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王弟殿下はウサギ令嬢の私をご所望です  作者: 桐城シロウ
第三章 ただ幸せな結末へと向かって
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21.幽霊のような人外者との邂逅に、泥が似合う女の子

 


 外に出ると、ふわりと暖かい空気に包み込まれた。不思議だ。ここだけ暖かくて、春の森が広がっている。木々の葉が風に揺れ、春の陽射しを受け、光り輝いていた。そんな中をシャーロットがぴょんぴょん飛び跳ね、森の奥へいざゆかん、という雰囲気を漂わせながら、去っていこうとしていた。とっさに、ポケットの中に手を突っ込み、紙に包まれたパウンドケーキを取り出して振る。


「おいで~、ロッティ! おやつだよ!」

「おやつ!? おやつ、おやつっ!」


 すぐさま振り返り、嬉しそうな顔で駆け寄ってきた。可愛い。わくわくしながらも足元でお座りして、グリーンの瞳を輝かせている。笑いながらしゃがみ込み、手を差し出す。


「賢いね~、ロッティ! すぐに戻ってきて。じゃあ、お手は出来るかな?」

「どうぞ! アルフレッド様にだけですよ? お手するのはっ! はいっ」

「ありがとう、可愛い~」


 獣人からすれば“ばかばかしいお遊び”らしいが、好きな人を喜ばせるため、お座りやお手をしてくれるらしい。兄上が試しに「お手!」と言ってみたところ、つーんとした表情で無視されていた。その後、何度か試しにやってみていたが、ものの見事に全て無視されていた。兄上が不貞腐れたのは言うまでもない。シャーロットがはぐはぐと、小さくしたパウンドケーキを食べている最中、そっと後ろから近付き、首輪とリードを取り出す。婚約首輪を持って行く? と聞いてみたんだが、険しい顔つきで「泥にまみれちゃいけませんから」と言われてしまった。


(つまり、泥遊びをする気満々なんだな……? しっかり繋いでおこう)


 ここは来るたびに景色が変わるらしい。ある時は秘境の花園のような景色を見せ、またある時は南国の鳥が行き交う、湿った春の森へと変化する。……もう少し奥へ進めば、シャーロット専用のぬかるみが用意されているかもしれない。気をつけよう。私が「ロッティ、首輪をつけるよ」と言い、ふわふわな首に手を添えると、驚いてこちらを振り返る。


「えっ!? 人の姿に戻らなくてもいいんですか!?」

「……じゃあ、戻って貰おうかな?」

「はい! ウサギ姿に変身して、ちょっと小腹が空いてきましたし、人の姿に戻りますね~」

「うん……」


 仕方無い。彼女はまだ十八歳の女の子なんだし、恋よりも食欲に傾きがちなんだろう。結婚式に向けてダイエットする前に、たらふく食べておく魂胆らしい。でも、本音を言えば、ダイエットなんてしなくてもいいと思ってる。十分細い。


「よし! じゃあ、冒険に行ってみましょうか」

「そうだね。意外と広いみたいだよ」


 誰もいないので堂々と手を繋いで歩き、微笑んで見つめ合う。すると、さっきまで葉をつけていた木々がざぁっと、風に揺れ動きながら、一斉に淡いピンク色の花を咲かせる。見たことがない花だった。透き通るような薄い花弁が何枚も重なっており、中央にピンクと青い宝石を抱え込んでいる。小さい薔薇の花びらのように見えるが、おそろしく繊細で華奢だった。花の中央にたくわえたピンクと青の宝石が陽射しを受けて煌き、風に揺れている。


「わぁっ……綺麗! すごいすごい! これ、取ったら消えて無くなっちゃいそうですねえ~。アルフレッド様」

「そうだね。ここにあるものは全部、外へ持ち出せないみたいだよ」

「そうなんですね? じゃあ、外からここに運び込んできたものはどうなるんですか?」

「それが……消えてしまうみたいなんだ。全部。人外者へ供え物をする時もあるらしいが、次に来た時はどれもこれも、綺麗さっぱり無くなっているらしい。母上と父上も色々試してみたが、どれもこれも消えるだけだって」


 ある時ここで、母上が父上から貰った大事なネックレスを落とした時、泣いて落ち込んでいると、引き出しの中に現れたらしい。母上は手紙の中で“きっと、あの春の森の中にはまだ、昔の王様に恋をした人外者が隠れていて、私達を見守っているに違いありません”と書いてあった。怖い……!!


