王弟殿下はウサギ令嬢の私をご所望です
「もうお父様にブラッシングして貰わない! いや!」
「えっ……!?」
衝撃的だった。ハンマーで思いっきり、頭を殴られたかのような衝撃が襲いかかってきた。手の力が抜けて、ぼとりと、獣毛ブラシが転がり落ちる。滑らかな木肌の持ち手には“シェイラ”と刻印されていた。自分専用のブラシを見て、先日十二歳になったばかりのシェイラが鼻息荒く、むんと胸を張った。寝る前だから、白いフリルとピンクリボンのネグリジェを着ている。
「私はもうそんな年じゃないし! お父様にブラッシングして貰うのは卒業するの。今度からは自分でちゃんと毛づくろいするわ」
「シェ、シェイラ!? で、でも、お前が生まれた時からこれが至福の作業で……」
「知らない。お兄様でもブラッシングしたらどう? いつまでもそんな、子ウサギみたいな扱われ方をして欲しくないのよね~。だってもう、十二歳なんだし!」
「まだ、たったの十二歳じゃないか……!!」
「あと、お父様と一緒に寝るのもやめるの。ちゃんと自分の部屋で寝る」
「えっ、ええええええ……!?」
ああ、くるとは思っていなかった反抗期がとうとうきてしまった。めそめそ泣いていると、すぐにアルウィンとロアが膝に飛び乗ってきた。シェイラよりも、二人は私に優しい。
「お父様、大丈夫ですか?」
「僕達はまだ大丈夫ですからね?」
「ア、アルウィン、ロア、ありがとう……!! でも、二人は一生卒業したりしないよな!? ずっとずっとパパにブラッシングさせてくれるよな!?」
「いっ、一生!?」
「それはさすがにちょっと……」
アルウィンが嫌そうな顔をしてから、お尻を向け、しぶしぶといった様子で膝の上に伏せをする。ロアだけが優しい青色の瞳で、「じゃあ、お父様がそう言うのなら」と言ってくれた。
「あ、ああっ、ありがとう……!!」
「やだ! お兄様達がかわいそう~。でも、いいわ。どうでも。ああ、あと、お父様? 私、朝のお散歩も卒業するから。もうリードで繫がれて歩くような子ウサギちゃんじゃないから」
「シェ、シェイラ~!? じゃ、じゃあ、もうパパとはお散歩しないのか!?」
「たまにならしてあげる、たまにね!」
「シェイラ、ちょっと待ってくれ! 話し合おう!? お前はもう十二歳だからと言うが、十二歳なんてまだまだ小さい子供で……!!」
私の言葉を無視して、ぴょこぴょこと飛び跳ね、部屋から出て行ってしまった。むせび泣いていると、入れ違いでシャーロットが部屋に入ってくる。さっきまで人の姿だったのに、ウサギ姿になっていた。
「あれ? アルフレッド様、一体どうしたんですか?」
「シェイラが、シェイラがもうパパにブラッシングして貰うのをやめるって! お散歩もやめるって! 君は何歳で卒業した……?」
「うーん、お父様とのお散歩は四歳で卒業しました」
「四歳!!」
「はい。だってもう、子ウサギちゃんじゃないんですから! 嫌で嫌で仕方なかったんですよ~。だから、シェイラの気持ちもよく分かります。もう十二歳になったんですから、ちゃんとブラッシングもお散歩も卒業しないと!」
「しなくていい、永遠にしなくてもいい……!!」
「お父様……」
「元気出してください、ふがふがしますか?」
「ロアっ!! するっ!」
膝の上でころりんと、ロアがお腹を向けてくれた。めそめそと泣きながら、ふわっふわのお腹に両手を埋めていると、嫌気が差してしまったのか、アルウィンがソファーから飛び降りる。
「じゃあ、僕も寝ます。おやすみなさい」
「アルウィンは、アルウィンはまだパパと一緒にお散歩するよな……!?」
