5話・ワタクシが仕える方(シーフルの本心)
シーフル・カンピオンには生涯をかけて仕えると決めているお方がいる。
その方のお名前はカークグリス・エイベル・アクスウィス。
士官学校で同級生だった方で、この国の第一王子にして王太子、将来を約束された方である。
一方のシーフルはかろうじて貴族を名乗れる程度の下級貴族の端に引っかかっているような家の三男坊。
家は長男である兄が継ぐのが昔から決まっていて、次男もいるものだから、万一長兄と次兄が揃って亡くなるなんて事故でも起こらない限り、シーフルの居場所は実家にはないのだ。
ではそんなシーフルがどうしてカークグリス様の傍付になったのかといえば、出会いは当然ながら士官学校だった。
当時のシーフルは教室の端で大人しく勉強しているだけの冴えない男だった。
一年制の士官学校は金さえ払えば大抵の人間が入学できる場所で、けれどカークグリスのような王族や高位の貴族も在籍することから、シーフルのような家を継げない次男に三男や、出世を狙う貴族たち、商人の子供と様々な人種が揃っていた。
ときおり貴族の後ろ盾を得た平民もいるような、雑多な場所だ。
在籍する人間の年齢も幅広く、十二歳から十七歳までなら男女問わず在籍できる。
シーフルの入学は親の意向でカークグリスの入学にあわせられた。
カークグリスの入学は最低条件の年齢である十二歳の時で、シーフルは十四歳だった。
シーフルの兄たちは十七歳を過ぎていたので、入学条件に合わなかったのだ。
親はシーフルがカークグリスと実家に縁を繋ぐことを望んでいた。
だからこそ、シーフルのような三男坊を大金をはたいて士官学校に入学させたのだ。
その年は例年の二倍近くの入学者がいた。
そのほとんどがカークグリス目当てで、カークグリスは常に人に囲まれていた。
人の中心で快活に笑っている人のいい王子。それがシーフルが抱いた第一印象だ。
親の思惑を知っていたし、カークグリスと「仲良く」したほうが将来の為だとわかっていた。
けれど、当時のシーフルは王族に媚びへつらうなんて面倒はまっぴらごめんだと思っていたから、教室の隅で日々大人しく目立たないように過ごしていた。
その日は、穏やかな日差しが差し込む日だった。
教室の中にいても窓の外から小鳥のさえずりが聞こえていて、眠くなるほど穏やかな陽気だった。
退屈な授業をそこそこ真面目に受けて、昼食の時間だからと食堂に移動していた。
その途中に、銀髪の幼子がいた。
年は二歳か三歳ほど、肩口で切りそろえられた銀糸の髪はつやつやと輝いていて、いいところの子供だとすぐにわかった。
士官学校になぜ幼子がいるのか、首を傾げつつ放置するのも後味が悪い気がして声をかけた。
「キミ、どうしたのですか?」
「!」
シーフルが声をかけると、銀糸の幼子はびくりと肩を揺らした。
振り返った瞳は新緑を切り取った色をしていて、大きくて丸い目に男の子か女の子か判断に迷った。
身に着けている洋服から判断しようにも青い服は男児のもののようでいて中性的で、即断できなかったのだ。
膝を折って視線を合わせる。
幼子はぱちぱちと瞬きを繰り返してことんと首を傾げた。
シーフルはもう一度問いを口にした。
「どうしたのですか、こんなところで」
「あにうえに……あにうえに、あいたくて」
「兄上?」
シーフルが幼子の言葉を繰り返すと幼子はこくんと頭を振った。
さらりと銀糸の髪が揺れて、そのときに、ようやく脳裏を過ぎった情報にシーフルはまさか、と思ったのだ。
現在王家には王族の血を継がぬ子どもがいる。
第二王子に関する噂話だ。
王族でありながら、王族の証である金髪碧眼を受け継がなかった災いの子。
両親が口さがなく噂していた第二王子の外見が、銀糸の髪に新緑の瞳という特徴だったはずだ。
もしやこれは面倒ごとでは……?
