第56話 ラーメン
流花は、今すごく悩んでいた。
――ラーメン。
もし「好きな食べ物は?」と聞かれたら、考える間もなく答えるくらいには、無類のラーメン好きだ。
それなのに、この世界に来てからというもの、頭の片隅でずっと諦めていた。
だって、ラーメンだ。
スープは?
麺は?
チャーシューは?
どれも、この小さな身体で、この小さな世界で、作れるとは思えなかった。
小麦はある。
だから麺は、きっとどうにかなる。
でも、スープは……。
流花の大好物は、豚骨。
けれど、こちらに来てから豚を見たことがない。
鶏はいた。
ということは、鶏ガラ?
いや、骨を砕くなんて、この身体では至難の業だ。
でも、そもそも鶏肉があるということは、養鶏はしているはずで……。
考え出したら、止まらなくなっていた。
「……ラーメン、嫌いだった?」
隣を歩くナギが、少し心配そうに顔をのぞき込んでくる。
「ずっと黙ってるけど」
「ううん、大好き」
流花は慌てて首を振った。
「ただ、材料あるのかなって気になって……」 「考えてただけだから、気にしないで」
ナギは一瞬きょとんとしてから、苦笑する。
その横で、ツカサがさらっと言った。
「食べればわかるよ」
「ちゃんと、美味しいから」
そう言って、商店街の一角にかかる暖簾をくぐる。
――その瞬間だった。
鼻先をくすぐる、あの匂い。
「あ……」
流花の足が、ぴたりと止まる。
この香りは。
間違えようがない。
――豚骨。
胸の奥が、一気にざわついた。
運ばれてきた丼を見た瞬間、確信する。
白く濁ったスープ。
細い麺。
しっかり乗ったチャーシュー。
「……博多豚骨だ」
思わず、声が漏れた。
とにかく、食べよう。
「いただきます」
まずは、スープ。
ひと口。
――豚骨だ。
本物の、豚骨スープ。
流花は、思わず厨房の方を見る。
そこには、大きな寸胴鍋が据えられ、ぐつぐつとスープが炊かれていた。
麺も、ちゃんと細麺。
歯切れがよく、スープによく絡む。
チャーシューもある。
豚肉だ。
「……すごい」
小さく呟いたつもりが、声が震えていた。
この世界に来てから、ずっと感じていた違和感。
足りないものが多いはずなのに、ちゃんと暮らしが成り立っている理由。
その答えの一端を、今、丼の中で見た気がした。
流花のテンションは、最初から最後まで下がらなかった。
気づけば、夢中で麺をすすっている。
――ラーメン、あった。
それだけで、この街が、少しだけ近くなった気がした。
ラーメン回でした。
完全に。
この世界にラーメンが存在するかどうかで、
流花の安心感がだいぶ変わる気がして書きました。
豚骨は、文化。
寸胴鍋は、文明。
次は、
「じゃあどうやって豚骨を?」
とか
「誰が炊いてるの?」
とか
気になってくる頃かもしれません。
でも今日は、
とりあえず――
ラーメンは、ありました。




