30.私の世界で一番繊細な王子様
「まぁ、可愛い~! 殿下が夢中になるのも納得の手触りだわ」
「叔母様、次は私にも抱っこを……!!」
ふんふんと、得意げな顔をして鼻を鳴らしている彼女が、老齢のご婦人とご令嬢方に囲まれていた。細い腕にすっぽり収まっていて、胸元の毛がむちっと盛り上がっている。すごく可愛い。すごく可愛いんだが……。
「いやぁ、すさまじい人気だな! やっぱりお前が張り付いているよりも、ああしてウサギ姿になって、ご令嬢方と交流した方が……」
何も答えられず、ちびちびとグラスに入ったシャンパンを飲み、壁に背中を預けていると、リカルドが戸惑って、その淡い琥珀色の瞳を揺らした。最後に会ったのは十六歳の時。ドラゴンだからか、私が弱音を吐いても笑って許してくれた。この本性を多少なりとも知っている人物ではあるものの、忘れている可能性が高い。────ドラゴンに繊細な気遣いは出来ない。彼らは物忘れが激しく、場の空気もあまり読めない。
案の定、戸惑って「どうした?」と聞いてくる。弱者には優しく、強者とは友になれ。面倒見が良い種族で良かった。思う存分、弱音が吐ける。
「いや……今、自分の存在価値について考えていたところだ。彼女が私よりもすごいテクニシャンを捕まえて、婚約したらどうしよう……?」
「おいおい……どうした? 仲が良さそうに見えたが、実はあまり上手くいってないとか?」
「いいや、そうじゃないんだよ。リカルド……」
あ、今、三人目の男が彼女の頭を撫でた。あれは確か、ロックウェル子爵家の息子か。婚約者はいなかったはず。ああ、また違う男がやってきて、彼女の頭を撫でている……。彼女が嬉しそうに鼻面をあげて、「ぷっ、ぷっ!」と鳴いている。ああ、今すぐ部屋に帰って泣きたい、落ち込みながら眠ってしまいたい……。
「お、おい。どうしたんだよ? アルフレッド。ほら、シャーロット嬢も場に馴染んできて楽しく、」
「見捨てられたらどうしよう……?」
「アルフレッド!? 無いと思うが、そんなことは」
「いいや……いつか絶対に見捨てられるんだ、そうに違いない。きっとそうに違いない……」
「えっ」
リカルドが絶句して、呆然とした顔でこちらを見つめてきた。やっぱり忘れていたんだな、こんな中身だってことを……。グラスを握り締め、ひたすら自分の履いている革靴を見つめていると、そっと優しく、肩に手を添えてきた。見てみると、兄のような優しい微笑みを浮かべている。
「アルフレッド……そうだ、お前は昔から異様に自信が無い子だった」
「リカルド。私は、」
「でも、彼女がああやって頑張っているのは、お前のためなんだぞ?」
「いや、私には楽しくもふられているようにしか見えないが!?」
「……そう見えるように振舞っているだけだよ。誰彼構わず、毛皮を撫でられて嬉しいやつなんているか?」
悪い、リカルド。私の目からは、彼女が本当に楽しそうに、誰にでも愛想を振りまいて、「そうなんです! 自慢の毛皮なんです~!」と言っているようにしか見えないんだ……。が、せっかく慰めてくれているので、そんなことも言えずに黙り込む。そんなこちらには気付かず、リカルドがしみじみとした顔で続けた。
「俺だって、誰にでも鱗を触らせるかと言えばそうじゃない……あの時だって、お前がきらきらと、目を輝かせて乗せてください! って言ってくるもんだから、ついつい乗せて飛んでしまって」
「悪い、リカルド……それは一体、どこの子供の話なんだ? 記憶違いだろう」
「そうだったか? 十年も前の話となると、記憶も曖昧で」
「私は鱗にちょっと触りたいと言っただけで、背中に乗せて飛んで欲しいと言った覚えは無い! それをリカルドが無理にすすめてきて、」
「わ、悪い悪い……お前に空の楽しさを教えてやろうと思ってな」
「地面にいる方が落ち着くし、楽しいに決まってるだろう……!?」
