1 虚構の始まり
初めましての方は初めまして。
過去作を読んでくださった方はお久しぶりです。
彼岸茸です。
新作『灰とスープと人喰い擬態生物 ~虚ろな灰は嘘をつく~』の投稿を開始しました。
人外×人間のダークで切ないファンタジーです。
本日は初日につき、一気に3話投稿します。
明日からの三連休は2話(12時頃、18時頃)投稿します。
その後は基本的に18時頃に毎日1話ずつ、土日は2話(12時頃、18時頃)投稿し、約2週間で完結します。
※メリーバッドエンドです。
※当作品は「小説家になろう」「カクヨム」「Nolaノベル」に同作者名義で投稿しています。
※当作品はプロット整理、本文の校正に生成AIを使用しています。
隣には成人男性の死体が転がっている。
首元や腹部の柔らかい肉が抉られていた。
それをやったのは他ならぬ私だ。
降りしきる雨が私についた血を洗い流してくれた。
私は壁にもたれるように死体の横に座り込み、赤く濁った水溜まりを覗き込んだ。
そこに映るのは、整った顔立ちの少女だ。漆黒の髪は雨に濡れ、顔に貼りついている。
人間であれば、さぞかし異性に好まれる外見だろう。
だからこそ、私はそうした美少女とも言える見た目をしている。
簡単に人間の男――餌を釣れるからだ。
隣の死体もそうした人間の男に過ぎない。
人間は生きるために、他者を喰らう。
それは私――擬態生物も同じことだ。その食べ物が人間というだけの話だ。
人間に擬態し、人間を食らう生物。
人間の男を食って、腹は満たされた。
けれど、どこか虚しい。ただ生きるためだけに、ときどき人間を摂取するだけの日々。
死なないために餌を食らうだけ。
死にたいわけではないのだから、それで別に構わないが。
さて、早くこの場を去らなければ、面倒なことになる。
人間を殺すことなど容易いが、だからといって無闇に殺す必要はない。
そう思って、立ち上がろうとした時、雨音にまぎれて声が聞こえた。
「ちっ、遅かったか」
雨の向こうから姿を現したのは、若い人間の男だ。
少年から青年に差し掛かる年頃だろうか。その腰に長剣を佩いている。
狩人。
擬態生物を狩ることを生業とする人間だ。技術を磨いて擬態生物に対抗していると聞く。
私は実際に狩人に遭遇したことはなかったが、目の前の少年が狩人であると、直感が警鐘を鳴らした。
状況は最悪だ。
転がっている成人男性の死体と、ひどく整った顔立ちの美少女。
身構える私に、しかし彼は予想外の言葉を投げかけた。
「大丈夫か? この人を殺した奴を見なかったか?」
私を疑っていない……?
それなら好都合だ。適当に話を合わせて、どこかに行ってもらおう。
今の私は腹が満たされている。何日かは人間を食べなくても平気だ。
なので、この少年を食べる必要はない。
私は少年の問いに対し、首を横に振った。
「そうか、君まで襲われなくて良かった……家まで送ろう。どこに住んでるんだ?」
住処などない。
人間のように特定の場所で暮らしているわけではないのだ。
「……この街に来たばかりで……」
だから、私はそう答えた。
「来たばかりで災難だったな。だが、こんな女の子を一人で放っておくこともできないし……」
少年は頭を抱えた。
私が擬態生物である可能性ははなから考えていないようだ。
「君さえ良ければ、俺の家に来るか? あ、いや、決して疚しい気持ちがあるわけじゃないぞ」
思いがけない提案に驚いた。
少年は雨で私の肌に貼りつく服から目を逸らした。
ああ、人間の男はこういうのも好むのだった。
狩人の家に行く……私にとって危険なことだが、狩人のことを知るにはちょうどいいかもしれない。
「……それじゃ、お願いしようかな。行くところも、頼れる人もいなくて困ってたんだ……怖い目にも遭って……」
完全に嘘だが、少年は私の言葉を信じたようだ。
「俺はアルヴィスだ」
彼は名乗ると、私に手を差し出した。
「……ノアだよ」
一瞬躊躇ってから、私はその手を取った。アルヴィスにぐいっと引っ張られ、立ち上がる。
雨で冷えた身体に、アルヴィスの手は温かかった。
しかし、彼は眉をひそめた。
「軽いな……」
私は警戒を強めた。
体重が軽いのは、擬態生物だからだ。体表こそ人間を真似ているが、その中身は空洞になっている。
私の正体に気づいたか?