「そこまで泣かれると、はいとしか言いようがありませんよ。お父様」
「アルウィン~!! どうして、どうしてうちの子達はこうも大人びているんだ!? あんなに小さかったのに! いいか? みんな、パパのポケットに入るサイズだったんだよ!? それに、少しでもパパの姿が見えなくなると、可愛くきゅうきゅう鳴いて探し回って! 夜ねんねする時だってみんな、パパの首周りに集まってたのになぁ……!!」
「もうそんな子ウサギじゃありませんから。おやすみなさい~」
「うっ、えっ、うぇ、っぐ、ひっく……」
「も~、あなたってば! いつまでも子ウサギちゃん扱いして」
「まだ毛がふにゃふにゃで、柔らかい内は大人だと認めない!!」
ああ、そうだ。まだシェイラもアルウィンもロアも、ほのかに甘いミルクの香りがするし、湿度を帯びたふにゃふにゃの毛皮を持っているのに……!! さらに泣いていると、彼女が「も~」と言いながら、とてとてと駆け寄ってきた。
「さ! ロアも眠たそうだし、放してあげてくださいな! もう寝る時間ですよ」
「お父様、おやすみなさい。僕にはまだブラッシングしてもいいですからね?」
「い、いつまで!? せ、せめて、十八歳、十八歳まではさせてくれると嬉しいんだが!?」
「分かりました。じゃあ、十八歳までお散歩もブラッシングもして貰いますね」
「ロア! 良い子だ、優しい良い子に育ってくれた! パパは、パパは淋しいんだよおおおおっ……!!」
涙で前が見えなくなった。えぐえぐと涙を流しながら、ロアのことを抱っこして沢山キスを浴びせても、一切嫌がらなかった。最後にはちゅっと、頬にキスまでしてくれた。あまりの可愛さでメロメロになりながらも、部屋の外に立って、ぴょこんぴょこんと歩く可愛い後ろ姿を見送っていると、きゅっと、シャーロットが神経質にスリッパを踏んできた。ん? と思って見下ろしてみると、グリーンの瞳を細め、恨めしい顔つきをしている。
「ど、どうしたのかな? ロッティ? また嫉妬?」
「……はい! 私の方が良い毛皮ですよね!?」
「もちろん! きゃわわわ!!」
怒りながらダイナミックにごろんと、いきなりお腹を向けた。至福だし、可愛い……!! うっとりしつつ、廊下に膝を突いて、ふがふがと嗅ぎ回っていると、嬉しそうに鼻を鳴らした。不思議なことに、我が子の毛皮に嫉妬している。シャーロットいわく、そこに血の繫がりは関係ないらしく、たとえ親友であったとしても、我が子であったとしても、毛並みの良さを競うのはやめられないそうだ。なかなかに根深い問題だ。その競争を可愛いと思っているのは人間だけらしい。
「アルフレッド様、そろそろ子ウサギが欲しいとは思いませんか?」
「き、君が小屋の奥に引きこもってしまわないのなら……」
「やだ、大丈夫ですよ! 初めての出産で気が立っていただけですから~!」
しかし、本当かなぁと疑っていた通り、二度目の出産でも野生に帰ってしまった。小屋の奥へ手を突っ込むと、がぶっと、思いっきり噛まれてしまった。二度と野生には帰らないという宣言は守られなかったが、幸いなことに、一週間ほどで出てきてくれた。しかし、毛が生え揃ってから三十秒間だけ抱っこというルールは復活し、むせび泣くしかなかった……。
「あ~、可愛い! シェイラ達の小さい頃もこうだったのになぁ!」
「じゅ~きゅ、に~じゅ」
「うっ、ううっ、パパと一緒にお散歩しようね~! シアとローズとアインは、パパとリードをつけてお散歩しようね? お膝の上でブラッシングもしようね……!!」
