8話・転生者の秘密
この世界にやってきて、五か月目。セイラが正式に私付きの侍女になった。
セイラほど幼い侍女は公爵家にはいないので、セイラ専用に仕立てたメイド服を身に纏ったセイラがメイド長と一緒にわたしの元に挨拶にきて、わたしは笑顔で出迎えた。
この五か月、セイラが必死でメイド長について回って仕事を覚えているのを見ていたので、感動もひとしおだ。今度、クーとカークにセイラを紹介しよう。
「ライラ様、これからよろしくお願いします」
そう告げて深々と頭を下げるセイラに、わたしはにこりと笑う。
「これからよろしくね、セイラ!」
自分の名前を呼ぶのは、なんだかちょっと変な感じだけど。この感覚にも慣れるしかないのだろう。
* * *
「あああ~! 今日のクーさまもかっこよかったわ……! わたしの婚約者がかっこよくてつらい!!」
「ライラ様、ドレスのままベッドに飛びつかないでください。皺ができますよ」
「だって、セイラ~!」
「わかっております、クーリスト様が今日もかっこよかったのですね」
「そうなのよ!」
ライラが私付きになって一週間。もはやセイラは慣れたものだ。
最初こそわたしだって隠そうと頑張ったけれど、そうそうに諦めたのには理由がある。
セイラはわたしの部屋から出ていかないのだ……!
セイラは基本的にずっとわたしの傍にいるのだが、それは自室でも同様で、今までのように一人で悶えることができなくなった。
わたしが衝動を堪えられたのは三日目までで、四日目から挙動がおかしくなってきて、五日目で諦めて、セイラにクーのかっこよさを熱弁し、目を丸くしたセイラがちょっとだけ可笑しそうに「大好きなのですね」というから「そうなのよ!」とこぶしを握って力説した。
そんなわけで、無事クーとカークとの顔合わせを終えて二人と面識ができたセイラはわたしがクーと会った直後に部屋に戻るとばたばたと暴れるのを見ても、もはや動じないわけだ。
「今日はカークグリス様とクーリスト様、お二人とのお茶会でしたが、明日はクーリスト様がお一人でいらっしゃいます。ライラ様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ。クーさまの前では、笑顔を崩さないわ……!」
さらりと明日のスケジュールを伝えられて、知ってはいたけど、二日と開けず公爵家を訪れてくれるクーさまにわたしがときめいている間にも、ライラは手際よくわたしをベッドから立たせてソファに座らせ、ドレスに皺がよってないか確認していく。
明日もクーに会える! ああ、楽しみ。早く明日にならないかな!
* * *
そして次の日。朝から目一杯おめかしをして(最近そんな日ばかりだけど)クーと中庭でお茶会をしている。
クーはわたしとお茶会をするとき、他の人間の気配がするのを嫌うので、メイド長もライラも少し離れたところで控えている。
少しの雑談をして、紅茶でのどを潤す。
日本人だったころは甘いコーヒーが好きだったけど、こっちの世界では基本紅茶なんだよなぁ。
たまにコーヒーが恋しくなってしまう。コーヒーというか、カフェオレだけど。
「ライラ、セイラという侍女とはずいぶん仲良くなったんだね」
「はい! セイラはとても優秀なんです! わたしが気づかないこともさらっとやってくれて……とっても助かっています!」
「……そう」
あれ、なんだかちょっと反応が鈍い。どうしたんだろう。調子悪いのかな。
わたしがにこにこと微笑みながら首を傾げると、クーは一つため息を零した。
「悪いことをしたとは思うんだけど、あの侍女について少し調べさせてもらったよ」
「はい?」
え? なんで?
いや、本当になんで?! 将来セイラがあなたを殺しに来るとバレましたか?!
内心冷や汗だらだら、けれど、決して顔には出さない。淑女教育の賜物である。
わたしが表面上笑みを崩さないでいると、クーは「といっても調べたのは兄上だけど」と付け加えた。
カーク!! 余計なことをしないで! 本当に!!
「彼女は孤児らしいね。君が拾ったようなものだと、兄上が」
「……そうだとしたら、どうなるというのですか?」
「僕がいえたことではないけれど……あまり彼女に心を許すのは」
「クーさま!」
がちゃん、と。淑女にあるまじき勢いの良さでわたしはイスから立ち上がった。
茶器が耳障りな音を出し、クーが目を丸くする。
わたしは、泣きそうだった。
孤独な王子様。一人ぼっちの王子様。
家族に愛されず、必要とされず、それは、生まれ持った髪と目の色のせい。
そんな彼が。
生まれで誰かを差別する姿は、あまりにも。
「わたし、これで失礼します」
声が、震えないようにするのに、必死だった。
* * *
自室に戻って、セイラにいつも小言を言われるみたいにベッドにダイブして。
でもわたしの後を追いかけてきたセイラは酷く心配そうな声音でわたしの名前を呼ぶ。
「ライラ様。ライラ様」
「……しばらくひとりにして、セイラ」
「……わかりました」
セイラが下がったのを感じ取って、わたしはベッドの上で枕に強く顔を押し付けた。
夢を、見ていたのだ。
クーリストという王子様に、特別大きな、夢を見ていた。
彼は公明正大で、誰に対しても優しくて、誰に対しても平等で、誰に対しても――差別をしないのだ、と。
だって、ゲームの中のクーは勇者一行と最初こそ仲は良くなかったけど、少しずつ打ち解けていって、仲良くなって、最後には自分の命を懸けて守ったのだ。
じわり、枕に涙の染みがつく。
わたしは、夢を、見すぎていたのかもしれない。
* * *
こんこん、とドアがノックされた。
返事をしたくなくて放置していると、ややおいてガチャリとドアが開かれる。
メイドはこんなことをしないので、ライラから話を聞いたお父様かお母様が心配してやってきたのかも。
でも、やっぱり返事をする気は起きない。
わたしがじっとベッドの上でうずくまっているとこつこつと足音を立てて近づいてくる気配がする。
そこで、やっと気づいた。お父様でも、お母様でもない、と。お父様はもっと重厚な靴音で、お母様のヒールの音はもっと高い。
慌てて顔を上げると、そこにはなぜか、カークがいた。
「カークさま……?」
「や、ごめんね。押しかけてしまって。でも、心配で」
にこにこと笑うカークさま。いつもみている笑顔なのに、どこか得体が知れない。
ありていに言ってしまえば、怖い。
ずる、とベッドの上で後ずさったわたしに、カークがさらに近づいてきて。
「夢が破られた気分はどう? 転生者のお嬢さん」
そんなことを、言った。