11 白衣の悪魔
アルヴィスがくれたスカーフ――宝物のおかげで、首元のひび割れを隠すことができた。
いずれ別れの時がくることは分かっていても、これならもう少しだけ、彼との穏やかな時間を引き延ばせるはずだった。
だが、淡い期待を抱く私の心に、アルヴィスの一言で暗雲が立ちこめた。
「医者に行こう」
もちろん人間の医者に診せたところで、このひび割れを治すことなどできない。
人間を捕食すれば、すぐに元通りのつるんとした肌になる。
もっとも、今の私はもう人間を食べる気はない。
アルヴィスを裏切るような真似はしたくない。私の一方的な想いだが。
「ううん、大丈夫。お医者さんには行かないよ」
だから、私は断った。
そんなことよりも、アルヴィスと少しでも長くいる方が私にとっては嬉しい。
「そうも言ってられないだろ。ヴェラにも何度もノアを医者に診せるよう言われてるし……」
ここで他の少女の名前が出たことにちょっとだけ、胸がちくりとした。
ヴェラも以前私に会ったとき、医者にかかるように言ってきたことを思い出す。
「でも……」
「食事だってろくに摂れていないじゃないか」
「それは……」
本当のことを言えるわけがない。
アルヴィスに嫌われたくない。擬態生物を恨む、あの視線を向けられたくない。
「一度、ちゃんと診てもらっておこう」
頑なに拒否するのも難しそうな雰囲気だ。
医者に行くだけ行って、そっちで誤魔化す方がいいだろうか。
「……分かった。行くよ」
◆
アルヴィスに連れていかれたのは、街の外れにあるこぢんまりとした診療所だった。
狩人の怪我なんかも診てくれる医者らしい。
診療所の中は閑散としていた。
賑わっていないようだが、アルヴィスが言うには、腕は確からしい。
狩人御用達ということは、警戒しておいた方がいいかもしれない。
医者が一人いるだけで、他には誰も雇っていないようだ。
「やあ、アルヴィス、待っていたよ。そこの彼女が君が言っていた少女かね?」
「そうだよ、シュタイン先生」
シュタインと言う名の医者は、やせぎすで、長く伸ばした髪を無造作に一つに縛っている。
私が言うのもなんだが、健康そうには見えない。医者の不養生というやつだろうか。
シュタインが私に視線を向けた。
なぜか、背筋に寒気が走る。何か良くないものに目をつけられたような、ガレスの視線とはまた異なる、嫌な感覚だ。
……いや、ただの医者だ。とても戦えるような人間には見えない。
きっと考えすぎだ。
それよりも、肌を見られないようにする言い訳を考えないといけない。
「アルヴィスから話は聞いているよ。ノア、で間違いなかったかな?」
「は、はい……」
「ほう……これは面白い。少々気になることはあるが……」
シュタインの口角が持ち上がった。
彼はすぐにアルヴィスに向き直り、告げた。
「アルヴィスがいては、ノアもうまく話せないかもしれない」
「いや、俺がいた方がいいだろう」
アルヴィスはそう言ってくれたのだが、シュタインは首を横に振った。
「アルヴィスはそんなにノアの肌を見たいのかな?」
「そういうわけじゃ……」
「ノアだって君だからこそ言いにくいこともあるはずだ。そうは思わないかね?」
やはり、この医者、私を一目見ただけで違和感に気づいたのか?
