19.とこしえの春の森にて、ピクニックを
さくさくさくと、真っ白な雪の上をシャーロットが走ってゆく。揺れるお尻がたまらなく可愛い。真っ赤なフリルドレスも木苺のようで、よく似合っていた。手にしていたリードを握り締め、声を張り上げる。
「ロッティー! そっちじゃないよ、戻っておいで!」
「はーい! でも、この辺りの茂みが気になるので、もうちょっとだけ嗅いでから……」
ウサギ姿になると、辺りの匂いが気になるのかよく、ふんふんと嗅ぎ回っている。今も雪を乗せた、色の濃い緑色の葉を嗅いでおり、微笑ましく見守っていると、急にぱくっと、たわわに実った赤い実を食べた。一瞬、心臓が飛び跳ねる。慌てて駆け寄り、シャーロットを抱き上げた。
「だめだろう!? そんな、毒かもしれないのにいきなり食べちゃ!」
「んぐ、ごめんなひゃい……」
「ほら、ぺってして! ロッティ! 飲み込んじゃだめだよ!?」
「んぎゅ、ぐ、ううっ」
「ああ、もう。最近、拾い食いをしなくなったと思っていたのに……!!」
抱き上げたまま、無理矢理片手を口の中に突っ込み、吐き出させる。それが不愉快だったのか、しかめっ面をして「ぶうぶう」と不満そうに鳴き出した。笑って雪の上へおろし、冷たい地面に膝を突く。
「だめだろう? ……帰って、お薬でも飲んだ方がいいかなぁ」
「ぷっ!? 大丈夫です! あれ、たまに食べているやつなので! お腹痛くなったことありませんよ!?」
「イーデン、毒じゃないか? これ」
振り返って尋ねてみると、青い髪をした青年がこくりと頷く。寒いのか、耳当てとチェック柄のマフラー、紺色のファーコートを着込んでいる。銀の星を散りばめたような瞳を持つイーデンは一等国家魔術師で、兄上が「心配だから連れて行け」と言って貸してくれた。無愛想だが、なかなかに良い青年で、すぐさまやって来て膝を突き、赤い実を手に取る。
「ご不安なら確かめますが。……ああ、大丈夫だ。これ、当たり外れがあるんですよ。たまにとんでもなく渋いものが混じってる」
「食べたことがあるのか……」
「興味本位でつい。では、春の森の手前まで護衛させて頂きますね? 護衛とは言えども、そこに入ってはいけないと、陛下からそう言い含められているので」
「分かりました! じゃあ、殿下のことよろしくお願いします!」
「え、私だけか……?」
シャーロットがぱっと明るい笑顔を浮かべ、彼を見上げると、無愛想な顔をふっと綻ばせた。紺色の手袋をはめた手を伸ばし、優しくシャーロットの頭を撫でる。
「お任せください、シャーロット様。何も無いとは思いますが、殿下のこともあなた様のこともちゃんと守りますよ」
「あっ、もうその辺で……」
「嫉妬深いですね。じゃあ、それでは。何かあればイーデンと、そうお呼びください」
立ち上がって呟いたあと、またたくまにその身を縮め、鷹となって飛び去っていった。でも、普通の鷹とは違って、青く煌く羽根を持っている。シャーロットが「ほわぁ~……」と言い、飛び去ってゆくイーデンの姿を見上げていた。
「すごいですねえ、あっという間に! 動物に変身するのは大変だって、お兄様が常々ぼやいてるのに……」
「彼は天才なんだよ。さて、行こうか? ロッティ」
「はい! 行きましょうか。でも、リードで繫がってるところ、見られて恥ずかしかった~!」
「ん、ん~……その辺りはまだ、いまいちよく分からないなぁ」
「へっ!? どうしてですか!? いちゃいちゃ、ものすごくしてますよね!?」
「あ、ああ。うん。そうだね」
とは言っても、リードを持って歩いているだけなんだが……。また変なものを食べたらどうしようと思い、ぐるぐるとリードを手に巻きつけ、短く持つとシャーロットが「ふふふふ、近いですねえ! 距離が」と嬉しそうに呟く。そしてぴょんぴょんと、私のすぐ横をはしゃぎながら飛び跳ねた。
「お散歩っ、お散歩~! 私、アルフレッド様とお散歩してる時が一番楽しいです。アルフレッド様は? ボール遊びしている時ですか?」
「ん!? いや、私はボール遊びをさほど楽しいこととは思っていなくて……」
「えっ!? いつも嬉しそうに持っておいで~って言ってくださるから、てっきりアルフレッド様も楽しいのかと!」
「ん~、あれはロッティが可愛いからだなぁ」
「も~、アルフレッド様ってば! いつもそうやって褒めてくれますよね? 私、アルフレッド様のそういうところが好きです。褒められるとそわそわしちゃう」
