15.爪きりを超えるときめきを貴女に
街は人で賑わっていた。テラコッタ色の煉瓦が敷き詰められた道は、曲がりながらもゆるやかにくだっていて、その道いっぱいに人が広がって歩いている。天気は快晴で、色鮮やかな青空に白い雲が浮かんでいた。雲で陽が遮られているからか、いつもより涼しくて過ごしやすい。ほんのわずかに汗ばむ程度だった。
「ふぁーっ! パーン! パーン!」
「ロッティ、はぐれないようにね? 護衛、大丈夫か? ついてきてるか……?」
最後の方は私にしか聞き取れない声で呟いていた。私もつられて後ろを振り返ってみたけど、知らないおじさんとおばさんしかいない。この人達が護衛だったらどうしようと思ったけど、たぶん違う……。アルフレッド様と顔を見合わせ、目をしばたたかせる。
「まぁ、とりあえずパンを買いに行こうか。お目当ての店は?」
「特に無いです! でも、ウサギちゃんが看板娘のパン屋さんがあるって聞いたことあります」
「へえ。珍しいな、パン屋が獣人を雇っているのか」
「いいえ! それがどうやら、本物のウサギみたいで……まぁ、噂にしかすぎませんが」
「ろ、ロッティ? 顔が暗いけど、どうかしたの?」
「王室御用達って言い出したら、すぐにばれちゃいますからね……? お忍びもふもふは無しですよ!? アルフレッド様!」
「ああ、浮気を疑って!? 大丈夫だよ、別に触らないから……」
ふんふんと鼻息荒く怒りながら、腕に腕を絡めていると、困ったように笑い、くちびるの前に人差し指を立てた。辺りには人が沢山いて、うっかり誰かの足を踏んづけてしまいそうになる。
「あと、ロッティ? 名前はちょっと……しーっ」
「じゃ、じゃあ、なんてお呼びしたらいいですか? 旦那様?」
「だっ、旦那様……!!」
「それじゃあ、あなたとかどうでしょう? パンを買いに行きましょうか、あなた!」
「えっ? あ、うん……。可愛い。じゃあ、それで」
アルフレッド様が顔を赤くさせ、しどろもどろになって言ってきた。その拍子に誰かの足を踏んづけてしまったらしく、「いってぇな!」という声が響く。すぐさま「すみません! 踏んでしまい……」と言って謝っていた。
「あの、大丈夫ですか? あなた」
「あっ、うん。ごめん。まさか、自分でもここまで耐性が無いとは……」
「はっ! パン! パンの良い香りがしますよ!? アルフレッド様!」
「ロッティ……いつになくはしゃいでるね?」
「はい! だって、あるっ、あなたと一緒ですもの!」
ちょっと若奥様を気取って、ふふんと胸を張り、そう言ってみると、青い瞳を瞠ったあと、ふんわりと嬉しそうに微笑んだ。ふぁっ! うっ、ウサギ姿に戻ってしまいそうなほどの素敵な微笑み……!! でも、焼き立てパンの香りを嗅いだ瞬間、胸の高鳴りはどこかへいってしまった。慌ててアルフレッド様を急かし、曲がりくねった道をくだって、時計台のある広場を目指す。
「パーン! パーン! 売り切れちゃうかもしれません! 数量限定の幻パンがあるんです!」
「へぇ、そんなのもあるんだね」
「はい! 七歳の時と十歳の時に食べました! 皮がぱりっとしているのに、中がもっちもちで、蜂蜜とバターが練りこまれていて美味しいんです。端っこもかりじゅわでたまらないし……。そうですね、私の毛皮みたいにしっとりしてるんです! 中身が!」
「それは絶対に美味しいやつだね。よし、急ごうか」
「はいっ! 間に合うかな~、どうかな~?」
結局、間に合わなかった……。広場の奥の方にあった、パン屋さんのおじさん店主が、ちっとも申し訳なさそうに見えない顔でにこにこと笑い、「いやぁ~。悪いね! ついさっき売り切れちゃってね!」と言って謝ってきた。し、仕方ない……。売り切れ覚悟で行ったんだし。ほの暗い眼差しをしている私を見て、アルフレッド様がうろたえる。
「あの店主さんの陰謀なんじゃないかなって、たまに思うんですよね……。あえて数を少なくして売って、幻のパンってうたい文句をつけているだけなんじゃ?」
「えっ? あ、ああ、うん。その可能性はあるかもね……」
「パン……!!」
「ぱっ、パンはまだ他にもあるからね!? でも、可哀相に……。ごめんよ。今度、アーサーに言って買ってきて貰おうか?」
「い、いいです。ドレスを泥んこにした刑がまだ残ってそうなので」
「あ、ああ。うん……それはそうかもしれないな」
でも、落ち込んでしまう。しょんぼりして、うつむいていると、アルフレッド様が困ったように微笑みながら、そっと私の頬に手を添え、口の横にキスしてくれた。驚いて見上げると、いたずらっぽく笑ってる。
「また今度、パンの日に早起きして来ようか。パンの日には売ってるんだろう?」
「は、はい! 旦那様! 違った、あなた!」
「ええっと、偽名を作ろうか。混乱してるな……」
