17 シュタインの薬
ガレスを食べてしまってから数日、私の肌はまだきれいなものだ。
鏡に映る私は、以前と変わらず美少女だ。
だが、その内側は空洞で、空虚で、どこまでも醜悪なものだ。
アルヴィスから「ガレス師匠が行方不明なんだ」と聞かされ、胸が締め付けられた。
犯人はアルヴィスの目の前にいる、などと言えるはずもない。
ただでさえ、ガレスの件で心が重いのに、今日はさらに嫌なことがある。
シュタインの診療所に定期検診に行く日なのだ。
この前、初めて行った時は容赦なく肌を削られ、血を採取された。
今日も似たようなことをされるのではないか。
そう考えると、診療所に向かう足取りも重くなる。
……感情を得てからの私は、本当に人間のように振舞うようになった。
良いことがあれば嬉しいし、悪いことがあれば悲しい。
そして、それが行動に直結したりもする。
だが、私は決して人間にはなれない。
どれだけ望もうと、どれだけアルヴィスの隣にいたいと願っても、擬態生物でしかないのだ。
飢餓が限界に達すれば、本能のままに人間を捕食する。そんなおぞましい生物だ。
次に飢餓状態になった時、ヴェラを襲ってしまうのではないか。
あるいは、その対象はアルヴィスかもしれない。
ガレスが最期に遺した言葉通りの未来が待っているのではないか。
そのことを考えると、恐怖に圧し潰されそうになる。
そうなる前に、どんなに辛くてもアルヴィスに真実を話し、「さよなら」を告げるべきじゃないのか。
アルヴィスに殺されるのなら、喜んで殺されよう。
……そんなことをする勇気もないくせに。
自己嫌悪に浸りながら、私は診療所の扉を叩いた。
「やぁ、待っていたよ。その後、調子はどうかね?」
シュタインは両手を広げて、私を迎え入れた。
今日も診療所は閑散としている。
そして、私の肌を見るなり、目を楽しげに細めた。
「素晴らしい回復力だ。誰を犠牲にしたのかは……聞かないでおくとしよう。狩人たちが誰かを探しているようだから、目星はつくがね」
断片的な情報から、私がガレスを食ったことを察したようだ。
だが、聞かないでくれるのはありがたい。
決して忘れてはいけない記憶だが、思い出したいものでもないからだ。
想起するたびに、吐き気がして、頭が痛くなって、罪悪感が押し寄せてくる。
「狩人たちが何をしようが、私には関係のないことだ。まったくの無関係ってわけでもないが」
シュタインは仰々しい仕草で、私を診察室に入れた。
「さて、君が万全の状態であるなら、それに越したことはない。君のひび割れをどうするかが喫緊の問題だったが、勝手に解決してくれたみたいで助かった。良い素材が足りなくてね」
「素材?」
「そうだとも。君のひび割れを治すには人肉が必要だろう? だがそうそう手に入るものじゃないんだよ。君たち擬態生物が人間を捕食するのとはわけが違うのさ。人間が人間を殺したら、犯罪なのだよ。分かるかね?」
知識としては前から知っていた。
今ではその理由もなんとなく分かる。誰だって大切な人が殺されたら、憎み、恨む気持ちが生まれる。
だから、人間が人間を殺すのは禁忌なのだと私は理解した。それが正しいか間違っているかは分からないが。
「どこかから、死んだばかりの人肉を手に入れるのもそうそうできることではないし……ともあれ、君が万全なら、全て問題なしだ」
シュタインは壁の棚から、一本の小瓶を手に取った。
中には液体が入っている。
「これが何か分かるかね?」
「……いいえ」
私が首を傾げると、シュタインは得意げに解説を始めた。
「前回、君に血を提供してもらっただろう? あれを使って、擬態生物に有効な薬物を探してみたのだよ。人間や動物の血が固まりにくくなる植物がある。大量に摂取すれば、血が止まらなくなる厄介なものだね。はい、腕を出したまえ」
指示された通り、作業台の上に左腕を置く。
シュタインは何の躊躇いもなく、取り出したナイフで私の腕を切りつけた。
「ぐ……」
チカッとした痛みが走り、赤い血が流れたが、すぐに傷口は塞がった。
「このように君たちは回復力が凄まじい。だが、君たちの血が止まりにくくなる薬があれば、退治しやすくなるだろう? 狩人の仕事が楽になるってわけだ。ついでに私の懐も潤う。そちらがメインだが、狩人の補助になることもまた事実。実に素晴らしい!」