ああ、ドラゴンにそんなことを言っても無駄か。案の定、変な顔をして「そうか?」と言ってきた。彼らは繊細なところがあるくせに、どうにも気遣いは出来ない。落ち込んで、シャンパンをちみちみと飲み進めていると、一人のご令嬢が話しかけてきた。ダンスに誘えということか。
(ああ、気が重い……だが、これも公務の一環だから)
自分を奮い立たせ、笑顔のリカルドと別れてそのご令嬢と踊る。でも、先程までの楽しさは無かった。彼女がいないと、豪華絢爛な大広間もあっという間に、その色を失う。が、丁寧に腰をホールドして、規則正しくステップを踏む。彼女といると、あんなにも心が踊ったのに。光り輝くシャンデリアは目に痛く、色鮮やかなターコイズブルーのドレスをまとったご令嬢も、どこか色褪せて見える。
(父上も……こんな気持ちだったのかもしれないな。ここは息が詰まる、早く帰りたい)
死の間際、王妃の名ではなく母の名を呼んだ。骨ばった両手を胸元で組み、ひび割れた青紫色のくちびるで、「マルティナ……」と呟いた。咄嗟に見上げた王妃の顔は白く、屈辱にわなわなと体を震わせていた。何十年も連れ添い、誰よりも傍で支え続けていた王が死の間際、自分の名ではなく、ぽっと出の女の名を呼ぶ。それはどれほど屈辱で、どれほど虚しいことであったか。
「……だから私は、彼女以外の誰かを迎えるつもりはない。間近であの騒動を見てきたからね」
「アルフレッド様……」
ろくに話したこともないご令嬢に、名前を呼ばれて少しだけ苛立つ。こんなことをしている暇があったら、早く彼女の下に帰りたいんだが。彼女は伯爵家の娘らしく、エミリアと名乗った。金髪に青い瞳のほっそりとしたご令嬢で、悲しげに涙ぐみ、こちらを一心に見上げてくる。が、しかし。
(女嫌いで通っているはずなんだが、一体どうしてだ……?)
王弟の側室という地位が目当てか。気が進まない。非常に気が進まないが、ここはもうはっきりと、私に近づくことがないよう、拒絶しておかなくては。あまりの気の重たさに、溜め息を吐きそうになってしまった。が、すんでのところで飲み込む。
「それに、彼女は面倒なことを何も言わない。ろくに構ってもいないが、文句一つ言ってこない。……それに引き換え、君は何かと面倒臭そうだ。側室に迎える価値も無い」
ああ、自分で言っておいて胸が鈍く痛んだ。しかし、彼女も彼女で地位が目当てなんだから、気に病む必要は無いだろう。それでも、背筋が冷えて汗が滲んだ。どうにも向いていないな、こういったことは。予想通り、震えて泣き出した彼女から、慌てて逃げ出す。悪い、もう少し優しい言葉で断れたら、それはどんなに……。
(ああ、本当に、好きでいてくれてたのかもしれないのに……まぁ、中身を知って幻滅するのがオチだろうが。ああ、疲れたな。舞踏会はどうにも好きになれない)
彼女は彼女で、こちらのことをまったく気にもかけず、嬉しそうに誰かに愛想をふりまいているし。帰って眠りたい。もう疲れた。嫌だ。重たい体を引き摺って、広間へと続く扉に手をかけると、ぱっとシャーロットが目に飛び込んできた。バルコニーで涼もうとでも思ったのか、驚いた顔で佇んでいる。
「ロッティ! 助かった、おかえり……!!」
「あの、敵は? 一体どこにいるのでしょう?」
「敵……?」
戸惑って聞き返すと、荒んだ表情で頷く。いつもきらきらと光っている、澄んだグリーンの瞳が仄暗くなっていた。彼女がちょっとだけ首を伸ばし、バルコニーの隅で泣いているであろう、エミリア嬢を覗き見る。
「……踊ってらしたでしょう? その、あの方と。連れ立ってバルコニーへ行ったから」
「ああ、大丈夫だよ。もう断ったからね?」
「やっぱりとことん、とことん再起不能にっ……!!」
「ろ、ロッティ。待って待って、落ち着こうか!? 彼女は十分と言ってもいいぐらい、傷付いてるんだし!」