「じゃあ、私の偽名はアルフレッド様が考えてください。私はアルフレッド様の偽名を考えます!」
「じゃあ、そうしようか。何がいいかなぁ」
アルフレッド様と今度は手を繋いで歩く。幸せだった。あちこちからパンの良い香りが漂ってくるし、広場を歩いている人もどことなく浮かれていて楽しそう。
「じゃあ、シャーロットだから……ろ、ロザリンドとか? いや、微妙だな。ええっと、ろ、ローザとか?」
「ロから離れても大丈夫ですよ、あなた……」
「じゃあ、うーん……しゃ、しゃの、ええっと、シャノン? それともローサとか」
「ローサがいいです、ローサが!」
「じゃあ、そう呼ぼうかな。うっかり呼んでしまいそうだけど、いつもみたいにロッティって」
きつね色に焼けた卵形のふわふわパンに、ベーコンとチーズがたっぷり入ってるホットサンド。自家製ラズベリージャムが詰めこまれたコロネに、食欲がそそられる、バジルソースが絡んだチキンとトマトのサンドイッチ、硬い食感のブールに、ドライフルーツとナッツが練りこまれたツイストパン。あちらこちらにパンが山積みにされていて、たまらない香りを漂わせている。お酒にドライフルーツ、ベーコンの端っこがちりちりに焼けて、焦げてる匂いに酵母の香り。思わず、頬笑んでしまう。
「どっ、どれにします!? あるっ、えーっと、あなたはどれが食べたいですか!?」
「えっ? ロッティとそうだな、分けられるようなパンかな!」
「恋人パンにしますか」
「恋人パン!? そんなものが?」
「あります。若者の間で流行ってます」
重々しく頷いてみると、戸惑いながらも頷き返してくれた。可愛いピンクのハートプレートが吊り下がっているお店を探し、見つける。案の定、似たようなカップルがあふれ返っていた。後ろの方から首を伸ばして、その屋台を覗き込む。カップル向けのお店だからか、ピンクと白でまとめられていた。台がもう可愛い。可憐な花柄だった。その台の上には“恋人パン”と書かれた紙と、甘酸っぱそうな苺ホワイトチョコがかけられている、驚くほど長いツイストパンが並べられていた。
「あ、あれが恋人パン……!? えーっと、食べたら相手の愛情が数値化されるとか?」
「ある、ええっと、アルバート様。それだと、別れるカップルが続出しちゃいますよ?」
「これを食べさせたら、恋人が自分に依存してくれるとか……?」
「変な薬は入ってないんですよ、これ……。そうじゃなくて、ええっと」
順番待ちをしながら、アルフレッド様のことを見上げる。でも、今周りにいるカップルが「依存させてやろう」とか、「私に対するあなたの愛がどれぐらいのものか、見せて貰おうじゃないの」的なことを考えて、並んでたらすっごく怖い……。仲が良さそうに見えるのに。想像して、真顔になってしまう。
「この恋人パンにはええっと、沢山のクリームが詰まっているんです」
「クリームが。へえ」
「それに、すごく長いでしょう? 両端をこう、同時に口にくわえて」
「二人で!?」
「二人で。そ、それでクリームを垂らさずに食べることで、仲が深まるんだとか」
「なるほど。クリームに何か薬が仕込まれているんだね?」
「違います。薬からちょっと離れてください……」
アルフレッド様ってば、もう! これは二人でいちゃいちゃしながら食べるものであって、パンにもクリームにも、変な薬は仕込まれていないのに……。上手く説明しようと思って、あたふたしてると、順番が回ってきた。せっかくなので頼み、広場のすみっこの方にあるベンチへと向かう。腰かけると、すぐにハトがやってきた。ここで誰かから貰ってるのかも、ご飯。
足元のハトを見下ろしていると、隣に腰かけたアルフレッド様が、ツイストパンの包み紙をはがす。ひ、人気があまりないとはいえ、ちょっと恥ずかしいかも……。それに護衛に、「あ、いちゃいちゃしてる」と思われるのもちょっとなぁ。
「あ、あの、やっぱり手で半分こしてって、わぁ!? する気満々ですね!?」
「いふぁ、へっ、へっかくらからほ、そう思っへさ」
「ごめんなさい。何をおっしゃっているかさっぱり……」
私が首を横に振ると、もっちりとしたデニッシュ生地のツイストパンをくわえながら、悲しそうな顔をした。な、なんか捨てられた子犬ちゃんみたいな顔をしてらっしゃる……!! 物悲しそうな青い瞳に見つめられ、何も言えなくなってしまった。
「わ、分かりました。それじゃあ、失礼して……」
「ん。ふぁい、ろーろ」
端っこをくわえると、ほっとしたように青い瞳を細める。そのまま、無言であぐあぐと食べ進めた。む、難しい! 口にべったりクリームがつく! 食べやすさを重視して作られてない……。焦ってパンを両手でつかみ、必死に食べ進める。ふいに、アルフレッド様がぽんぽんと、ボンネット越しに私の頭を軽く撫でてきた。胸がきゅんとしてしまう。た、食べるどころじゃない……。
(でも、美味しい! 苺クリーム最高!)
