9.陛下ったらもう! 恥ずかしがりやさんなんだから
「ここへ来るのは久しぶりだな。数年ぶりか……」
「陛下。いきなりどうしてパーセル伯爵家へ? そろそろ、理由を教えて欲しいんですが」
私を抱っこしていたアルフレッド様が、困惑した表情で問いかける。今日はあまり交流が無い伯爵家を訪問するからか、きっちりと濃いブラウンの髪を整え、ヘリンボーン柄のスリーピースを着てらした。私もそれに合わせ、白いアンティークレースとチャコール色の花柄ドレスを着ている。
おもむろに、前を歩いていた陛下が振り返った。薄い笑みを浮かべているのを見て、アルフレッド様がびくりと肩を揺らす。はっと驚くほどに上質な、深い紺色のスーツを着た陛下はどことなく威厳が漂っていて、見る人を圧倒させる。
「今、ここでわざわざ説明する必要があるのか? 屋敷に着いてからでも、遅くはないだろう? なぁ、アルフィー」
「アルフレッド様! だめですよ? 陛下はとってもとっても、アルフレッド様のことがしゅきしゅきなお兄様なんですから、陛下じゃなくて、ちゃんとお兄様と呼ばないと!」
「おっ、お兄様と!? はい、お兄様……」
「アルフィー……くそっ」
最後は私にしか聞こえないような小声で、悪態を吐いていた。ふふん、陛下が素直にならないのなら、この私が代わりに伝えて差し上げます! 誇らしげに鼻を「ぶふん」と鳴らすと、アルフレッド様がでれっとした笑顔を浮かべ、「可愛い~!」と褒めてくれる。そうなの。今日は新しく買ったブラシで毛並みを整えてきたから、いつもより毛皮がふわふわなんです。二人でいちゃいちゃしてると、小道を歩いていた陛下が肩を落とし、ふうと、わざとらしい溜め息を吐いた。
ここはパーセル伯爵家の広大な庭園で、散歩がてら馬車ではなく、歩いて屋敷へ向かおうと陛下が言い出したので、三人でまったりと歩いている。もちろん、後ろには護衛が控えていた。
美しく刈り込まれた芝生が目に眩しく、魚や人魚の彫刻がそびえ立っている噴水など、見ていて楽しいものが沢山ある。たまに幾何学模様に刈り込まれた木や、変なオブジェしかないお庭もあるけど、パーセル伯爵家の庭は程よく木が茂っていて牧歌的。見ているだけで心が落ち着く、そんな庭園だった。
「陛下! もう少し素直になった方がいいですよ~? アルフレッド様に陛下じゃなくて、お兄様と呼んでとお願いすればよろしいんです! アルフレッド様のこと、大好きなんでしょう? もうそろそろ、素直にならないと嫌われちゃいますよ~?」
「シャーロット嬢……誰かが、その獣の口をふさいでくれると助かるんだがな」
「お兄様! それはちょっと! ロッティに謝ってください」
「その調子ですよ、アルフレッド様! でも、責めるのはいけません。ちっちっ! お兄様はアルフレッド様のことが大好きなので、拗ねちゃってるんです。そう、私にまで嫉妬するぐらい、アルフレッド様のことが大しゅきしゅきな陛下で、ふぉっ!?」
「えっ!? ロッティ!」
「むぉ、むおぉっ!?」
「本当にうるさい獣だな……」
恥ずかしかったのか、仄暗い眼差しで私のほっぺたを掴んでいた。もごもご言って、抗議していると、慌てたアルフレッド様がぱっと離れてくれる。
「陛下! じゃなかった、お兄様! ロッティは繊細なんですよ? ウサギは骨も細いんですから、いくら照れ隠しとは言えども、もう少し丁寧に触れて、」
「アルフィー……信じるんだな? その毛玉の話を」
「毛玉じゃありませんっ! 私はつやつやもふもふの可愛いウサギちゃんなんですぅー! ぶぅーっ!」
怒って「ぶー、ぶー!」と鳴いて威嚇していると、アルフレッド様も「そうですよ! ロッティの毛並みは素晴らしいんですよ!?」と言って援護してくれた。私の婚約者、頼もしい~! そんな私達を見て、何故か陛下がげんなりとした顔をしていた。一気に老け込んだように見える。