新しく産まれたのは、女の子二羽と男の子一羽。シェイラ達がすっかり反抗期になってしまったので、ことさら可愛く見えた。またポケットに、子ウサギを入れて散歩する日々が訪れる。でも、一番眼福だったのは、シェイラが妹の子ウサギをんべんべと、一生懸命舐めて、可愛がっているところで、ありとあらゆる顔の筋肉が溶けてしまいそうになった。
「あ~、可愛い! シェイラ~? そんなにローズのことが可愛いのかなぁ?」
「お父様はあっち行ってて! いちいち見てこないで! 毎日毎日、まったく本当にもうっ!」
「シェイラ~!! パパは淋しいんだよ、娘達を可愛がりたいんだよ!」
「やだ、気持ち悪い~」
「シェイラ……」
最近、やたらと気持ち悪いと言うようになった。傷付いている私の顔を見て、楽しんでいるようにすら見える。ああ、もうこのまま、あの可愛いシェイラは永遠に戻ってこないんだろうか……。落ち込むが、きゅうきゅうと鳴いて私のことを追いかけてきてくれる子ウサギ達がいたので、すぐに立ち直れた。
でも、本当に辛いのは反抗期でも、子ウサギがポケットに入らないと言い出すことでも無かった。ある時、信じられない噂を耳にしてしまう。それは十六歳になったばかりの可愛いシェイラに、どうやら想い人が出来て(字面を想像するだけでぞっとする)、ひっそりと、過保護でうるさい父親に隠れ、城の裏庭でデートしているというもの……。相手は騎士階級出身の軍人らしく、めまいが起きた。
(ああ、だめだ! 軍人なんて野蛮な男に可愛いシェイラは任せられないっ!)
慌てて城の裏庭に向かうと、確かに二人はそこにいた。銀髪の見目麗しい男が朽ちた噴水に腰かけ、うっとりと、膝の上にいるシェイラのことを見つめていた。シェイラもシェイラで、私がすすめると激しく嫌がるくせに、薔薇とリボンがついたボンネットをかぶり、綺麗なペールグリーンと白いレースのドレスを着て、めかしこんでいる。しかも、嬉しそうに相手の男を見上げていた。キスをせがむかのような体勢を見て、ショックを受け、呆然と立ち尽くしていると、男がおもむろにふわふわな体に手を回した。そして、嬉しそうな表情を浮かべ、顔を近付け────……。
「まっ、待った!! そこで私の娘と一体、何をしているんだ!?」
「ア、アルフレッド殿下……」
「もーっ、どうしてお父様がここにいるのよ!? せっかくのデート中なのに邪魔しないで!」
「でっ、で、で、でーと……!!」
いや、シェイラはそんなことしない! まだ、まだ社交界デビューしたばかりなんだ!! それなのに、もう悪い虫がついているだなんて……。涙ぐみつつ、相手の男を睨みつけていると、青ざめ、困惑した顔をする。
「ひざ、膝の上に乗せるなんて! 覚悟は出来ているんだろうな!?」
「お父様! 邪魔だから、あっちに行ってって言ったでしょう!? それに、お膝には私から乗ったの! リっ、リードだって持って貰う予定なんだから!」
「りっ、りっ、りっ、りーどを!? そんな、結婚前なのにそんなことが許されると思っているのか!?」
「はあ。たかだか、リードを持つだけなんですが……」
ああ、分かっていない! そんな、娘と男がリードで繫がってお散歩するだなんて! あまりのショックで膝から崩れ落ち、回廊の白い床に手を突いて涙ぐんでいると、シェイラがぶうぶうと不満そうに鳴き始めた。威嚇されている。
「もういいからあっちに行っててよ! お父様、邪魔!」
「シェイラ様、しかし……」
「気にしないで? ルシアン様! それとも、私のことよりお父様のことが気になるの?」
「いいえ、気になりませんっ!」
「気にしろ!! こっちに来い!」
