番外編 初めての散歩とプロローグの裏側
彼女と出会った瞬間、好きになった。もちろん、疲れ果てて眠りに落ち、目が覚めたら腕の中に可愛いウサギちゃんがいたから、そのつぶらな瞳と毛皮に恋をしたとも言えるが。────だけど、これは今までとは違う。
体を起こして、身支度を整え、向き直ってみると、彼女はおっとりとした、優しい微笑みがよく似合う女性だった。艶のある、柔らかな栗色の髪に、新緑を閉じ込めたかのような瞳。着ているドレスは淡く、けれども程よい深みがあるグリーンで、瞳の色より濃いそれは彼女によく似合っていた。肌も白くて柔らかそうで、やけに心臓がうるさかった。
ただ、そこに座っているだけで目が釘付けとなる。絶世の美女という訳では無いのに、やけに目が離せない。彼女がただ、「どうか気になさらないでください、殿下」と言っているだけで、心臓を小鳥の羽根でくすぐられているような気分になった。一瞬だけ、母の肖像画と重なる。が、私は決してマザコンではない。そう思いたい。
「……シャーロット嬢、すまない。こんな、見ず知らずの貴女を部屋に連れ込んだりして」
「いえいえ、驚きましたけど……大丈夫ですよ? その、私も疲れていたのでちょうど良かったです」
紅茶を片手に、にこにこと笑ってそう言ってくれた。もっともっと彼女と話がしたい、彼女のことが知りたい。
(シャーロット・オーウェン、か……)
聞いたことがない名前だった。確か、子爵家の娘だと言っていたような気がする。過労のせいか、頭がろくに動きやしなかった。でも、彼女のことをもう少しだけ知りたい。ぐっと、膝の上で拳を握り締める。
「その、差し出がましいことを言うようだが」
「はい? どうかなさいまして?」
「これからその、ま、毎週、もふらせて貰えると……」
権力を持って生まれてきて良かったと、初めてそう思えた瞬間だった。……最低だ。こんな部屋で二人きりの時に、王弟から頼まれたら、しがない子爵家の娘である彼女は断れないだろう。罪悪感に歯噛みしていると、彼女は驚いた顔をしたのち、ふわりと微笑んだ。嬉しそうで、幸福そうな微笑み。
「はい、私で良ければ。……ですが、殿下?」
「あ、ああ。どうした?」
「非常に申し上げにくいのですが、このやり取りは二回目なんですよ……」
「えっ!?」
<二人で初めて散歩>
「……という訳なんだ。幻滅しただろう? ああ、もう嫌だ。税金の無駄遣いだ、税金の。どうして王族なんかに生まれてきたんだろうなぁ……きっと、その内私は、」
「殿下! 気分が落ち込むのなら、私と一緒にお散歩してみませんか?」
「散歩……?」
寝転がっていたソファーから体を起こし、絨毯の上にいる彼女を見てみると、ふんっと、自慢げにふわふわの胸を張った。図書室にあった図鑑で調べてみたところ、あのふわふわ部分は「肉垂」と言って、冬を越す時や、出産時に使う脂肪が蓄えられているらしい。だから、極上の手触りなのか。必死に腕を伸ばして、彼女の胸をもふもふしていると、すりりと、手の甲に頭を擦りつけながらも、もう一度私を見上げてきた。
「ねっ? そうしません? 今日は良いお天気ですよー!」
「……そうだね。時間もあるし、ちょっとぐらい、中庭をうろついた方が気分転換になるかもしれないな」
渋々と体を起こして、一つ、欠伸をしていると、どこから出してきたのか、リードと首輪をくわえ、ずるずると引き摺りながらやって来た。呆然とその光景を眺めていると、口をあにゃあにゃと動かしつつ(どうも、リードをくわえたせいで口が渇いたらしい)、つぶらな瞳で見上げてくる。
「さっ! お散歩に行きましょうか、殿下!」
「リードを……つけるのか? 君が?」
「いえ、この姿だと動き辛いので! 後ろに手が回らないんですよ~……ですからその、殿下がつけて頂けると」
こちらにふわふわのお尻を向け、困った顔で見上げてきたので、それまでの疑問が吹き飛んだ。獣人とそこまで親しい関係になったことがないから、よく分からないが、どうも彼らはリードをつけて散歩するらしい。床に膝をついて、彼女に首輪をつけていると、恥ずかしそうにもじもじと身じろぎし出す。
「シャーロット嬢? かゆかったかな?」
「い、いいえ、その、我ながら大胆なお誘いをしてしまったなと……!!」
大胆なお誘い? 王宮の中庭を散歩するのが? 頭が回らなくなって黙り込む。つい今しがた、遠縁の女性の名前を呼び間違え、大恥をかいた挙句、「これだから、素性の知れない女の子供は」と呟かれたので、心の余裕は無いに等しい。今すぐ消えてしまいたい。ふと気が付けば、空があった。春の風が辺りに漂い、頬を撫でてゆく。