はしゃいでいるのか、宝石のようなグリーンの瞳をきらきらと輝かせ、私のことを見上げる。ああ、眩しい。可愛い。いつも彼女は私に光をくれる。真っ黒に塗りたくられた道を歩いているような気分に陥っていても、彼女の姿を見れば、そんな気分はあっという間に吹っ飛ぶ。笑って「良かった」と呟けば、嬉しそうに笑ってくれた。
空気は冷たく、指先がかじかんでしまいそうだったが、胸の奥は火が灯ったかのように温かい。なだらかな山道を歩いて登り、時折、顔を見合わせて笑いながら進んでゆく。針葉樹の森の間から覗き見える青空は、色が薄くて透き通っていた。息を吐き出せば、白く立ち昇る。
(ここを……母上と父上は手を繋いで歩いていたのか)
母が遺してくれた手紙の内容を思い出す。嬉しそうに書いてたんだろうなと思わせる筆跡で、“陛下はいつも転びやすい私の手を引いてくださり、休み休み、登ってあの場所を二人で目指したものです”と書いてあった。二人で食べた胡桃マフィンの美味しさ、温かいコーヒーと春の甘い香り。寝転べば、柔らかな芝生が体を受け止めてくれて、よくそこで昼寝をしたと書いてあった。いつしか、そこで好きな女性とのんびり過ごしたいと思うようになっていた。幼い頃、何度も何度もその箇所を読み返した。
(いいな……。僕もいつか、母上みたいに自分と合った人とのんびり過ごしたい)
本当にごく稀に母の話をするさい、父は何とも言えない幸せそうな顔をしていた。私の頭を撫でながら、目を凝らせば、母の姿が見えてくるとでも言わんばかりに、火が踊っている暖炉を見つめながら話してくれた。
『いいか? アルフィー。悲しいことに、いつかお前も分かるんだろう。どれだけ心を許せる人間が必要かを』
『父上?』
『私にとってのマルティナがそうだった。……もう二度と手に入りはしないが、一度手に入っただけでも幸せだよ。諦めないでいてごらん、いつかきっとアルフィーもそんな人に出会えるから』
でも、それは父上だけじゃないですか? 父上が運良く母上と出会えただけで、自分にはそんな幸福、転がり込んできやしない。父上が母上と出会えたから、“諦めるな”とそう言えるだけじゃないですか?
「私はすっかり捻くれていたから、そう思っていたんだよ。ロッティ」
「ひゃっ、ひゃい!」
「あ! また食べようとしていたね!? もうだめだ、抱っこするよ。はい!」
「そ、そんな~……ふふふ、でも、甘えんぼ出来て嬉しいです! アルフレッド様、大好き!」
「まったく……。可愛いな、もう」
私を元気付けるためなのか、振り返ってくちびるにキスしてくれた。笑ってお返しにキスをすれば、照れて前を向く。辺りは針葉樹で覆い尽くされていた。見上げるほど高い樹木が立ち並び、かろうじて道になっている雪道を歩いてゆく。少々不安になって空を見上げれば、青い鷹が「ピュー、ヒョロロロロ」と鳴いて飛んでいた。イーデンだ、良かった。満足そうにくふくふ鳴き出したシャーロットを抱え直し、また歩いてゆく。
「それで? アルフレッド様はもう幸せですか?」
「もちろん! 会えて良かったよ、君に。自分にぴったり合う人に」
「ふふふ、私もアルフレッド様に出会えて幸せです! こんなに良い婚約者に会えるとは、思ってもいませんでしたから」
「ありがとう……。春の挙式も楽しみだね、早く一緒に住みたいな」
「ですねえ~。とりあえず私はもう拾い食いするのをやめて、人の姿で隣を歩いた方がいいんでしょうか……?」
「そうだね! その口ぶりだと、私がよそ見している間に食べたな?」
「ちょっ、ちょっとだけです! ちょっとだけ!! だって、山と言えば拾い食いじゃないですか! 木の実が転がってるとついつい食べちゃう」
「う、うーん……獣人ならではなのかなぁ。でも、お腹を壊したら大変だから食べないように! いいね?」
「はぁ~い」
雪が溶けかけた道に下ろし、首輪とリードを外せば、すぐさまぽんっと元の姿へ戻った。真っ赤なファー付きのケープコートを着た彼女が、微笑んで「アルフレッド様!」と言う。小さくなったリードと首輪をポケットの中に入れてから、手を差し出せば、きゅっと冷たい手で握り返してくれた。
「夢だったんですね? ここに来るのが」
「そうだね。父上と母上みたいに、好きな人と手を繋いで歩いてみたかったんだ」
「ふふふ、じゃあ、叶えてあげましょう! その夢を!」
「わっ、可愛い……」
