12.チャペルでのプロポーズと穴掘りの指導
この日をどれだけ心待ちにしてきたことか。そわそわと、落ち着かない様子で歩き回ってしまう。普段はしないのに、人の姿でウサギの耳に触ってしまった。
(だ、だめだ。やめないと……ナルシストだって思われちゃう!)
慌てて、ぱっと耳から手を放して息を吐く。荘厳なチャペルの中はしんと静まり返っていた。誰もいない。中央には真っ赤なカーペットが敷かれ、簡素な木のベンチが立ち並んでいる。一見、素朴に見えるチャペルだけど綺麗だった。奥のステンドグラスから柔らかな光が零れ落ち、グリーンや赤といった、鮮やかな色の影を生み落としている。その光へと手を伸ばせば、白い肌がステンドグラスの赤色に染まっていった。
待ちきれずに顔を上げ、出入り口の扉を見てみると、大きく風がチャペルの壁を叩く。一歩足を踏み出せば、裾に金銀の刺繍が施された、ふわふわの真っ白なドレスが揺れた。これは婚約した記念にと言って、アルフレッド様が仕立ててくれた特別なドレス。今日、この日のためにあるかのようなドレス。
逸る胸を押さえ、扉を開く。夏の爽やかな風が吹きぬけ、太陽の眩しい光が目を突き刺してくる。何度かまばたきをしたあと、目を開いた。見るとなだらかな丘陵地がどこまでも続き、青々とした芝生が広がっていた。まるでこの世の景色じゃないみたい。上を見ると、色の濃い青空が広がっていた。扉を押さえ、体を半分だけ出したまま、じっと目を凝らす。
「アルフレッド様……まだかなぁ」
ここは絵画の中の世界で、もう今はどこにも存在していない国の風景。その昔、とある小さな国を訪れた、何代か前の王様が「今日を限りに、この景色が見れなくなるのは惜しい」と言って、お気に入りの画家に描かせた。ただ、完成したのは美しいけれど、ただ草原と青空が広がるばかりの絵。顔を寄せ合い、相談した結果、素朴なチャペルを描き足すことにした。
以来、この絵は王様を恋しがって、景色を展開させている。それまでは何もなかったのに、王様亡きあと、誰も愛でる人がいなくなって泣き始めた。飾られた絵から、のりのような、透明な液体がひたすら流れ落ち、その後、美しい草原が城の廊下に現れるようになった。
最初の頃は侍女であれ、王妃様であれ、とにかく「綺麗な景色」と褒めてくれそうな人を引きずりこみ、この中で衰弱させてたけど、たまーに誰かが絵の中に入って過ごせば、落ち着くようになった。
(死人は出てないけど、いわくつきの絵だから、あんまり縁起は良くない……)
そう言って、アルフレッド様は嫌がってたっけ。でも、小さい頃のアルフレッド様が絵に引きずりこまれて、泣いて泣いて途方に暮れたあと、ここでお昼寝して元気になったらしい。それ以来、絵に入るのはアルフレッド様の役目になった。そんな話をほろ苦く笑いながらも、口にしていたアルフレッド様を思い出して笑う。
「どんないわくつきの絵であれ、アルフレッド様を救ってくれたから。ここがいいの……」
扉を支えたまま、そう呟けば、足元の地面がぐんにゃりと歪んだ。来るサインかなと思って見つめていると、ふいにチャペルの鐘が鳴り響く。カラーン、カラーンと伸びやかで澄んだ音色が響き渡った。
それをうっとりしながら聞いていると、向こうの丘にアルフレッド様が現われる。手に沢山のピンクの薔薇やマーガレットを束ねた花束を持ち、白と金の軍服に身を包んでいる。それに、ものすごくかっこいい軍帽までかぶっていて、めまいがしてしまった。早く! 早く目に焼き付けたい!
