第7話 「働く場所」
町の中心から少し外れただけで、通りの空気は変わった。
客席はまだ埋まっていないのに、店の奥だけが忙しい。
鍋が当たる音。
まな板に包丁が走る音。
火を入れ始めた匂いが、通りまで滲んでいる。
「この時間が一番、落ち着かない」
ナギが言った。
「昼前の仕込み」
「ここ、毎日こう」
「改装した分ね」
モクレンが歩きながら続ける。
「前はもう少し小さかったんだけど」
「席増やしたら、お客さんも増えて」
「人手が追いつかなくなった」
暖簾の向こうから、笑い声が聞こえる。
「大衆料理屋、『ゆきはな』」
モクレンが足を止めた。
「ここなら、すぐ入れると思う」
三人で暖簾をくぐると、女将さんが顔を上げた。
「あら、モクレン」
「こんにちは」
「今日はどうしたの?」
「連れてきた」
モクレンは即答した。
「料理できる子」
女将さんの視線が、流花に向く。
立ち方、目線、厨房を見る癖。
「……今、仕込み中なんだけど」
奥をちらっと見る。
「人、足りてないのよ」
「見ていい?」
「いいわよ」
厨房はすでに動いていた。
旦那さんが鍋の前に立ち、見習いが野菜を刻んでいる。
「昼、忙しいですか」
「忙しい」
女将さんは迷いなく言った。
「だから今」
旦那さんがこちらを見る。
「今日から入れるか」
「入れる」
間はなかった。
「仕込みでも」
「十分だ」
女将さんが頷く。
「じゃあ、まずエプロン」
棚から一枚取り出して、手渡される。
流花の体には少し大きく、腰で結ぶと布が腿まで垂れた。
「手、洗って」
「そのあと、あそこ」
作業台の上には、殻付きの海老が一匹。
流花たちと、ほぼ同じ大きさだ。
台の端には、大きめのボウルが四つ並んでいる。
どれも流花の胴ほどの深さがある。
殻を外しかけたところで、旦那さんが包丁を手に取った。
「海老は、こっちでやる」
流花は一瞬、顔を上げる。
「今日はトマトと炒める」
「身、崩したくない」
作業台の奥を顎で示す。
そこには、赤いトマトが転がっていた。
一つ一つが、流花の頭と同じくらいの大きさだ。
「トマト」
旦那さんが言う。
「そっち、頼めるか」
「切り方は?」
「炒める」
「形、少し残したい」
「水、出しすぎないでくれ」
それだけだった。
流花はトマトに手を伸ばす。
重い。
片手では安定しない。
包丁を入れる前に、手を止める。
「……種、抜きますか?」
旦那さんは一瞬だけ考えてから言った。
「今日は、抜いて」
「水、出したくない」
「了解です」
そう答えながら、流花はトマトを見下ろす。
――これ、ミニトマトなんだよね。
人間の感覚なら、
一口で食べる大きさ。
でも今は、
頭と同じくらいある。
包丁を入れると、中から種がどっと顔を出す。
量も、水分も、想像以上だ。
中心をくり抜くようにして、
種の部分だけを外す。
果肉の厚いところを選び、
炒めても形が残る幅に切っていく。
切れたトマトは、
作業台の端に置かれた
一つの大きなボウルにまとめて入れていく。
こつり。
こつり。
果肉が落ちる音が、厨房の音に混じる。
「それ、刻むんだ」
見習いが思わず声をかけた。
「今日は炒め」
「崩しすぎない」
「……なるほど」
女将さんが横から覗く。
「ランチは回転早いからね」
「噛んだとき、ちゃんと食べてる感じがある方がいい」
旦那さんが、海老を切りながら短く言う。
「いいな」
「それなら、火入れても残る」
ボウルの中には、
一つのトマトとは思えない量が溜まっていた。
流花は、次のトマトを作業台に乗せる。
さっきよりも、
少しだけ手つきが迷わなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。
働く場所が決まり、すぐに厨房に立つ回でした。
次は、仕込みの続きになります。
また読んでいただけたら嬉しいです。