「もう分かった。お前達に理解して貰おうと思った私が、バカだった……」
「あっ、実は義姉上からも、私とロッティの結婚が決まって泣くほど落ち込んでいたと、そう聞いているんです。普段はしない深酒もしたとか……」
「アルフィー? 一体、どうしていきなりそんなことを言い出した?」
「えっ? だって、信じるんだな? その毛玉の話をって言ってたじゃないですか。ですから、信じた理由をお話ししようかと、そう思いまして」
「……真面目すぎるな、お前は」
「そこがアルフレッド様の素敵なところなんです~! 好き~!」
「ロッティ。ありがとう……」
ほわほわした気持ちで微笑み合っていると、頭でも痛くなってきたのか、陛下が額を押さえていた。あっ! そうだ、そろそろ聞かないと! 地平線が見えてしまいそうな芝生に挟まれた道を歩いて、雑木林の中へと続く道に足を踏み入れる。
「陛下? そろそろ教えてください! どうして、今日はいきなりここへと? 私、アルフレッド様とお散歩する予定だったんですが……」
「……」
「聞いてます!? ねぇ!」
このまま無視する気なのかもしれない! 苛立ってもぞもぞとお尻を動かしていると、秋に真っ赤な実をつける、イチイの木を意味もなく見上げながら、陛下がぽつりと呟いた。
「このパーセル伯爵家はマルティナ夫人の、いや、お前の母の生家だ」
「えっ? 母上の……!?」
「はいっ!? でも、記憶喪失だったって、アルフレッド様からそう伺いましたが……?」
「あれは夫人の吐いた嘘だ。陛下、いや、父上もそのことはよくご存知だった。知っていてなお、手元に置いておきたいから、知らぬふりをなさっていたが……」
辺りではぴるぴると、鳥がさえずっていた。アルフレッド様が途方に暮れたような顔をして、ぎゅっと、腕の中の私を抱き締める。アルフレッド様、お母様がどこからどうやって来たのか、ものすごく気にしてらしたから……。頑なに背を向け、前を歩く陛下が話を続ける。
「マルティナ夫人は他国の間者ではなく、パーセル伯爵家のご令嬢だった。が、社交界デビューをする前に、使用人と駆け落ちして結婚。……その後、子に恵まれることはなかった。商人であった夫も、業績が悪化するにつれてどんどん態度が冷たくなっていた」
まるで、歴史書でも読み上げるかのように淡々と言葉を紡いでいる。アルフレッド様は言葉もなく、静かに私の頭を撫でていた。その手が心なしか震えている。
「姑からも、舅からも暴力を受け……ついには、夫まで彼女に手を出すようになった。ある年の冬、夫人はひそかに金を貯めて家を出る決意をした。戻れば良かったものを、彼女は戻らなかった。絶対に戻る気が無かった。ここへ」
「ど、どうして母上はここに戻らず、王宮へ……?」
「お前も知っているだろう? 出会いは。彼女はプライドが高かった。絶対に幸せになってみせますと啖呵を切った手前、恥ずかしくて戻れないのだと。あの日の夜にもう、伯爵令嬢という身分は捨てたのだと、そう言っていた……」
きっと、アルフレッド様によく似て、こうと決めたら絶対に譲らない人だったに違いない。しんみりと話に聞き入っていると、アルフレッド様が声を震わせた。
「兄上……何故、いや、その、続きをどうぞ。それから?」
「それから、金が貯まった春。その目論見がばれた。ギャンブル癖があった夫が彼女を殴り、その金を奪って部屋に閉じ込めた。が、彼女は命からがら逃げ出した。その手に、伯爵家から持ち出したオルゴールだけを握り締めて」
「あれが……」
「一緒に聴きましたね」
