4話・私の仕える人(セイラの本心)
親の顔は知らない。殺した人の顔も覚えてない。
物心ついた時には、人を殺す方法だけを知っていた。
殺せるから殺しただけだ。頼まれたから殺しただけで、恨みはない。
あえていうなら、生きるために必要だった。
「殺し」をしない自分には価値がないと思っていた。
「殺す」ことだけが特技で、他のことはなにも知らなかった。だから、殺し続けた。
ある日、公爵令嬢の暗殺を命令された。
アクスウィス王家に連なるお姫様。
名前すらない自分とは違って、愛されて、何不自由なく育った子供。
別に妬みも嫉みもなかったけれど、世界が違うな、とは思った。
そして同じくらい、そんな人でも死を望まれるのかと少しだけ驚いた。
貴族を殺したことは数えきれないほどあったけれど、幼い子供の暗殺を命令されるのは初めてだった。
アラベリア家に忍び込むのは少しだけ苦労した。
屋敷のいたるところを騎士が巡回していて、でもまぁ、ちょっと大変だったけど気配を殺すのも足音を消すのもなんなら存在ごと「見えなく」するのだって得意だったから、いつもより慎重になれば問題なく件の子供の部屋に忍び込めた。
暗器を片手にベッドですやすやと眠るお姫様に近づいた。
ベッドに乗り上げてあとは暗記を振り下ろせば目の前の小さな命は消えてなくなる。
理解していたのに、なぜか一瞬だけ逡巡してしまった。
そして、それが命運を分けた。
ぱちり、とお姫様が目を覚ました。私をみて恐怖の色を瞳に浮かべたお姫様はそのまま再び気を失って――目を覚まされた事実に焦ってベッドに乗り上げてお姫様の首を絞めながら再び暗器を振りかぶったタイミングでもう一度目を覚ました。
その瞳には、恐怖も嫌悪もなく。
ただ、状況が把握できなくて不思議そうにしていて。
先ほどとの反応の違いに戸惑っていると、お姫様はにこりと笑った。
「きれいな髪と目だね」
何を言っているのかと思った。
忌み嫌われるこの髪と目の色を褒められたのは初めてで、ぎょっとして目を見開いた。
お姫様がさらに口を開いて。 泣かないで、という。
可笑しな話だった。いままでどんなに苦しくて辛くても泣いたことはない。
なのに、頬は伝う温かな感触はたしかにあって、それが涙だと理解する前にお姫様の手が頬を撫でた。
驚いて後ろに飛び退った。
お姫様の首を絞めていた手で頬を撫でると、確かに涙とやらが流れていて、茫然としたのだ。
その後の展開は、怒涛だった。
悪態をついたのに気にすることなく、呑気な返事を返してきたお姫様は自分ごとベッドに引き込んで温めるように抱きしめてくれて、名前がないと告げると起きたら名前を付けてくれるといった。
温かいベッドで眠るのは初めてだった。
それ以上に、生まれてこの方、必要とされなかった名前が自分にできるのだと思うと心がふわふわとして温かかった。
朝が来るのが楽しみになるのも初めてだった。
いつも冷たい気持ちで必要だからとる睡眠と違ってお姫様に抱きしめられて眠る夜は心地よく、生まれて初めて殺される警戒をしないまま、眠りについた。
* * *
名前は「セイラ」になった。
お姫様――ライラ曰く、二つある名前の片方らしい。
よく意味が分からなかったけれど、ライラと一文字違いの名前をセイラはとても気に入った。だからなにも問題はない。
ライラが父親にセイラが欲しいとねだったので、セイラはライラ付きの侍女になることになった。
不満はなかった。初めて優しくしてくれたライラに仕えることは、セイラにとって喜びでしかなかった。
今まで仕えていた相手を裏切る罪悪感もなかった。
セイラに命令を下していた主人とは生きていく上でのギブアンドテイクが成立していただけで、好意も忠義もなかったから。
ただ、公爵令嬢であるライラの傍付となれば、教養が求められる。
侍女教育を施されることになった最初の日、ライラの父である公爵に呼び出された。
メイド服がまだできていないから、と屋敷のメイドたちとは少し違う、けれど品のいい服を着せられていたセイラは公爵の前にたって深々と頭を下げた。
「セイラといったか……お前には娘の警護も頼もう」
「……私が、ですか?」
頭をあげたセイラは浅く息を吐き出した。バレている、と直感的に悟ったからだ。
公爵は、セイラの素性をわかっている。そのうえで、公爵家の役に立てと言っているのだ。
「ああ。騎士団を欺いた手腕、よくよく役立ててくれ」
「……私を信用してくださるのですか」
「私が信用しているのは娘だ。あれは聡い子だからな」
公爵が得意げに笑って、それから、少しだけ寂しそうな顔をした。
「きっと、新しいあの子も聡い子なのだろう。私は賭けることにしたのだ」
新しい、あの子。
ライラのことを屋敷のメイドたちが「人が変わったようだ」と噂しているのはセイラも小耳に挟んでいた。
そもそもセイラが調べた情報とも、ライラの性格は異なっていた。
きっと、セイラにはわからない「なにか」が起こったのだ、と察した。
そして、そのきっかけは恐らくセイラなのだ。
公爵は「賭ける」といった。その言葉を吐きだした時の仄暗い瞳には見覚えがある。
期待と失望、好意と失意。
きっと、ライラは試されている。公爵令嬢に足りうるか。
セイラを使って公爵は見極めるつもりなのだ。
その過程で、娘が死んでも仕方ないと割り切っている。
理解した。
だったら、セイラはセイラにできる精一杯をするだけ。
セイラに、笑顔と一緒に無償の愛情を差し出してくれた得難い人を、守るだけ。
「お任せください、ライラ様は必ず私が守ります」
再び深く頭を下げたセイラの頭上で、息を吐き出す音が聞こえた。
守ってみせる、体はもちろん、心だって。
だって、ライラは名もなき人形に「セイラ」という名前をくれたのだ。
誰もくれなかった名前という形の愛情を与えてくれた。
だから、セイラは。
「ライラ様、いいお天気です。クーリスト様とのお茶会も気持ちよいものになるでしょうね」
恋する相手の名前に照れくさそうに笑う、愛らしい主人を、絶対に守り抜くと誓った。