ふんふんと鼻息が荒い彼女を引き止めると、ふいに、悲しげな表情で見上げてきた。さっきは罪悪感しか感じなかったのに、彼女に見上げられると胸が弾んだ。
(そうか。嫉妬しているのか)
自然と口元に笑みが浮かんでしまう。彼女もまた、先程の自分と同じように、苦々しい気持ちを噛み締めていたのかもしれない。そう思うと心が踊った。不安そうな表情で視線を外し、エミリア嬢を見つめている彼女の肩へ、そっと触れる。
「アルフレッド様?」
「大丈夫。側室なんて迎える気は無いから。一生浮気なんてしないよ、大丈夫」
「な、なら良いのですが……」
少しだけほっとしたように笑い、ぎゅっと胸元にしがみついてきた。その背中に手を添え、大広間へと促す。流石にここでいちゃいちゃして、後ろのご令嬢をさらに悲しませたくはない。また挨拶にやってきた人々と笑顔で話し、隅の方に並べられている、サンドイッチやゼリーのコーナーへと向かう。そろそろ、外れて休んでも許される頃だろう。
「は~……流石に腹が減ったな。何か、何かボリュームのあるサンドイッチでも……」
「私は甘いものが食べたいです……。ゼリーにしようかな、それともムースにしようかな?」
私がトングで三つほど、ハムとキュウリのサンドイッチを持ち上げていると、彼女が「うーん」と唸って、真剣にゼリーやムースの器を見つめた。ただ、彼女が好きだと言っていたチョコレートケーキに、ミックスベリーのプティングが隅の方に並べられているのを発見する。
「ロッティ? 君の好きそうなプティングもあるけど?」
「それにします! わ~……ありがとうございます、覚えててくださって! 私の好きな食べ物!」
何でもないようなことで、ぱっと笑って喜んでくれる。やはり、彼女といる方がほっとするなと思いつつ、サンドイッチを載せた皿を脇に置いて、彼女の皿へプティングを盛ってあげると、幸せそうに頬を緩めて笑っていた。しばし、見つめて笑い合ったあと、手近な椅子へと腰かける。
「は~……疲れた。ロッティ。その、嫌な目には?」
「さっき遭いました……アルフレッド様が言い寄られてました……!!」
「大丈夫だよ、ちゃんときっぱり断ったからね?」
「ふぁい……離れません。もう今夜は。アルフレッド様から!」
嬉しいことを言って、肩に頭を預けてくれた。二人で寄り添い、持って来たサンドイッチやプティングを食べる。少し放っておいて欲しい気持ちを察してくれているのか、誰も近寄ってこなかった。中央ではまだ、賑やかに複数の男女が踊って喋っている。
「……あっという間に無くなってしまったね」
「ですね! 四つぐらい、まとめて取って食べます!」
「そうしようか……ああ、気力も消耗したし、疲れた。帰ってもう眠りたい」
「私も色んな人に頑張って、愛想をふって疲れました……」
リカルドの言う通り、彼女も嫌だったのかもしれない。そう思って振り返ってみると、すぐさま「でも、つやつやもふもふ毛皮ですねってすごく褒めて頂いたんです! 楽しかった~!」と言い出したのでがっかりする。
(ほら、違うじゃないか。やっぱり……)
かくなる上は彼女に見捨てられないよう、もふもふテクニックを磨くしかない。そう決意して、一口サイズのミートパイやキッシュ、しっとりとした赤身のローストビーフを皿へとよそった。彼女はバニラアイスの上に、チョコブラウニーとアーモンドスライスをいそいそと盛っている。
「……うん。やっぱりミートパイが一番だな。一口サイズだから、あっという間に無くなってしまうけど」
「ば、バニラアイスがすごく美味しい……!! アルフレッド様、これ、おすすめですよ! ブラウニーもしっとりしててすごく美味しいし、他にも」
「じゃあ、一口貰おうかな?」
「あ、はい……」
