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1.出産のため、野生に帰ってしまったシャーロット妃

 



 暖炉の炎が静かに揺らめいている。眺めていると、眠たくなってきた。でも、あくびを噛み殺し、膝の上に寝そべっているシャーロットの毛並みを梳かす。夜寝る前に、こうしてブラッシングするのが日課になっていた。幸せだ。毛皮に埋めた指先から、疲れが抜け落ちてゆくような気がする。シャーロットも満ち足りた気分なのか、ぷひぷひと鼻を鳴らしていた。どこから出ているんだろう? この音は一体。笑いながらブラシを持ち直し、ゆっくりと丁寧にブラッシングしてると、急にもぞもぞと動き出した。


「あの~、アルフレッド様? ちょっとお話ししたいことがあるんですが」

「えっ? な、何かな? 離婚はしたくないんだけど……」

「違います! そうじゃなくて、えーっと」

「可愛い~、どうしたのかな!?」


 膝の上でころりんとお腹を向け、言いにくそうに、ぱたぱたと前足や後ろ足を動かし始めた。可愛い! 思わず、ブラシを手放してお腹に顔を埋めると、恥ずかしそうに「ふふふ~、も~」と笑い始めた。


「は~、最高! 幸せ……」

「お腹ふがふがするのは別にいいんですけど、お腹に赤ちゃんがいるので、そっと優しくしてくださいね?」

「えっ!? あか、えっ!?」

「妊娠してました! ほら、最近の私、ちょっと変だったでしょう? 風邪じゃなくて、お腹に赤ちゃんがいるからでした~」

「えっ? ええええ……ま、まあ、風邪じゃなくて良かった。難病かと思っていたから、ほっとしたよ」

「微熱が続いてるからといって、難病とは限りませんからね?」

「あっ、うん。でも、父親になるのか。そうか……」


 実感が湧かない。でも、このふわふわなお腹の中に我が子がいるんだ。鼻がつんと痛くなり、涙が滲み出てきた。家族が出来る、ようやく。それは結婚して半年ほど経ってから、突然舞い込んできた朗報だった。


「ああ、そっか~。子ウサギちゃんが産まれてくるのか~、楽しみだな!」

「嬉しいですか?」

「もちろん! ありがとう、ロッティ。これでようやく、離婚されるかもしれないという不安が少しは和らぐような気がするよ」

「少しな上に、和らぐような気がするだけなんですか……?」

「うん。だって、言い寄られることが増えてきたし……」


 シャーロットはその毛皮を使って、社交をこなすようになった。その結果、他国からの人気が高まり、今やどこへ行っても私は添え物だ。もちろん、人の目や関心が自分一人に集中しなくなったのは嬉しい。でも、どこの世界に妻が他の男の腕に抱かれ、嬉しそうにしているのを見たいという男がいるだろうか? そういう性癖を持っている男ならまだしも、私は違う。中には「お散歩だけの仲でいいので!」とか、訳の分からないことを抜かす男もいて、黄金のりんごを手にしたにも関わらず、不安でいっぱいの毎日だ。


「ああ、ロッティが人の姿でパーティーに出席してくれたら、こんなことには、こんなことにはっ……!!」

「でも、皆さん、私をもふもふしたいようですし? ここはサービスすべきかと!」

「いいんだよ? サービスなんかしなくても……。でも、嬉しいよ。これで一安心だ。妊娠中は公務を減らそうね」

「えっ!? ちやほやされる機会が減っちゃう……」

「ロッティ! 私だけでいいだろう!? 毎日可愛がっているのに!」

「すみません、欲深くて! こんなに毛皮を褒められることって、その、今まで無くて……」


 ああ、もう、ずっとケージの中に閉じ込めておきたい。外出する時はリードで繫がっていたい。それに、彼女が嬉しそうに「皆さん、人妻をもふもふするのがお好きなんですね!」とか言い出すし、浮気はしませんと厳しい顔つきで言ってはいるものの、他の男に褒められて、ぷうぷうと甘えたように鼻を鳴らしているのを見ると、胸の中にヘドロのような不安が広がってゆく。悲しくなってきたので、そっと優しく、シャーロットのことを抱き締めた。


「ロッティ……。すまない、嫉妬してしまって。婚約中はこんなこと無かったからつい」

「でも、アルフレッド様もちょくちょく言い寄られていますよね!? 他の獣人のご令嬢に!」

「うーん、言い寄られ……?」


 とは言っても、こっそりバルコニーに呼び寄せられ、ウサギ、もしくは猫や犬の姿で「ブラッシングして貰えませんか?」と頼まれるだけだ。妻が嫌がるからと言って断っている。しかし、シャーロットは「立派な浮気のお誘いですよ!! このっ、この!」と叫んで、足をだしだしと床に叩きつけていた。浮気のお誘いらしい……。よく分からないが。