私の手に指を絡め、シャーロットが歩き出す。グリーンの瞳が嬉しそうに煌いているのを見て、胸がいっぱいになった。ああ、良かった。夢が叶って。近付いてキスをすれば、もぞもぞと、照れ臭そうにくちびるを引き結んで、足元の地面を眺める。
「あれ? お返しが欲しいんだけどなぁ、ロッティ」
「も、も~……はい! どーぞっ!」
「はは、ありがとう。ごめん、ごめん」
ちゅっと、勢い良く頬にキスしてくれた。物足りないが、これで我慢する。そのままどんどん、険しくなってゆく道を歩いていると、やがて下り道が現われた。転ばないよう、二人で慎重に歩いていくと、急に石の階段が出現する。不思議に思いながらも、乳白色の階段に足を乗せれば、ぱきんと氷が割れるような音が響き、石の中にふわっと淡いピンク色の薔薇やマーガレットが咲き誇った。
「わ~、綺麗! ほら、見てください! アルフレッド様! 次はデイジーが咲きましたよ!?」
「本当だ、すごいね……。手紙には書いてなかったんだが、こんな階段のこと」
それとも、あえて私に隠していたんだろうか? 父上も母上も兄上も。首を傾げながらも、慎重に階段を踏みしめ、おりてゆく。見てみると階段をおりた先には、石が積み重ねられた壁があった。左手に泉があるんだろうか。階段を踏みしめるたび、色鮮やかな薔薇やカスミ草が咲き誇る。
「わぁ、すごいすごい! わくわくしますね、何だか! 秘密の場所に行くみたいっ」
「そうだね。基本的に王族しか入るのを許されていないから、秘密の場所でもあるよ」
「ふふふ、贅沢です! 特にアルフレッド様と行けるのが嬉しい~」
「良かった……」
「次はどんな花が咲くかな!? あっ、次は百合でした! ほらほらっ」
「ロッティ? はしゃぎすぎだよ、転びそうでひやひやする……」
ピクニックが楽しいのか、いつもよりはしゃいでいる。でも、雪がほんの僅かにふり積もっているし、石だし、滑って転びやしないかとひやひやしてしまう。しっかりと手を握り締め、険しい顔をしながら首を左右に振ると、嬉しそうに笑って舌を出した。
「ごめんなさい! つい、はしゃいでしまって……」
「いいんだよ。でも、転びそうで不安になってしまって」
「ウサギちゃん姿だと、転んでも平気なんですけどねえ」
「う、うーん……それはちょっと。でも、どうしても元の姿に戻りたいのならいいよ。大丈夫だよ」
「でも、ウサギちゃん姿になると手が繋げないでしょう? せっかくですし、再現しましょうよ! ほら」
彼女が繋いでいる手を持ち上げ、嬉しそうに笑う。つられて笑い、「ありがとう」と言えばグリーンの瞳を細めた。つい柔らかそうな茶髪に目を吸い寄せられ、彼女を見つめる。
「アルフレッド様? 転んじゃいますよ?」
「あ、ああ、そうだな……でも、もう終わりだ。長い階段に見えたけど、あっという間だったね」
「ですね! って、わぁ、白い。真っ白……!!」
さっきまで雪は降っていなかったのに、ちらほらと雪が降っていた。くすんだ茶色い石畳の上に、うっすらと白い雪が降り積もっている。そして見上げるほどに高い、真っ白な石壁が四方八方を囲んでいた。後ろを振り返って階段を眺めれば、さっきまで咲いていた花々が、すうっと消えていくところだった。
「……行こうか。不思議な場所だな」
「ここ、いつからあるんですか? 何だか古い……ように見えるんですけど、数年前に出来た場所のようにも見えます」
「うーん、文献によると大体三百年前からみたいだ。その当時の王と愛人だった人外者が作ったみたいで」
「へ~。とこしえの春の森って呼ばれてるんですよね? ここ。どこにあるんですか? 雪が降ってますけど」
「聞いた話によると、泉がこんこんと湧いていて……ああ、あったあった。あれだ。あれだよ、ロッティ。あれが泉なんじゃないのかな?」
「あ、本当だ。湧いてる……」
痛いほど静まり返っていて、何の音も聞こえてこないこの場所を、二人で手を繋ぎながら歩けば、すぐに泉が見えてきた。朽ちたテラコッタ色の煉瓦がアーチ状を描き、その向こうに古い泉が佇んでいる。シャーロットの手を握り締め、そのアーチをくぐり抜けた。
「泉というよりも噴水に見えるな……あ、コインが沈んでる」
「本当だ、観光スポットみたいですね!」
「う、うん……行こうか。泉を通り過ぎれば、すぐに見えてくるはずだから」
「はい! 行きましょうか。ちょっと不安になっちゃう場所ですね、ここ」