「ろ、ロッティ? その、視線を感じたりはしないか? 獣人はそういうのに敏感だって聞くし」

「うーん……今のところ、アルフレッド様からの熱視線しか感じませんっ」

「ロッティ~!! そうだね、いくら見ても見飽きない可愛さだからね! こうして人の姿に戻ってくれて嬉しいよ、愛してる」

「うふふふ~、私も! 愛してます、アルフレッド様っ」


 腕にぎゅっとしがみつき、微笑みながら見上げてきた。可愛い。近付いてキスしてみれば、頭上の木がぼぼんっと、大量の花を咲かせる。枝が重みでしなるぐらい、淡いピンク色の花がこんもりと咲き誇っていた。


「……怖い! どこかで見ているんじゃないか!? 物陰から私達を見ているんじゃないか!?」

「お、落ち着いてください! アルフレッド様! たとえそうだとしても、その人外者はこっちに危害を加えたりしませんよ! た、多分」

「き、気まぐれだし、人外者なんてものは……!! ああ、どうして兄上はこんなところでのんびり出来たんだろう? 今すぐイーデンを呼ぼうかな」

「アルフレッド様!? せっかくのデートなのに嫌です!」

「でも、ロッティときたら、食べることにしか眼中に無いみたいだし……。私はピクニックしにじゃなくて、デートしに来たんだ。それなのに、ウサギ姿で駆け出してしまうし」

「うっ! す、すみません。ごめんなさい……」

「いや、いいんだ。パウンドケーキ以下の王子だと罵ってくれて構わないよ」

「アルフレッド様はパウンドケーキ以上です!! もう、ほらっ」


 シャーロットが笑って、手に手を絡めてきた。しっかり恋人繋ぎされた手を、感慨深く見下ろしていると、困ったように微笑む。茶髪が陽に照らされ、透き通っている。


「ごめんなさい。私ったら、ついはしゃいでしまって」

「いや、くだらないことで拗ねてしまってすまない。ただ、あまりにも君がその、デートだって意識していないみたいだったから、少し寂しくなってしまって……」

「ウサギちゃん姿の時の方が反応が良いので、ついつい変身してしまうんですよね~。アルフレッド様、人の姿の時だとおかしくならないでしょう?」

「あー、ええっと、ロッティ? 可愛いと愛情表現は違うんだよ。なんて言ったらいいのかなぁ。もちろん、君のことが好きだから可愛いって言うし、キスもするんだけど、それはどちらかと言うと、ペットを可愛いがっているような感覚で……」

「えっ? 私のことが好きだから、可愛いって言ってくれるんでしょう?」


 いまいちよく分かっていない。きょとんと首を傾げた彼女を見て、理解して貰わなくてもいいかという気になる。


「……うん! もうそれでいいかな! ウサギ姿でも人の姿でも、ロッティは可愛いよ~。ただ、いちゃいちゃが出来ないから、それだけはちょっと」

「あ~、すみません! 婚約首輪、持って来たら良かったですね……!? こ、ここは誰もいないし! 多分」

「うん。そうだね……」


 普段のお散歩はいちゃいちゃデートじゃないんだよと、根気良く伝え続けた結果、どうも“普段使いの首輪とリードじゃなくて、婚約首輪と婚約リードをしていたら、いちゃいちゃデートだ”と認識してしまったらしい。だが、私が彼女の可愛さにやられて諦め、獣人と人間の文化の違いをきちんと説明していないから、こうなってしまったんだろう。今、改めてここで説明しておくか? いや、でも、城に帰ってからでもそれは出来るし、今ここでわざわざしなくても……。そもそもの話、私がきちんと獣人の文化を理解すればいいだけの話じゃないか。


