第99話 休日
朝。
宿の障子越しに、やわらかい光が差し込んでいる。
5日間の会議が終わって、 今日は完全な休み。
流花は布団の上でしばらく天井を見つめていた。
静かだ。
昨日までの緊張が、すっと抜けている。
「……休み」
声に出してみると、少し嬉しい。
廊下を歩く足音。 戸が軽く叩かれる。
「起きてる?」
ナギの声だ。
「起きてるー」
戸を開けると、ナギはいつもよりラフな格好をしていた。
「今日、何もないよな」
「うん」
「風読みの駅の裏から湖に抜ける道、あるんだ。湖まだ見てないだろう?」
流花は首を振る。
「行く?」
少しだけ、照れくさそうに言う。
流花は一瞬、昨日の手紙のことを思い出す。
「行く」
即答だった。
二人で宿を出る。 風読みの街は、休日でもどこか静かだ。
駅の裏手に回ると、 細い石畳の道が続いている。
草が少し伸びている。 観光用ではない、地元の道。
「ここ、あんまり人来ないんだ」
「秘密基地みたい」
流花が笑う。
歩きながら、ナギがふと止まる。
「……あ」
視線の先。
ツカサが立っている。
「え、ナギ?」
その横には――
実紗。
「奇遇ね」
実紗は腕を組み、にやりと笑う。
一瞬、空気が止まる。
ツカサが
「ここ、昔から俺たちの秘密基地だったからなぁ、休みになると来たくなるよなー」
流花の胸が、ほんの少しだけ鳴る。
ナギが頭をかく。
「そうだな、休みだからな 流花ちゃんにも見せてやりたくて」
ツカサが軽く肩をすくめる。
「俺も誘われたんだけど」
「私がね」
実紗がさらりと言う。
「せっかくの休みだし、久しぶりにあそこ行こーって言ったの」
そして流花を見る。
「一緒に行きましょう?」
逃げ道はない。
「……うん」
4人で歩き出す。
4人で歩き出して少し。
ツカサがナギの横に並ぶ。
「お前、顔に出てるぞ」
「何がだよ」
「気づいてないならいいけど」
ナギは眉をひそめる。
「何の話だ」
ツカサは笑う。
「る、か、ちゃ、ん」
足が一瞬だけ止まる。
「……は?」
「昨日、会議で名前出たとき、ちょっと本気で守ろうとしてただろ」
「当たり前だろ、風受けの人間だ」
「それだけ~?」
ナギは言い返そうとして、言葉が止まる。
ツカサは前を向いたまま言う。
「実紗も気づいてるぞ」
ナギは黙る。
「選ばないままでいるのは楽だよな」
ツカサは軽く言う。
「でもそれ、一番残酷だぞ」
ナギは、何も言えなかった。
湖に出ると 光が広がる。
「……わぁ」
4人同時に、少しだけ息をのむ。
風が抜ける。 水面がきらめく。
「ここ、好きなのよね」
実紗が言う。
「考え事するとき、よく来てた」
“よく”。
“来てた”。
過去形なのに、 長い時間を感じる。
ナギが笑う。
「昔からだな」
また、その言葉。
「すごい!遠くまで見える」
「あの岸が風受け?奥に見えるのが観覧車?」
はしゃぐ流花の隣にツカサがさりげなく立つ。
「綺麗だろ?ここからなら風街が全部見える」
「そうだね、すごく綺麗」
「流花ちゃん、昨日のって手紙だろ」
「うん」
「向こうに出したんだよね」
「うん」
少し沈黙。
ツカサが水面を見たまま言う。
「流花さ」
「ん?」
「誰かに遠慮して決めるの、やめろよ」
「……どういう意味?」
「そのまんま」
風が吹く。
「もし迷ったらさ」
一拍。
「ちゃんと自分で決めろ」
流花は笑う。
「難しいこと言うね」
ツカサも笑う。
「まあな」
少しだけ間が空く。
そして、何気ない顔で。
「遠慮して俺を選ばない、とかは困るし」
「……は?」
流花が顔を上げる。
ツカサは肩をすくめる。
「冗談だよ」
でも目は笑ってない。
「俺、競争なら嫌いじゃないし」
流花の返事を待つでもなく、ツカサは水面に石を投げた。
軽いのに。
胸の奥に残る。
「なにそれ」
「湖きれいだな」
話を切り替える。
流花は、少しだけ鼓動が速い。
――冗談?
