九夢「ゲツヨウビの幕開け」
金曜日は三日前、気が付けは土日が過去になって今、月曜日という最大の壁が立ちはだかっていた。
「おい、ケンゴ。朝から死にかけてるぞ」
太陽がむくりむくりと東側から体を起こすように登っていくなか、俺は西日のように気分が沈んでいくのを感じる。
凛にカスカスの声で挨拶を返す。
お互いに顔を合わせて、どちらが言うでもなく中学校までの道のりを進みだした。
今週の始まりから既にゾンビのような顔色をした俺を心配した様子で覗き込む。
「お前、大丈夫か?」
「大丈夫なわけ……あるか」
「いつもの語気の強さが失われてるぞ……」
声の大きいことが長所の俺でも、今日ばっかりは元気がなかった。
「寝不足か?」
「あー、……うん。多分、二時間? くらいしか寝てない」
昨日寝た時間が、たしか……、五時とかだったような、と回らない頭で考える。同時に昨日の夜更かしを激しく後悔していた。
土日は普通の休日だ。来週からは部活があるはずだが、まだ仮入部期間のためこの土日はお休みだった。その結果体力が有り余っていた。そして夜更かしした。
いつか来る大怪我に備えて悔いのないようにしっかりと遊んでおこうと考えたせいだ。
ゆっくりとした歩幅で学校まで向かう最中に、後ろから同じマンションに住んでいる友達と合流し三人で登校した。
教室に辿り着いた俺は机に突っ伏している。まだ朝学活の時間まで余裕があったから寝ることにした。当然、寝たふりではない。寝不足の俺は本気で眠たい。別にぼっちで話しかける相手がいないからとかではない。いつもは適当に友達と話すことが多いが、今日は朝から元気に動く余裕がないだけだ。
うんうんと口の中で言葉にならない唸り声をあげる。頭がぐわんぐわんと揺れる感覚が気持ち悪い。少しずつクラスも騒がしくなり始めているが、気にならないくらい眠い。
肩にトントンと背後から優しく叩かれる感触。眠りを邪魔する存在が現れた。
誰だよと思いながら、首だけ横にずらして確認するが誰かわからない。教室の蛍光灯の明かりで目がチカチカと眩んだせいだ。あまりの眩しさに目を細め、結局誰が俺の邪魔をしたのかはわからない。顔はわからないが「大丈夫?」と心配そうな声を聴いてやっと正体がわかった。
「……八重、か。なんか用……?」
突っ伏していたのと体調が万全じゃないせいで、声はガラガラだ。八重にちゃんと聞こえたかはわからなかったが、正直どうでもよかった。今はただ眠らせてほしい。そんな俺の気持ちは露知らず、今もなお八重は肩に手を置きながら続ける。
「寝不足。目にくまができてる」
光になれてきたのかやっとシルエットがはっきりとしてきた。心配そうな顔付きでこちらをのぞく彼女に、少し申し訳なさを感じる。仕方がないので、顔を上げて話に答えることにした。
「……この様子なら、誰でもわかるやろ」
「もしかして、『キャット・バトル』?」
「――え、なんでしってんの。……そんなに仲良かったんか」
昨日夜更かしをした原因であるゲームを名指しで当てられて困惑する。唯一そのことを知っている凛の方を見たが、あいつは他の友達と話している。多分登校してからはずっと友達と変わらずに話しているはずだ。
感じていた眠気が消え失せた。
知っている理由――恐らく彼女の知っている未来の記憶だ。
「私もやってる。結構強いよ?」
「お、おお。そうか……」
「うん」
「……」
お互いに無言の状況が続く。もしかして誘ってほしいのかと思い至るが、それはできるだけ拒否したかった。
一人でのゲームなら問題はないが、誰かと通信して遊ぶゲームは苦手だ。理由もいくつかあるが、今はそれどころではない。
「……。」
「……。あ~、眠いわぁ……」
沈黙に耐え兼ねて、欠伸をわざとらしくしてみるも、彼女は一切の反応を示さない。ただ、黙ってこちらを見ているだけだ。
俺は観念して、白旗を上げることにした。