(婚約首輪をしてたらいちゃいちゃデート、婚約首輪をしていたら散歩じゃなくて、いちゃいちゃデート……)


 そうだ、そう思い込もう。そうすればきっと楽になれる。私がいちゃいちゃデートだと認識すればいいだけの話だ。それに、彼女が私以外の人にリードを持って貰っている光景を想像するだけで、胸が張り裂けそうになる。だから、きっと大丈夫だ。いつかは私も、婚約首輪をつけているシャーロットを見て、いちゃいちゃデートだと認識する日がきっとやって来る! 心の中で「婚約首輪をしていたら、散歩じゃなくていちゃいちゃデート。婚約首輪をしていたら、散歩じゃなくていちゃいちゃデート……」と復唱していると、ふいにシャーロットが「あっ!」と声を上げた。


「ほら、見てください! お花畑ですよ、アルフレッド様!」

「あ、ああ、本当だ……。ここで殺されなきゃいいが、人外者に」

「アルフレッド様!? 大丈夫ですよ!? せっかくの綺麗なお花畑を見て、なんてことを……」

「すまない、あまりにも綺麗すぎるから不安になってしまって。じゃあ、ここで食べようか」

「はいっ! ふふふ、楽しみ~」


 シャーロットがウサギ姿ではなく、人の姿で駆け出していった。赤と白のストライプ柄のドレスが、花畑の中でよく目立っている。ふと、春の風に茶髪をなびかせ、こちらを振り返った。彼女が瑞々しいピンクや白のコスモス、青いネモフィラに色鮮やかな黄色いチューリップ、ラベンダーに真っ赤なポピー、ゼラニウムにダンデライオン、ヘンルーダにボリジ……季節関係なく、花が咲き乱れている花畑にて、嬉しそうに笑っていると、ここは夢の中かと錯覚してしまう。綺麗だ。美しい。ぼんやり見惚れていると、こちらに向かって大きく手を振り出した。


「おーいっ! アルフレッド様も来てくださいよ、早く早く~!」

「あっ、うん。それじゃあ……」


 踏むのが惜しい花畑へ一歩足を踏み入れた瞬間、ぐらりと頭が揺れた。視界が真っ白になって、キィンと甲高い音が鳴り響く。視界がふっと暗転して、自分の足が誰かの足へと変わっていった。こっくりした茶色い革靴と、グレーのズボンを履いている。顔を上げていないのに、勝手に視線が花畑へ戻って驚いた。でも、そこには大きな白いリボンつきの帽子をかぶった、濃い茶髪に青い瞳の女性が、微笑みながら佇んでいて息が止まる。青と白のストライプ生地に、白いフリルが縫いつけられたドレスを着ていた。


『ねえ、陛下! 早くこちらにいらしてくださいな?』

『ああ、ちょっと待ってくれ。あまりにも、君が綺麗で見惚れていたんだよ』

『ふふふ、も~』


 誰かの足が動いて、ここから立ち去ってゆく。父上だ。その後ろ姿を見て確信した。じゃあ、その向こうで今、笑っているのは────……。二人が微笑み合っている姿を見て、胸が苦しくなって、駆け寄ろうとした瞬間、ふいにまた頭が揺らぐ。視界が暗転した。目を開けてみると、花の匂いがする。頬に暖かい空気が当たる。


「ット、アルフレッド様!? 急にどうしたんですか!? ぼーっとしちゃって。具合でも悪いんですか?」

「えっ? あ、ああ、ロッティ? ごめん……」

「具合が悪いのなら、今すぐ帰った方が」

「違うんだ、ごめん。大丈夫。大丈夫なんだ……」


 よく分からないが、人外者からのサービスなんだろうか? 頭がくらくらする。頬が熱い。心配して傍にやってきた彼女に抱きつけば、困惑して「アルフレッド様?」と聞いてくる。すぐには答えられず、軽いめまいに耐えながら、彼女の肩にしがみつくしかなかった。