それとも。
風が揺れる。
水面も揺れる。
流花の中も、少し揺れる。
少し離れて、 実紗がナギと並んで水面を見つめている。
自然だ。 昔からの距離だ。
胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。
流花は、石を拾う。
ぽちゃん。
水面に小さな輪が広がる。
ツカサが言う。
「石飛ばし、やる?」
「やる」
4人でしゃがむ。
子どもみたいな時間。
でも、距離は大人だ。
「ナギ、下手」
「うるさい」
実紗が笑う。 その笑い方は、遠慮がない。
流花は横目で見る。
――羨ましい。
でも、それだけじゃない。
自分は、 この時間に“後から入った”。
それをちゃんとわかっている。
実紗がナギの横に立つ。
「逃げないでよ」
小声。
「何からだよ」
「わ、た、し、から」
ナギは笑ってごまかそうとする。
実紗は真顔。
「私は昔からあんたが好きなんだけど?」
「知ってる」
「でもあんたは“好きにならない”でいる」
ナギは視線を逸らす。 でも、否定しなかった。
「楽だからでしょ、ほんっとにずるい男」
実紗は冗談交じりに言っているが、ナギは言い返すことができないでいる。
実紗は続ける。
「流花さん、まっすぐよ」
「だから怖い?」
ナギが初めて聞く。
実紗は小さく笑う。
「違う。だから本気になるの」
風が吹く。
「私は負けないわよ」
また、冗談みたいに言う。
でも目は笑っていなかった。
風が強くなる。
実紗がふと、流花の隣に立つ。
「ねぇ」
小声。
「楽しい?」
「うん」
「ナギといるとってこと?」
直球。
流花は一瞬だけ詰まる。
「……みんなでいると、ね」
実紗は少しだけ笑う。
「そう」
強い目だ。 でも、敵ではない。
「流花さん、いいわよ」
唐突に言う。
「ちゃんと悩んでる顔してる」
「え?」
「簡単に好きにならない人の顔」
そのまま湖を見る。
「私はね、昔からナギが好きなんだよね」
さらっと言う。
「でもあの人、選ばないのよ」
少しだけ苦い笑い。
「優しいからなのか、ずらるいからなのか」
流花は黙る。
実紗は続けない。
それが逆に、重い。
遠くでツカサが手を振る。
「おーい、昼どうするー?」
日常が戻る。
実紗はいつもの顔に戻る。
「さ、みんなでご飯行きましょ」
4人で歩き出す。
流花の胸は、 完全には静まっていない。
でも。
逃げたいとは思わなかった。
それだけは、はっきりしている。
湖の風が、背中を押す。
休日は、甘くない。
でも、優しい。
そして何より――
選ぶのは、まだ先だ。
長かった合同会議編、これにて一区切りです。
衣・食・住・文化――
それぞれの街がぶつかり、数字と理想とプライドが交差した1週間でした。
流花は少しだけ、自分の立ち位置を見つけました。
4人の関係も、気になるところです。
ナギは選ばないままでいられるのか。
実紗はどこまで踏み込むのか。
ツカサは冗談の顔で、どこまで本気なのか。
流花は――まだ、自分の気持ちを言葉にできない
次章は、新章。
会議は終わり、実践が始まります。
流花はどこへ立つのか。
誰の隣に立つのか。
そして、自分の足で何を選ぶのか。
ここから、物語はもう一段、動きます。