「アルフレッド様ー!! 今っ、そちらに行きますね!?」
「ロッティ!? ええっ!?」
待ちきれず、ぼふんとウサギの姿に戻って走る。ああっ、戻らないつもりだったのに! でも、この素敵な芝生を見ていると、ついつい走り回りたくなってしまうし、穴を掘りたくなってしまう。はふはふと息を荒げ、アルフレッド様の足元に到着すると、すぐに「可愛い~!」と言ってしゃがんでくれた。
「可愛いよ、可愛い! ロッティ! 今のすっごく可愛かったよ……!!」
「お花! お花! プロポーズ、プロポーズ!!」
「ああ、落ち着いて。君は単語以外も喋れるはずだからね?」
そっと脇に花束を転がして、私を抱っこしてくれた。ふしゅふしゅと息を荒げながら、腕の中で暴れ回っていると、苦笑しながらなだめてくれる。
「どうどう、落ち着いて……人の姿に戻れるかな?」
「もっ、戻ります! 一旦降ろして頂けると……」
「ん、分かった。はい、降ろすよ?」
「あっ、ありがとうございます……」
でも、あまりにも可愛い花束を見てしまい、また興奮してしまう。大きな花束を抱え、しゃがみこんだアルフレッド様の前で、「お花! お花! 可愛いお花!!」と叫びながら、反復横とびをしていると、にこにこ笑いながら「可愛い~」と言ってくれる。
「も、申し訳ありません。人の姿にようやく戻れました……」
「いや、いいよ。可愛かったから。それじゃあ、仕切り直そうか」
「はい! お願いします!!」
アルフレッド様がこほんと咳払いをしてから、甘く微笑む。幸せな気持ちで見上げていると、ゆっくりと足元にひざまずき、うやうやしく花束を差し出してくれた。風に淡いピンクの薔薇やカーネーションが揺れ、甘い芳香が漂う。
「私と結婚してくれ、ロッティ。……気の利いたことは何一つ言えないけど、でも」
「はっ、はい」
だ、だめだ。もう泣きそうになっちゃってる、私……。懸命に涙をこらえながら、足元のアルフレッド様を見下ろす。驚いたようにふっと、青い瞳を瞠ってから微笑んだ。触れることさえ出来ない、遠い御方だと思っていたのに。でも、今は違う。どこにでも触れられるし、キスだってして貰える。りっ、リードだって持って貰えるし! 私が息を呑みこむと、口を開いた。
「誰よりも、君のことを大事に想っているし……それに、ええっと、君が死んだら生きていけないぐらい好きだよ。愛してる。だから」
「はっ、はい!」
ちょっとだけ重い! でも、アルフレッド様だって感じがする言葉だなぁ。にこにこと笑いながら見守っていると、アルフレッド様が嬉しそうに微笑んだ。
「だから、結婚して一生傍にいてくれると嬉しい。どんな時でも大事にするよ、ロッティ。どんな時でも君の味方でいる。だから、私と結婚してください」
「はっ、はい! アルフレッド様……!! 今、ウサギの姿に戻ってしまいそうなぐらい、嬉しいです! ありがとうございます!!」
「へっ? う、うん。どっ、どれくらいかな……!?」
花束を受け取ったあと、それをぎゅっと抱き締める。私のお花。アルフレッド様がこの日のために選んで、私のために用意してくれたお花。とうとう耐え切れずに、泣いていると、またひときわ美しくチャペルの鐘が鳴り響いた。カラーンと、カラーンと鳴り響くのに合わせ、周囲に亡霊のような人々が現われ、正装姿で拍手をし出す。
「こっ、ここここ怖いんだけど!? ろっ、ロッティは!? ロッティは!?」
「落ち着いてくださいね、アルフレッド様! きっと、これは絵からの祝福ですよ! ほら、悲しそうな顔をしてるじゃないですか……」
「でっ、でも、怖いんだよ……!! みっ、みんな、昔の格好してるし! 怖いんだよ……!!」
「大丈夫ですよ! アルフレッド様が怖がるからほら、悲しそうな顔で消えていきましたよ?」
「あっ、本当だ……。申し訳ないことをしたかもしれない」
それまでがたがたと震え、私の肩にしがみついていたアルフレッド様が落ち着き、すんと鼻を鳴らした。絵的には祝福のつもりだったんじゃあ……?
