3.幸せでしかない子ウサギ時代
「パパだよ~、おいで! ただいま~」
部屋に入ってすぐ、床に膝を突いて、両腕を広げれば、嬉しそうに三羽とも駆け寄ってきてくれた。人の姿になった時、着るのを嫌がらないよう、ドレスを着せているが、これがまた、たまらなく可愛いかった。青い瞳に、黒が混じったブラウンの毛を持つシェイラは、青地に白いレースがついたロマンティックなドレスを、一番彼女によく似ているアルウィンは、深いグリーンのドレスを、青い瞳と柔らかなブラウンの毛を持つロアは、深いグリーンの花柄ドレスを着ている。
「よしよしよしよし~! 淋しかったか~? ごめんね!? パパもずっとずっとシェイラ達と一緒にお昼寝していたんだが、お仕事があるからね~……。ああ、半年ぐらい休みたい。税金の無駄遣いのタダ飯食らいの王子だって罵られても、ずっとずっとこうしていたい! 可愛いっ……!!」
涙ぐみながらも二羽同時に抱き上げて、そのたまらなく柔らかい、ふにゃふにゃとした毛に頬擦りをする。心なしか、甘いミルクの匂いが漂ってくるような気がする。至福だ……。でも、のんびりと堪能している場合じゃない。急いでおろし、淋しくて、きゅうきゅうと膝の上で鳴き出したロアを抱き上げ、ふわふわなおでこにちゅっと、キスをする。
「ごめんよ~! パパの腕がもう一本あれば、ロアのことも抱っこ出来たのになぁ! は~、三羽同時に抱っこしてもふもふしたい。申し訳ない……」
ひとしきり可愛がったおかげか、三羽とも満足そうに息を吐いて、肘の内側に集まっている、こ、心許無い! 三羽同時に抱っこ出来ると言えば、出来るが、怖いんだ。それに、この状態だと頬擦りが出来ない。顔が近付けられない。最近は顔を近付けたら、ぺろぺろと舐めてくれるようになったから、舐めて貰うためにも、顔を近付けたい……。抱っこしているというよりかは、玉子を腕に抱えているような体勢で、そーっと慎重に歩き、シャーロットが眠っているソファーの上へと置く。すぐさま、母の下へ駆けていった。
(ああ、見ているだけで幸せになれるなぁ! この光景)
駆け寄って、おっぱいを探し始めた三羽に気が付き、シャーロットが目を覚まし、あくびをする。きょ、今日はどうだろう? 人としての心は残っているんだろうか。あっけらかんと「気分ですね!」と言っていた通り、いつまでも小屋の中に引きこもって姿を見せない日や、反対に、子ウサギとたわむれる私を見て、満足そうに笑っている時もある。
これは獣人特有の変化らしく、出産後はホルモンの関係で動物に戻ってしまったり、いつもの人としての考えが急に出来るようになったりと、揺らぎがあるらしい。兄のシリルから「半年もすれば落ち着きますよ」と言われたので、待つことにしているが、長い。寂しくて怖い……。緊張しながら待っていると、ぱぁっと、嬉しそうに顔を輝かせた。
「アルフレッド様! いつ帰ってきたんですか? おかえりなさい!」
「あ、ああ、ただいま。今日は普通に喋ってくれるんだね? ありがとう」
「すみません、今日は喋りたい気分なんです。……もふもふしますか?」
「するっ!」
駆け寄って膝を突き、その毛皮に顔を埋める。同時に、子ウサギのふんにゃりした毛が顔に当たって気持ちいい……。両手で彼女を撫でると、嬉しそうにぷうぷうと鳴き出した。
「ああ、幸せだ……。出来れば仕事になんて行きたくない。ずっとずっとこうしていたいのに!」
「まあまあ。私だって、アルフレッド様と一緒にいたくない時がありますから。ちゃんとご公務してきてくださいね?」
「い、いたくない……。一緒にいたくないのか、そうか」
「たま~になります! たま~にね!」
なら、頑張って行った方がいいのかもしれない。でも、出かける間際、子ウサギ達が必死に追いかけてきて、きゅうきゅうと悲しそうに鳴きながら、足元で回り出すと、一気にそんな気持ちが吹き飛んで、泣けてきてしまう。
「シェイラ~! ロア、それにアルウィンも! ごめんね~? 淋しいよね!? パパも淋しいよ~! ルイ、今日は腹が痛いから休む!!」
「何言ってるんですか? 毎朝毎朝、泣かないでくださいよ……」
「うっ、うう、だ、だって、可哀相じゃないか! ほらっ、きゅうきゅう鳴いてる! パパと離れるのが淋しいんだって! 嫌なんだって!!」
「アルフレッド様ったら、も~! 早く行ってきてください!」