あのオルゴールだけを持って? 首を傾げていると、陛下が続ける。肌に痛いほどの陽射しを深い木々がさえぎっているからか、清涼な空気が漂っていた。葉が陽と風にゆらめている。
「あれは十歳の誕生日に、祖母から贈られたもので宝物だったらしい。……持ち出した宝石は、全て売り払われてしまった。彼女の物はそれしか残っていなかった」
「そんな、酷い!」
「兄上……」
「それからあてもなく、どうやって王家所領の森へ行ったのか……本人もよく覚えていないらしい。ただ、湧き水や実を口にして、空腹をしのいでいたらしいが」
「どうして、母上は記憶喪失のふりを? 本当に戻る気が無かったんでしょうか」
「無かったな。とっさに記憶喪失のふりをしてしまったらしい。戻されたくなかったんだろう、どこにも。彼女は居場所がないと、そう言って泣いていた。……だからこそ、父上もあそこまで執着したのかもしれないな。自分だけが居場所を与えられると、そう自慢げに話していた」
「父上が、そう……」
「アルフレッド様」
ショックだったのか、呆然として私のことを抱き締める。ああっ、もう! 陛下の分からずや! はっきりと抗議しなくては!
「陛下!? そんなに大事なこと、今までどうして黙っていたんですか!? それにパーセル伯爵家に行く直前ではなく、前日でも、いいえ! もっともっと早くに、お二人だけで話せば良かったのでは!?」
「ロッティ。ありがとう……」
「……アルフィーが、いつまで経っても私のことを陛下と呼ぶから」
「「はいっ!?」」
すっ、拗ねてただけ!? もしかして! あぜんとしながら見つめていると、頑なに背を向けたまま、こちらを見ようとしない陛下が「ふん!」と鼻で笑い、何もない頭上を見上げる。
「一方的に避けられていては、話す気も起きん。だからだ」
「いやっ……陛下!? お兄様! ええっと、違った! 兄上!?」
「混乱しているな……。シャーロット嬢が余計なことを言うからだ」
「陛下と呼ばれただけで、へそを曲げて重要なことをいつまで経っても教えてあげない陛下に、そんなこと言われたくありません」
「は? 関係無いだろう、それは別に」
「いいえ、ありますとも。アルフレッド様、お可哀相に……ずっとずっと、知りたがっていたというのに。ああっ、お可哀相に!」
「……」
そこで、初めて振り返った。眉間にくっきりとシワを寄せた陛下と、静かに睨み合っていると、アルフレッド様が私の体を揺すり、「おっ、落ち着いて? ロッティ……」と言ってくる。
「まぁ、アルフレッド様に免じて許して差し上げましょう」
「たかだか子爵家の令嬢が。生意気な口を」
「……弟の婚約が決まったぐらいで、夜遅くまでめそめそと泣いて、奥様にすがりつくような人にそう言われたくありません」
「なんだと?」
「やめましょう、もう。兄上もロッティも落ち着いてください……」
私が「ふん!」と鼻を鳴らすと、向こうも忌々しそうに「ふん!」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。む、むかつく!! お義母様に今度、言いつけてやろうっと。
「もうこれは、傷付いちゃったからお義母様に言うしかありませんよね……?」
「シャーロット嬢……。分かった、やめよう。話を戻そう」
「あら、勝手に戻さないでくださいませ。陛下。ごめんなさいは!?」
「…………悪かった。謝ろう」
「すごいね、ロッティ。あの兄上が謝るだなんて」
「ぷふん! アルフレッド様も、拗らせた陛下がぐちゃぐちゃと余計なことを言ってきたら、ぜひ私に頼ってくださいね!?」
鼻息荒く見上げてみると、嬉しそうに微笑んだ。近頃のアルフレッド様、婚約が決まってからというものの、どんどん柔らかくて優しげな男性になってきてる!
