2.憧れと現実の乖離
麻美の仕事は、都心にある中小企業の事務職だ。日々、決まった時間に会社へ行き、来客応対、書類整理、データ入力と、単調な業務をこなす。職場に特別仲の良い友人もおらず、お昼休みはスマホでニュースサイトやまとめブログを眺め、たまに会社の給湯室で同僚の陰口を耳にする程度だ。恋愛の話は、麻美の周りではほとんど出ない。誰もが仕事とプライベートの区別をはっきりとつけ、互いの領域に踏み込まない。それが、麻美にとっては心地よくもあり、同時に息苦しくもあった。
終業後、麻美はまっすぐ自宅へ帰る。駅から自宅までは徒歩15分。その間も、スマホは手放せない。電車の中では、BL漫画の最新話を読み漁り、自宅に辿り着くと、自室にこもり、アニメを見たり、オンラインゲームに興じたりする。それが麻美にとっての、何よりの癒やしであり、現実からの逃避だった。
特に最近、麻美が熱心にチェックしているのは、SNS、特にTwitterのフェミニスト(通称:ツイフェミ)のアカウントだ。「男はクソ」「結婚は女の墓場」「男に養ってもらう必要はない」──過激な言説の数々は、麻美の心に奇妙な安堵をもたらした。そう、男なんていなくても生きていける。結婚なんてしなくても幸せだ。そう自分に言い聞かせる。だが、心の奥底では、誰かに愛され、家庭を築くことへの憧れを捨てきれずにいた。その憧れと、現実の乖離が、麻美を日々蝕んでいく。
週末は、アニメイベントや同人誌即売会へ足を運ぶ。推しの新作グッズを手に入れ、作家のサイン会に並ぶ時間は、麻美にとって至福のひとときだ。しかし、会場で目にするカップルや、SNSで流れてくる友人たちの結婚・出産報告には、嫉妬と劣等感が募る。彼女たちは、自分の知らないところで、まるで違う人生を歩んでいるようだった。
実家暮らしの麻美は、家事全般を母親に任せきりだ。朝食の準備から洗濯、掃除まで、すべて母がこなしてくれる。麻美は、自分の部屋さえまともに片付けられない。「麻美、ちゃんと手伝ってちょうだい」と母に言われるたびに、「わかってるよ」と曖昧な返事をするばかりで、結局何もしない。母は、そんな麻美を心配しながらも、甘やかしてしまうのだ。食卓で「あんたも早く良い人見つけなさい」と小言を言われるたびに、麻美は黙り込み、皿の上の煮物を黙々と口に運んだ。