怒って胸ぐらを掴めば、シェイラに思いっきりすねを蹴られてしまった。かなり痛かった……。詳しく話を聞いてみると、悪い虫は騎士階級の出身ではなく、貴族出身で、祖父が騎士だったらしい。職業も軍人ではなく、軍医らしい。噂だから信憑性は低いと思っていたが、思ったよりも低かった。でも、二人が愛し合っている(シェイラから聞いた時、吐血しそうになった)のは事実らしく、あろうことか、悪い虫が婚約を認めてくださいとまで言ってきた。もちろん、許さなかった。早々にシャーロットに告げ口され、夜、こっぴどく叱られた。
「もう! 私達だって散々、陛下に反対されて苦しんだでしょう!? シェイラももうお年頃なんだからそれぐらい、」
「いいや、だめだ!! 絶対にだめだ! 医者なんて頭がおかしいやつが多いんだ! それに、毛皮目当てかもしれない……。終始シェイラの体を撫で回していたし、きっときっと、シェイラは騙されているんだ。パパが目を覚ましてあげなくちゃいけないんだ!」
「アルフレッド様ってば、まったくもう。初対面で私のこと、ベッドに引き摺り込んで、体を撫で回したことを忘れちゃったんですか?」
「……あれは、その、非常事態だったし……」
「ルシアンがシェイラのことをもしも、そういう風にしていたら?」
「殺す!! 死刑だ!」
「も~、自分のことは棚に上げてそんなことばっかり言う! 本当に忘れちゃったんですか? 反対されて悩んでいたでしょう?」
確かに悩んでいた。でも、すんなりと絶対に絶対に絶対に結婚させたくはない……。それから、二人が部屋でお茶をしていると聞いて、周囲の制止を振り切り、バン! と勢いよく扉を開けてみると、信じられないことに、お膝の上でブラッシングされていた。ブラッシング、まだ嫁入り前なのにブラッシングだと!?
「あっ、もう! また!? お父様ってば! 早く閉めて、扉を!」
「こっ、ここここ婚約前にブラッシングをするような男に娘はやれん!! 何を考えているんだ!? 私の目が届く場所でそんなことをしやがって!」
「えっ? でも、ブラッシングをしているだけなんですが……」
「いちゃいちゃなんだよ、それはっ! 私もあの当時理解出来なかったが、それはいちゃいちゃなんだ! いちゃいちゃなんだ、れっきとしたいちゃいちゃなんだよ!!」
「アルフレッド殿下、どうぞ落ち着いてください。本当に本当に、せがまれてブラッシングをしているだけなので……」
「も~、ルシアン様ってば! 恥ずかしいから、それは言わないで欲しかったんですけど~」
「せ、せっ、せがんでブラッシングを……!? ああ、シェイラのブラッシングをしていた頃が懐かしいなぁ。昔は、昔はパパと結婚すると言っていたのになぁ!」
「一体、何十年前の話をしているの? 私、もうそんなに子ウサギちゃんじゃないから! 淑女だから!」
床に両手を突いて、がっくりとうなだれていると、悪い虫が心配して背中を擦ってきた。苛立って振り払えば、すぐさまシェイラがやってきて、私の手に噛みついてくる。大事な人を傷付けさすまい、とする獣人の力は本当に凄まじい。
「いたっ、いたたたた!? シェイラ、シェイラ! 血が、血が出てるから!!」
「シェイラ様、どうぞお父上の手から口を放してください! 酷いことになっていますので!」
「お父様、今すぐルシアン様に謝って!」
口の周りを真っ赤な血で汚しながら、ダンダン! と不満そうに足を叩き付ける。ああ、もう無理なのか……。あの可愛い、ベリーをむちゃむちゃと食べていたシェイラはもう二度と、この手の中に戻ってきやしないのか……。涙ぐみながら床にうずくまっていると、ぶちっと、いきなり毛を毟られた。慌てて、凶暴なシェイラをルシアンが抱き上げ、回収する。ルシアンの腕の中でシェイラは、妻そっくりの悪い顔をしながら、くちゃくちゃと私の髪の毛を貪り食っていた。
