4.だめだめな殿下と色っぽい殿下
「……で? まだ言えてないんですか、殿下は」
「う……いや、切り出そうとはしたんだがなぁ」
淡く黄色みがかった薔薇が咲き誇る庭園にて、散策しているアルフレッドが深い溜め息を吐いた。滑らかな緑色の芝生がどこまでも広がり、そんな芝生を春の風が撫でてゆく。そんな中を放し飼いにされている犬が、ぶんぶんと尻尾を振って走っていった。その後ろ姿を見つめ、ツイードスーツを着たアルフレッドがぽつりと呟いた。
「彼女は……その、どうも私のことを飼い主だと思っているらしい」
「あれですかね? 殿下が人参をあげたからですかね?」
「いやぁ、どうだろう。私がただ単に、男扱いされていないだけで……」
自分で言っておいて、落ち込んだのか項垂れる。足元を熱心に見始めたアルフレッドを見て、ルイが溜め息を吐いた。
「早く申し込んだ方がいいですよ、婚約。だって、好都合じゃないですか」
「ああ、まぁ、それはそうなんだが」
「陛下は反対なさるかもしれませんけどね。前代未聞だって」
「あの方は保守的だから……」
年が離れていて、腹違いの兄だからか、よく自身の兄を「あの方」と呼ぶ。二人には確実に距離があった。寂しそうな後ろ姿を見つめ、ルイがまたひっそりと溜め息を吐く。
「俺は賛成ですけどね。あの事件もあったことですし」
「……あれから、彼女の容態はどうだ?」
「変わらずと。寝たきりだそうで」
「困ったな。私としてはただ、レシピが欲しくて呼び寄せただけなんだが……」
去年、ベネット公爵家に立ち寄ってハイティーをとった殿下は、そこで出されたケーキをいたくお気に召して、「王城でも食べたい」と仰った。いまだ独身の殿下に近付きたかったのか、長女のマーガレットがにっこりと微笑み、「それでしたら、私が後日レシピをお届けします」と言い出した。が、しかし何故か、応接室で出された紅茶には毒が盛られていた。それを飲んだ彼女は一命を取り留めたものの、自由に体を動かせず。チチチと、穏やかに鳥が囀る中で、ゆっくりと口を開いた。
「私が王位を欲しがるとでも、そう思っているのかもしれないね? 兄上の周囲は」
「殿下……」
「爵位が低い、獣人の娘の方がいいだろう。さて、どうしようか」
「もう少し、身辺が落ち着いてからの方がいいかと」
「ああ、そうだな。犯人の処刑も決まった。……黒幕を捕まえることが出来なかったのは手痛いな」
「申し訳ありません。力が及ばす……」
「いいや、お前達のせいじゃない。それに」
「はい」
いきなり、後ろで両手を組んでもじもじとし出した。思わず目が虚ろになってしまう。
「一目惚れしたのは初めてなんだ……どうしよう? 彼女に嫌われてしまったら!」
「一目惚れ……ほぼほぼ、意識が無いように見えましたけど?」
「想像してみろ、ルイ! 彼女が、あのむちむちふわふわの可愛い子が腕の中にいたんだぞ!? 私の好みなんだ。一気に恋に落ちた」
「はぁ……大丈夫ですか? 人間として、ちゃんと好きなんですか?」
「もちろん。彼女といると心が安らぐし……でも、彼女は私のことを飼い主だと思っているんだ。せっせと人参やケーキを用意したのがいけなかったのかもしれない! 私なりに頑張って口説いてみたんだが、」
「どうどう、殿下。落ち着いてください。休憩したら、またお仕事ですよ!」
「はー……疲れたな。早く彼女に会いたいなぁ」
「このあとすぐ、会えるでしょうに……」
「毎日会いたい」
「いや、それはちょっと。それがしたいのなら、とっとと婚約を申し込んでください!」
きっぱりとそう告げると、嫌そうな顔をした。意気地なしめ。今日もおそらく、婚約を申し込まない気だ。
「ほら……彼女は彼女で、私のことを好きって、好きって言って、言ってななな、」
