12.鏡の連鎖:終わりの始まり
千夏は、かろうじて意識を保っていた。身体は鉛のように重く、皮膚はたるみ、鏡を見なくとも、急速に老い衰えているのが分かった。しかし、なぜかまだ生きていた。牛島は、勝利を確信したかのように、千夏の目の前で静かに語り始めた。彼の声は、ひどく澄んでいて、千夏の耳に直接響いてくるようだった。
「…目覚めましたか、刑事さん」
牛島は、千夏が座るベンチの前に立ち、見下ろすように言う。その表情には、達成感と、微かな狂気が入り混じっていた。
「私の計画は完璧です。誰も、彼女たちが存在したことすら覚えなくなる。社会から、完全に抹消される。それが、私を嘲り、貶めた者たちへの、最も相応しい罰だ」
牛島は、言葉を選ぶように続けた。
「あなたも、その一人になるはずでした。ですが…」
彼は、千夏の老いさらばえた顔をじっと見つめた。
「あなたは、まだ、私の中に残っている憎悪と、ほんの少しだけ異なる何かを宿している。だから、完全に消え去ることはなかった。私が見た未来では、あなたは、もう少し粘るようでしたから」
千夏は、かすれた声で問いかけた。
「私…私の中に…何が…」
牛島は、薄く笑った。
「憐れみ、ですかね。あるいは、諦め。あるいは、まだ、完全に消え去っていない、何かを求める心」
牛島は、池の方へ視線を向けた。
「私は、この装置で人の**時間軸に干渉**し、**若さというエネルギーを吸い取ってきました**。彼女たちは、自らの憎悪を撒き散らすたびに、時間を奪われ、そして存在そのものが希薄になっていく。最終的には、誰も彼女たちを認識できなくなる」
「なぜ…そんなことを…」千夏は、呼吸も苦しい中、絞り出すように言った。
「なぜ、だと? 私は、誰からも助けてもらえなかった! 社会から、存在しないものとして扱われた! 彼らは、私を貶め、嘲笑った! それが、どれほどの苦痛か、あなたにはわかるまい!」
牛島の声が、怒りに震えた。しかし、すぐに彼は冷静な表情に戻った。
「だが、これで終わる。私は、彼らと同じレベルには落ちない。彼らを裁き、そして、私自身もこの呪われた世界から解放される」
牛島は、ポケットから小さなリモコンを取り出し、池に向かって掲げた。
「これで、全ての復讐は完了する。そして、私も…」
千夏の目の前で、牛島の身体が、ゆっくりと、しかし確実に、透け始めていく。まるで、空気の中に溶け込んでいくかのように。彼の顔から、感情が消え失せ、穏やかな表情に変わっていく。
「さようなら、刑事さん。あなたは、この先、何を見るのでしょうね」
牛島の言葉が、消え入るような声になった。彼の姿は、完全に透明になり、風に溶けるように消え去った。彼の残したリモコンが、カタン、と音を立てて足元に落ちた。
千夏は、ひとり、公園のベンチに残された。身体は老い衰え、痛みさえも薄れていくような感覚だった。牛島は消えた。だが、彼の残した言葉と、自分自身の見る影もない姿が、千夏の心を深くえぐった。
彼女は、ゆっくりと、池の水面を見た。そこに映る自分の顔は、あの老婆と瓜二つだった。だが、その瞳の奥には、まだ、微かな光が宿っているように見えた。