「ああ、申し訳ない……せっかく、一生に一度のプロポーズなのに、私ときたらどうしようもな、」
「おっ、落ち着いてください! 素敵でしたよ!? それに、プロポーズは一生に一度だけって、どこの誰が決めたんですか?」
「えっ?」
花束を抱えながら、笑って見上げる。きょとんとした顔をしてたけど、一転して、悪戯っぽく微笑む。それから、手を伸ばして私の髪をすくいあげた。
「……そうだね? ごめん、ロッティ。愛してるよ。またちゃんと仕切り直して、」
「ふぁ、ふぁい……急にかっこよくなるの、ずるすぎます……」
「君のことが好きだからね。持ち直した」
そのまま髪にくちびるを押し当て、ちゅっとキスをする。見ていられなくなって、目を逸らすと、ぐっと顔を寄せてきた。息と息が混ざってしまいそうな至近距離で、より深く、あでやかに微笑む。
「ロッティ。ようやく……」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉおぉっ……!?」
「っふ、可愛い。ごめん、我慢して欲しい。ウサギの姿に戻らず」
花束ごと私を抱き締めて、深くキスをしてきた。いつもは優しいアルフレッド様にしては珍しく、荒っぽくて情熱的なキスだった。息が出来なくなる、汗が滲む。ねっとりと舌を絡められた時、背筋にぞくぞくと甘いものが走って、心臓が爆発しそうになった。なっ、慣れない! 普段はよわよわなのに、いきなりこうなるのに慣れない!! 透明な糸を引きながら離れた時、青い瞳を細め、頬に手を添えてきた。
「……ごめん。嫌かな? やめて欲しい?」
「やっ、やめて欲しいような、つ、続けて欲しいような……!!」
「本当はこれだけじゃ、物足りないんだが……」
首筋にどっと汗が滲み出る。アルフレッド様がそのまま顔を寄せて、首筋に何度もキスをしながら、腰に手を回してきた。背中がむずむずする。もう少しで戻ってしまいそう、ウサギの姿に!
「ある、アルフレッド様……!! こっ、この花束、潰れちゃうからせめて地面に置かせて、って、ふぉっ!? お早い!!」
アルフレッド様がさっと、私から花束を受け取って、どこからともなく現われたアンティークらしき椅子の上に置いた。さっ、さっきは怖がってたのに、これは怖くないんですか!? 息を吐き、こちらに向き直った青い瞳がらんらんと光っていて、鼓動がまた速くなる。ど、どうしよう……!!
「あっ、あの、あの! お手柔らかに! おねらいします!!」
「うん。そのつもりだったよ?」
「うっ、嘘くさい……!!」
「嘘くさいだなんて酷いな、ロッティ。可愛い君に嘘なんてつかないよ……」
背中に手を回され、またキスをされる。頭がくらくらした。本当は私だって、その先に進みたいって、ずっとずっとそう思ってる。下腹部がちくりと痛んだ。どうしてかは分からない。夢中でキスをしていると、おもむろに離れていった。
「可愛い……ごめん、あともう一度だけ」
「ふぉっ!?」
「可愛い、ロッティ。好きだよ、本当に。好きだよ、愛してる……」
そうささやきながら肩を掴み、顔のあちこちにキスをしてきた。額に、まぶたに、頬にとキスの嵐が降り注ぐ。最後に顎を持ち上げ、くちびるに軽くキスをしてきた。本当に触れるだけのキスだったのに、今までで一番、心臓に悪かった。
「あーあ……ごめん。耐え切れなくて」
「いっ、いえいえ、あっ、わ、わっ、私も、まっ、待ちきれずに来てしまってごめんなさい。プロポーズ、その、チャペルの中でして貰う予定だったのに……」
「じゃあ、仕切り直そうか?」
「はっ、はい! アルフレッド様!」
こ、これ以上続いたら、耐え切れないから助かった……!! 二人で力を合わせ、チャペルの扉を押し開く。また亡霊っぽいのがいたらどうしよう? って思ったけど、さいわいなことにいなかった。ステンドグラスから光が降り注ぐ中で、ひざまずき、今度こそ格好良くプロポーズしてくれた。でも、あのプロポーズもあのプロポーズで好き。
「……ところで、ロッティ?」
「はい? どうしましたか?」
「こっちの一時間は、あちらの世界での一分なんだよ。つまり」
「つまり……!? 好きなだけ、穴掘りが出来るってことですか!?」
「あ、穴掘り……? いや、私の言いたいことと、ちょっとだけ違うかなぁ」
二人で簡素な木のベンチに座っていると、アルフレッド様が困ったように首を傾げる。そのあと泥まみれになっちゃうから、やっぱりだめでしょうか……?
