第98話 手紙を書こう
まだ、ざわざわしている会議室を出て、流花は宿の部屋にいた。
ツカサが、注文書は夕方6時に連絡箱に入れにいくと、教えてくれたので余り時間はない。
小さな部屋で、流花は机に向かっていた。
白い便箋を前にして、もう十分は経っている。
「……何から書けばいいんだろ」
両親は、離れて暮らしている。
でも、仲はいい。
母はよく笑う人で、父は無口で厳しい板前だ。
包丁の持ち方、火の扱い方、味の決め方。
「美味しいが正義だ」 それが口癖だった。
流花は筆を取る。
お父さん、お母さんへ。
元気にしています。
びっくりするようなことがあって、今は遠い場所で暮らしています。
でも、ちゃんとごはんを食べて、ちゃんと働いています。
そこで、一度止まる。
“びっくりするようなこと”では、足りない。
小さくなったことは、書かない。 どう説明しても信じてもらえない。
でも、嘘もつきたくない。
今は、布を作る街で暮らしています。
でも、食べることに関わる会議にも出ています。
魚の保存や、祭の屋台のメニューを考えたり、 乾燥野菜の新商品を出したり。
お父さんが聞いたら、きっと言うよね。
「まずは一つを極めろ」って。
でもね、
料理って、台所の中だけじゃないって、今わかってきました。
ふっと、笑う。
父の背中。
包丁を研ぐ音。 出汁の匂い。
厳しかったけど、間違ったことは言わなかった。
この街は、全部つながっています。
服が売れれば、食が回る。 食が安定すれば、学校が回る。
守る技術があるから、作れる。
お父さんが大事にしていた“基礎”みたいなものが、 街全体にあるんです。
だから、私はここで料理をしたい。
まだ店に立っているだけだけど、 会議で意見を言って、 少しだけ役に立てました。
胸の奥が、少し熱くなる。
嫉妬のことは書かない。 ナギのことも書かない。
それは、まだ自分の中でも整理がついていないから。
厳しいけど、ちゃんと見てくれるお父さんへ。
私、ちゃんと考えて選びます。
逃げないで、決めます。
だから、もう少しここで頑張らせてください。
お母さん、心配させてごめんなさい
帰るのは、まだ先になりそうです。
でもね、 ちゃんと、生きています。
流花より
書き終えて、息を吐く。
窓の外では、水車の音が小さく回っている。
「……送れるかな」
呟いてから、少しだけ笑う。
送れなくてもいい。
これは、両親に書いた手紙で、 同時に、自分への宣言だ。
流花は便箋を丁寧に折った。
風は、まだ強い。
でも、揺れているのは、もう不安だけじゃなかった。
流花は便箋を封筒に入れ、家の住所を書く
そっと胸に当てた。
紙なのに、少しだけ重い。
蒲田さんが、拡大コピーをして送ってくれると言っていた。
内容、読まれちゃうのはちょっと恥ずかしいな
蒲田さんへの短い手紙を同封する
「両親への手紙です。お手数お掛けしますが、よろしくお願いします」
これでよし!そう呟いて時計を見る。
そろそろ6時。
「行かなきゃ」
宿を出ると、夕方の風が頬に触れる。
風読みの中央通路は、まだ人の気配が残っている。 会議帰りの声。 笑い声。 どこかで誰かが反省会をしているようなざわめき。
正門の会議室に向かうエレベーターの下。
空のトロッコが並んでいる
その奥の扉
連絡箱。
外の世界への書類は、ここに入れる決まりだ。
ツカサが立っていた。
腕時計をちらりと見て、流花に気づく。
「間に合ったね」
「うん」
少し息が上がっているのを、自分でもわかる。
ツカサは箱の鍵を開けながら言った。
「注文票はもう入れたよ。あとは流花ちゃんのそれだけ」
「そっか」
流花は封筒を握り直す。
ツカサの視線が、そこに落ちる。
「手紙書けた?」
「うん」
「……出すんだ」
一瞬だけ、間があく。
流花は小さく頷く。
「うん。たぶん」
“たぶん”に、自分でも笑ってしまう。
ツカサは何も言わない。
ただ、箱の蓋を押さえたまま待っている。
流花は一歩近づき、封筒を投函口に差し込む。
――今なら、まだ引き返せる。
そんな気持ちが、ほんの少しだけよぎる。
でも。
「えい」
ぽとり、と落ちる音。
それは小さな音なのに、胸の奥で大きく響いた。
ツカサが静かに蓋を閉める。
「行ったね」
「うん」
風が吹く。
どこかで水車が回る音がする。
流花は深く息を吸った。
「これで、ちょっとだけ覚悟決まったかも」
「どんな?」
ツカサの問いに、流花は少し考える。
「逃げないってこと」
ツカサは一瞬だけ、目を細める。
「……流花は、強いね」
「強くないよ」
笑う。
「まだ、ぐらぐらしてる」
本当は、嫉妬もある。 迷いもある。
ここにいると決めたいのに、
まだ全部を覚悟しきれていない自分もいる。
でも。
手紙は出した。
それだけで、昨日より一歩前だ。
「よし、ご飯食べに行こう」
ツカサが言う。
二人は並んで歩き出す。
夕方の空は、少し赤い。
風街は、今日も動いている。
流花の中も、静かに、確実に動き始めていた。