「……じゃあ、今度一緒にやるか」
「――うん」
「……即答かい」
食い気味に答えるものだから少し引いてしまったが、まあこれでいいか。今更だが同じ部活仲間として仲良くしといたほうがいいだろう。
これをきっかけに彼女のことが少しはわかるかもしれない。
× × ×
四時限目が終わり給食の時間がやってきた。
寝不足の俺は意識がぼんやりとしていたので、授業の記憶が抜けている。まるで朝から昼までスキップしたかのようだ。意識も朝より覚醒したが、逆に自身の過ちが罪悪感に代わってじわりじわりと迫ってくる感覚に苛まれる。やっべーー、ノート取ってへんわ。
友達にでもノートを借りようかと声をかけるも「悪い、今週当番だから」と教室を出て行ってしまう。まあ、あとで誰かに借りることができればいいだろう。
「あ、ケンゴくん。ちょっとすまない!」
「え? あー、宇都宮か。どうした?」
机を給食の班の形に整えている最中に、横から話かけてきたのは先週バスケ部で活躍していると聞いた宇都宮だ。困り顔のままでもイケメンな面の前で両手をあわせている。手と手を合わせて、しわあせ。あれ、幸せか。
「すまない! 給食エプロンを家に忘れてしまった!」
「……。まぁ、それなら仕方ないな。んー、じゃあ次の当番の人は?」
完璧超人だと思っていた宇都宮は案外そうでもなかった。何か弱みを握れた気がして嬉しい。思えば先週もエプロンを教室に忘れていたくらいなのだから、結構天然なところもあるのかもしれない。
しかし今、問題なのは忘れたエプロンをいつ持ってこれるかではなく、今エプロンを使えない当番をどうするかだ。宇都宮が洗濯して持ってきたエプロンを今週使う予定だった人がいる。その人が困っているはずだ。
困っているはずの次の当番を探そうとした時、横から「私です」と気の抜けた女の子の声がした。
「……あぁ、えっと渋谷さんね。おけ。それじゃあ代わりに今週は予備エプロンを使用して」
一応、給食エプロンには予備の分がある。とりあえずの問題は解決。
渋谷さんは予備エプロンをもって急いで給食室に向かった。既に教室にはほとんどの人が廊下にはけていて、当番はとっくの前に給食室に向かっている。渋谷さんも仕方がなかったとはいえ、皆を待たせてしまっている状況だから急がなくてはいけない。
俺も給食の準備はできたことだし、教室を出て廊下で待機しておこうと文庫本を片手に移動すると宇都宮もついてきた。
「……ん? まだなんかあった?」
「いや、ケンゴくんとは同じ小学校でも、同じクラスになったことはなかったね」
「まあ、そうやな」としか言いようがない言葉に、少し目線を逸らす。
確かに俺たちに接点は一度しかなかった。その一度の接点もいい思い出ではない。
「本、好きなんだね」
俺の左手にある小説をみながら聞いてきた。本には購入した際につけてもらったブックカバーが邪魔して表紙が見えない。表紙がわからないため何の本を読んでいるのかは宇都宮にはわからない。
普段はライトノベルを読むことが多いが、今日はたまたま普通の文庫本だ。表紙を見せても恥ずかしくはないが、わざわざ見せることもないか判断する。
「まぁ、嫌いじゃないな。でもそんなにいっぱい読むわけでもない」
「それ、小説?」
「そう。恋愛小説」
「へぇ……。意外だ」
宇都宮の言葉に少し驚いた。俺も、彼に同じ印象を持っていたからだ。
これまで俺に色恋沙汰の浮かれた話はなかった。つまんない男だったように思う。これまで小説を読むことはあっても、恋愛小説を読もうとしたことはなかった。単純に興味がなかったからだ。
しかし最近考えを改め、恋愛小説も読んでみようと思った。
さすが宇都宮だ。交流の少ない相手にも、洞察力か何かで趣味や性格を見通せてしまうらしい。
「意外っていうなら宇都宮のことだって意外やけどな」