(せっかくの白いドレスだし、淑女とあろうものが、地面に穴を掘るだなんて!)
しょんぼりと落ち込みながら、ドレスの生地を摘まみ上げる。真っ白だから、きっと泥が目立ってしまう。そうやって落ち込んでいると、ふいにアルフレッド様が腕を伸ばして、私の肩を抱き寄せてきた。
「ロッティ。申し訳ないけど、穴掘りは断念して欲しいな……」
「ドレスが汚れるからですか? じゃあ脱げば、あっ」
「……脱がせてあげようか?」
「いっ、いいいいです……!! 遠慮します!」
「……」
「アルフレッド様!? その手は一体何ですか!?」
わきわきと手を動かしながら、真剣な顔をしている。結局、断りきれずにドレスを脱がして貰った。芝生の上を走りながら、よさそげな地面のくぼみを見つけるべく、ふんふんと嗅ぎ回る。
「いいですかっ!? アルフレッド様! こういう、ちょっと湿っぽくて柔らかいくぼみが最高なんです! ほりほりしやすくて楽しいんです!」
「うん。でも、あの、想像としていたのとは違っ、ぶっ!?」
「あっ、すみません! 土がはねちゃうから、下がっててくださいね?」
「わ、分かった。ごめん……」
結局、土を掘るのに夢中になって、野生に返ってしまった私を止めるべく、アルフレッド様も泥まみれになってしまった。帰りを待っていた従者のアーサーが額を押さえ、「お召し物が……!!」とうめき声をもらしてよろめく。そんな様子を見て、泥まみれの私を抱っこしながらも、慌てて弁明してくれた。
「あっ、ええっと、魔術である程度綺麗にするつもりだし……それに、穴を掘っていいと言ったのは私なんだ。ロッティは何も悪くなくて、」
「せっかくのドレスも汚してしまったのですね? シャーロット様……」
「もっ、ももも申し訳ありません……!! 掘って、そのっ、掘ってる時は脱いでいたのですが、持って帰ってくる時に、ちょっとだけ汚れてしまい……」
「ちょっとだけ、ですか……? これが?」
「ひっ!?」
初めて、感情の起伏があまりないアーサーに本気でお説教されてしまった。アルフレッド様と一緒に、温泉に浸かりながら息を吐く。
「アーサーは……ああ見えて怒るとかなり怖いんだ。ごめんよ、ロッティ。守りきれなくて」
「い、いいえ、私が悪いので……!! 美味しいりんごのスコーン、貰えなくて当然だと思います」
「あとでこっそりあげるからね? ルイに頼んでおくよ」
「あっ、アルフレッド様……!! 好きです、大好きっ!」
「おっと! 可愛いなぁ~、もう」
ウサギ姿で飛び込むと、笑って抱き締めてくれた。幸せ!
拝啓、天国のお母様。シャーロットはものすごく素敵な王子様に巡り会えて、プロポーズして貰えました! このあとはこっそり、りんごのスコーンまで貰えちゃいます。穴掘りの仕方も指導したら、おずおずと指の先でしてくださったし、とっても素敵な王子様なんです!
「もふもふ技術もすごいし、アルフレッド様は素敵な婚約者です……!!」
「あっ、うん。ええっと、他にはあるかな?」
「リードの持ち方が情熱的で、とっても素敵です! こう、ぎゅっと持ってくださるでしょう!? あのっ、あの手の角度がとっても素敵で……!! きゃーっ! ごめんなさい、恥ずかしい!! あのっ、お兄様やお父様にはこのこと、内緒にして頂けませんか!? 私ったら、私ったら、なんて大胆なことをっ!」
「えっ? へっ、へえ……分かった。黙っておくよ」
<その後のルイとアルフレッド>
「そうやって甘やかすから、シャーロット様が調子に乗るんですよ……」
「い、いや、じゃあ、あげずに私が一人で食べるから」
「嘘ですよね? シャーロット様と二人で分けて食べるおつもりですよね?」
「で、でも、反省してるし、落ち込んでいるから……」
「ま、まぁ、じゃあ、四つだけですよ……」
「ありがとう! 助かった!」
(俺も俺で大抵、アルフレッド様に弱いな……)