そんな予感に遠い目をしながら、かといって一度声をかけた以上今更見捨てて食堂に向かうわけにもいかない。
シーフルは人違いであるように、と何度も願いながら幼子に問いかけた。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「クーだよ」
幼子が口にしたのは恐らく愛称で、シーフルは予想が外れるように祈りながら、念押しとして問いかけた。
「……クーリスト・エイベル・アクスウィス殿下でいらっしゃいますか?」
「うん」
思わず空を仰いだ。視界に入ったのは石造りの天井だったが。
浅くため息を吐き出して、シーフルは第二王子クーリストに話しかけた。
「カークグリス殿下の元までご案内いたします」
「ありがとう!」
ぱっと笑顔になった幼子は、貴族連中が口を揃えて蔑むような存在だとは思えなかった。
シーフルが歩き出すと、シーフルの後ろをとてとてと懸命についてくる第二王子は他人の目から見ても愛くるしく、ついお節介を焼いたのだ。
「……よければ、抱き上げましょうか? そのほうが兄君に早く会えますよ」
「おねがい」
シーフルに両手を伸ばしてくる幼子は、抱っこされ慣れているのが伝わってきた。
愛されて育ったのだとそれだけで理解できて、シーフルはなんだかちょっと嬉しかった。
子供は愛されるべき存在だ。
シーフル自身が愛されて育ったとは言い難いからこそ、幼子が無条件に愛されているとわかる姿はシーフルの心を癒した。
シーフルの腕の中にちょこんと抱きかかえられた第二王子はシーフルの洋服を器用につかんでくふくふと嬉しそうに笑った。
「どうしたのですか?」
「あにうえもね、こうやってだっこしてくれるんだ」
きっと、カークグリス殿下はよい兄なのだろう。うちのぼんくらと違って。
余計な一言は胸の内に仕舞いこんで、シーフルは第二王子に笑いかけた。
「それはよかったですねぇ」
間延びした話し方は生来のものだ。
士官学校に入学するにあたって矯正しなさいと口を酸っぱくして言い聞かせられたが、こうして時折口から零れ落ちてしまう。
しばらく抱き上げた第二王子と他愛ない雑談をしながら教室に向かって廊下を歩いていると、ふいに下品な笑い声が廊下に響いた。
失敗した、ととっさにシーフルは周囲を見回した。
だが、隠れられる場所はなく、シーフルがため息一つの間に覚悟を決めると、曲がり角から三人の男子学生が姿を現した。
つねにカークグリスの周囲にいる取り巻きの一部だ。
カークグリスというより王家に取り入りたいのが丸分かりの頭の悪い三人組だが、高位の貴族の嫡男でもあってシーフルは腕の中のクーリストが揺れない程度に頭を下げて横を通り過ぎようとした。
だが、思惑通りに運ばないのが現実だ。
「おやぁ、シーフル、災いの子をどうしてつれている?」
「……なんのことでしょうか」
一番背の高い男子学生にそう言われ、シーフルは白を切った。
だが、シーフルの正面に回り込んだ別の男子学生が、クーリストの顔を覗き込んで大仰に声を上げた。
「マジだ、呪われた第二王子殿下じゃねぇかよ!」
げらげらと笑いが起きる。シーフルはなにが楽しいのかちっともわからないし、腕の中の第二王子はきょとんとしている。
ちらとクーリストを見下ろして、動揺がないことを確認したシーフルはこの幼子は本当に愛されて育ったのだと確信した。
災いの子、呪いの子、金髪碧眼の王家に生まれた異端の子。
彼を罵る悪意ある言葉たちから遠ざけられて育ったからこそ、シーフルの腕の中で幼い王子は怯えることもなく不思議そうにしているのだ。
だが、そんなクーリストの反応も、クーリストを抱き上げているシーフルの反応も面白くなかったのだろう。
名前も覚えていないどこかの名家の嫡男たちが、とたんにいちゃもんをつけだした。
「呪われた王子に触って平気とは、さすが下民だなぁ!」
「貴族と名乗ることも烏滸がましい分際で、僕たちと同じ教室にいる知れ者には似合いだな」
「二人仲良く魔獣の餌になれば、少しは世界も綺麗になるだろうになぁ」
げらげら、げらげら。
悪意と嘲笑に満ちた笑い声。シーフル一人なら気にしない。
だが、シーフルの腕の中には幼い王子がいて、さすがに三人の悪意が自分に向けられていると理解したらしい第二王子はシーフルの服をしっかりと握っていて。
その体が、小さく震えていたから。シーフルは、我慢するのをやめた。
「ちょっと失礼」
「は――あ?!」
両手で抱きあげていたクーリストを左手で抱き上げなおし、右手を大きく振りかぶって。
そのままストレートパンチを一番図体のでかいでくの坊の顔面にお見舞いした。
細い外見に似合わず槍の成績は学級一であるシーフルの全力で振りかぶった拳は、図体だけのでくの坊には避けることもできなかった。
人体の急所の一つである鼻を潰されたでくの坊は派手に鼻血を振りまいて廊下に倒れた。
下品な笑い声のせいで、野次馬が集まっている。
野次馬の中に教師の姿もあった。言い逃れはできない。
だが、そもそもがいい訳をするつもりがない。
第二王子を罵ったのは彼らの方で、シーフルは気分が悪かった。
気分を害するものを排除して何が悪いというのか。
「虫が止まっていましたので」
「お前!」
「こんなことしてただで済むと思ってるのか!」
倒れこんだ男の介護をすることもなく逆上した二人に、普段と変わらぬ声音でシーフルは返事をした。
