3.煽り上手な紳士と国王によるテスト
珍しく、アルフレッドが「会いたい」とそう言ってきた。まぁ、おおかた、先日のことについての文句だろうが。薄手の黒いガウンを羽織って、妻が揃えたアンティーク家具が立ち並ぶ応接室にて、酒を飲みながら待つ。普段、自分が使っている応接室は、面倒臭くて家具にこだわってこなかったからか、居心地が良いとは決して言えない。急遽、彼女に言って借りた。グラスを片手に、一人掛けソファーに座っていると、妻が呆れたような、複雑そうな顔をして見つめてきた。
「陛下……」
「ん? どうした」
「嬉しそうですわね、本当に。それではまた明日。おやすみなさい」
「……おやすみ」
わざわざ、そのことを言うだけのために来たのか。扉がぱたんと閉まる。思わず、舌打ちしそうになってしまった。────昔からそうだ、アルフレッドに関しては。苛立って、髪の毛をぐしゃりとつかむ。
(ああ、ばかばかしい。こんな、弟ごときに……)
他にも弟妹はいる。が、可愛いと思えたのはアルフレッドだけだった。赤子の頃から知っているから。この手で世話をしてきたから。自分の硬く、強張った手を見下ろして物思いにふける。
(……アルフレッドはすっかり忘れているんだろうが。わざわざ、おむつを替えてやったこともある)
なにせ、私にしか懐かなかった。何をしても泣いて嫌がるアルフレッドに、乳母や侍女はほとほと疲れ果て、いつしか「ギルバート様がなさればよろしいんです」と言い、任せるようになってきた。
が、それで一向に構わなかった。初めて、人に必要とされた瞬間だった。私はただの王太子でしかなく、誰もが地位に応じた責務や能力を求めてくる中で、小さなアルフィーはただ腕を伸ばしてきた。それまで泣いていたくせに、私を見ると、大きな青い瞳を見開いて、にひゃっと笑った。初めて何かを可愛いと思った。必要とされていることが、本当に嬉しかった。
「アルフィー……はぁ」
普段は気をつけているが、誰もいないので溜め息を吐く。一つの溜め息ですら、許されない。あれこれ気にされるのがわずらわしかった。こうして弟のことを考えている時だけ、心が安らぐとは。額に両手を添え、テーブルへと肘をつく。
(あのシャーロット嬢とやらは……どうせ、王弟の妻という地位が目当てだろう。本来、妃に割り当てられる予算を減額してやろうか)
アルフレッドは優しい。兄である私とは違って。目先の毛皮につられ、騙されてはいないだろうか。やけに意気込んだ表情で、「彼女は優しく、繊細でいつもいつも寄り添ってくれるんです!」と言っていたが。先日の澄ました表情を思い出し、苛立つ。
「あれの一体どこが繊細だ。終始、こちらをバカにしたような目で見てきたぞ……?」
生まれて初めて、誰かを嫌いになったかもしれない。面倒臭い人間や、どうでもいい、くだらぬ人間は掃いて捨てるほどいた。マーガレットの姉、リリアナもその手の女だった。欲が深く、寵愛を得ることしか頭にない女。うんざりさせられていたから、ハルフォード公が懸命な判断をしてくれて助かった。
(ああ。あの女のせいで、せっかく作った子供が殺された……妊娠、出産にどれほどの手間と時間がかかると思ってる?)