「だめですよ、シェイラ様。お腹を壊してしまいますから……」
「制裁です! お父様なんてだいっきらい!」
「だっ、だっ、だっ、だ……」
「せめてその、苦手とかにして差し上げた方が……」
「だって、お父様よりルシアン様のことが好きだもの! なのに、お父様が邪魔ばっかりするから目障りで」
完敗だ。もうなす術はない。もう終わりだ。負けたんだ、私はこの優男に……。兄上やシャーロットは早々に婚約を許したが、私は最後まで許さなかった。挙式の日取りが無事に決まり(神などこの世にいないと思った)、可愛い我が子達に許してあげたら? と言われても、頑なに無視をした。表面上は結婚を許そう、兄上がお認めになったことだから。しかし、心の中では許さない。絶対にだ。一生許さない。
ルシアンとやらはそのことを気に病んでいるようだが、知ったことか! 私からあのポケットに入っていた可愛いシェイラを奪い取っていくつもりなら、一生口を聞かない。式を台無しにしないだけ、ありがたいと思えよ……。挙式前日、やさぐれて酒をおおいに飲み干していると、ゆっくりと扉が開いて、シェイラが入ってきた。
シャーロットの若い頃を彷彿とさせる、凛とした眼差しは澄んだグリーンで、顔立ちはちょうどよく、私とシャーロットを混ぜたような顔立ちだった。よく目元が私に似ていると言われる。私譲りの濃い茶髪は波打ち、よく手入れされていた。どうせ、あの悪い虫が毎日せっせとブラッシングしているんだろう。涙ぐみながら、ネグリジェ姿のシェイラを睨みつけ、黙って酒をあおる。……分かってる、祝福してやりたい気持ちはあるんだ。でも、どうにもこうにも上手くいかない。本当はずっとずっと、私の手のひらに乗っていて欲しかったんだ! また、涙が滲み出てくる。泣きそうになっていると、おもむろに椅子を引いて、向かいに腰かけた。垂れた耳が本当に可愛いらしい。
「ねえ、お父様。まだ許してくれないの?」
「……許せるのは、あの男が墓の下に埋まってからだな」
「それだと遅いわ。お父様が先に、お墓の中に入っている時だろうから」
「一生、一生絶対に許さない……。でも、シェイラの幸せだけは願っているよ。シェイラの幸せだけは」
「まったくもう、本当に。お父様ったら!」
シャーロットともまた違う笑い方をした。拗ねて、舌を酒で湿らせていると、深く溜め息を吐いた。次の瞬間、ぽんっとウサギ姿に戻る。
「可愛いポーズでお願いしたってだめだぞ? どうしたって許せないんだ……結婚するにはまだ早い!」
「でも、私はもう十八歳よ? 早いって言うような年齢じゃ、」
「だめだ、許せない。もう帰ってくれ。あの悪い虫といちゃつくがいい。ブラッシングするなり、お散歩するなり……!!」
声が震えて、最後まで言えなかった。グラスに残った酒を一気に飲み干していると、シェイラがぴょんと、膝の上に飛び乗ってくる。回転してから、控えめにお座りをした。一気に泣けてきた。ああ、もう嫁いでしまうんだ……。グラスをテーブルの上へと置いて、むせび泣く。
「ごめんよ、シェイラ。許してやれなくて……。パパのことを大嫌いになるといいよ」
「嫌いになったりしないわ、絶対に。パパ、大好きよ」
「うっ、うう、いいんだ、いいんだよ、別に。あの悪い虫以下のクソみたいな存在で……」
撫でると嫌がるだろうか? でも、耐え切れずに涙を流しながら、そっと優しく、壊れ物を扱うかのように頭を撫でると、嬉しそうに青い瞳を細めた。ああ、今でも思い出す。初めてシェイラを抱っこした、あの時のことを。
