5.告白はまたの機会に
「お姉様? ……また王宮へ?」
「あっ、ええっと」
元はオペラ歌手であった、義母によく似た美しい顔立ちの義妹がきっと、出かけようとする私を睨みつけていた。気の強そうな紫色の瞳に波打つ金髪。十六歳とは思えぬ色気を纏ったオリヴィアが階段を降りて、深い紫色のドレスを揺らした。玄関ホールにて、私をエスコートしようとしていたフットマンのエドウィンが苦笑して、帽子を脱ぐ。
「オリヴィア様。何も遊びに行く訳じゃないんですから、」
「なら、私も行くわ。シャペロンも無しに出かけるだんて。はしたない」
「だ、大丈夫よ…ええっと、殿下と二人きりじゃないし」
嘘だった。本当はこの美しくて、豊満な体を持った義妹を連れて行きたくないだけ。彼女は貴族の生まれじゃなくて、お義母様のかつての恋人の娘だから、きっと殿下の結婚相手にはならないんだろうけど。
(でも、前の婚約者もオリヴィアのことを好きになったんだし……)
その時のことを思い出すと、胸がずきりと痛み出す。顔色を悪くして押し黙った私を見て、形の良い眉をひそめた。
「私ね? 何もお姉様のことをいじめたい訳ではないの。でも、ただでさえ、前の婚約のこともあって噂が、」
「ヴィーには関係ないでしょう? ……私が嫁ぎ遅れになって、家庭教師になろうが」
オーウェン子爵家は決して裕福ではない。結婚出来なかったら、家庭教師として働くつもりだ。アルフレッドに会うため、造花のついた帽子と白地に花柄のドレスを着たシャーロットが、じっとオリヴィアを見据える。その澄んだグリーンの瞳を見て、オリヴィアがたじろいだ。
「……アルフレッド殿下はなんと? 都合が良すぎるのでは?」
「そんなことは」
「未婚のお姉様と二人きりで、その毛皮をもふるだなんて……だから、獣人なんてと言われるのです。他の方々にも迷惑がかかるということを一体どうして、お姉様は理解してくださらないのですか?」
「……娼婦の娘が」
ぼそりと、横に立ったエドウィンが呟く。私が怒って振り向くと、帽子を被り直して黙り込んだ。まったくもう。
「いーい? ヴィー。ちゃんと人目もあるところで、もふって貰っていますから!」
「本当ですか? お姉様はいつまで経っても気は利かないし、鈍感だから。私、本当に心配で心配で」
「まったくも~! 心配症なんだから! 行ってきまーすっ」
「お姉様!」
ここで言い争っていても仕方ないので、エドウィンを急かして馬車へと向かう。ばたんと、馬車の扉が閉まったあとで大きく息を吐いた。
「はー……昔はあんな感じじゃなかったのになぁ。どうしてだろ」
お義母様の恋人である男に、何度も何度もしつこく虐待されていたオリヴィア。ここに越してきたばかりの時は、よく泣いていて。今とは違って素直で、あどけない笑顔で「お姉様、お姉様」と言って、私の両耳を掴んでいたのに。そっと、両手で自分の耳を押さえて俯く。
「オリヴィア……また、私から婚約者を奪い取ろうとしているのかな」
でも、残念。殿下は私のことなんてちっとも好きじゃない。ペット扱いをしている。だけれど。
(目指せ、殿下の婚約者! やっぱり私、あの御方の傍にいてあげたい……)
強引で色っぽい殿下も好きだけど、あの儚げで、打ち震えている殿下も好き。あの御方の弱さや繊細さに寄り添って、生きていきたい。そこまでを考えて、頬を押さえる。
「やだ、私ったら! 気が、気が早い……!! まだ、まだ好きだって言って貰えてないのに!」
「言うぞ~。今日こそは言うぞ~……好きだって言うぞ~。噂になってるし、言うぞ~」
「殿下……」
「本当に本当に、中身がへっぽこで申し訳ない……先週もボロが出てしまったし。私が見かけだけの王弟だって、彼女もとっくの昔に気が付いているだろうに、それを一切口にしない……失望も幻滅もすべて覆い隠してくれている、天使のように優しい女の子なんだ。もういっそのこと、仮面夫婦でいい。他に男を作ってもいいから、私と結婚してください。で、いいかな……?」
「よくないですね……なんだ、そのプロポーズは」
「頼む、ルイ。励ましてくれ……」
ルイにそう頼むと、嫌そうな顔で黙り込んでしまった。相変わらず失礼なやつだ。でも、これぐらいがちょうどいい。変に親切にされても、何か裏があるんじゃないかって、そう疑ってしまうから。カウチソファーに突っ伏して、両手で顔を覆っている私を見て、はぁと深い溜め息を吐く。
「先日、陛下が仰っていたじゃないですか……反対だって」