「だから、私だってちょっとぐらい、他の男性にもふもふして貰ったっていいじゃないですか! それに、アルフレッド様はノエル殿下のところのわんちゃんにも、随分とご執心みたいですし?」

「えっ? は、ははは……ごめん、隠れて撫でないようにするよ。ごめんね?」

「はい……そうじゃなくて、赤ちゃん! 産まれるの楽しみですね?」

「そうだねえ。出産はどうなるのかな……?」

「小さい小屋を作って、中に布や草を詰めてください。そこで産みます!」

「そっか……産婆や看護師は? 呼ばなくてもいいのかな?」

「いらないです。ちゃんと私一人で産めますから、大丈夫です。ふふふ、楽しみ~! 男の子かなぁ? 女の子かなぁ?」


 うきうきと、私の腕の中で嬉しそうに話す。子ウサギちゃんか……。個人差があるが、一度に五羽産むこともあるという。もちろん、一羽しか産まない獣人もいる。眠たそうに、くふくふと言い出したシャーロットの頭を撫でて、話しかける。


「ロッティは何羽産むのかなぁ……楽しみだね」

「理想は二羽以上です! 子ウサギちゃんをぞろぞろ連れてお散歩したいし、沢山舐めて可愛がりたいんです~」

「うんうん、可愛いだろうなぁ~……!! すごく楽しみだ」


 妊娠期間は短く、四ヶ月間ほど。妊娠してすぐの頃は、人の姿でいる時間の方が長かったが、時が経つにつれ、徐々にウサギ姿でいることが増えてゆき、出産予定日まで一ヶ月を切った頃、人の姿に戻らなくなった。もちゃもちゃと、収穫したての牧草を食べつつ、申し訳無さそうな顔をする。


「すみません、アルフレッド様。色々と心配をかけちゃうかもしれませんが、私は一人でも大丈夫なので!」

「うん。なるべく不安がらないようにするよ」


 この時の私は、彼女が口にした言葉の意味をまるで理解出来ていなかった。出産予定日の前日、声をかけても返事せずに、のそのそと、草や布が詰められた小屋の中へ引っ込み、夜までその状態だった。帰ってきて、床に這いつくばりながら「ロッティ? 大丈夫か?」と声をかけても、こちらを強く睨みつけ、暗がりでぎょりぎょりと歯軋りをするばかり。急遽、兄であるシリルを呼んだ。


「どうしよう……? ロッティが完全にウサギに戻ってしまっているんだ。人の姿に戻る可能性は?」

「落ち着いてください、アルフレッド殿下。出産するからですよ。私の母もこんな感じでした」

「えっ!? そうだったのか……喋れるようになる?」

「もちろんです。まあ、こいつのことは放置して眠ってください。私はティナのところへ帰らなくては」

「あ、悪い……。クリスティーナ嬢によろしく」

「はい。では、失礼します」


 シリルも結婚生活が上手くいっているらしく、軽く尻尾を振りながら出ていった。最近、獣人の間ではあえて、尻尾をズボンから出すのが流行りらしい……。シャーロットがドレスに穴を開けようか、どうしようか、悩んでいたから止めておいた。他の男に尻尾を振っているところなんて、見たくない。


「ロッティー? 大丈夫か? 何かして欲しいことは……?」


 床に這いつくばって、暗い小屋の中を覗き込んでみたものの、完全にウサギに戻ってしまっているシャーロットは、鼻息荒く方向転換し、がりごりと、妙な音を立てるだけだった。怖い。このまま、人間に戻ってくれなかったらどうしよう……? 眠る気にもなれず、絨毯の上で膝を抱え、じっとその時を待つ。今夜、彼女は子供を産むかもしれない。楽しみだ。でも、手足が冷え切っている。


(寒い。しまった、暖炉に火をいれたままにして貰えば良かった……)


 腕に額を押し付け、固く両目を閉じる。彼女がこれから大変な思いで出産するのに、一人だけぬくぬくと寝ていられない。それに朝起きて、彼女が冷たくなっていたら、後悔しても後悔し切れない。必死に起きていようとしたが、次第にまぶたが重くなってきて、うつらうつらと、船を漕いでしまう。はっと気が付いて、「ロッティ? 大丈夫か?」と声をかけるの繰り返し。


(でも、ようやく家族が出来る。ロッティと私の子が産まれる)