「おや、アナタたちの顔面にも虫がいるようで。払って差し上げましょう」
そこからはシーフルの独壇場だ。片手に目を丸くしている第二王子を抱きかかえたまま、殴って蹴っての大乱闘。
教師すら止めることのできない大騒ぎを起こしたが、でくの坊三人が廊下に虫の息で転がったときにはシーフルは息すら乱しておらず、当たり前だが第二王子にも傷一つなかった。
「兄君が迎えに来てくれましたよ、クーリスト殿下」
「あにうえ? あにうえ!」
喧嘩のさなかでも周囲をきちんと把握していたシーフルは息を切らせて登場したカークグリスにクーリストを渡した。
クーリストを抱きしめたカークグリスは、厳しい眼差しで周囲を見回している。
「話を聞いてもいいか?」
「ええ、ワタクシ、昼食がまだなのですが」
「俺もだよ」
「……仕方ありませんねぇ」
初めてカークグリスと交わした会話がこれだ。
シーフルはやれやれと肩を竦めて、カークグリスは大事な宝物を抱きしめるようにクーリストを腕に囲っていた。
その後、教師も混ぜてどうしてクーリストが士官学校にいるのかから始まって、シーフルたちに浴びせられた暴言の話になり、王城からクーリストを迎えに来る使者を出迎えることになり、結局シーフルもカークグリスも昼食どころか夕食も食べれなかった。
* * *
クーリストは王城に務める悪意ある者によって「カークグリスに会いに行く」という名目で連れ出されていたことが発覚する。
士官学校に置き去りにされたクーリストは幸い悪意に気付いていなかったことから、本人に詳細は伏せられた。
何しろまだ三歳の幼子だ。事情を説明して危険を教えるには幼すぎた。
シーフルとクーリストに悪意ある言葉を浴びせた三人はカークグリスにより処分され、次の日には士官学校から姿を消していた。
クーリストを守ったシーフルには王城から多額の報酬が用意されていたが「当然のことをしただけなので」と断ったところ、親には嫌味を言われたが、カークグリスに気に入られて、士官学校での日々を共に過ごすようになった。
一年をかけて培った友情は、最強の剣と最強の盾と呼ばれるようになり、卒業を前に主従としてのものに変わっていった。
カークグリスの人となりを間近で見るにつけ、シーフルは将来の王は彼しかいないと確信するに至る。
そしてまた、カークグリスの信頼を得たシーフルは隠していた能力をつまびらかにして正当な評価を勝ち取り、カークグリスの従者として王城に務めることになった。
両親は狂喜乱舞したが、卒業と同時にシーフルの方から両親に絶縁状を送り付けた。
考えの偏った両親にあれこれ口出しされてはカークグリスが一番守りたい相手を守れないと判断したので。
両親は激怒して王城に乗り込んできたが、簡単につまみ出されていた。後悔はない。
シーフルの優先順位はすっかりカークグリスとカークグリスの守りたい人々が上位を占めているから。
王城に務めて、同級生のカークグリスではなく、王子としてのカークグリスと接するようになった。その頃、彼が淡い思いを抱いている令嬢の存在を知った。
ライラ・フォン・アラベリア。
王家から降嫁した母を持ち、公爵である父をもつ公爵令嬢だ。
麗しい金の髪に、宝石のようなアメジストの瞳を持つ愛らしい幼子。
シーフルより十二歳年下の公爵令嬢は大人しく人見知りで、けれど愛嬌はたっぷりとあって、無邪気にカークグリスを慕っていた。
彼らが結ばれれば将来は安泰だと王城の誰もが考えていた。シーフルだってその一人だった。
けれど、ある日。
公爵令嬢がなぜか庭で発見されたと騒ぎになった日、ライラはクーリストに求婚したと知らされた。
カークグリスではなく、クーリストに、彼女は求婚したのだ。
王城は上から下への大騒ぎで、クーリスト本人すら動揺している中、一人鷹揚に構えていたのがカークグリスだ。
シーフルはただ黙って見守った。
騒ぎはライラとクーリストの水面下での婚約という形で落ち着いて、変わりなく日々を過ごすカークグリスの傍でシーフルは常のように振る舞っていた。
その頃からだ。
カークグリスがライラに会いに行くとき、欠かさず持参していた花を持たなくなった。
「弟の婚約者だからな」
そうカークグリスは笑っていて、シーフルは無理をしなくてもいいのに、と項垂れたものだ。
理由はわからない。けれど、カークグリスの想いはもう実らないのだと悟ってしまった。
ある日、人目を忍んでアラベリア公爵家に向かったカークグリスがすっきりした顔で王城に戻ってきた。
シーフルが思わず「どうしたのですか、殿下」と問いかけると、カークグリスは穏やかに笑った。
それが、答えだった。
(カミサマって残酷ですよねぇ)
この世界の人々のほとんどが信じているカミサマを、シーフルはあまり信じていない。
だって辛くて苦しいとき、どんなに神に祈っても助けてはくれなかった。
助けてくれたのは。
(殿下が幸せになる、世界)
それは、どんな世界だろう。
溺愛する弟妹が笑っている世界。
愛情を注いだ令嬢が笑っている世界。
敬愛する王と王妃が笑っている世界。
けれど、その世界に果たしてカークグリス本人は存在するのだろうか。
シーフルは時たま不安になる。
ああ、けれど。
「ま、大丈夫でしょう」
なぜなら、シーフルの主人は世界一強くてカッコよくて――素晴らしい人なのだから!
カークグリスが幸せにならない世界など、間違っているのだから!!




