第15話「夜の一皿」
「いらっしゃい」
おかみさんの声が響く
戸が開く音と一緒に、外の空気が流れ込んだ。
灯りと人の声が前に出てくる。
女将さんが、流花の手元をちらっと見て言った。
「昼の海老、残ってたよね」
「お通し、あれでいこうか」
「はい」
一拍おいて、流花は声をかけた。
「あの……」
「柚子こしょうって、ありますか?」
女将さんがきょとんとして、すぐに笑う。
「あるある」
「ほら」
棚の奥から、小さな壺が出てくる。
「お通しに?」
「はい」
「マヨネーズに、少し混ぜて海老に和えたらどうかなって」
女将さんは一瞬だけ考えて、にやっと笑った。
「……いいねぇ」
「やってみな」
流花は小さな器にマヨネーズを取る。
そこに、柚子こしょうをほんの少し。
白の中に、緑がふっと伸びる。
指先に、香りが立った。
海老を和えて、皿に盛る。
「……大将」
差し出すと、ご主人は無言で箸を取った。
一口。
もう一口。
少しだけ、間があって。
「……いいな」
短く、それだけ。
女将さんも味を見る。
「うん」
「夜だね」
二人の視線が、流花に戻る。
「よし」
「今日のお通し、これで決まり」
酒樽の栓が抜かれる音。
器が重なる音。
昼とは違う音が、店に増えていく。
「とりあえずいつもの一杯」
お客さんの声
小さな器に酒が注がれる。
女将さんが皿を一つ手に取る。
「最初の一皿、出してみる?」
「……はい」
流花は皿を受け取り、カウンターへ出た。
「お通しです」
箸が伸びる。
一口。
「……いいな、これ」
「酒に合う」
軽い声が飛んで、店の空気がふっと緩む。
「それ、昼の海老だよな?」
隣の客が流花を見る。
「はい」
「昼に出してたのと、同じ海老です」
「昼のも、うまかったけどさ」
「こっちはまた違うな」
隣の客が、箸を止めずに言う。
「ピリッとしてるのに、重くない」
「酒が進むやつだ」
「新人さん?」
カウンター越しに声が飛ぶ。
「いい子、入ったね」
笑い声が上がる。
流花は少し迷ってから、口を開いた。
「あの……」
「海老があるかわからないんですけど」
「この味、たぶん何にでも合うと思います」
一瞬、間が空いて。
「……いいこと言うな」
「海老のお通しもう1つもらっていい?」
「俺も」
「俺はいつもので」
注文が続く。
女将さんが楽しそうに声を出す。
「はいはい」
「今日は海老が主役ね」
ご主人が短く言う。
「流花」
「海老、頼む」
「はい」
返事をして、流花は作業に戻る
「流花ちゃん、だっけ」
カウンター越しに声が飛ぶ。
「この辺じゃ、見ない顔だな」
「どっから来たの?」
流花は一瞬だけ手を止めて、顔を上げた。
「……ちょっと、遠くから」
「へえ」
「そりゃ、歓迎しなきゃ」
店の中が、少しずつ賑やかになっていく。
夜の店は、昼とは違う顔を見せてくれます。
一皿から始まる会話や、少しずつ縮まる距離。
流花がこの場所で「働く」実感を持ちはじめる回でした。
次は、夜の営業が進む中で、また少し日常が動いていきます。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。