 返事は無い。がさごそと、たまに動いている音が聞こえてくるだけ。窓の外には嘘みたいに、綺麗な満月が浮かんでいた。ロッティは大丈夫だろうか? 無事に産まれるといいが。また眠気に誘われて、うとうとしていると、誰かがふいに目の前に立って笑う。


「あらあら、父親になるのに……風邪を引いたら、一体どうするの? アルフレッド」


 優しい声が降ってくるのと同時に、ふわりと肩に毛布をかけられる。でも、眠たい。誰だろう? 分かってはいる、分かっては。でも、どうしたってここから離れられないんだ……。少しだけ眠っていると、ふいに誰かが肩を掴んできた。


「わっ!?」

「静かに。私だ」

「兄上……? どうしてここに?」

「いてもたってもいられなくなってな。来てみれば、このざまか」


 毛布の上から、羽織っていたガウンをかけてくれた。眠たくて、上手く目が開けられない。兄上が頭を撫でたあと、「誰か呼んでくる、ちょっと待っていろ」と言う。


「ロッティ、ロッティは……?」

「さぁな、知らん。妙な物音がするだけだ。死んじゃいない」

「なら、良かった……」

「温かい飲み物でも貰ってこよう。ああ、暖炉に火をいれた方がいいか。ちょっと待ってろ」


 その後、無理矢理ソファーに座らされ、温かいココアを飲まされた。歯が浮くほど甘かったが、真剣な顔ですすめてくるので断れなかった。先程かけて貰った毛布に包まりつつ、ケージを見つめる。


「あ、そうだ。ありがとうございます、毛布。かけてくださって……」

「ん? お前が自分でその毛布を出したんだろ?」

「へっ? でも」

「いつも使ってる毛布だろう? 寝室に置いてある……」

「ああ、そうでした。そういえば」

「大丈夫か? 寒さでおかしくなっているんじゃないか?」


 兄上がかけてくれたと思っていたが、違ったか。それから、朝までいると言うので、部屋に帰るよう説得したが、頑なに頷いてくれなかった。


「いや、このまま朝まで傍にいる。大丈夫だ、徹夜には慣れているから」

「いやいや、明日も忙しいでしょう? 演説するのに、目の下にクマを作っていたら、」

「大丈夫だ。……それに、マルティナ夫人に呼ばれた気がしてな」

「私の母に?」

「アルフレッドが風邪を引きそうだから、傍にいてやってくれと。そう言っている夢を見た。来てみれば案の定、このざまだ」

「ああ、なるほど。それで……」


 毛布をかけてくれたのは、一体誰だったんだろう? 顔がおぼろげな母が笑っているような気がして、目頭が熱くなった。結局、ぽつぽつと昔話をしながら、兄上と一緒に朝を迎えた。シャーロットは最後まで、小屋から出てきてくれなかった。でも、満足そうな顔をして、子ネズミみたいな子ウサギにおっぱいをあげている。それを朝日が射し込んでくる中、床に這いつくばって眺めた。


「ああああっ、あれが、あれが息子か娘か~……!! 実感が湧かないなぁ」

「当然だろう。小さいな。ネズミみたいですぐに死にそうだ」

「兄上! ええっと……一羽、二羽、三羽もいる! 可愛いなぁ。早く毛が生えて、抱っこ出来るようになるといいけど」

「いつになるんだろうな、毛が生えるのなんて」

「じゃないと、抱っこしちゃだめってロッティに言われていて……」

「何? おい、アルフィーは父親だろうが!! あっ、こいつ、威嚇してきたぞ!?」

「兄上! そっとしておいてあげてください、そっと……!!」


 実感が湧かないけど、父親になったんだ。それから毛が生え揃うまで、しばらくの間、床に這いつくばって、我が子を見る羽目になった。シャーロットはぜんぜん人の姿に戻ってくれなくて、一言も発しない。おそるおそる声をかけてみると、まるで野生のウサギのように、こちらを警戒心に満ちた眼差しで見上げてきて、すぐに小屋の中へ入ってしまう。


 食事と水は侍女が用意してくれていて、外に置くと、辺りを警戒しつつ食べ、すぐにまた小屋へ戻っていくらしい。返事はないけど、夜、寝る前に「おやすみ、ロッティ。明日は喋ってくれると嬉しいな」と声をかけ、一人で眠りにつく。やけにベッドが広く感じられた。この間まで、隣で彼女がすやすやと眠っていたのに。


「父親になるって、こういうことか~……。寂しいなぁ。でも、子供優先なのは当然だし、我慢するしかないか」








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