「……まぁ、散歩もいいかもしれないなぁ」
「でしょう!? 私の日課なんです!」
「そっか……」
可愛い、ものすごく可愛い。リードを持ち、芝生の上を走ってゆく彼女のふわふわなお尻を見ていると、何もかもがどうでも良くなってきた。はふはふと、嬉しそうな顔で庭を駆け回り、しゃがんだ私の下へ走って来てくれる。ウサギ姿の彼女が、広げた両腕に飛び込んだ瞬間、喜びが弾けた。
「殿下ーっ! どうですか!? 元気出ましたか? 気分転換になりましたか?」
「うん! なったよ、ありがとう……」
シャーロット嬢、君が楽しいのならもうそれでいいよ。そんなことを言ってみると、きらきらと目を輝かせ、「じゃあ、次はボール遊びをしましょうか! 持ってきますね!」と言ってきた。可愛い。ものすごく可愛い。
(でも、好きだとそう、一体いつになったら告白出来るんだ……? 振られる未来しか想像出来ないし、彼女が他国の姫で、どうしてもエオストールと縁組しなきゃならない状況で、政略結婚だったらそれはどんなに)
<アルフレッドから見たシャーロット>
「ウサギは縄張り意識が強く、メスのウサギは気性が荒いことも……なるほど。だからか」
彼女と出会ってから、ウサギについて調べるようになった。しかし、彼女の気性は決して荒くなんてないし、か弱く、繊細な女性だが。
(でも、ぬいぐるみに嫉妬していた理由がこれでようやく分かった……自分のテリトリーを荒らされたみたいで嫌だったのか)
そう、つまりは愛情からではない。両目を閉じ、図鑑を本棚へと戻してうつむく。
(調べなきゃ良かったな……!! ああ、自分で調べておいて、落ち込むとは……)
<ウサギのぬいぐるみとシャーロット>
朝、起きるとアルフレッド様が目の前にいた。びっくりして毛皮を震わせていると、眉をひそめて「うーん……」と唸り出す。
(そ、そうだ! 私、過去に行ってそれで……)
眉間にしわを寄せて、眠っているアルフレッド様は、しっかりと私を抱きかかえていた。ま、まぁ、どんな抱き枕にも勝る、私の毛皮ですからね! でも、苦しそうな寝顔だった。
(私の毛皮でも、元気にならないだなんて……やっぱり、昨夜のことがショックだったんだわ)
滑らかなダークブラウンの髪はさらりとしていて、癖一つ無く、朝陽に照らされて光り輝いている。鼻筋は涼しげに通っているし、くちびるの形も綺麗。閉じられたまぶたのふちには、長いまつげが整然と並んでいた。
「アルフレッド様……好きです、大好き!」
ちゅっと、ウサギ姿でキスをしたあと、ベッドから飛び降りて浮気相手を探す。そう、あのカウチソファーに置いてあった、ウサギのぬいぐるみ!! 後ろ足でけりけしただけじゃ物足りないの!
(徹底的に報復せねば!!)
昨夜のカウチソファーに飛び乗って、ぐったりと、力を失くした浮気相手を発見。アルフレッド様にばれないよう、お尻の辺りを齧って綿を出しておく。でも、はたと、あることに気が付いて、ぬいぐるみから口を放す。
「アルフレッド様に嫌われちゃったらどうしよう……?」
つい、醜い嫉妬心に任せて、噛み噛みしちゃったけど。怒られるかもしれない、嫌われるかもしれない。とぼとぼと、落ち込みつつアルフレッド様の下へ戻る。あおむけになって、胸元のシャツをゆるめ、すやすやとあどけない表情で眠ってらした。ご本人の中身はよわよわなんだけど、すさまじい色気がだだ漏れになっている。
「アルフレッド様……綿を出したの、私じゃありません! しっ、知りません……!!」
<その後 念のため確認していた>
「あっ、ああ、綿が……いつの間に!? お気に入りだったんだけどなぁ」
ぐったりと、無残にもお尻から綿を出しているぬいぐるみを持ち上げ、苦笑する。でも、そうか。ウサギ姿の彼女が嫉妬して、懸命に齧りとって綿を出したかと思うと口角が上がった。
「……気にしなくても良いのに。ロッティ、好きなのは君だからね」
本人が目の前にいたら、そう言って抱き締めてあげたんだけどなぁ。彼女は一体、どんな思いでこのぬいぐるみを齧っていたんだろう? 記念に捨てずに、残しておくことにした。彼女が齧っていたからか、少しだけ湿った断面を指でなぞり、笑う。
「これも、大事に残してるのがばれたら、怒られるんだろうなぁ。はー……今すぐ会いたいが、まずは義姉上の問題からだなぁ。どうしよう、本当に。陛下に相談するしかないか」