食べると、上にかけられた、まろやかで甘い苺ホワイトチョコが割れる。それから、しっとりとしたデニッシュ生地を噛むと、中からとろりとした、甘さ控えめの苺クリームがあふれ出てくる。たまらない美味しさだった。ついがつがつと、食べ進めていっていると、猛然と迫りくる私を見て、アルフレッド様が顔を赤くさせ、必死で食らいつく。はたから見ていると、きっと、パンの奪い合いをしているようにしか見えない。
「はっ、ふぁふ、あれですね……!? これは連帯感が生まれるのでは!? もしくは奪い合って仲が悪くなるとか!?」
「いや、違うと思うけどなぁ……これは多分、こうやって楽しむものだよ。ほら」
アルフレッド様が手を伸ばして、私の口元についたクリームをすっと、指先で拭い取ってから、妖艶な微笑みを浮かべた。ふぁっ、ふぁ……。それから、私の前でそのクリームのついた親指を舐める。視線が動く舌に吸い寄せられてしまって、慌てて目を逸らした。
「あっ、あの! 半分こ、出来なくてすみません……。いっ、行きましょうか!」
「うん。そうだ、あとで渡したいものがあるんだ」
「へっ? 渡したいもの、ですか?」
ベンチから立ち上がったあと、少年のように無邪気に笑った。あっ、アルフレッド様の口元にもクリームがついている。ふと思いついて、ベンチから立ち上がり、不思議そうな顔をしているアルフレッド様の胸元に両手を添えた。
「あ、あの……」
「ど、どうした? ロッティ、じゃなかった、ローサだっけ?」
「ふふふ、今さらですか? 遅いですよ、アルフレッド様。でも、誰もいないので……いいと思います」
近くに人はいないから、これぐらい許される。はず! がやがやと、遠くの方から人の喧騒が聞こえてくる。爪先立ちをして、アルフレッド様のくちびるにキスをした。それから、口元についていたクリームを指で拭う。
「ほら、ついてましたよ? アルフレッド様。ここに」
「……ロッティ。ありがとう」
「ふぁっ!?」
私の腰に両手を回して、抱き寄せ、さっきよりもいっそう艶やかな微笑みを浮かべる。あ、あの青い瞳だ。出会って、見つめて、囚われた時の青い瞳。宝石のような、海のような、澄んだ────……。アルフレッド様が目を閉じて、くちびるにキスをしてきた。それから私の手を掴んで、ぽってりとのった苺クリームごと、ぱくりと指先をくわえる。
「ふぁっ!? あっ、アルフレッド様!?」
「……ごめん。つい我慢出来なくて」
「ふぁ、ふぁっ……」
かっ、かかかかか軽く甘噛みされてしまった……!! あの生温かい舌の感触と、指先に当たった歯の感触は当分、忘れられそうにない。焦って指と顔を交互に見つめていると、照れ臭そうに笑って「ごめん」と言ってきた。
「嫌なら二度としないから。ごめん」
「いっ、いいいい嫌じゃないんですけど、でも、しっ、心臓に悪いです……!!」
「……爪きりとどっちが?」
「爪きりですかね! あれは距離が近いので!」
「即答だった……!! 負けた! 爪きりに負けた!」
「アルフレッド様? 一体どうして落ち込んでるんですか?」




