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第22話「昼の鍋」

店に戻ると、

もう厨房にはしっかり火が入っていた。


鍋の前に立っているのは、ヒロさんだ。


大きな鍋から、ゆっくりと湯気が立ちのぼっている。

「今日のランチは?」


「烏賊と大根の煮物」

蓋が少しずらされて、

甘辛い匂いが、ふわっと広がった。


「……あー」

流花は、思わず鍋の中を覗き込む。

輪切りになった烏賊が、

大根と一緒に静かに煮えている。


「おっきい烏賊、さばくとこ見たかったな……」

ぽつりと呟くと、

キヨがくすっと笑った。


流花は、鍋の中の烏賊を見ながら、

頭の中で大きさを比べる。


――あれ、一杯丸ごとだったら。

たぶん、自分と同じくらい。

もしかしたら、それ以上。

「……ほんとに大きいな」


ヒロさんが、鍋から目を離さずに言う。

「慣れる」

短い言葉だったけれど、

どこか実感がこもっていた。


ランチタイムが始まると、

店は一気に忙しくなる。

器が並び、

声が飛び、

鍋の蓋が何度も開け閉めされる。


流花は、配膳と下ごしらえを手伝いながら、

青い服の袖を気にした。

引っかからない。

邪魔にならない。

それだけで、

動きが少しだけ楽になる。


昼のピークが過ぎた頃、

戸が開いた。


「おー、いい匂い」

入ってきたのは、モクレンだった。

隣には、見慣れない男性が一人いる。


「お疲れさま」

「この人、設計仲間のタケト」

「昨日からここで働いてる流花ちゃん」


「はじめまして」

「流花です」


挨拶をすると、

モクレンは一瞬、流花を見て、すぐに笑った。


「その色、すごく似合ってる」

「青、いいね」

思いがけない言葉に、

流花は少しだけ驚く。


「ありがとうございます」


モクレンは、鍋のほうをちらっと見る。

「今日のランチ?」

「烏賊と大根」

キヨが答える。

「もう、ほとんど残ってないけどね」

鍋の底が、うっすら見えていた。

「そっか」

「忙しかったんだね」


それから

遅めのランチを二人で食べながら

モクレンが言う

「ねえ」

少し声を落として、

でも、明るく。

「明後日、店休みでしょ」


キヨさんが

「そうよー。週に1度くらい休ませてー」

と笑いながら返事してくれた。


「その日さ」

「倉庫に行くんだけど」

一拍おいて、

「一緒に行かない?」

「流花ちゃん、まだ行ってないでしょ」

その言葉が、

まっすぐ胸に落ちた。


倉庫。

まだ行ったことのない場所。

「……行きたいです」

答えは、思ったより早く出た。


でも、すぐに思い出す。


「明後日……服も、取りに行く予定で」

そう言うと、

モクレンはあっさり言った。

「じゃあさ」

「服も、取りに行く?」

「沙羅のとこでしょ」

「夕方、一緒に行ってあげるよ」


流花は、思わず目を瞬かせた。

「……いいんですか?」

「いいに決まってるでしょ」

「一人で行くより、楽しいし」 


タケトが、肩をすくめる。

「俺は倉庫で探し物あるから」


キヨが、カウンターの向こうから言う。

「ちょうどいいわね」

「明後日は倉庫」

「その日の夕方は服」

「予定が出来るのは、いいことよ」


モクレンが、ぱっと笑った。

「決まり」

「じゃあ、明後日」

「朝、迎えに来るね」


タケトと一緒に、手を振って出ていく。

戸が閉まる。

店に、少しだけ静けさが戻った。


流花は、その場に立ったまま、

しばらく動けなかった。

――倉庫に行く約束。

――服を取りに行く約束。


この町に来てから、

初めて「先の予定」が、

二つも並んだ。

どちらも、

行ってみたい場所。 


どちらも、

誰かと一緒。


流花は、もう一度、鍋を見る。

烏賊と大根は、

ほとんど残っていない。


それが、

今日がちゃんと過ぎていった証みたいで。

胸の奥が、

じんわりと温かくなった。


約束が増える回でした。

小さな予定でも、

「先」が見えると、不思議と足元が軽くなる気がします。

次は、明後日。

少しずつ、世界の奥へ進んでいきます。

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