「あっ……父親、父親、父親なんだが……?」
必死で父親アピールしても通じず、無情にもシャーロットが「さぁ、みんな! おいで~」と号令をかけてしまい、それまで悲しそうに鳴いていた我が子達が、みんなそっちに行ってしまった。彼女のお腹に頭を突っ込み、おっぱいを吸い出したシェイラ達を見て、涙ぐみながらも、自分の胸元を押さえる。
「ああ、私にも、私にも、おっぱいがあったなら……!! 母乳が出せるのなら出したいっ!」
「何言ってるんですか? ほら、早く行きますよ!」
「嫌だ、私はずっとずっと子ウサギと眠っているんだ、寝顔を眺めて暮らすんだ……!!」
子ウサギが産まれてから、日々の公務がよりいっそう苦痛になってしまった。でも、ルイとアーサーがほっとしたように笑いながら、「一時期、休もうとしなかったのが嘘のようですね」と言ってきた。……そうだった。あの頃は兄上への罪ほろぼしと、可愛い甥っ子の死に顔を忘れるため、仕事に打ち込んでいたんだった。色で例えると黒、感情で例えると絶望と疲弊、景色で例えると、手の先すら見えない雪夜の状態だったところへ、彼女が現れた。
(今でも鮮明に思い出せるなぁ、可愛かった)
細かいやり取りは思い出せないが、あの日あの時、心配そうな表情で見つめてきた彼女の姿だけが、今でもくっきりとまぶたの裏に浮かぶ。あの澄んでいて、悲しげなグリーンの瞳。彼女とこうして、穏やかに過ごせるようになるだなんて、思いもしていなかった。夜、寝返りを打って潰したら死ぬので、白い毛布を詰めた木かごの中に、子ウサギ達をきゅっきゅっと詰めて、枕元に置く。最初の方こそ、落ち着きなく、きゅうきゅうと鳴いて歩き回っていたが、優しくゆったりと、子守歌を歌ってやると、次第に落ち着いてきて、寄り添って眠り始めた。シャーロットは甘えん坊な気分らしく、腕に顎を乗せている。
「良かった、可愛い、触れる……」
「そんなに辛かったんですか? アルフレッド様」
「うん。手を伸ばせば威嚇されたし、近付くと、走って小屋の奥へと逃げてしまうし……」
「へ~。すみません、あんまりよく覚えていないんですよ」
「そっかぁ、仕方ないね。ホルモンのせいだし……でも、いいや。もう触れるし、こうして一緒に眠れるから」
こうして、穏やかに日々が過ぎ去っていった。時間が経つにつれ、シャーロットが人の姿に戻る回数が増え、ようやく、私が思ういちゃいちゃも出来るようになった時、ほっとした。でも、安心して子ウサギ達にキスをして、「んーっ、可愛いでちゅねえ!」と言っていたら、目が野生の母ウサギに戻っている時がある。もう仕方無いのかもしれない、諦めなくては……。
「い、今、なんて言った……!? アルウィン!」
「パパ、いっただめ!」
「パパー、パッパ!」
アルウィンがパパと言ったのを皮切りに、ロアとシェイラもパパと言い出した。しかも、パパと言いながらきゅうきゅうと鳴き、行かないでと、足にしがみついてくる。思わず叫んで、抱き上げてしまった。
「そうだよ、パパだよーっ! 可愛いっ!! もう今日は出かけられない、休むっ! ルイ、ポケットに入れて連れて行ってもいいよな!?」
「だめです! 名残惜しいのは分かりますが、早くご支度を!」
「パパ、パパ、いっちゃやだ……」
「あああああっ、行かない! 行かないよ!? パパはずっとずっとアルウィン達の傍にいるよ!? ポケットに入ろっか!」
そういうわけにも行かず、置いて部屋から出て行く時、胸が引き千切れそうになった。これほどの苦しみはあるだろうか? ようやくパパと言い出した我が子達を置いて、仕事に行くなんて……。しかも、扉の前に立っていると、きゅうきゅうと悲しそうに鳴く声と、彼女の「だめよ、パパはちゃんと帰ってくるから!」とたしなめる声が交互に聞こえてきて、ますます胸が苦しい。涙ぐみながら両耳を塞ぎ、走って立ち去ることが日課になりつつあった。
もう、子供がいない人生は考えられない。彼女がにこにこと笑いながら、膝の上に子ウサギ達を乗せている様子や、兄上の息子である、双子のマシューとルークが子ウサギと一緒にお昼寝しているところ、初めてシャーロットとお庭を散歩した瞬間、三羽が口元を赤く汚しながら、ベリーをむちゃむちゃと食べている時……どれもこれも愛おしく、どの瞬間も見逃すまいと、まばたきするのすら惜しんで、目に焼き付けた。いつか見られなくなる光景だと分かってはいても、見られなくなるのがどうしても寂しくて、切なくて、画家でもないくせに、必死に筆を動かして彼女と子供達の絵を描いた。
