第3話 「夜のこと」
日が落ちるのは、思っていたより早かった。
集会所の中に差し込んでいた光が、
いつの間にか角度を変えて、床の端だけを照らしている。
流花は火床のそばに立ったまま、しばらく動けずにいた。
火はある。
水もある。
道具もそろっている。
でも――。
「……寝る場所、だよね」
声に出してみると、問題がはっきり形を持った。
床は石と土だ。
そのまま横になるには硬いし、冷える。
火をつけたまま眠るのも落ち着かない。
かといって、火を落とせば寒い。
集会所は広く、壁は低い。
人が来ようと思えば、いつでも来られる。
「ここは……作業場だな」
住む場所じゃない。
集会所の隅には、立てかけられた板と、
箱にまとめられた布があった。
「……借りるだけ」
昼間、自分に言い聞かせた言葉を思い出す。
布を一枚取り出し、壁際に垂らしてみる。
風を直接受けるよりは、ずっとましだ。
火も少しだけ弱める。
消さず、強すぎず。
「……これで、今夜は」
そう思ったところで、足音がした。
「――あ」
振り返ると、ナギが立っていた。
「ごめんごめん」
そう言いながら、ナギは腕に抱えていたものを持ち上げる。
「その前にさ」
「……はい?」
「町の湯、まだ空いてる」
一瞬、意味を考えてから、流花は目を瞬いた。
「お風呂、ですか」
「うん。
今日一日、いろいろあっただろ」
少し迷って、流花は小さく頷いた。
「……でも、お金、持ってなくて」
ナギは一瞬きょとんとしてから、軽く笑った。
「今日はいいよ。
町の湯だし」
それだけだった。
ついていった先は、
石で囲われた小さな湯屋だった。
湯気がゆっくり立ち上っている。
水の音と、木桶が触れる音。
中にいる人たちは多くない。
誰も大声では話さず、
それぞれ静かに体を洗っている。
流花も見よう見まねで、
桶を使って体を流した。
その様子を、隣にいた人がちらりと見て、
小さく声をかけてくる。
「……今日、来た人?」
「はい」
「そう。
じゃあ、長く入らない方がいいよ」
「え?」
「最初はのぼせやすいから」
それだけ言って、その人は先に湯から上がった。
流花は少し間を置いてから、
そっと湯に浸かる。
思わず、息が漏れた。
「……ああ」
向かい側で湯に浸かっていた年配の人が、
それを聞いて、ふっと笑う。
「分かる」
「……はい」
「今日は、風が冷えてるからね」
それだけの会話だった。
長く入る人はいない。
温まったら、出る。
流花も真似をして、
早めに湯から上がった。
体が、少し軽い。
集会所に戻ると、
ナギはさっきより少し荷物を増やしていた。
「今さらだけどさ」
そう言って、床に下ろす。
畳まれた布。
少し厚みのある敷き物。
小さな灯り。
「寝るもん無いよな、って思って」
「……ありがとうございます」
声が、思ったより小さくなった。
「いいって。
俺が言い出したんだし」
ナギは、流花が作った簡単な仕切りを見る。
「ここ、風避けたんだな」
「……はい」
「悪くない。
これ敷いた方が、楽だ」
敷き物を壁際に寄せてから、
ナギは立ち上がった。
「今日はここでいい。
ちゃんと考えるのは、明日で」
それだけ言って、集会所を出ていった。
流花は敷き物の上に横になり、
布を体にかける。
布団、と呼ぶには簡素だけれど、
床の冷たさはほとんど伝わってこない。
「……明日、どうしよ」
小さく呟いて、
低い屋根の下で、夜の気配を感じる。
ここに来て、
火を使って、
湯に入って、
布団に入った。
それだけで、一日が終わった気がした。
流花は、布団の中で身を丸めたまま、
これからのことを考え始めていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
寝る場所、湯に入ること、布団に入ること。
当たり前のことを一つずつ確認する回でした。
次は、布団の中で考えた「これから」の話です。
また続きを読んでいただけたら嬉しいです。