「ああ……まずはその辺りのことも説明して、婚約を申し込まなきゃだな。でも、私が君のことが好きで好きで仕方なくて、他の男に取られたくないから結婚して欲しい。でも、あの方が反対しているから、ひとまず婚約者になって欲しい。出来れば毎日王宮に来て欲しい。ああっ……!! なんて自分勝手な男なんだ。死ぬべきだ。そもそもの話、彼女は可愛いし、いくらでも私以外のいい男がいて」
「もうすぐ、お越しになる頃だと思いますけど……?」
「ああ……髪を整えなくちゃな。母上に感謝だ。少しはまともな顔立ちに産んでくれたんだから」
ひとまず起き上がって、ささっと身なりを整える。それでも、苦しさが押し寄せてきて顔を覆ってしまった。
「いや……外見がいいからこそ、がっかりされるのでは? 私の本性を知って、彼女も落ち込んだだろうに。いや、その他大勢の令嬢のように、私に憧れていたのならその落ち込みもより一層酷く、今頃馬車で、溜め息ばかりを吐いているのでは?」
「いや、ですから、そんな風には見えな、」
「あああああっ……!! もう終わりだ、ルイ。私はもう終わりなんだ。彼女のしっとりふわふわ毛皮に癒されていた日々も終わるんだ。でも、彼女はこんな気持ち悪い男の慰めの道具として利用されていい存在じゃ、」
「殿下……」
「なんだ!? ちょっとぐらい、落ち込ませてくれよ!?」
怒って顔を上げると、そこにはたじろいだ表情のシャーロットが佇んでいた。背後には従者が控えていて、今開けたばかりであろう扉をばたんと閉じている。
「……あの、その、ノックをなさっていましたが、」
「今度からは、三十回ぐらいノックして欲しいな……」
「乱暴にどんどんって? 借金の取立てみたいに?」
「うん……」
げっそりと、意気消沈しているアルフレッド殿下が、私の隣でティーカップを握り締めていた。ライスプティングもお腹に入らないようで、しきりにぶつぶつと、「終わった、終わったんだ……死ぬしかない」と呟いている。でも、そんな殿下が好きなのに。
「あの、殿下? どうか落ち込まないでくださいませ。私、そんな殿下が、」
「申し訳ない……税金の無駄使いだって、君もそう思っているんだろう?」
「いいえ。そんなことはちっとも!」
「優しいね、シャーロット嬢は……」
ああ、いまいち伝わらない。私はそんなよわよわな殿下も好きだし、私がおすすめした恋愛小説を隅から隅まで、丁寧に読んで感想をくれるところも好き。見た目は色っぽくて、大人の男性なのに、びっくりするぐらい優しいし。じっと見上げていると、小刻みに震えて、ティーカップの中に目を落とした。赤い紅茶がゆらりと、穏やかに揺らいでいる。
「私は……私はだから、女嫌いのふりをしていたのに」
「ああ、それもあって……」
「すまない。がっかりしただろう? 申し訳ない……」
「いいえ、そんなことはちっとも。殿下はご自分のことがお嫌いなんでしょう? だから、私が幻滅するに違いないって、そう思い込んでらっしゃる」
「……違うのか?」
「違います! 幻滅なんかしておりません!」
力説すると、ふんにゃりと少年のような微笑みを浮かべた。また、少しだけ胸が高鳴る。今日の目の下のクマは、ちょっぴりだけ濃かった。
「ありがとう……でも、嫌じゃないかな? 私にその、もふられるのは」
「いいえ、ちっとも! 殿下の指先、優しくて大好きです!」
ぴったりと密着して、その逞しい肩にこてんと頭を預けると、驚いて体を揺らす。そして、静かにそっと、私の頭に寄りかかってくれた。
「それならその、よかった……今日はだね」
「はい!」
「……その、こん、こん、ここここここ、」
「こ?」
「こ、このドレスに魔術をかけようかと思って! い、いいや、違う。あの、仕立てようかと思って!!」
「仕立てる!?」
驚いて体を離すと、青ざめた顔でこくりと頷いた。そっか、いつもドレスが脱げちゃうから。その度に、侍女を呼んで貰ってるけど、彼女達にも他の仕事があるんだし。眺めていると、ぎゅうっと胸元を握り締めた。今日は髪色と同じ、濃いブラウンのスリーピースを着ている。
「だからその、まき、巻尺で測ろうかと思って……」
「は、測る……わ、私! 昨日、体重計に乗ったら増えていて!」
「いいんじゃないかな? 毛皮のむちむち感が増す」
「だ、だめです! 嫌です! 測るの、その……ダイエットしてからにします!」
「そんな。君の体を測るのを、私はとても楽しみにしていたのに?」
「へっ……」
いつの間にかその手に、真鍮製の巻尺を持っていた。ぴっと引き出して、私のことを見つめている。思わず、両耳が震えてしまった。
「えっ? あの、お胸はちょっと!!」
「いや、ちゃんと測らないと。ウサギのドレスを作るのは初めてだから、きちんと測って欲しいって、そう言われていて」