「待ってね~……あとでおやつをあげるからね~!?」
「もうやっ! ねんねしたくないの!」
「しないの~!」
二歳になるとイヤイヤ期が始まって、絵を描いている最中もじっとしてくれないし、人参が青くないのが嫌だ! と叫んで、泣き喚くようになった。でも、子ウサギだからか負担にならない。可愛い。庭を歩いている時も、唐突に「もうパパとのおたんぽはうんざりっ!」と言い出して、三羽とも、芝生でころころ転がり出したが、可愛いの一言に尽きる。白くてふわふわなお腹がたまらない。
もう部屋に帰らなくちゃいけない時は、抱っこしてポケットの中へ突っ込み、おやつを入れておけばいいし。でも、大抵は不満そうに「やだーっ!!」と泣き叫びながら、ポケットから前足を出して、じたばたと暴れた。でも、次第に疲れてきたのか、それともお腹が空いたのか、大人しく、もそもそと人参マフィンの欠片を食べ始める。
(ああ、可愛い……子育てが永遠に続くといいのになぁ)
ただ、楽しいことばかりじゃなかった。子育てにつきものの悩みも絶えなかった。とりわけ頭が痛かったのは、兄上の息子である、マシューとルークのいたずらだ。くるくるの黒髪の巻き毛と青い瞳を持つ二人は、一見天使のようなのに、その大人しそうな容姿に反して、いたずらばかりを繰り返した。愉快ないたずらの共犯者は大抵、我が子だった。
「あっ、あああああっ……!! 一体どこの本だ!? 私のか!? 大人しくしてると思ったら!」
ちょっと所用で目を離した隙に、三羽と二人で本をびりびりに破いていた。慌てて、駆け寄って膝を突き、「ん?」とでも言いたげな子ウサギ達を睨みつけ、「めっ! だめだよ!」と叱りつけながら、本のタイトルを確認する。
「名だたる悪女達はいかにして、国王を傀儡に仕立てあげたのか……? ああ、良かった。オーレリアのものだった。破いてもいい本だった」
「じゃあ、もっとびりびりってしてもいーい?」
「だめっ! ルーク? この間もお父様にこっぴどく叱られていただろう? もう二度としないって約束したよな? ごめんなさいしたよな!?」
「だって、叔父様が遅いから……」
「うっ」
確かに乳母でも呼んで、面倒を見て貰えば良かった。でも、二人があまりにも元気がありあまっているお子様なせいで、みな、音を上げてやめていってしまった。新しく雇ったばかりの乳母もへとへとで、今、別室で休んで貰っている最中だ。これ以上、やめられたら一溜まりもない。何も考えていない様子で、もひもひと、紙片を食べているシェイラを捕まえ、口からそれを引っこ抜く。喋れるくせに、いたずらがばれて怒られると、さも普通のウサギですよという顔をして、黙り込むくせがあった。そんな我が子達は後でしっかり怒ることにして、まずは一切、反省をしていない双子を怒ることにした。
「いいか? もし、これが叔父様の大切な本だったらどうなっていた?」
「一生懸命ごめんなさいする! そうすれば許して貰えるし、無かったことになるから!」
「ならない!! 二人だって、大切な本ぐらいあるだろう?」
「ある!」
「ドラゴンの冒険」
「じゃあ、それがもしも……そうだな、私に破られたとしたら? 悲しいだろう?」
「叔父様はそんなことしないもん」
「しないけども! そういうことじゃなくてだ!」
こんこんと言い聞かせて、叱りつけたら数日は大人しくなった。数日は。でも、ロア達が人の姿に変身出来るようになって、ぐんと遊びの幅が広がったからか、少なくとも、今雇っている乳母が「もう限界です!」と悲鳴を上げて、城を出て行くことが無くなった。ようするに、遊び相手がいなくて淋しかったらしい。今まではせいぜい、庭で走ったりするだけだった。
それがおままごとや人形遊び、ドールハウス遊び、他にも魔術道具で軽く空を飛んだり、絵を描いたりして、遊べるようになったものだから、すごく嬉しそうに笑うようになった。楽だからか、ついついウサギの姿に戻って、服を脱いでしまうロア達だったが、双子の王子に「ねえ、遊ぼうよ!」と誘われると、人の姿に戻って遊び出す。お互いに良い影響を与えていて、ほっとした。ただ、のんびり子供達が遊ぶのを見ていた時は知らなかった。そう、いかに子供の思春期というものが辛くて、胸にくるものというのが……。