だが、彼はこう続けた。
「ちゃんと食ってるのか?」
食ったばかりだが、そんなことは言えないので、私は曖昧に笑ってごまかした。
「じゃあ行こう」
彼は自らの外套を私に羽織らせ、先行した。
他愛のない会話をしながら、アルヴィスについていく。
「この街には何をしに来たんだ?」
「……少しいろいろあって……」
「訳ありか。まあ聞かないでおくよ。そうだ、ちょっと寄るところがある」
そう言って向かったのは、警邏隊の駐在所だった。
再び身構えた私だったが、アルヴィスは遺体のことを伝えただけだった。
これまで、私が食ってきた人間の遺体も、警邏隊が処分してきたのだろう。
警邏隊は私に事情聴取しようとしたが、アルヴィスが「今はショックを受けているから」と断ってくれた。
ほっと胸を撫で下ろす。
今度こそ、アルヴィスの家に向かう。
「俺が言うのもなんだが、知らない男についていったりしたら駄目だよ」
「……君は私に何かするつもりなの?」
「え? いや、そんなつもりはないけど」
きっと、私が美少女の皮を被っているから、アルヴィスは自宅に私を招いたのだろう。
彼の頬は少し赤くなっていた。
そういう人間は何度も見てきた。狩人であっても、所詮は人間ということだ。
そんなことを話している内に、アルヴィスの暮らす集合住宅に到着した。そこの三階だ。
中は物が散乱していた。
「とりあえず、湯浴みしたらいい。体も冷えてるだろうし、濡れたままは良くない。着替えは悪いが、俺の服しかない」
擬態生物が風邪を引くことはない。しかし、ここで断るのもおかしいので、アルヴィスの申し出を受け入れる。
「でもアルヴィスも濡れてるよ。一緒に浴びる?」
「お、俺は拭くだけで大丈夫だから!」
「冗談だよ」
彼に着替えを渡された私は、温かい湯で体を清める。
鏡に映る私はどこからどう見ても人間の少女だ。水をよく弾く滑らかな肌に、整った顔立ち。
この容姿で何人の人間を釣って、食ってきたことか。
風呂場を出ると、アルヴィスがスープを作っていた。
「ちょっと待ってろ」
彼は私に気づくとそう言った。どうやら私のために作っているらしい。
アルヴィスは慣れた手つきで、野菜や干し肉を切っている。
それを熱湯で煮ている。今入れた粉は、味付けというやつだろうか。
やがてできあがったスープを皿に移し、テーブルに運んできた。
私の分と、彼の分だ。
どうすべきか悩んだが、しばらくはかわいそうな少女を演じることにしたのだった。
大人しく、席に着く。
「美味しそうね」
人間の食べ物の味など分からない。
「大したものじゃないけどな」
彼も向かいの椅子に座ると、ふと表情を和らげた。
「アッシュベルクにようこそ」
実は長くこの街にいるのだが、初めて街の名前を知った。興味がないので、全然知らなかった。
「雨で見にくいが、あそこに鐘楼があるんだ。見晴らしがいいから、今度連れていってやるよ」
初めてこの街に来たと彼には説明したので、観光案内でもしてくれるのだろうか。
「ありがとう。その時はよろしくね」
私はそう言って微笑んだ。
「任せろ。それより、食べないのか? 腹は減ってるだろう?」
私がスープに手をつけないので、彼が尋ねてきた。
人間の少女を演じる以上、避けては通れない道だ。
意を決して、スープを一口飲む。
温かい。
だが、それだけだ。
何の味もない。
飲みこんだ瞬間、吐き気を催す。
擬態生物は人間の食事を受け付けない。
しかし、ここで吐くわけにはいかない。今、アルヴィスに疑われるのは避けたい。
「口に合わなかったか?」
心配そうな顔をするアルヴィス。
「……いえ、ちょっと食欲がなくて」
「急に食べたら腹がびっくりするからな。無理はするなよ」
「うん……ちゃんと美味しいよ」
そう言いつつ、無理をして何口か食べた。
食事を終え、寝ることになった。
アルヴィスは私にベッドを譲り、自分は床で寝てしまった。私には不要だというのに。
こういう人のことをお人好しというのだろうか。
擬態生物である私には分からない。
彼がしっかりと寝入ったのを確認してから、私はトイレに向かった。
吸収できず、ずっと吐き気を誘発しているスープを吐き出すためだ。
出すものを出し、ようやく吐き気が落ち着いてくる。
ふと、アルヴィスに目をやる。
彼は私にとって、捕食対象でしかない。
狩人のことを学び、利用価値がなくなれば、その時は食べてしまおう。
そのためにも、なんとか彼の仕事に同行し、狩人の手口を学ばなければ。