妻の負担も相当なものだし、やはり毒は盛られる。余計なことをする輩はどこの宮廷にもいるんだろうが。苛立って、親指の爪を噛む。が、幼い頃、家庭教師にやめるよう、言われたことを思い出してやめる。
(……まぁ、それはそうか。一国の王の爪に、噛みあとがあっては困るか)
みっともないと、そう思われるに違いない。もう一度、深く溜め息を吐いた。どうにもあの女は苦手だ。達観したような、どこか澄ました表情で平然と紅茶をすすっていた。────まるで「うるさいハエね」と、そう言わんばかりのあの表情。苛立ちが増してゆく。あんな目で私を見てくるご令嬢は、後にも先にも、あのシャーロット嬢だけだろう。苦手意識と苛立ちが混ざり合って、戸惑う。他の誰にもこんな感情を抱いたことはなかった。嫌いな人間なんて、誰一人としていなかった。
「くそっ! 子供じゃあるまいし……」
はっきり言って、どうしたらいいのかよく分からない。排除してしまいたいが、ああ見えて怒ると怖いアルフィーが、烈火のごとく怒り狂うだろう。彼女もそうだった、マルティナもそうだった。人のためなら一転し、その気弱な仮面をかなぐり捨て、猛然と立ち向かっていく女性だった。
(彼女に、人の愛し方を教えてもらったような気がする……)
だから、アルフィーを育てることが出来た。私のお守りのような存在であり、欠けると酷く痛い存在。それを、それを、あの、さも大人しそうな顔をしたシャーロット嬢が奪い取ろうとしている。感情がたかぶってきたので、両目を閉じ、鼻から深く息を吸い込む。
(落ち着け、落ち着け。一体、彼女といくつ年が離れてると思っているんだ……?)
そうだ。彼女はどこにでもいる、十八歳のご令嬢だろう。あんな風に声を荒げて、詰め寄るべきではなかった。手の甲に額を押し付け、かたく目を閉じる。
(そうだ。そういう風には見えなかったが、怯えていたかもしれない。多少なりとも、傷付いただろうし……)
反省すべきだ、私は。彼女は一回り以上下のご令嬢であり、感情に任せて、差別的な言葉をぶつけていい相手ではない。いいや、誰に対してもそのようなことはするべきではない。自分の未熟さを恥じ、後悔していると、おもむろに扉がノックされた。
「……兄上。私です、アルフレッドです。入ってもよろしいでしょうか?」
やっと来たか。その安堵と喜びを抑えるため、ぐっと、少量の酒をあおる。口元を拭い、息を整えてから返事した。
「ああ、入れ。遅かったな」
「申し訳ありません。大浴場に行っていたので……」
アルフィーは昔から、温泉が大好きだった。何故か庭にあった、大きな泥の水たまりに突っ込み、はしゃいだ声をあげて寝転がったため、乳母や侍女たちが卒倒しそうな顔色で「きゃあああああっ!?」と叫んだこともあった。全身泥まみれだが、嬉しそうに笑い、自分で作ったのだという、綺麗な丸い泥だんごを「あいっ! どーど! にーたん!」と言って、差し出してきた時の、あの喜び。それを笑って受け取り、泥まみれの手を引いて、大浴場へ向かった時のことをふと思い出した。
「覚えているか? アルフレッド。お前はあの時、」
「申し訳ありませんが。……ここへは、思い出話をしにきた訳じゃありませんので」
そうか。もう成長した今となっては、私のことなぞどうでもいいか。シャーロット嬢のことしか頭に無いのか。にっこりと微笑んでみせると、ゆったりした白いシャツを着ているアルフレッドが、びくりと、怯えたように肩を揺らした。が、息を吸い込み、怒りに燃える両瞳を向けてきた。
「兄上。彼女から聞きましたよ? どうしてあんな、強引に連れ去って話を、」
「シャーロット嬢もシャーロット嬢で、私と話がしたかったそうだ。それにアルフレッド、お前、騙されていないか?」
「いい加減にしてください、彼女は兄上が思っているような人じゃない!」
だんっとテーブルを叩き、腰を上げた。嫌になるぐらい、その青い瞳は真っ直ぐだった。しらけたような気持ちで見上げていると、信じられないといった表情を浮かべ、肩を上下させる。唾を飲み込んだ。どうも苦手だ。マルティナ夫人とその顔が重なる。こうなることを、一番おそれていたというのに。が、それを押し隠して、グラスの中の氷を揺らがせる。
「落ち着け、アルフレッド。外に聞こえるだろうが」
「兄上……彼女に謝ってください」
「何故、謝る必要がある?」
「怖がらせたからです」
(こわ、がらせた……!?)