「顔が死ぬほど青いですね、殿下……好かれていないことを口にするだけで、酸欠になってしまうんですか?」
「っああああああ……!! もういやだ、死にたい!」
「落ち着いてください。ちゃんと婚約を申し込んできてください!」
「私はどうせ、公務しか出来ないだめな王弟なんだ……存在自体が税金の無駄遣いなんだし、絶対絶対、振られるに決まってる。死にたい、もういやだ」
「殿下……」
「あの……殿下?」
「やあ、シャーロット嬢。一体どうしたのかな?」
にっこりと、爽やかな微笑みで出迎えてくれた。でも、知ってる。本当の殿下はよわよわ殿下だから、上手に隠してるだけだって知ってる。じっと、疑いをあらわにして見上げていると、頬を染めてちょっとだけたじろいだ。でも、今日は目の下のクマが薄いような気がする。淡い薔薇色のドレスを着て、いつもの両耳を垂らしたシャーロットが何も言わず、アルフレッドを見上げていると、耐え切れなくなったのか後退った。
「ど、どうしたのかな……? 本当に。と、とりあえずどうぞ?」
「失礼致します」
しずしずと、今日は淑女らしく部屋に入る。いつものサンドイッチと人参のグラッセと、カボチャスープが用意されていたけど。それらを静かに見下ろしてから、「殿下」と呟き、振り返ってみると、どうしてかびくっと体を揺らした。きゅっと、胸元を神経質に押さえてらっしゃる。
「あの……殿下?」
「す、すまない……ちょっとね、心臓が」
こ、これは私のむちむちしっとり毛皮でお慰めしなくては! ふすんと息を吐いて、ウサギの姿にぽんっと変身すると、それまで遠かった殿下が「可愛い~! 抱っこしちゃお~!」と言って駆け寄ってきた。ふふん、これこそが優勝者の毛皮! 自慢げに鼻を鳴らしていると、そっと、お腹の下に手を入れてきた。その手は優しく、抱き上げれらただけで胸が狭くなってしまう。もにもにと動いて、その顔を見てみると、嬉しそうに青い瞳を煌かせている。
「殿下……何かお悩みでも?」
「……君には関係無いよ」
「ほほう。どうやら殿下は、もう二度と私の毛皮をもふもふ出来なくなっても、」
「悪かった! 今のは私が悪かった!! すまない!」
これが優勝者の毛皮……!! この国の王弟を動かしてしまうほどの、魅惑のむちむちふわふわ毛皮だなんて! つい、嬉しくなってしまって背中の毛皮が震えた。
「むふん! 私、毎日ブラッシングしている甲斐がありました!」
「えっ……ブラッシング。私もしたい!」
「しますか? 持ってきておりますよ」
「も、持ち歩いているんだ……!?」
「当然です。淑女たるもの、身だしなみを常に」
「えーっと、ウサギの姿で……?」
痛いところを突かれてしまった。ひくひくと、気まずさでヒゲが揺れ動く。落ち着かなくなって、もぞもぞと動くと、「おっと!」と呟いて抱え直してくれた。殿下の腕の中、すごく落ち着く。
「その……いつもは義妹と一緒なので。それで」
「えっ……可愛い。私もしたい。今日、持ってきているのかな?」
「はい! 殿下が貸して欲しいと、そう仰っていた本と一緒に持って参りましたよ」
「ありがとう。はー、可愛い……」
そう言って、ふんがふんがと私の毛皮を嗅ぎ始める。だ、だめだ。違うんだから。殿下は別に、私のことなんて好きじゃないし。勘違いしてはだめよ、シャーロット・オーウェン! 毛皮をぷるぷると震わせて耐え忍んでいると、驚いて「大丈夫? 気持ち悪かった?」と尋ねてきた。
「い、いいえ……!! ただ、もふもふの方が嬉しいです。殿下の指先がとっても気持ち良くて」
「そ、そっか……ああ、私が君をブラッシングしている最中、サンドイッチや人参を食べるといい。あーんしてあげようか?」
(殿下の、あーん……!?)
