣を研げる人間を狙うのもいいかもしれない。
こういう情報は狩人と接しないと得られないものだ。
アルヴィスについてきて良かった。
彼は剣を鞘に戻すと、腰に差した。
そして外に出る。
昨日の雨は止んでいたが、空は分厚い雲に覆われて薄暗い。空気も冷え切っている。
ふと気になっていたことを訊く。
「昨日、私を助けてくれたけど、あの男の人を殺した擬態生物を追ってたの?」
「ノアを見つけたのは偶然だったが、あの人を食ったのは俺の獲物かもしれないな」
つまり、私を追っていたわけではないということだ。
それなら一安心だ。まだ、私は疑われていない。
「それにしても、妙に冷静だな。あんな死体を見た翌日だというのに」
しまった。
怯え、怖がる演技を忘れていた。
「そんなことないよ。君がいてくれるから、安心できるだけ」
誤魔化せたかどうか分からないが、それ以上追及してこなかったので、きっと大丈夫だろう。
「……擬態生物の潜伏場所の見当はついてるんだ」
そうして向かった先は、人気のない裏通りだった。
今日、対象の擬態生物がいれば、狩人の戦い方を学ぶことができる。
そう期待しながら、アルヴィスの後をついていく。
「この辺りだから、気をつけろよ」
「うん、分かってる」
「逃げろと言ったら、逃げろよ?」
しつこいくらい私を心配するアルヴィスに頷いておく。
曇天の裏通りは、いっそう薄暗い。
アルヴィスは注意深く、警戒しながら、鋭い目つきで周囲を観察する。
そこにはどこか執念めいたものを感じた。もしかしたら、擬態生物に恨みでもあるのかもしれない。
アルヴィスが立ち止まった。
彼の視線の先には、一人の人物が佇んでいた。かなり整った外見で、この裏通りにはそぐわない。
擬態生物は人間を効率的に釣るために、人間の感覚でいうところの美男美女が多い。
この私も美少女に擬態している。
なので、目の前のアレも人間ではなく、擬態生物なのだろう。
「いた。あいつだ」
向こうもこちらに気づいた。表情は人形のように動かない。
「おい、お前」
アルヴィスがアレに話しかけ、アレも反応する。
「人間……お前、狩人か」
その返答は自分が擬態生物だと言っているようなものだ。知能はそれほど高くなさそうだ。
アルヴィスのことを餌と見たのか、敵と判断したのか分からないが、こちらに向かって走ってくる。
「ノア、下がってろ」
「う、うん」
さて、狩人の戦い方を見せてもらおう。
あの擬態生物には悪いが、あっさり倒されたりしないでほしい。
擬態生物の動きは素早い。
内側が空洞な分、体重が見た目より軽く、初動が速いのだ。
ちなみに、武器に振り回されることになるので、武器は持たない。
少し離れたところから、アルヴィスの動きを観察する。
踏み込みの仕方や、剣の振り方、それに回避の仕方。
避けられない攻撃はあえて、剣で受け流したり、革鎧で防いだりしている。
人間の動きを凌駕する速さにアルヴィスは対応する。
擬態生物の動きを予測しているのかもしれない。動きは速くとも単調になりやすいから、読みやすいのだろう。
それも狩人の長年に渡る研究と研鑽によるものか。
狩人の相手をする時は、意表をついた動きをする必要がありそうだ。
「人間ンンン! 大人しく、食われろォォォ!」
擬態生物の爪が、アルヴィスの露出している肌を狙う。
アルヴィスは難なく避け、その腕を下から斬り上げた。切断された腕が宙を舞い、地面に落ちる頃には灰になって散った。
「痛いィィィ! あっちの女を食うゥゥゥ!」
擬態生物の特徴として、大怪我を負っても、捕食すればすぐに回復するというものがある。
食べる量によって、完全に回復するか、一時的なものか変わってくる。
ある程度の量を食べれば、それだけで斬り落とされた腕くらいは修復される。
アルヴィスには敵わないと判断した擬態生物は、どうやら私を獲物に定めたようだ。
あいにくと私も擬態生物なので、私を食ったところで回復できない。そのことに気づかないとは……やはり、まだ若い個体のようだ。
さて、あんな遅い動き、いかようにも対応できる。しかし、下手に動けばアルヴィスに私の正体が露見してしまう。
かといって、攻撃を受けるわけにもいかないし……
躓いた振りをして、擬態生物の攻撃を避ける。
次はどうしようかな、と考えていると、アルヴィスが擬態生物と私の間に割って入った。
「邪魔するなァァァ!」
そして、擬態生物の爪に左腕を切り裂かれながら、相手の首を斬り落とした。
「ノア! 大丈夫か!?」
アルヴィスは振り向くと、自分の怪我よりも私の無事を確かめた。
正直に言って、あの程度の攻撃であれば、どうにでもできた。紙一重で避け、偶然を装って相手を倒すこともできただろう。
だが、アルヴィスの本気で心配する顔を見て、こういうのも悪くないと思った。
思ってしまった。
今までに経験したことのない奇妙な感覚だ。
アルヴィスの背後で、擬態生物が灰となって風に流されるのをぼんやりと見ながら、私は頷くことしかできなかった。
「う、うん……」
彼は転んだ状態の私を立たせる。
左腕に激痛が走ったのか、彼の顔が一瞬歪んだ。
「その怪我……治療しないと」
「この程度、いつものことだ。軟膏を塗っておけば治るよ」
アルヴィスは平気そうな顔をして帰路についた。
帰宅後、私はアルヴィスの左腕に軟膏を塗り、その上から包帯を巻いた。
血が滲んでいるが、人間にはよく効く軟膏らしく、数日もすれば治るとのことだった。
ただ、彼の手当をしながらも、私は困惑していた。
アルヴィスのことは利用するだけのつもりだった。
いずれは食べてしまおうと思っていた。
だが、なぜかそれは勿体ない気がしていた。
この奇妙な感覚はなんだろうか。
そんな私の思考を断ち切るように、玄関の扉が激しくノックされた。




