第10話 「なんとなく」
ランチタイムは、少しだけ落ち着いてきていた。
鍋の音が、さっきより間をあけて聞こえる。
流花は火を見ながら、次の仕込みに手を伸ばしていた。
そのとき、暖簾が揺れた。
作業着の男が三人、連れ立って入ってくる。
袖や膝に、乾いた汚れ。
――建築関係かな。
流花はそう思いながら、手を止めずに様子を見る。
「いらっしゃい」
女将さんの声は、いつも通り明るい。
「今日のランチはね」
「美味しい海老よー!」
三人は顔を見合わせた。
「じゃあ俺は、その海老で」
「お、いいな」
「じゃあ俺も、それにしようかな」
少し間を置いて、最後の一人が言う。
「俺は、やっぱりいつもの焼き魚で」
「はーい」
注文が通る。
流花は鍋の前で、ふっと手を止めた。
――まただ。
理由は分からない。
でも、なんとなく。
鍋を二つに分ける。
一つは、いつも通り。
塩と、唐辛子を少し。
もう一つは、
塩だけ。
火加減は同じ。
手も迷わない。
出来上がった皿を、女将さんに渡す。
「こっちは 緑の服のお客さんに」
女将さんは一瞬だけ厨房を振り返り、
にやっと笑った。
「了解」
皿が並ぶ。
三人が箸を取る。
「うまいな、これ」
「今日の、けっこうピリッとしてるな」
「え?……あれ?」
緑の服の男が首を傾げる。
「俺の、辛くないぞ」
一瞬、間が空いて、
「あー!」
男が笑った。
「さっき現場でさ」
「口の中、ちょっと切っちゃって」
「辛いのきついかなって思ってたんだけど」
「これ助かるわー」
「塩だけなのに、ちゃんとうまい」
「さすがおかみ!気が利いてるなぁ」
女将さんが、ふふんと鼻を鳴らし。
「でしょ?でも私じゃないのよ」
それから、くるっと厨房を振り返る。
「お嬢ちゃん、はじめて見る顔だねー」
流花が顔を上げる。
「いいとこ見てんじゃん」
「すごいよ、それ」
「気付いてくれたんだ、ありがとうね」
少し驚いて、
流花は小さく頷いた。
「……いえ」
「名前は?」
「流花です」
「流花ちゃんね」
「今日から?」
「はい、今日からです」
「そうかいそうかい」
カウンターの三人も、こちらを見る。
「新人さん?」
「へえ、腕いいね」
「さっきの、完全に助かったぞ」
「俺、辛いの好きだけどさ」
「今日はあれで正解だった」
「口の中切ってたら辛いのはしみるからな」
笑い声が上がる。
流花は、少しだけ照れて、
鍋の方に視線を戻した。
――まただ。
なんとなく、分かった。
そのとき。
暖簾が、かさりと鳴った。
「まだ混んでる?」
入り口に立っていたのは、モクレンだった。
その後ろに、ナギ。
「いらっしゃい」
女将さんが声をかける。
モクレンは店内を見回して、
すぐにカウンターの三人に気づいた。
「あれ?」
「その作業着……南区の現場?」
男の一人が顔を上げる。
「お、分かる?」
「分かる分かる」
「うち、あそこの改修の設計入ってたから」
「あー!」
「そっか、あんたか!」
「この前の図面、助かったよ」
自然に会話がつながる。
緑の服の男が、さっきの皿を指して言った。
「なあ、モクレンちゃん」
「聞いてよ」
「俺さ、さっき現場で口の中切っちゃっててさ」
「それ、気づいてくれたみたいで」
「これ」
「辛さ、分けてくれてたのよ」
モクレンは一瞬、厨房を見る。
それから、流花を見る。
「……それ、気づいたんだ」
「すごいね」
ナギは少し離れたところで、
静かにその様子を見ていた。
「へえ」
「気が利くな」
「昼飯が楽しみになるわ」
そんな声が、重なる。
モクレンが、ふと思い出したように言う。
「そうそう」
「流花ちゃん、家ほしいんだって」
カウンターの三人が、同時に顔を上げた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、流花の「なんとなく」が人との会話につながる回でした。
次は、この続きから少し動きが出てきます。
また読んでいただけたら嬉しいです!