一年生でバスケ部選抜メンバーの一人になると噂されている爽やか少年。中性的な顔立ちに、すっと通った鼻筋が特徴的。
彼は周りから注目を集める存在だ。
何もかもが秀でていると思っていた宇都宮にも、欠点があることがここ数日でわかった。しかし、その少し天然なところが、親近感をもたせて周りとの壁を感じさせないのかもしれない。
何より目立つのは優れた体格で、宇都宮と顔を見て話そうと思えば少し見上げないといけないのは億劫だ。
学問においても特に困った様子は見せないし、授業で名指しされた際もスラスラと発表する姿は完璧だ。
文武両道、才色兼備と四字熟語で彼を表すならまだまだ沢山でてきそうなほどの優等生。
宇都宮は俺の先の言葉を待つようにすこし首を傾ける。
「宇都宮は完璧超人なんやと思ってた。だから意外や」
「はは、僕だって普通の男子だよ。結構家ではダラダラやってるし、エプロンも忘れれるし」
彼の抜けた一面が、壁を感じさせず上手くやっていける秘訣だと今確信した。もしこの抜けたところも計画されたものだとしたら……。いや、ないな、中学生で処世術まで身につけられていたならお手上げだ。中学生は調子に乗ってなんぼ。それが思春期であり、この先のよき思い出として残り続けるものだ、……と小説で読んだ。
「家のことは知らんけど、エプロンは忘れたらアカンぞ」
反省している様子の彼に、これ以上の小言は不要かと思い「早いうちにもってこいよ」と少し明るい口調で告げる。するとニコッと爽やかな笑みを浮かべた。
続々と給食当番が鍋やらボウル、食器をもって教室に入っていく。白いエプロンを身に纏い、せわしなく動く様子はさながら天使のようである。しかし、俺はその光景を朗らかな気持ちで見守るわけにはいかない。給食委員としての仕事を行うために、覇気のない声で指示をだす。
給食当番の働きも虚しく、あと少しというところで食事時間の予鈴が鳴る。まだ少しだけ配膳が行き届いていない班があったため、なんとかラストは急いでもらいギリギリで間に合う。
廊下で待機していたクラスメイトに、「入っていいぞー」と呼びかけ、俺の声に反応したクラスメイトはそれぞれ動き出す。
いつも通りの掛け声にいつも通りの給食時間がやってきた。
――この時の俺はまだそう思っていた。
班のメンバーが盛り上がっている話題に適当に相槌を打ちながらも黙々と食べ続ける。皿のほとんどが空になり、残るは牛乳とパンのみ。
周りの様子を見てみれば、中には俺より早く食べ終わっている生徒もいるが、まだまだ給食時間は続きそうだ。食べるのが元々遅い人も中にはいるだろうが、やはり話ながらの食事はどうしても遅くなる。
「甲矢仕。これ」
「……またか。自分でたべーや」
何を考えているのかわからない顔で俺に皿をすっと渡してくるのは八重だ。この数日でわかったことだが八重は小食らしい。
八重から受け取ったパンとよくわからん野菜の盛り合わせをパクパクと口に運んでいるときに、気になる会話が耳に入った。
「ほーら、教えろよ渋谷ぃ~? なんで、予備エプロンなんか使ってんの?」
「いや、……えっと、そのー。諏訪くんには、関係が、ないと……」
「え~?? なんでよ。お前が来るのが遅かったから俺らは遅れたんやぞ?! 俺たちが一番最後まで給食室前で待機させらてたんやぞ??」
ちらりと盗み見ると、その会話は諏訪と渋谷さんの話し声だった。
どうやら予備エプロンを借りるまでのロスによって遅れてしまったことを責められているようだ。
渋谷さんはどちらかといえばポワポワとした、緩い女の子で自己主張が激しくない。クラスの中でも一、二位を競うほどの内気な女子だ。
今も諏訪のガツガツとした嫌な詰め寄り方に身をたじろぎ、返答につまっている。胸が痛い。
他のクラスメイトは対してその様子を気にも留めずに談笑を続けている。この会話がたまたま耳に入ってきたのは、自分が給食委員として関わっていたからに違いなかった。
