第6話・誘拐
「えっ、クーさまがいない?」
朝起きて、なんだか騒がしいな、とベッドからおりたわたしに、ライラが「本日の朝食はお部屋で食べてください」と用意してくれていたサンドイッチを中心としたご飯を食べ終わってから告げられた。
目を見開くわたしに、セイラが難しい表情で「はい。お姿がみえないのです」と頷く。
「わたしもさがしにいく!」
イスから勢いよく立ち上がったわたしの行動を予想していたように、セイラがわたしの前に回り込んだ。
「ライラ様はお部屋でお待ちください。いまダレエル様を中心とした護衛の方々や、皇宮の騎士団の方々が動かれています」
「でも!」
「ライラ様、落ち着いてください」
「っ」
強い口調で窘められる。わたしは唇を噛んで俯くしかない。
わかってる。皇宮でクーが自分の意思で姿をくらませるはずがない。これは誘拐だ。
幼い身体のわたしに出来ることなんてない。理解している。でも。
(でも、クーが)
泣きそうだ。涙が溢れそうになるのを必死にこらえる。
ぐっと唇をかみしめて、わたしはそっとポケットに触れた。
そこにはクーに貰った輝石のブローチがある。
(どうか、どうか)
クーが無事でありますように。無事に戻ってきますように。
みんなが神様を信じているこの世界で、わたしはあんまり神様を信じていないけれど。
それでも、今ばかりは。
祈ることしかできなかった。
* * *
ふわふわと、気持ちが悪い感覚がした。
ゆらゆらと、身体が揺れているような、地面に足がついていないような、気分が悪くなる感覚だ。
意識が浮上する。ゆっくりと目を開くと、じいっとこちらを見つめる「目」と目があった。
「……?」
頭がまだぼんやりしている。考えが回らない。僕を見つめるくすんだ灰色の瞳を見つめ返すと、ぱち、と僕と同じくらいの子供が瞬きをした。
ボロボロの衣服をまとった、やせ細った子供だ。
「おきた」
「ああ」
声がかすれている。起き上がろうとして、縛られているのに気づいた。
辺りを見回すと、一応は室内に入るのだろうが、ずいぶんと粗末な作りをしている。
昨夜寝た皇宮の寝室とは似ても似つかない。縛られていることを考えれば、自分の置かれた状況は理解できた。誘拐だ。
しかし、だとするとどうやって。皇宮の警備は僕から見ても厳重だった。
師範であり警護担当であるダレエスの目をごまかせる腕利きの刺客が敵にいるということになる。
「ここはどこだ」
声が自然と厳しくなる。目の前の子供は膝を抱えて僕を見つめて、ぽつりと口を開く。
「しらない」
「なに?」
僕と違って縛られてはいないが、この子供も誘拐されてきたのだろうか。
抵抗する気配もないから縛られていないのか、と考えたところで、扉が開いた。
「なんだ、起きてるじゃねぇか。おい! どうして報告しねぇ!」
「っ」
見るからに野蛮な大柄の男が室内に入ってきて、目の前の子供を蹴り倒した。
抵抗することなく蹴られた子供は吹っ飛んで、壁際でせき込んでいる。
「なにをしている!」
「他人を心配するとは随分と余裕だなぁ?」
思わず大声を上げた僕に、男が嗤う。嫌な笑みだ。見下されているのが、よくわかる。
こんなチンピラに攫われたのか? 厳重な皇宮の警備を潜り抜けて?
疑問が脳裏をよぎる。少し意識が目の前から逸れた瞬間、男がのそのそと僕に近づいてきて、つま先で僕の顎を救い上げた。
男を見上げると、最低な笑みを浮かべて嗤っている。
「お前が死ねば、戦争が起こる。戦争が起これば、俺たちの食い扶持が増える」
ああ、そうだろうな。クラージュ皇国で僕が死ねば、国際問題だ。
いくら古狸たちに嫌われているといっても、僕に流れているのは王族の血だ。問題にならないわけがない。
ああ、でも。
(攫われたのが、ライラじゃなくてよかった)
本当に、それだけが救いだ。狙われたのが、優しくて温かい僕の婚約者ではなくて本当によかった。
部屋にライラの姿はない。きっと無事だと信じている。
だって、ライラにはあの侍女がいる。セイラとライラが名付けた侍女は、ただのメイドではないと僕は知っているから。
男が足を引く。僕は床に倒れこんだ。
「静かにしてろよ。じぇねぇと、わかってるな」
吐き捨てるように口にして、男が部屋から出ていった。僕はその背中をじっと見つめ、扉が閉まってから耳をそばだてる。
物音は遠い。壁が厚いようには感じられないので、近くにはいないのだろう。
少なくとも扉の前にはいないはずだ。やはり、僕を攫ったという事実に反して、あまりに色々と杜撰だ。
「だいじょうぶか」
縛られたままだし、床に転がされたままだったが、蹴り飛ばされた子供に声をかける。
やりとりからして子供はきっと先ほどの男の仲間だが、ぞんざいに扱われているのであれば、僕の言葉も届くかもしれない。
「……へいき」
のっそりと起き上がった子供が、その場でぺたんと座り込む。
その様子に覇気は感じられない。僕は一つ、賭けに出ることにした。
「どうしてあいつらにしたがっているんだ」
「おとうと」
「おとうと?」
「おとうと、とりもどす。……ため」
その言葉に、息をのむ。
弟を人質に取られているのだ。だから、嫌々従っている。
だが、どうして先ほどの男や恐らくいるであろう男の仲間はこんな子供の弟を人質に取ったのか。
利用価値があるからだろうが、僕にはそれがなんなのかわからない。
「おまえのおとうとをぼくが助けるとやくそくしたら、ぼくをたすけてくれるか?」
「ほんとう。うそ、ちがう?」
「ああ」
疑いの眼差しで見られる。疑心暗鬼になっている目だ。
僕は根拠はなかったけれどしっかりと頷いた。王族にはときにはハッタリが必要だと、兄上だって言っていた。
「ぼくがたすける。かならず」
僕の言葉に、子どもの目に光が宿る。「たすける、かならず」と僕の言葉を繰り返した子供が、のそのそと僕に近づいてきた。
「たすける。なら、たすける」
「ああ」
力強く頷いた僕に、子供が安心したように笑った。
その表情はあどけなくて、もしかして僕より年下なのだろうか、と思わせた。