「ごめん。一瞬だけ、多分……過去に行ってたんだ。何ともないよ、大丈夫」

「えっ? 過去に? もしかして、お父様とお母様が見えたんですか?」

「そうだね。二人で楽しんでいたみたいだ。じゃあ、行こうか」

「あっ、はい。あの、本当に大丈夫なんですか!?」

「大丈夫大丈夫。座って休めば、気分も良くなってくるだろうし……」


 花畑へ腰をおろせば、慌てて彼女が隣にやってきた。別に膝の上でも良かったのに。まあ、彼女は、具合が悪い時に甘えてくるような性格じゃないから……。また、くらりとめまいがしてきた。顔色が悪いのか、心配そうな顔をして「アルフレッド様?」と呟き、私の額に手を当てる。彼女の手は温かくて、ほんのり湿っていた。心地良い。頬や首筋を、柔らかな風が撫でてゆく。吸い込めば、ラベンダーの甘い香りがした。


「はー……。うん、ほっとした。良かった、君がいて」

「ふふ、過去に行って私がいなくて焦っちゃいました?」

「そうだね。過去に戻りたいなんて思わないな……。君がいないだなんて、耐えられない」


 口にしてから気が付く。そうか。あれほど過去に行きたいと願っていたのに、今の自分はここにいたいのか。現在にいたいのか。隣の彼女を見下ろしてみると、早く食べたいだろうに、眉を下げて、心配そうな顔をしている。ついつい笑ってしまった。


「ごめん、食べようか。良い景色だね……。崖がすごいなぁ。あれは山脈か?」

「すごいですよね! 切り立っていて。空もよく晴れ渡ってるし……あっ、鳥だ! ここって現実なのか、夢なのかよく分からなくなる場所ですねえ」

「そうだね。すごいな、川まで流れているし……」


 遠くには山が連なり、その向こうには青空が広がっていた。むきだしになった崖が壮観だ。眼下には澄んだ川まで流れている。しげしげと見渡していれば、すぐ目の前を真っ白な鳥が横切っていった。でも、景色を眺めていたらきりが無いので、ポケットからパウンドケーキを取り出す。シャーロットが甘えるようにして、腕にもたれかかってきた。


「ケーキ、ケーキ! その、デートらしくあーんって、して貰うと嬉しいんですけど……?」

「はい、どうぞ。でも、いつもしてることだな」

「ふぁぐ?」


 彼女の口へ、小さくちぎったパウンドケーキを優しく突っ込んでいると、不思議そうな顔をする。しまった。さっき、婚約首輪をつけているといちゃいちゃデートと唱えていたからか、あーんしてあげることがいちゃいちゃじゃなくなりつつある。……混乱してきた。人の姿のシャーロットとウサギ姿のシャーロットが重なって見える。


「すまない。普段、おやつをあげている感覚になってしまって……」

「えーっ? 大丈夫ですか? これはれっきとしたいちゃいちゃですよ?」

「でも、爪きりもいちゃいちゃなんだよな……?」

「あれはその、自分で爪とぎも出来るのに、お任せしてるからです! それにお膝に乗っているじゃないですか~。距離が近いでしょう? だからですっ、ふふ」

「なるほど?」

「でも、私がドキドキするかしないかで判断しています。基本的に」

「そうなんだ!? 獣人の価値観的なものではなく!?」

「はい。中にはブラッシングされるとドキドキしちゃう子もいますよ? お兄様がそうです」

「う、うーん。そっか。別にその情報はいらなかったなぁ」

「そうなんですか? へー」


 私があげたパウンドケーキに齧りつきながら、どうでもよさそうな顔をする。でも、そうか。恥じらいながらも、クリスティーナ嬢の膝の上に乗って、ブラッシングして貰っている光景を想像してしまった。今度から、真っ直ぐな目でシリルのことを見れない……。思い悩みながらも、パウンドケーキを出して齧りつく。中にはシャーロットが好きな胡桃がぎっしり詰まっていた。ふかふかの甘い生地とシナモンの香りがよく合っている。夢中になって食べていると、また春らしい風が吹き抜けた。目の前に広がっている青空が清々しくて、何も考えられなくなる。ただ、花が風に揺れているのを見て、しっとりとした甘いパウンドケーキを頬張った。