照れ臭そうに笑って、「はい、どうぞ!」と言いながら口の中へ入れてくれた。お返しに、キッシュを切り分けて彼女の口へと運ぶ。帆立が入ったそれを、嬉しそうな顔で噛み締めていた。こうして彼女の喜ぶ顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなってくる。
「じゃあ、もう一度だけ踊ろうか!」
「踊りましょうか! あの、くるんって回すやつ、アルフレッド様にもやって欲しいです!」
「リカルドより下手くそだが、それでも良ければ……」
「あの方はその、上手は上手なんですけど、自分本位なリードしかしないので、思うように楽しめませんでした……」
「そうだったんだ? へえ……」
気を使ってくれているんだな……。しみじみそう考えて、落ち込んでいると、向かいに立った彼女が慌てて「何度も言いますけど、アルフレッド様の優しいリードが一番好きなので!」と言ってくれた。気を取り直してまた、彼女と二人で踊る。周囲に人はあまりいなくて、のびのびと踊れた。彼女の嬉しそうな微笑みしか目に入らず、奏でられている音楽さえも耳に入ってこない。優しいリードが好きだと言ってくれたから、最初に踊った時よりも、細心の注意を払ってリードする。
(あ、また少し速くなるな。じゃあ、今度は……)
彼女が踊りやすいように、喜んでくれますように。周囲に目を走らせ、人を避けるべく、彼女とステップを踏みながら左へと寄って、誰かと誰かの間を通り過ぎる。楽しかった。彼女も先程より楽しんでくれているのか、嬉しそうに「アルフレッド様」と名前を呼んでくれる。そんな彼女に微笑みかけ、また額へとキスすると、くすぐったそうに笑っていた。
「ロッティ、次、回すよ~」
「あっ、はい!」
「ああ、もっとこう、スマートに言えたら良かったんだが。本当にだめだな、私は……疲れが出ているのかもしれない、もうだめだな」
「あの、そこで落ち込んでしまうんですか!?」
「ごめん、本当にごめん……!!」
流石に嫌気が差してきただろうと思って、見てみると、彼女が嬉しそうにくすくすと笑い出した。それから、期待を込めてじっと見上げてくる。その幸福そうな煌きを放っている、新緑のような瞳に目が吸い寄せられた。軽やかなリズムに合わせて、ステップを踏み、彼女の手を取ってくるりと体を回す。速く、正確でありながらも親切に優しく。また、こちらを振り向いた彼女が嬉しそうに笑う。
「そうっ! これなんですよ、これこれっ! 夢みたいっ」
「夢みたい……?」
「はい! 大きくなったら、舞踏会で素敵な王子様とこうやって踊るんだーって、そう憧れていたので! 私」
「なら良かった。……ありがとう、ロッティ。素敵だと、そう言ってくれて」
どんなに不安になっても、彼女はますます嬉しそうに笑うだけ。どれだけ弱音を吐いても見捨てず、むしろ、そんなところが好きだと言ってくれる。踊り終えたあと、彼女を見つめる。彼女も私と同じように肩を上下させ、息を荒げていた。
「……うん。このまま順調に、見捨てられずに済むかもしれないなって。今、ちょっとだけそう思えたよ。ありがとう、ロッティ」
「えっ!? でも、ちょっとだけなんですか……?」
「うん。すまない……出来るだけ舞い上がらず、常に最低最悪な未来を想定して動いていたいんだ。喜んだあとで、一気に叩き落とされたくはないからね……」
「アルフレッド様……おいたわしい。でも、大丈夫ですからね! 何度だって貴方に伝えます。そんなところも好きだって、そう!」
その言葉に目を瞠る。彼女はにこにこと、嬉しそうに笑っていた。まぁ、それならもう少しぐらい、信じてみようか。
「……ありがとう、ロッティ。好きだよ、愛してる」
「落ち込み顔からの、その微笑みはちょっと反則だと思います……!!」
「えっ!? 一体どうしてウサギの姿に!?」
「抱っこしてください……」
「もちろん、いくらでも喜んで!!」
次回番外編のあと、二章が始まります。ブクマといいねありがとうございます、心が折れずに済んでいます。