しばらく様子を見守っていると、どうやら諏訪は渋谷が使用する予定だった給食エプロンが無いことに最初から気付いていたみたいだ。気付いていてなお、わざわざ問いただし、『誰が原因でエプロンが無くて、予備エプロンを使用することになり、給食室まで来るのが遅れた』のかを言わせようとしていることは明白だった。
そして当然、この会話に反応する生徒が俺以外にもう二人いる。一人は給食委員の木町。そして残るもう一人とも目があった。いつもは爽やかな笑みを讃えてしかたがないやつだが、今は真剣な表情で様子を伺っていたが、とうとう動いた。
「スワくん、ごめん。シブタニさんが遅れたのは僕のせいなんだ」
「え~~? あー、そう? ユウトのせい? なんで??」
宇都宮が半身で振り返って、俺に説明した時と同じように諏訪に事情を説明する。
班から班を飛び越えての会話は無いことはないが、どうしても周りも気になってしまう。先ほどまではガヤガヤと騒々しい会話のボリュームも少しダウンした気がした。
「あ~~、そうなん。ユウトぉ~~、忘れもんはしたらアカンでぇー?」
「あぁ、ごめんな。迷惑をかけたみたいで」
諏訪の嫌な笑みを見て確信した。
最初から全てわかっていて、クラス全員が揃う給食時間に、この話をしたのだということを。
おかげで宇都宮は俺と渋谷さんにだけ認知して、謝罪した内容を、クラス皆の前で謝罪させられている。宇都宮の忘れ物によって当番に迷惑をかけていたことを認知させたのだ。当番以外に知らせる必要のないことを、わざわざ。これでは断罪だ。
前の掃除のときから諏訪に対して嫌なイメージしかなかったが、今回でそれはより強い嫌悪感に変わる。同時に、宇都宮 悠斗に対して同情心が芽生える。
「おいおい。ユ・ウ・ト、あかんやん。忘れ物なんかしたら~」
「あぁ。すまない。シブタニさんも、ごめんね?」
「あっ、いや、私は別に……」
「それに、ユ・ウ・トさ~? 先週はエプロンを給食委員にわ・ざ・わ・ざ! 体育館まで届けてもらってたよなぁ~?」
「……っ」「――っ!」
先週の話が諏訪の口から飛び出てきた瞬間、俺は思わず諏訪の方をみた。
ほんの一瞬、諏訪と目が合った気がするが、彼は変わらず宇都宮の方を下卑た目でみている。
先週、宇都宮が『しっかりと鞄にいれたはず』と言っていたが、あれは本当に入れていたのだろう。鞄にいれたはずのエプロンをまた教室のエプロン掛けの場所に戻したのは恐らく諏訪か、その協力者に違いない。
体育館で俺と木町が宇都宮を呼び出した時も、そしてその宇都宮が部活動に戻る際に感じた違和感も全てが繋がる。
「なぁ、ユウト。部活も学問も両立できるのはすげぇけど、ちゃんとしないとな?」
「そう……だね。すまない」
謝ることしかできない宇都宮に、諏訪はいやらしい笑みを浮かべる。
ここでは宇都宮にのみ攻撃が向いているが、この件は俺と木町の責任でもあった。朝学活の際、エプロンチェックを怠っていなければ未然に防ぐことができた。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
突然、クラスに響き渡る明るい笑い声が響いて誰もが啞然とした。
宇都宮のことを笑うのは、諏訪ではなく宇都宮の友達の声だった。それに続いて宇都宮と仲がいい友達が「アホやな~」と茶化すように笑ってくれたおかげで、場が明るくなる。嫌な空気を洗い流すような声の数々が続いて、沈んでいた空気間が嘘だったように弾んだ。
流石だ、と思った。
これが俺ならどうなっていたかはわからない。しかし、宇都宮 悠斗という存在はたったこれしきのことで信用を失うわけでもなく、築き上げてきた友情と絆をクラスに見せつけた。
不意に宇都宮と目が合う。
先ほどの真剣な眼差しとうって変わって、いつも通りの爽やかな笑みがそこにはあった。