実に楽しそうにシュタインは笑う。
「とまあそんなわけで見つけたのが、この薬というわけさ。何の薬かまでは教えないがね」
シュタインが小瓶を軽くゆすると、内側の表面が波立った。
「それでは実験を開始しよう。まずはこの薬をナイフに塗る。そして、切る」
「ぐ……」
容赦なく腕を切られた。さっき切られたときよりも痛みが強い。
歯を食いしばって耐える。
傷口は治るは治る。
だが確実に遅い。
「ふむ。なかなかいい記録が取れそうだ。体の部位による違いもあるのかな? そこのベッドに横になりたまえ」
思わず、私は首をふるふると振った。
すると、シュタインはさも残念そうな表情を浮かべた。
「私としてはそれでも構わないよ。ただ、君が約束を違えるというのであれば、アルヴィスに真実を教えるしかないかな」
「それは……分かったよ」
私はベッドに横たわった。
そうして、私は体のいたるところにナイフを入れられた。
何度も、何度も。
「お願い……顔はやめて」
もし傷が残ったら、アルヴィスが心配する。彼に心配はかけたくない。
しかし、シュタインは笑った。
「ははは、何を言っているのかな? 必要に決まっているだろう。これは研究なんだよ。狩人の、人間の役に立つ素晴らしい研究だ」
そして、彼は私の顔にも容赦なくナイフを入れた。
「ぐ、ううぅぅ……」
シュタインはようやく、私を傷つけるナイフを作業台に置いた。
やっと解放される。
上体を起こし、安堵しかけた私に、シュタインは冷たく言い放った。
「では、次はこの薬を飲んでみなさい」
「は……?」
薬を塗ったナイフで切られるだけでも痛かったのに、直接体内に入れるなど正気の沙汰ではない。何が起こるか分からないのだ。
「嫌なのかな?」
私は首を縦に振る。
「どうしても嫌なら、私を殺せばいい。私なんてすぐに死んでしまうよ。もちろん、その場合、アルヴィスに君の正体を知られることになるがね。それでもいいのかな?」
シュタインは笑顔で小瓶を差し出してきた。
逆らえるわけがない。
私は震える手で小瓶を受け取ると、しばらく見つめる。
「ほら、くいっとどうぞ。君だって嫌がる人間を捕食してきただろう? それと同じだよ」
同じなわけがない。
擬態生物の捕食は生きるためだ。
このように実験と称して、嬉々として痛めつけるためなんかじゃない。
だが、この男にはそんな理屈は通らない。
意を決して、小瓶の中身を呷った。
最初はなんともなかった。
だが、すぐに異変が現れた。
「ぐう、ううぁぁぁぁ……ふぅぅぅ、うあぁ……」
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……
なんだ、これ。
全身に猛烈な痛みが駆け巡る。
体を丸め、痛みに耐えようとする。しかし、どんな体勢になっても、何をしても痛みが消えない。
「ふむ。よく効いているね。では、この状態で肌を切ったらどうなるのか試してみよう」
「い、いや……嫌だ……もう、やめて……!」
白衣の悪魔には私の言葉は届かなかった。
やがて、体内に入った薬の効果が切れたのだろう、全身の痛みが嘘のようにすっと引いた。
しかし、その代償は小さくない。薬を中和するのに、栄養をかなり使ったようで、四肢には既にひび割れが生じていた。
明らかに消耗が早い。
ガレスを食べてしまった後だから、しばらくは飢餓とは無縁だと信じていたが、そうもいかないようだ。
そんな私の恐怖など、シュタインが気にするわけがない。
「人間を模倣したせいか、効果の高い部位も人間に似ているな……特に、心臓部や首、頭なんかは顕著だ……次は薬の濃度を濃くするか、成分を分離してどの成分が有効なのか、調べる必要があるな」
彼はぶつぶつ言いながら、紙に何やら大量に書きこんでいる。
そして私に一瞥すらくれることなく、告げた。
「包帯は好きに使いたまえ。今日はこれで終わりだ。また来るときまでに私の準備はしておくからね」
私はよろよろとベッドから下り、ひび割れを隠すために棚の包帯を手足に巻いた。
顔に残った傷は青いスカーフで隠した。