ここにいたくない。
早く私の家に戻りたい。
「ノア、君もアルヴィスに言えないことがあるんだろう? 第三者である私にこそ、相談できるようなことがね」
断れば、アルヴィスに不審がられるかもしれない。
そう思うと、私は頷くことしかできなかった。
「なに、時間は取らないさ。アルヴィス、しばらく外の部屋で待っていたまえ。いいね?」
「分かったよ、先生。何か分かったら俺にも教えてくれ」
「ああ、もちろんだとも」
アルヴィスが退室し、扉を閉める。
シュタインがくるりと私を振り返った。
「さて」
「シュタイン先生、私は平気です。だからアルヴィスには何もなかったと言ってくれませんか?」
彼が何か言い出す前に、私は口早に言った。
「何も、というと……例えば、君が擬態生物であることや、その包帯の下にひび割れた肌があることかな?」
「な、んで……それを?」
いきなり言い当てられた。
「何、難しいことではないさ。私が何体の擬態生物を見てきたと思っているのかな? 人間との些細な違いは全て記憶しているよ」
シュタインは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。
「狩人には何度も同行しているからね。若く経験も乏しいアルヴィスは騙せても、私は騙せないよ」
「……」
「ふむ……しかし、気になるな。擬態生物がなぜ人間であるアルヴィスと暮らしているのかな?」
顎に手を当て、考える仕草をするシュタインはすぐに手をポンと打った。
「さしずめ、非常食といったところかな?」
「違う!」
思わず、反論してしまった。
アルヴィスを「好き」だと自覚する前だったら、「そうだ」と答えただろう。
「違う? 何が、どう違うと言うのかな?」
シュタインの目が細まる。なんとも薄気味悪い。
「私はアルヴィスを食べない。他の人間も……食べる気はない」
「私を襲わなかったのもそれが理由かね?」
「もう誰も食べたくない」
正体がシュタインにバレているなら、隠す意味はない。
捕食していない証拠に、私は包帯を解いた。ひび割れ、醜くなった四肢の肌を見せる。
こんな姿、アルヴィスには絶対に見てほしくない。
「なるほどね。だが、やはり解せんな。君たち擬態生物は人間を捕食する本能には抗えないはずだ。それなのに、君はそんなになるまで捕食を我慢している……アルヴィスからは君と一緒に暮らしていると聞いているが……」
シュタインはじっと私に視線を向けながら、ぶつぶつと独り言を続ける。
「まさか……いや、そんな話は聞いたことがない……だが、そう考えると納得はできる。理解はできんが……」
結論に至ったらしく、私に再度問いかけた。
「アルヴィスに惚れたのかな?」
この男、頭が切れる。観察眼があるというか、推理力があるというか。
その問いに対し、私はなんと答えたらいいだろうか。
私が口を開く前に、シュタインは薄く笑った。
「今の反応で十分だ。このような事象は私も初めてだよ。まさか、擬態生物が人間相手に恋愛ごっことは」
「……愚かだと笑うなら、笑えばいい」
「笑わないとも。むしろ都合が良い」
これまで人間をさんざん捕食してきた私が言える立場ではないが、この男はろくでもないことを言い出すに違いない。
「アルヴィスに君の正体を知られたくなければ、私の研究を手伝いたまえ」
「……研究?」
「そうだとも。君たちは死ぬと灰になるだろう? 生きたままの君は貴重なサンプルだ。ああ、ここで私を殺すことは簡単だろう。だが、アルヴィスがどう思うかな?」
その言葉で、シュタインに飛び掛かろうとした私の脚が止まった。
そうだった。一番私が恐れるのは、アルヴィスに嫌われ、恨まれることだ。
「くくく、いい子だ。心配は要らんよ。協力してくれる限り、アルヴィスにはうまく説明しておいてあげよう」
「……分かった。君に協力するよ、シュタイン。その代わり、絶対にアルヴィスには言わないでほしい」
「本当に珍しい擬態生物だね、君は。約束は守るとも。では腕を出してそこの台に載せてくれ」
シュタインは感心したように言ってから、小さな作業台を指した。
言われた通りにやると、シュタインは小さな容器とナイフを持ってきた。
「擬態生物に痛みがあるかは知らないが、痛くとも我慢したまえ」
そう言うと、彼は私のひび割れた肌の一部をナイフで切り取った。
「ぐ……」
擬態生物だって、痛みくらいある。だからぐっと堪えた。
「痛覚はあるようだな。それよりも……やはり、灰になるか」
私の体から切り取られた肌は灰になって散った。
「だが、血は流れ出ている……血液は体から離れても灰にならないということか?」
またシュタインはぶつぶつ呟きながら、小さな容器に私の血を集めた。
「どれだけ保存できるか分からないし、せっかくのサンプルが弱っては困る。今日はこのくらいにしておこう。定期的にここに来るように」
傷の治りが遅い。
擬態生物は腕を斬り落とされても、人間を食べれば即座に腕が生える。だが、捕食を断てばこんなものだ。
巻き直した包帯に血が滲む。
人間と同じ赤い色で良かった。
ズキズキと痛む傷を押さえて、私はアルヴィスの待つ隣室に向かった。
シュタインはアルヴィスに「珍しい風土病のようだ。治療方法を探るために血を少々いただいた」と説明した。
約束は守ってくれるようだ。
私の血が何に利用されるか分からない。
でもそれよりも、アルヴィスに正体をバラされずに済んだ安堵が勝っていた。
「大丈夫だったか?」
アルヴィスのその優しさが、何よりも温かく――痛かった。




