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李賀の秋

作者: 安祥


中つからに、 李氏りしは、福昌ふくしょう昌谷しょうこくさとりて、あざなは長吉とまをす。 さが放傲はうがうはべり、せ、まゆゆたかなりと、かたぎけり。


くだんうたは、くにりてみなみの山にあそびゆきせしとき有様ありさまうつがきたるものと、つたへはべり。


李賀の日本における受容は、文献上では江戸時代を待たなければなりませんでした。

けれども、ここでは遣唐使が今様の文学を輸入したと仮想し、宮廷人が読みふけるさまを序にかえました。李賀は生前から既に高名な詩人でしたからね。

現代の皆さまには、そんな文は読みにくかろうと思いますので、本文は平文です。


南山田中行


1 秋野明 秋風白

2 塘水漻漻蟲嘖嘖

3 雲根苔蘚山上石

4 冷紅泣露嬌啼色

5 荒畦九月稻叉牙

6 蟄螢低飛隴徑斜

7 石脈水流泉滴沙

8 鬼燈如漆㸃松花


1 秋野明 秋風白

 「秋の野は明るい 秋の風は白い」

 これは対句となっており、二対でひとつのシーンを描いています。水墨画では、風を表現するのに白く刷きますが、そういうイメージでしょう。風を水墨画のイメージで捉えて、言葉で表現しています。

 今少し突っ込んで言えば、肌でしか感じられないことを視覚イメージに仕立て直し、さらに言語化する。二重の抽象がなされた技芸です。

 そう考えるなら、「秋の野が明るい」と受け取るだけでよいのかという疑問がわきます。

 「明らか」。秋は生命活動すべての結果が出ており、すべてが明らかとなっている。そんなふうにも解釈可能と愚考します。


2 塘水漻漻蟲嘖嘖

「堤の水は清澄に流れ、虫の声はサクサクと鳴く」


 塘は池の意味もありますが、堤の意味もあります。

 リョウには、澄み切っているさま、流れるなどの意味があります。ここでは漻が重ねられているため、澄んだ水が流れる様とも解釈可能です。それなら、ここは池ではなく、堤のほうが適切なイメージとなりましょう。「堤の水は清澄に流れ」と翻訳することができます。

 また、あとで説明する二重重ね擬音でもありましょう。小川の急な流れを漻漻リョウリョウという音として聴いたのではないか。

 となると、擬態と擬音のダブル・ミーニングになっていると解釈することもできます。


 蟲嘖嘖

 嘖は騒がしいという意味がありますが、オノマトペでもあります。例えば犬はワンワンと泣きますが、これはオノマトペ(擬音語)で、正確には違うけれど大体そんな風に聴こえるという表現です。だから、擬音であることをより明瞭にするためにワンワンと重ねるわけです。

 嘖は現代ではサクと読みますが、唐音を現代のカタカナで近似的に表現すると、「チャク」または「ツァク」に近い音であったようです。日本語の虫の擬音には「シャカシャカ」がありますから、近いですね。

 そうすると、塘水漻漻蟲嘖嘖の行は、音の描写がふたつ出てくることになります。清冽な水音と賑やかな虫の声と。虫のオーケストラが川辺のサウンドをバックにコンサートを開いているのを李賀は耳撃した、のでしょうか。


3 雲根苔蘚山上石


 雲根 高い山で雲が沸き登る光景を見たことはありますか。これはそういう高山の表現です。

 苔蘚 これはコケの意味の名詞。

 山上石 最後に石(イワ、現代の漢字では岩)を持ってきたところにレトリックがあります。雲根? コケ? 何のことだと読者は思うはずですが、それが山上の石という結びに結節している。


4 冷紅泣露嬌啼色

「冷紅の泣く露、なまめかしくあえぐような色」

 冷紅 は冷たい空気に咲く紅花でしょう。

 泣露 露が泣く。まさに紅い花びらを滑る瞬間の露の表現でしょう。

 嬌啼色 「嬌」はなまめかしい。「啼」は鳥の鳴き声としても使われる漢字です。

 3,4で対句でしょう。3は男性的な久遠の表現ですが、4は女性のようになまめかしい生命力を表していると考えられます。


5 荒畦九月稻叉牙

 「荒れた田畑 九月 稲株はギザギザ」


6 蟄螢低飛隴徑斜

 「昼間は隠れていた蛍が低く飛び あぜ道を斜めに横切る」


 5と6で対句ですね。田畑の生命循環が明らかになっている様子が鮮やかに描かれます。また、9月(これは旧暦なので、日本の季節感では10月)のある日、蛍の飛ぶ夕刻という時間表現も加えられています。


7 石脈水流泉滴沙

 「石清水が泉となって砂に滴る(染み込むの意)」


8 鬼燈如漆㸃松花

 「鬼燈 漆の如く松花を照らす」


 鬼灯ホオズキは日本では夏から秋にかけて朱赤色の実をつけます。

 如漆照 これは漆塗りがテラテラと鏡面反射する様子を表現しており、そのため如(like)という語が使われています。

 松花 白い花で、春から夏にかけて咲きます。


 ホオズキのボンボリのような朱赤の実が、白い松花を、漆塗りの鏡面反射のごとく幽玄に照らしている、という情景でしょうか。

 初句の秋風「白」の心象が回帰しているところが見事ですね。

 7と8で対句です。

 7の石清水が砂に染みる循環のイメージ。そして石脈は容易に暗鬱な岩壁をも想起させます。

 8でホオズキの灯を鏡面反射させているのは、7の岩壁であることでしょう。これだけで、読者の脳裏には幽玄な絵が思い浮かべられるでしょう。

 またホオズキは日本でもお盆の飾りに使われますが、死者を弔う灯りです。


 もう一度書きますが、ホオズキは日本では夏から秋にかけて朱赤色の実をつけます。松花の開花時期は春から夏にかけてです。段々と季節が遡行していきますね。

 季節を単位として使い時空を行き来する手法は他でも使っており、李賀にとっては伝家の宝刀のようなものです。単に白色を表現したいのなら、他にいくらでもあったはずですから、この意図で松花を使ったのではないかと思います。

 また、ホオズキの象徴する死と、松花つまり松の永生という象徴との対比で味わうのも乙なものですね。




それにしても、全てが対句、ダブルミーニング、隠喩、暗喩を豊富に含んでいる。読むのに疲れます。

しかし鬼才李賀なら、水面に墨汁一滴、あとはブラウン運動による拡散のように生成されたことでしょう。三十分もあれば詩を一首書いたんじゃないかな。そんな気がする。

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