「……幸せだな。またここに来ようか」

「はい! そうしましょうね。あと、アルフレッド様?」

「ん? どうした?」


 親指についていた欠片を食べながら振り返ってみると、グリーンの瞳を戸惑いがちに瞠ってから、曖昧な微笑みを浮かべる。どうしたんだろう? 言いたいことでもあるのかな。


「ロッティ?」

「えーっと、あの、人外者がいたら怖いんですよね……?」

「いるのか!? まさか私の後ろにっ!?」


 怖い!! 怖くて後ろを振り返れない! 彼女が慌てて両手を上げ、頭をぶんぶんと横に振った。


「いいえ、いません! でも、気付いていないのならいいです……」

「ロッティー!! 頼む、はっきりと言ってくれ! 中途半端に知らされる方が怖いんだ! よく分からないことの方が怖いんだ!! そわそわしてしまう!」

「で、でも、アルフレッド様が怖がっているみたいだから……あっ」


 白い両手がぬっと伸びてきて、すぐ目の前にいたシャーロットの頭にぽんと、ピンクと白の花冠をのせる。うっ、うううううう、後ろを振り返る勇気が出てこない!! でも、自分の背後から伸びてきた両腕は、色褪せたレースつきの、深いグリーンの袖をまとっていた。古い時代の人だ。いや、人ではないんだが。後ろを振り返る勇気が出てこない。でも、彼女は無邪気に笑って、花冠に手を添え、「ありがとうございまーすっ!」と言っている。


「ろ、ろ、ロッティ!? その、怖いんだが怖くないのか!? 君は!」

「綺麗な方ですよ。人外者と言うより幽霊みたい」

「ゆうれい! ひっ!?」


 私の頭にもそっと、花冠がのせられた。どうしてか泣きそうになった。恐怖じゃなくて、幼い子供にしているような、昔存在した貴族の女性が子孫を可愛がっているような、そんな雰囲気がひしひしと伝わってきたから。それと同時に、“人外者の命も永遠ではない”という本の一文を思い出した。きっと、もう彼女はこの世にいない。シャーロットの言う通り、ここにいるのは幽霊のような存在の人外者。幸せな記憶をここに閉じ込めて、王亡きあと、ひっそりとここに隠れて朽ちていった女性。怖さはもう、無くなっていた。でも、シャーロットが心配そうな顔で私のことを見守っている。声を出そうとすると、喉が震えた。からからだった。


「あ、ありがとうございます……。どうでしたか? その、父上と母上は。見ていたんでしょう? 落としたネックレスも拾って、届けてくれて」

「傷だらけだった。でも、おうさまが治してくれた」

「王様……。父のことでしょうか? 私と少しは似ているはずですが」


 振り返れなかった。怖いからではなく、振り返ると消えてしまいそうだったから。でも、何となく金褐色の長い髪を揺らめかせ、古い時代のトレーンが長くて、すっきりしたシルエットのドレスを着ているような気がした。背後で温度の無い微笑みを浮かべ、両腕を伸ばし、私の両肩を掴む。見えないのによく見えた。


「アルフレッド。……みんなの大事な子。いらない子だと思ってるのは、アルフレッドだけ」


 急に熱い涙が滲み出てきて、そのまま頬を伝う。そうだな、そうだった。勘違いして傷付いているのは自分だけだった。親戚や側仕えの者がなんと言おうと、愛されてはいた。ただ、そうは思えなかっただけで。何も言えないでいると、手がゆっくりと離れていった。