いや、しかしちっとも、怖がっているようには見えなかったが? 動揺を沈め、改めて弟の顔を見上げる。落ち着く気になったのか、深い溜め息を吐いて、ソファーへと腰をおろした。ほのかなシェードランプの明かりが灯る部屋は薄暗く、静かだった。重たい沈黙が落ちる中で、アルフレッドが顔を伏せ、手を組み直す。
「ロッティは……彼女は酷く怖がっていて。終始、睨まれたと。そう聞いています」
「悪いが、アルフレッド? そこまで睨んだ覚えは無いし、シャーロット嬢は平然としていて、」
「もういいです、そういった言い訳は聞きたくありません。……とにかくも! 彼女に謝ってください。そしてもう二度と、あんな、あんな酷い言葉を……」
何を吹き込まれたのか、怒りに震え、膝の上でぎゅっと手を握り締めた。と同時に、私も奥歯を噛み締める。
(あの小娘が……!!)
妻にもたしなめられ、渋々と、本当に渋々とだが、婚姻を認めてやろうと思っていた矢先に。アルフレッドを睨みつけていると、同じぐらい、いや、それより強く睨みつけてきた。また初恋の女性でもある、マルティナ夫人とその顔が重なってしまい、マーマレードのような苦味が舌の上に広がってゆく。
「どうしても謝りたくないのなら、もうそれでいいです。……今後、兄上には何も期待しません」
「アルフレッド。シャーロット嬢はいささか、話を誇張しているようだな? 実際は怯えたそぶりも見せずに、」
「陛下。あまりにも反対なさるようなら、私は王室から離脱します」
思いもよらなかった言葉に、心臓が止まる。何だって? 離脱だと? この宮廷に私を一人、置いて行くのか。アルフレッド、アルフレッド。向かいのソファーから立ち上がり、こちらに背を向けた。見捨てられたような気がした。唯一の、愛する家族に。
「次、彼女に何かしたらそうします。……ああ、あとそれから」
「どうした?」
「テストとかいう、くだらないこと。するのやめた方がいいですよ。それでは」
扉が音を立てて閉まった。拒絶されたような気がした、とことん。一気に残っていた酒をあおり、テーブルへと叩きつける。
「あの小娘が……!! いいだろう。こうなれば、とことんやってやろうじゃないか!」
「という訳で、安心して欲しい。兄上のことを強く叱っておいたからね?」
「は、はい……」
申し訳ありません、陛下。自分可愛さに、いえ、アルフレッド様に「可哀相に!」と言われて、優しくもふもふされたいがために、ちょっぴりだけ話を盛ってしまいました……。花びらのような袖がついている、淡いピンク色のドレスを着たシャーロットが、クッキーをつまんで食べていると、隣に腰かけたアルフレッドが笑ってその頭を撫でた。一方のアルフレッドは、灰色のツイードスーツを着ている。
「それに、あまりにも反対してくるようなら、王室から離脱しようと思って」
「えっ!?」
「ほら、この間の舞踏会でリカルドに会っただろう? あまりにも反対されるようなら、こちらの国に来ないかって。そう言われてもいるし……」
「そうなんですね。では、本当にどうしようもなくなったら、そのことについて考えていきましょうか!」
「ありがとう。ロッティならそう言ってくれると思ってたよ……」
にこにこと嬉しそうに笑って、私の垂れた両耳をもふりだした。今日は根元にちょこんと、薔薇のアクセサリーをつけている。それにしても、アルフレッド様が王室から離脱? ……どう考えても、無理な気がする。二人分の生活費や警備費、あと、王城から出て生活したことがないアルフレッド様が、ここを出てやっていけるとは到底思えない。生活水準も落とせなさそうだし、変化にも弱そうだし。でも、まだそうなると決まった訳じゃないし、落ち込ませちゃうから、黙って微笑みだけ浮かべる。
(だから、私がどうにかしないと! 陛下に認めて頂きたいんだけどなぁ……)
そのテストとやらに、合格したら認めて貰えるのかしら? 物思いにふけって、こっそり溜め息を吐いていると、おもむろに扉がノックされた。
「あ、あの、殿下? 申し訳ありません、少々よろしいでしょうか?」
「どうした? すぐに行く」
(どうしたんだろう……?)