「シェイラ……ごめんよ、本当に。幸せになってくれ。あの男のことを呪い続けるパパのことは何も気にしないでくれ」
「ねえ、私がどうして、あの人のことを好きになったか知ってる?」
「きっ、聞きたくない!! どうせ抱っこの仕方が良かったとか、もふもふの腕が良かったとか、ブラッシングが丁寧で好感が持てたとか、そんなのだろう!?」
「ううん、違うの。初めて撫でて貰った時、パパの優しい手を思い出したからなの。そっくりだったのよ? 撫で方が本当に」
「うっ……!!」
涙腺が崩壊してしまった。口元を押さえると、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちてゆく。そんな私を見て、シェイラがくすくすと笑った。
「ねえ? ルシアン様のことを好きになったのは、パパに似ていたからなの。ほら、目だって同じ青色だったし」
「その手には、その手には乗らないぞっ……!? 今まで散々パパに冷たかったくせに!! パパのことが大嫌いなくせにっ!」
「そんなことないよ、パパ大好き!」
「うっ!!」
シェイラが胸元に前足をかけて、ちゅんと、頬にキスをしてくれた。もうだめだった。号泣しながら抱き締めると、満足そうに息を吐き出す。
「だから、私の結婚を許して欲しいの! 大好きなパパに許して貰えないのは悲しいし……。それに、ルシアン様がパパにそっくりだったんだから、仕方ないでしょ? 好きになっちゃうのは!」
「うっ、うう、仕方ないなぁ、もう。そんなことを言われたら、許すしかないじゃないか、シェイラ!!」
「ありがとう、パパ! 大好きっ!」
「可愛い、可愛いよお、本当に可愛い……!!」
とどめにもう一度、反対側の頬にキスされてしまい、もう完全に許すしかなくなった。でも、孫が生まれて、手のひらに乗せた瞬間、結婚を許して良かったと心底思った。獣人の血は強く、獣人と人間の間に生まれた子供でも、完壁な獣人を生むらしい。でも、さすがにひ孫はウサギに変身出来ないらしく、頭に垂れ耳が残るだけと聞いた。
「ああ、お祖父ちゃんだよ~!! 良かった、良かった! 結婚を許して!」
「い~ち、にぃ~い」
「義父上、シェイラがカウントダウンを始めたんですけど……!?」
「耐えろ。これからは苦悶の日々がやってくるぞ」
「えっ!?」
年々、体が動かし辛くなってきても、いつも私の傍には可愛い子ウサギがいてくれた。年老いたシャーロットと一緒に庭を歩きながら、ふと、昔の孤独に思いを馳せる。生まれてこなければ良かったかもしれない、と思って膝を抱えていた日々は色褪せ、ろくに思い出せやしない。春の芝生は柔らかな陽射しに照らされていて、その上を、嬉しそうに新しく産まれた孫の子ウサギ達が走ってゆく。
「ロッティ、本当に君と結婚して良かったよ。ああ、また絵を描きたいな……」
「ふふ、今、私もちょうどそう思っていたところですよ。あなた。でも、次はどこに飾るおつもりなの?」
「美術館にでも寄贈しようか。きっといたく喜ばれるぞ」
「この間、オークションでとんでもない値段がつきましたもんね。それにしても、若い頃の毛皮が懐かしいわ。もう、すっかりぱさついてしまって……」
「そんな、まさか! いつだって君の毛皮はつやつやだよ、大丈夫」
皺が刻まれた手を伸ばし、確かにくったりとくたびれてきた耳を撫でると、嬉しそうに微笑んだ。ああ、変わらない。いや、私にとっては、昔撫でていた毛皮よりも、つやが増してしっとりしているし、とんでもなく愛おしい。最期の最期まで、女嫌いの王弟殿下はウサギの妃を所望していた。