そ、そそそそれはいいのでしょうか!? 一介の子爵令嬢がそんな、尊き御方にあーんをして貰うだなんてそんな。ぴしりと固まっていると、「じゃあ、そうしようか」と勝手に決めて、ソファーへと腰かける。ぼふんと、殿下が座ったのと同時に膝からおりれば、「ああっ、そんな」と切ない声を上げた。振り返ってみると、悲しそうに青い瞳を細めていた。海のような、夏の真昼の空のような。
「嫌かい? 私の膝の上で食べるのは」
「い、嫌じゃないです! 好き、大好きです!!」
「えっ」
あっ、うっかり愛を伝えてしまった。慌てて、前足をたしたしと動かして訴える。
「ちっ、違います! 今のは殿下が好きだという意味では無く、お膝が好きということです! これっぽちもそんな感情、抱いておりませんから! どうぞ勘違いなさらぬよう!!」
危なかった。誤解されるところだった。ふーっと息を吐いて、俯く。いいえ、好きは好きなのですが。まだ淡い気持ちですし、殿下とどうこうなろうとは考えておりません。
(ゆ、夢の中では考えたりしてるけど……!! 夢の中で、殿下の恋人になったことはあるけどっ)
恥ずかしくなって顔を前足に埋めていると、殿下がよろりとよろめいて、自分の胸元を押さえる。カウチソファーにもたれかかって、逞しい胸元を押さえた殿下は色っぽく、はらりと、濃いブラウンの髪が流れ落ちた。
「私は……だめだ。やっぱり死のう。勘違い、気色悪い王弟として処刑された方がいいんだ。もう無理だ。ルイのばか、嘘吐き……」
「はい!? どうなさいましたか!?」
「好かれようだなんて間違っているのに……ああ、本当に勘違いをして申し訳ない。私は、私は」
「よ、よく分からないけどもふもふしますか!?」
「する……」
両手で顔を覆ってしまった殿下のお膝に乗ると、青い瞳にじわりと涙を浮かべて、私の背を優しく撫でてくれた。いつもの乾いた指先が、ふわっと地肌に触れる。それから、ゆっくりと擦るように、地肌をマッサージしてくれた。その指先に、後ろ足からへんにゃりと力が抜けてゆく。
「ふぉ~……!! 殿下、私のお腹も触ります?」
「そ、それは是非……」
「普通のウサギちゃんだと、嫌がっちゃう子もいますからね! 殿下は幸運ですね! 私と言う、ペットがいて!」
「ペット……」
悲しそうに呟いて、私がごろりんと向けたお腹をふわふわと撫で回してゆく。気持ちいい。手のひらで大きく擦ってくれている。ぷふんと、思わず恍惚とした溜め息がもれた。
「殿下の撫で方、好きです! うっとりしちゃいます!」
「でも、誰にでも、こうやって触らせているんじゃ……?」
「へっ!? 家族には許してあげてますけど。他の人、ましてや男性には指一本触れさせませんよ!? 毛皮の安売りはしないようにしているんです、私」
ごろんと、転がって座り、見上げてみると嬉しそうに「可愛い、可愛いなぁ」と呟く。どきりと心臓が飛び上がった。本当に本当に、殿下が嬉しそうに笑うものだから。
「……今、私がお仕えしているのは殿下なので」
「やっぱり、私は飼い主なのか……」
「す、すみません! 殿下を飼い主と呼ぶのは確かに、失礼な気が」
「いいよ。今はとりあえず、飼い主で」
「い、今は……?」
びっくりして見上げていると、ふっと青い瞳を愉快そうに細めた。あ、もう一人の殿下だ。こうやってふっと、日が翳るみたいに色っぽくなって、私に迫ってくる。おもむろに抱き上げて、目を合わせ、真っ直ぐに見つめてきた。
「可愛い。じゃあ、他の男に触らせないこと。いいね?」
「ふぁ、ふぁい……」
「じゃあ、ブラッシングしようか。あ、サンドイッチも」
「わっ」
私を膝の上に置いたあと、殿下がしゅるりと、魔術を使ってブラシを呼び寄せた。それから、どこからともなく現れたサンドイッチを手に乗せ、にっこりと微笑む。
「まだまだ時間はたっぷりあるからね? 楽しもうか、シャーロット嬢」
「で、殿下のそれは詐欺だと思います……!!」
「えっ!? 一体何が!?」
<その後のブラッシング光景>
「そっと優しくお願いします! お父様はですね、いつもこれぐらいでいいだろうって言って、毛をわしゃっと適当にするんですよ!」
「そうなんだね……こうかな?」
「はふん! 気持ちが良いです、殿下! もっとしてください」
「あ、ああ、うん……そう言えば、お父上も確かウサギだったかな?」
「はい! でも、私の毛皮の方が素晴らしいですよ! 審査員の方にも五百年に一度の美しい毛皮だと、そう褒めて頂いて!」
「何故五百年なんだ? 千年でいいじゃないか、千年で」
「あり、ありがとうございます……」
(殿下のイライラポイント、いまいちよく分からない……)