22話・歴史書の謎
ゆらゆらと揺蕩う感覚、浅い夢を見ているようで、耳元でクーの声がする。
わたしを心配する声。はやくおきて、と。ライラがいないと僕は、と。
不安に揺れる声だ。いますぐ抱きしめてその不安を解消してあげたいのに、わたしの腕は動かない。
夢かぁ、と思った。せっかくなら、もっと幸せな夢をみせてくれてもいいのに。
うと、うと。眠いなぁ。すごく眠い。でも、もうたくさん寝たような気もする。
微睡みの中、瞼を閉じようか、目を覚まそうか。迷う心地よさ。
そんな中、手を握られた気がした。温かな温度が分け与えられて、自分の手が冷え切っていたことを悟る。
――ライラ、君が起きるまで、僕は。
うん? うん。起きるまで待っててくれるの? ありがとう、やっぱりクーはやさしいね。
じゃあ、あと少し――そこで眠りに落ちようとして。
あと少し、本当に?
脳裏に響いた甘い声の警鐘に、頭がガンと痛んだ。
あと少し、取り返しがつかなくなる、あと少し。
歌うように脳裏に響く。痛い痛い痛い、頭が、痛い!
ガンガン頭を打ち付けているような痛み。片頭痛でもここまで痛くはない。
わたしが悪いの?! 寝続けてるから?! 起きろってこと?! だったら起きますよ、起きればいいんでしょ!
「あー、もう、あったまいたい!」
がば、と勢いよく体を起こすと、傍から「レ、ライラ……?」と戸惑いがこもった声で名前を呼ばれた。
寝起き特有の目つきの悪さで横を見ると、大きな目を見開いたクーがいて。
えっ、まって、クーがいる?! なんで?! というかさっき、わたしお嬢様言葉抜け落ちてなかった?!
「……これはゆめだわ……」
ふらっとぐらついた体をクーの小さな体が抱き留める。
「夢じゃない! セイラ! ライラがおきた!!」
らしくなく大声を出したクーにびくっと肩を竦める。
すぐにセイラが姿を現して、朱色の目に涙をためて、わたしに抱き着くように飛びついてきた。
「ライラ様!! ライラ様がこのまま目を覚まさなかったら、わ、私あとを追いかけようと……!」
「え?! ちょっとまって! なにごとなの?!」
あまりの大騒ぎに目白黒させるわたしの横でクーが大きなため息を吐き出した。
「ライラ……君は一週間も寝たきりだったんだよ。全然目を覚まさなくて、僕たちがどれだけ心配したと……!」
「いっしゅうかん……? えっ、一週間寝ていたんですか、わたし?!」
クーの言葉に驚いておうむ返しをしてしまった。いまさらながらにクーの瞳にも安堵の色を見つけて、めちゃくちゃ心配をかけていたのだと悟る。
普段なら侍女として振る舞うセイラがわたしにくっついて離れないあたり、セイラにも随分と心労をかけたのだろう。
それにしても、クーとの距離が近い!! クー、近いです! 近い! です!!
でもそんなことを言える雰囲気でもない。
「そうだよ! いったい兄上となにがあったんだ……! 公爵に問い詰められても、兄上は『わかりません』の一点張りだ……!」
「え? え? え? カークさま? お父様?」
思わぬ人名にわたしがおろおろしていると、クーが眉を寄せた。剣呑な表情も素敵……っていうのはさすがに現実逃避ですね! わかっています!
「……本当におぼえていないのかい? ライラは兄上とのお茶会の最中に気を失って、一週間も寝込んでいたんだ。兄上がライラになにかをしたとは思わないけど、公爵は兄上にアラベル家の出入りを禁止したほどだよ」
「?!」
情報量が多い……!
えっと、一個ずつ思い出していこう。わたしは確かにカークとお茶会をしていた。隔世遺伝の話とか、輝石の職人の話をして、そう、原作ゲームの話をしたんだ。
カークは完クリしてるみたいだったから、わたしが知らない部分の原作について聞こうとして、そして――意識を、失った。
……いや、なんで?
めちゃくちゃ唐突に意識を失った。本当になんで? ライラに基礎疾患というか持病はなかったはずだけど、もしかしてなにか発症した?!
「クーさま……わたしはいったいなんの病気で……?」
恐る恐るクーに尋ねると、クーは首を横に振った。
違う、という意味らしいと察してわたしは眉を寄せる。
「ライラは病気じゃない。国で一番高名な医者がそう診断した。ライラはただ『寝ていた』だけだ」
「えっ」
いや、なにそれ……?