「またおいで。おかあさまもおとうさまも、幸せそうだった。ここに来る者はみんな、幸せそうだった……。だから、願いを叶えてあげる。見せたいものを見せてあげる。それじゃあね? さようなら」

「ああ、さようなら……」

「ありがとうございます、花冠! 大事にしますね~!」


 シャーロットが小さく手を振り、可愛らしい微笑みを浮かべる。ああ、可愛い。そうだ、ここは“とこしえの春の森”なんだから。今まであった辛いことや悲しいことは全部全部、忘れて楽しむべきじゃないか? 愛する女性と一緒に。頭がぼんやりしていて、熱に浮かされているみたいだった。さっきまでの恐怖も、嘘みたいに掻き消えている。両腕を伸ばし、ぎゅっと彼女のことを抱き締めれば、嬉しそうに笑ってくれた。


「良かったですね、アルフレッド様! 怖くなかったでしょう? もう消えちゃいましたよ~、すぅって! 幽霊みたいに」

「う、うん……。ロッティがいてくれて助かったよ、ありがとう。それから、これからも私の傍にいて欲しい」


 かけがえのない宝物のように思ってるって言えたら良かったんだが、言えなかった。どの言葉も余計なものになるような気がして、ただただ、春の甘い匂いが漂う花畑にて、彼女のことを黙って抱き締める。すると私から離れ、にっこりと幸せそうな、でも、どこか誇らしげな微笑みを浮かべた。茶色の垂れ耳が、ふわふわと風に揺れていて可愛かった。


「もちろん! アルフレッド様が私をお望みなら、どこにいたって駆けつけますよ? ずっとずっと一緒です。この先ずぅーっと一生、アルフレッド様が一人になることなんてありませんからね!」

「ありがとう……。何だかプロポーズして貰った気分だ、嬉しいな」

「じゃあ、キスでもしてみます?」

「えっ?」


 シャーロットが白い両手を伸ばし、じっと私のことを熱っぽく見上げながら、くちびるにキスしてきた。驚いた。普段、ウサギ姿でキスしてくることは、数え切れないくらいあるけれど、自分から頬を包んで、こうやってキスしてくることなんて滅多にない。硬直しながら、グリーンの宝石が嵌め込まれたような瞳を眺めていると、頬を赤く染め、恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。


「ご、ごめんなさい。ただ、今のは私がしたかっただけです……。キスを、上手く言い出せなくて」

「……もう一回しようか」

「えっ? アルフレッド様!?」

「いや、一回だけじゃ物足りないな」

「ちょ、ちょっと待ってください! イーデンさんへの連絡は!?」

「……」


 そうだった、忘れていた。しぶしぶ連絡すると、私から離れ、胸元を押さえていた。……自分から迫る時はそうでもないくせに、私が迫ったら急に下がってゆく。物足りなくなって距離を詰めれば、驚いたように振り返った。


「ロッティ? もしかして嫌?」

「嫌じゃないんですけど、もし、今もあの方がこっちを見ていたらと思うと……」

「大丈夫。兄上も母上もいちゃついてきたんだから、ここで。何も心配はいらないよ?」


 花畑でのキスは格別だった。花の中へと倒れ、真っ赤な顔で口元を押さえながら、涙目で「アルフレッド様ったらもう……!!」と責められた時、理性が吹っ飛びそうになった。そのあと、ウサギ姿になって逃げられたのは言うまでもない。おやつでも捕獲出来なくて大変だった。必死で探し回った結果、森の奥にあったぬかるみへ飛び込み、丹念に泥を全身に擦りつけているのを見て、笑うしかなかった。ようやく捕まえて抱っこしたところ、満足そうに「むふん!」と息を吐き出す。


「やっぱり森でのデートはこうじゃなきゃですね! 楽しかった~!」

「そうだね。君が楽しいのならもういいよ……」


 泥臭さが漂うデートも悪くない。彼女となら、不思議とそう思えるんだ。たとえ、自分も泥まみれになったとしても。






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