扉がすぐに開いて、困った表情のルイが顔を覗かせる。そのすぐ後ろに、誰かが控えていた。同族の匂いを嗅ぎ取り、一瞬で毛が逆立つ。ルイの後ろに控えていたその人物が、一歩、足を踏み出して無断で入ってきた。
ルイが「あの、申し訳ありませんが……」と言って制するも、優雅にその手をかわし、木かごを持って堂々と立つ。それを見た瞬間、気が遠くなった。その男性が持っている木かごの中に、一匹のふわふわウサギが入っていたから。そう、彼女は私の宿敵であり、さほどしっとりしていない毛並みの悪さから、コンテストで万年二位のルーナ・スペンサー。
彼女は性格の悪さを滲ませ、黒い毛皮を膨らませていた。同じく真っ黒な瞳には野心を燃やしており、それを見たアルフレッド様があろうことか、どこか嬉しそうに「ウサギちゃんだ……!! 可愛い、詰まってる」と呟く。
「アルフレッド様……?」
「ごっ、ごごごごめん……!! もちろん、ロッティが一番可愛いよ!?」
「どうでしょう? 殿下。彼女はスペンサー侯爵家のご令嬢で、以前から殿下に憧れていたのだとか」
「初めまして! ルーナ・スペンサーと申します。このような形でご挨拶すること、どうかお許しください……」
私が殺気立っているにも関わらず、癪に障るような、甘ったるい声で挨拶してきた。振り返ってみると、アルフレッド様が締まりのない笑顔を浮かべ、「いやいや、どうも初めまして」と返している。
「アルフレッド様……?」
「いや、あの、その、本当にごめん……!!」
「シャーロット嬢、ですね? こんにちは。以前、夜会でもお会いしましたが、まぁ、覚えていらっしゃらないでしょうし、改めてご挨拶させて頂きたく」
紺色の地に、黒いリボンが巻かれた帽子を脱ぎ、すらりとした長身の男性がにっこりと微笑む。つやのある黒髪に青い瞳を持った彼は、この暑さの中でも涼しげな空気をまとい、目新しい紺色と白のストライプスーツに身を包んでいる。その端正な顔立ちについうっかり、目が奪われてしまった。今度はアルフレッド様が「ロッティ?」と呟く番で、慌てて目をそらす。
「セシル・ブラックと申します。少しでも聞き覚えがあると、そう言って頂けると嬉しいのですが」
「ああ、あの、男爵家の……もしかして以前、私にゼリーをくださった方でしょうか?」
「ゼリーを……?」
アルフレッド様がぴくりと肩を動かし、次の瞬間、私の腰に手を回して抱き寄せてきた。も、もしかして、テストってこのこと!? 睨みつけてきたアルフレッド様に怯むことなく、セシルが甘い微笑みを浮かべる。
「ああ、殿下。申し訳ありません、ご挨拶が遅れまして」
「……兄上の差し金かな?」
「差し金なんてそんな、とんでもない! ……陛下はお二人の行く末を案じておられます。ですからこうして、会って話す機会を与えてくださった」
そう言いながらも、「失礼」と断りを入れ、かごを床へとおろす。ルーナがわざとらしく「ぷっ、ぷっ!」と鳴き、さっさと出ればいいものを、木かごの中で真っ黒な毛皮を膨らませる。わっ、わざとらしい! 貧相な毛皮を強調しようと、あえて出てこないだなんて! 殺気立っていると、アルフレッド様に構わず、セシルが私にずずいと近寄ってきた。
「シャーロット嬢。貴女の婚約が決まった時、本当に胸が張り裂けそうでした……」
「えっ? あの、」
「悪いが、彼女に近付かないで貰えるか?」
「……殿下にはルーナ嬢がいますよ。ほら」
ちろりとつられて見てみると、性悪のルーナがわざとらしく、悲しげに震えてアルフレッド様のことを見上げていた。それに心を揺り動かされたのか、困った顔をして戸惑う。
「アルフレッド様……?」
「あっ、いや、もちろん、私にはロッティしかいないからね!? 安心してくれ!!」
「それでは、殿下。陛下にシャーロット嬢と話すよう、そう、きつく言い含められていますので」
驚いて見てみると、セシルが腹黒い笑みを浮かべた。アルフレッド様の優しい笑みを見慣れているから、すぐに分かる。
「それとも、少し話しただけで心が揺らぐんですか? それなら今、周囲の反対を押し切って結婚したところで、お二人は上手くいかないのでは?」
誤字報告ありがとうございます。初めてきたので、感動しました。