本当になにそれ?!
寝てるだけで一週間って本当にすぎます?!
しかもいきなり意識を失ったならさすがになにかの病気では?!
医者のことを疑うわけではないが、この世界の医療技術って前世に比べれば低いし……と思ってしまうのは仕方ない。
わたしが頭を抱えていると、セイラがようやく顔を上げた。うわあ、美少女が涙ですごいことに。
「ライラ様、何をされたのですか。私、国を敵に回してでもライラ様に仇名す者は刈り取ってみせます……!」
それは「命を」ってつくよね?! おちついて、セイラ!
「兄上がなにかしたわけでは、本当に違うんだよね……?」
そっと覗きこまれてわたしは慌ててぶんぶんと首を左右に振った。
「違います! わたしはただお話をしていただけで……!」
クーまで?! クーまでカークを疑っているの?! カーク泣いちゃうよ?!
わたしの慌て方に嘘はないと信じてもらえたのだろう。クーはもう一度特大のため息を吐き出して、やっとわたしから距離をとり、サイドテーブルに置かれている紙袋を手に取った。
「これは、兄上からの見舞いの品だよ」
「カークさまから……?」
ことんと首を傾げると、クーはセイラがどいた膝の上に紙袋を置いてくれた。
「兄上から、体調がいいときに見るように、って言付かっている」
「ありがとうございます」
なんだろう、結構重い。
「本の中身はライラがほしがっていた歴史書だと聞いている」
「! わかりました」
わたしがほしがっていた、歴史書。
それはきっと、ゲームの今後の展開を書き記したもの、ということだろう。
ぱっと笑顔になったわたしに、クーは肩を竦めた。やれやれ、って顔に出てます!
* * *
クーが王城に帰り、ベッドの上で夕食を摂ったあと、わたしはセイラを拝み倒して部屋の隅に行ってもらい(頑として部屋からでてはくれなかった)、慎重な手つきでカークからのお見舞いを開いた。
いまでは懐かしい日本語で書かれた文字。少し几帳面に思える角ばった字は男性のものらしい。
前半はわたしも知っているゲームの物語が、サイドストーリーを込みで詳細に書き込まれていた。でも、ところどころインクが滲んでいて読めない。
首を傾げつつページを捲り続けて、クーが死ぬ場面になった。
ここまで読めないページは十ページ以上あって、古い日記のようなものだから紙やインクの劣化なのかなと思いながら読み進めてきた。
けれど、違和感は確定的なものになる。
クーが死んだ次の場面を開いた瞬間、わたしは本を膝の上から叩き落していた。
「ライラ様?!」
セイラがすっ飛んでくる。両手を口に当てて、荒い呼吸を整えようと頑張る。
過呼吸だ。気持ち悪い。気分が悪い。でも、これくらいならすぐに収まる。
「すぐにお医者様を……!」
「ま、て……せい、ら、ま、って」
駆け出しそうなセイラの袖を握り締める。セイラが一部始終を見ていた。
カークの贈り物で気分を悪くしたなんて、醜聞でしかない。広めるわけにはいかない。
「ライラ様、でも……!」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、よ。……はぁ、すこし、おちついた、わ」
少し無理やりだけど、過呼吸を整えてセイラに笑いかける。セイラは眉を寄せて、床に落ちている本を睨んだ。
「あの王子はいったい何をもってきたんですか?」
「違うの、これは好意なの。ダメなのはきっと……わたしのほう、ね」
本が、とても禍々しいものに見えたのだ。
真っ黒なインクで塗りつぶされたページ。呪詛と怨嗟を詰め込んだかのような、呪いの言葉がつづられているように見えた。
でも、そんなものをカークがわたしに送り付けるはずがない。
わたしは一つの確信をもって、セイラに落とした本をとってもらった。
受け取って、問題のページを薄目で開く。よし、直視しなければ大丈夫。
「セイラ、ここ、なんてかかれているの?」
「? ……知らない文字です。私には読めません」
「そう……わたしにはね、とても怖いものが見えるの」
案の定、日本語が読めないと告げるセイラには嫌悪も忌諱も感じられない。
このページがおかしく見えるのは、わたしだけだ。
「ライラ様……?」
「だいじょうぶよ、セイラ。これは、わたしの問題だわ」
わたしは、きっと。
クーが死んだ後の原作の物語を知ることが、できないのだ。