本当に合っているんだろうか? ここで。私の想像では森の中に泉が湧いていて、その横を通り過ぎれば、がらりと春の森に変わる……。そのはずだったのに。噴水のような泉の向こうには、また煉瓦で出来たアーチが佇んでいる。不安になってきて、彼女の手を握り締めながらくぐり抜けると、また森の小道が現われた。でも、雪が激しく吹雪いていてその先がよく見えない。
「えっ!? こ……ここを通り抜けるのか!? もしかして!」
「楽しそうですね、行きましょうか!」
「え、うん……。でも、迷ってるかもしれない、間違っているのかもしれない」
「大丈夫ですよ、きっとここで合っていますから。ほら!」
彼女が自信たっぷりの笑みを浮かべ、私の手を握り締めてくれた。……そうだ、いつもこんな風に導かれていたような気がする。頭の芯が小さく揺れた。そのまま、夢見心地でふらふらと、真っ白な雪に覆いつくされている道へと出る。あっという間に視界が白で埋め尽くされ、息が出来なくなってしまった。
「さ、寒い! 死にそうだ、寒い!!」
「だ、大丈夫大丈夫! きっとすぐ春の森に出ますよ、すぐに……」
ほ、本当だろうか? ここで遭難したらどうしよう? ああ、もしここで彼女を死なせたら、シリルやクリスティーナ嬢に合わせる顔がない。あ、オリヴィア嬢にもだ。息を止めていると、徐々に吹雪が止んでいった。ほっとして顔を見合わせ、雪の小道を歩く。いつものように足を踏み出した瞬間、頬に当たる空気がふわりと暖かくなった。一瞬だけ、すさまじい風が巻き起こる。おそるおそる目を開けてみれば、そこはもう春の森だった。
「わ、あ……!! 合っていましたね、アルフレッド様! 遭難せずに済みましたよ!?」
「本当だ……。明るい。ここが“とこしえの春の森”なのか」
さっきまで両脇に針葉樹が並んでいたのに、穏やかな木立に変わっていた。瑞々しい葉が甘い風に揺れ、生い茂った草の間には色とりどりの花が咲き誇っている。花の香りと緑の匂い。そして、賑やかな小鳥達の歌声。春の陽射しに照らされた木立の中、空を見上げてみれば、青空にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
「すごいな……!! いきなり穏やかな、そう、春の王立公園にでも出たみたいな……」
「わーいっ! ちょっとごろごろしてきますね!」
「あっ、早い……」
彼女がぽんとウサギ姿に戻り、柔らかそうな草の上を駆け抜けてゆく。しまった、リードをしていない!
「ロッティ!? だめだよ、何か食べちゃ!」
「食べませーんっ! あ、ここに小川がありますよ? 綺麗!」
「突っ込んじゃだめだよ、ここは暖かいけど外は冬だからね……!?」
「アルフレッド様? 私、可愛いウサギちゃんの姿をしてはいますけど、中身はちゃんと人間ですよ? そんなことしません!」
「でも、たまに野生に返っちゃうから……」
「そっ、それとはこれとは別の話です……」
小川を覗き込んでいたシャーロットが振り返り、不満そうに「ぶうぶう」と鳴き出した。笑いながらもリードと首輪を出し、まずは首輪をつける。
「ほら、いい子だから大人しくしていて。私の目の届くところに君がいないと、不安になってしまうんだよ。お願いだから傍にいて欲しい、ロッティ」
「あ、アルフレッド様……!! 情熱的ですよね、いつもお外ではっ」
「う、うん。いつでも君を抱き寄せられるように、リードをつけていたいんだ……」
照れたのか、シャーロットが「きゃああああっ!」と叫びながら、ごろごろと地面に寝転がる。ああ、昨日お風呂に入れたばかりなのに……。汚れるのを惜しく思っていると、照れ臭そうな顔をして起き上がった。
「も~、殺し文句ばかり言って! アルフレッド様ったらもう!」
「殺し文句だったかなぁ……」
「はい! あ、ご飯いつ食べます? 地面をほりほりしてからにします?」
「いや、汚れるからそれは無しで」
「そ、そんな……!! どうしてもだめですか? ねえ」
「可愛く上目遣いをしたってだめだよ、ロッティ。ほら」
きゅるきゅるとグリーンの瞳を動かし、可愛く見つめてきたシャーロットを抱き上げ、まずは辺りを探検することにした。
「かなり広そうだな、ここ……」
「そうですね! いつご飯にしますか!?」
「……お腹が空いたのなら、先にご飯にしようか。ちょっとだけ待っててね」
まあ、何はともあれ無事に辿り着いて良かった。彼女もお腹が空いているみたいだし、探検をする前に腹ごしらえした方が良さそうだ。