「ウサギの……ドレス?」
「うん。まぁ、人型のサイズも必要なんだけど……それはまた後日で。あちらもあちらで忙しいみたいだからね」
あああああ、びっくりした! ばくばくする胸元を押さえていると、殿下がどこか浮かれた様子で「じゃあ、元の姿に戻ってくれないか?」と言ってくる。渋々、ウサギの姿に戻ると、「わ~! 可愛い~!」と歓声を上げて、ひょいっと抱き上げた。
「ああ……このうっとりするような手触り。しっとりふくふくと、脂肪が詰まってるならではの極上毛皮!」
「ひー! やめてください!! 私、ふと、太って!」
「私としては、あと五キロほど太って欲しいところなんだけどな?」
「五キロもですか!?」
「ああ。それなら、人の姿でも柔らかいからね」
計算なのか、天然なのかよく分からない。ぼっと、火が点いたように顔が熱くなる。よ、よかった。今、ウサギの姿で。顔色が分からなくて。抱き上げられながらも、ヒゲをひくひくと動かす。
「……キス、してもいい?」
「だっ、だだだだめです……帰っちゃいますよ!?」
「そっか。それは残念。やめておこう」
殿下が溜め息を吐いて、私を座面に降ろす。ちゃんと立ってお尻を向けていると、「可愛い~」と呟いてお尻を撫でてから、巻尺でむちむちな体を測り出した。
「ええっと、どれくらいかな……」
「い、言わないでください! やめてください!」
「分かった。じゃあ、シャーロット嬢と私だけの秘密だね?」
「あの、でも、お伝えするのでは……? 向こうに」
「……そうだった。あーあ、だめだな。こういう時つくづく、自分は磔にでもされて石を投げつけられるべき王子だと思って、」
「でん、殿下! 大丈夫ですよ、ときめきましたよ!」
「ありがとう……嘘を吐かせてしまって申し訳ない。もう罪人だ、私は。罪人中の罪人。税金をドブに捨てているも同然の存在」
わわわ、何気ない一言で深く傷付いてらっしゃる! 焦って、大きく飛びついた。
「秘技! もふもふ殺しっ!」
「おわっ!?」
いきなり飛び込んできた私を抱きとめ、青い瞳を瞬いている。その無垢な子供のように瞠られた、青い瞳に胸がきゅっと狭くなった。
「で、殿下! 私は殿下のこと、いらない存在だなんて思っていませんよ!?」
「そうだね。私は大事なスペアだから」
「ち、ちが……!! ああっ、もうっ!」
「おわっ」
たしたしと、アルフレッド殿下の胸元を前足で叩く。ふにゃりとまた笑って、「可愛い~」と呟いていた。
「私にとって! 殿下は大切な御方なんです!!」
「すごいね……別に無理しなくてもいいんだよ? ああ、違うか。君が子爵令嬢で、私が王弟だからか……いわばこれは王族由来の慰め。私が王族だから、大切な存在だなんて嘘を吐かせることができて、」
「ち、違います! えいっ」
勢い良く、ちゅっと殿下のくちびるにキスをする。驚いて硬直なさっていた。もにもにと、前足を動かして離れる。
「あの、その、キスして欲しいって……この間、そう仰っていたので」
「かわ、可愛い……ウサギ界の阿片みたいな存在だね、シャーロット嬢は」
「ウサギ界の阿片!? もしかして私の毛皮、中毒性がありますか!? そこまで危ない魅力を醸し出してますか!?」
「っぶ、くくくく……!!」
「でん、殿下!?」
何故か、頭を下げて笑い出す。肩をどれだけ震わせていても、私を決して落としたりなんてしなかった。しっかりと抱き上げたまま、顔を上げる。
「あー、おかしい。君といると、どんな憂鬱も吹き飛ぶ気がするよ。ありがとう」
「い、いいえ……お役に立てたのなら、その、何よりです……。殿下」
「さ、じゃあ続きをしようか。頭のサイズも測らなきゃな……」
体のサイズを測ったそのあとは、殿下のお膝の上で人参のグラッセを貰って食べて、一緒にお昼寝をした。部屋の扉が閉まったあと、期待に満ちた瞳でルイが尋ねる。
「で? どうでした!? シャーロット嬢、やたらと機嫌が良かったんですけどもしかして、」
「ああ……体のサイズを測っていたからな」
「何をしていたんですか!? 婚約の申し込みは!?」
「していない……出来なかったんだ。聞いてくれるか? 王立公園で彼女は美味しそうなダンデライオンを見つけたらしく、それをくわえて食べようとしていたら彼女の兄がやって来て、」
「一体何の話ですか!? 告白は!? 告白はぁっ!?」
「うえっ、苦しい……揺さぶらないでくれよ、ルイ。私はな……見かけ倒しのだめだめポンコツ王弟なんだ。生まれてこのかた、女性と手を繋いだこともない」
「知っていますよ!! ああっ、もう、次はちゃんと告白してくださいね!?」