「ありがとう、ロッティ。でも、オーレリアにも君にも、あの冷たさは今まで構って貰えなかった淋しさの裏返しだって、そう教わったから大丈夫だよ。前とは違って、あんまり怖くないんだ」
「アルフィー……お前な」
「だめですよ? アルフレッド様! 陛下はとぉーっても、とぉーっても恥ずかしがりやさんの照れやさんですからぁ! 目の前で本当のことを言われちゃうと、恥ずかちー! となってしまって、素直に言い出せな、ふぉっ!?」
「その自慢の毛皮、剥いで足拭きマットにでもしてやろうか……」
「兄上!? やめてください、なんて残酷な考えを! ロッティから手を放してください!!」
すかさずアルフレッド様がその手を掴み、私を救い出してくれた。必死に乱れた毛並みを舌で整えていると、アルフレッド様が「まったく!」と言って睨みつける。
「兄上が、私のことが好きなのはよく分かりましたから!」
「変わったな、アルフィー……」
「義姉上からも、ロッティからもオーレリアからもそう聞いたので……念のため、当時の乳母にも話を聞きに行きましたが。それはもう、目に入れても痛くないほどの可愛がりようだったとか」
「……」
「その調子ですよ! 私の仇をとってください、アルフレッド様!!」
「うん。ちょっと待っててくれ、ロッティ」
また嬉しそうに微笑み、私の頭を優しく撫でてくださった。陛下がお葬式に参列している人のような、沈鬱な表情で黙り込んでいる。
「それに、わずかながら覚えています。兄上は本当に、よく面倒を見てくださった……私にとって、兄上は父のような存在です」
「実の父よりもか?」
「ええ、もちろん。陛下は……私を通して、亡き母上を見ていらした。あれが本物の愛情ではないことぐらい、見ていたら分かります」
「まぁ、そう言ってやるな。父上も父上で、お前のことをたいそう可愛がってらしたからな」
(ものすごく嬉しそうだわ。陛下ったらもう……)
きっと、実のお父様にも嫉妬してらしたに違いない。も~、手遅れの重度なブラコンなんだから! アルフレッド様が苦笑して、「それもそうですね」と返す。雑木林が並び立つ道の向こうには、明るい陽が射し込んでいて、もうすぐ屋敷に到着することを告げていた。
「ですが、一体どうして……今まで、私のことを避けていたんですか? 最初、避け始めたのは兄上でしょう?」
「色々あってな。公務も忙しかった」
「きっと、反抗期を迎えたアルフレッド様に冷たくされて、落ち込んじゃったんですよ! ねっ? そうでしょう? 陛下~! ねっ? ねっ?」
「黙れ、ウサギ」
「ふぉっ!?」
「ロッティ!?」
ゆっ、許せない! また私のほっぺを掴んできた! わなわなと震えていると、アルフレッド様が「兄上! いいんですか? 言いつけられちゃいますよ?」と言ってくれた。そ、そうだ! 私にはお義母様がいたんだった!
「もう一度、お説教して貰います? 陛下」
「悪かったな! これでいいだろう!? もう!」
「気持ちがこもっていません。やり直し」
「ロッティ……可愛いなぁ。きりっとしてて」
「何でもいいのか、お前は……」
「愛し合ってますからね! 私達は! ぶふん!」
<屋敷に行く前>
「えーっと、婚約首輪は外して行くんだね?」
「はいっ! そのっ、陛下の前でいちゃいちゃするのはどうかと思いまして……!!」
「そ、そっか。じゃあまた、帰ってきてから一緒にお散歩に行こうか。その首輪をつけて」
「も~! アルフレッド様ったら~! 堂々とお散歩に誘ってくるなんて、大胆ですね♡」
(やっぱりよく分からない……)




