25.王妃の回想と彼女の自信の源
私達を迎え入れた王妃様は少しだけ顔色が優れなくて、でも、どこか吹っ切れたご様子だった。今日はきっちりと黒髪を結い上げ、背筋を伸ばし、優雅な黒いオーガンジードレスを身に纏っている。見たこともないドレスだった。
華奢な体を覆う、黒いレースには品のある花柄が浮いていて、胸のすぐ下には、光沢のある真っ黒なリボンが巻きつけられている。それなのに、ドレスのスカート部分は幻想的にふんわりと広がっていた。その黒く重なったスカートの端には銀色のレースが縫い付けられ、よくよく見てみると、生地全体が金箔をまぶしたかのように、きらきらと煌いている。私が深い青とも、紺色とも呼べるスーツを着たアルフレッド様にエスコートされ、以前に座った椅子へと腰かけてから、「素敵ですね! そのドレス」と褒めると、どうしてか、曖昧に笑って青い瞳を歪めた。
「……ありがとう。お姉様が犯人だったとわね。だからこれは、喪に服すつもりで買ったの。まぁ、派手だから、お葬式には使えないんでしょうけど」
「なるほど。ええっと、あの、よくお似合いですよ……」
「お、お似合いですよ……」
「今日は素を出してみる!」と意気込んでいたアルフレッド様が、若干青ざめた顔で私の言葉を繰り返す。王妃様はすうと片眉を上げて、紅茶のカップへ口を付けただけだった。心配になって見てみると、アルフレッド様も優雅にカップを持ち上げ、「胡散臭い」と言われそうな微笑をふわりと浮かべ、私の耳に届くか届かないかの声で「帰りたい、帰りたい帰りたい帰りたい……もう嫌だ、もう嫌だ」とぶつぶつ呟いていらした。す、すごい! くちびるも表情もほとんど動いてない!
(確かに、ちょっと離れたところから見たら、胡散臭い王子様に見える……)
でも、私のウサギ耳はしっかりと、アルフレッド様の弱音を捉えているのです。ふすんと鼻を鳴らし、アルフレッド様の固く強張った手を、テーブルの下でぎゅっと握り締める。
「あの、王妃様が沈んでおられる中……このようなことは大変申し上げにくいのですが」
「なぁに? 婚約の件について? それなら、」
「いいえ! アルフレッド様のよわよわな本性についてです!」
「よわよわな本性について……」
「ロッティ……」
振り返って見てみるとすっかり青ざめ、「やめてくれ」とくちびるだけを動かして告げ、ふるふると首を左右に振っていた。意識して柔らかく微笑みかけてから、王妃様へと向き直る。
「今はその……すごく素敵で完壁な王子様に見えますが、アルフレッド様は、」
「……ギルバート様の方が素敵だわ」
「えっ? いやあの、アルフレッド様の方が」
「きりが無いからやめようか? ロッティ……」
ふうと溜め息を吐いて、苦く微笑み、私の手をそっと優しく持ち上げてくださった。その柔らかな苦笑を見て、王妃様が驚き、青い瞳を瞠っている。
「義姉上……今まで申し訳ありませんでした。まさかこんな、こんな、自分でも嫌悪している……」
「が、頑張って! アルフレッド様、頑張ってください!」
「あっ、ありがとう、ありがとう、ロッティ……ああ、だめだ。上手く出そうとすればするほど出せない!! きっ、君のふわふわな耳が無いとだめだ。ごめん、ちょっと触らせて貰うが」
「大丈夫ですよ! 普段の十分の一ですけど、ちゃんと出せてますよ!」
「部屋に、部屋に帰りたい……神様は一体何を思って、私を王族にしたんだろうか……やっぱりいつかは王族失格の烙印を押されて、王室が始まって以来最も情けなくて鈍臭くて情緒不安定な王子として淘汰され、」
「さっ、されません、されません!! だっ、大丈夫ですよ!? ねっ? ねっ? 私の耳でも触って落ち着いてくださいませ! 癒されて心の傷も治りますよ?」
「あっ、ありがとう、ありがとう、ロッティ……もう嫌だ、一日中引きこもって寝ていたい。帰りたい、ああ、つらい……」
王妃様をなるべく見ないように、顔を背けて両目をぎゅっと閉じつつ、泣きながら私の両耳をもふもふし始めた。王妃様がそれを見て、何とも言えない微妙な顔をしてらっしゃる。私が「ねっ? 言った通りでしょう?」と話しかけるかのように、真っ直ぐ見つめてみると、たじろいだ。心を落ち着かせるためか、また先程のように紅茶を口へと含む。
「……分かったわ。でも、それも演技かもしれないけど」
「義姉上……今まで申し訳ありませんでした。普段が演技なんです。もちろん、信じて頂かなくとも結構です。私自身、これがどんなに演技であればいいかとそう毎日毎日思い悩み、」
「アルフレッド様の素敵なところなんです! これが!」
「それが……?」
「うっ……!!」
軽蔑するような眼差しを受け止めてしまい、胸元を押さえてぐらりと傾く。私が慌ててお支えすると、両手で肩にしがみつきながら「もうっ、もうダニになってしまいたい……!! 人の皮脂や汗に集って生きていくべきなんじゃないかな……!?」と言って、とうとう泣き出してしまった。かっ、可哀想に!
「おっ、おおおお王妃様!? アルフレッド様の心は溶けかけの雪より弱いんですよ!?」
「……」
「そんな目で見られたら、アルフレッド様が今夜も悪夢にうなされてしまうので……!! どうぞ、どうぞやめてくだ、」
「いや、いいんだ……そもそもの話、誰かに傅かれて生きている、この状態が異常なんだよ……本来はそういった目で見られるべき存在なのに、私は、私は、」
「もういいわ。分かりました」
「ひっ」
アルフレッド様が小刻みに震え、しっかりと私の肩にしがみつく。し、幸せっ……。そう! こんなアルフレッド様を理解して守れるのは私しかいないの!
「王妃様! 今さら、今さら他の女性がアルフレッド様にはべるだなんて……到底許せません! どうか約束通り、私達の婚約をお許し頂けませんか?」
「ええ……何だか疲れたわ。もういいんじゃない?」
「て、適当ですね、義姉上……」
「ゆ、許して貰えたのでしょうか……?」
戸惑って顔を見合わせてから、王妃様の方を見てみると、疲れたように笑い出す。ひとしきり嗚咽のような笑い声をもらしたあと、「はぁ」と深い溜め息を吐き、テーブルへと手を添える。
「私……今まで見当違いの相手を憎んで、恨んできたの? その間、お姉様は……一体何を思って生きていたのかしら」
「王妃様……」
「義姉上、それは」
「ねぇ、信じられる? あの、完壁なお姉様が……いいえ、完壁だと思っていたのは私だけなのかもしれない。羨ましくて、好きで、あの顔になりたくて、私もお姉様のようになりたくて」
返事は求めていないのかもしれない。手と手を重ね、アルフレッド様と見つめ合う。苦しそうな青い瞳が涙を湛え、揺れ動いていた。そっと、慰めるために微笑を浮かべ、ひたむきに見つめる。すると、アルフレッド様もすかさず微笑んで、さらに優しく、私の両手を握り締めてくださった。その温かさが、胸の奥底へと染み込んでゆく。
「でも、違ったの。まさか、まさかあんなことをするだなんて……ばれないとでも思ったのかしら? そんなに、私が憎くて羨ましかった? ねぇ、お姉様」
お姉様、お姉様。遠くの方で星のように光り輝いていた。だから、こんな重罪に手を染めるとは思っていなかった。────そんなに、私が憎くて羨ましかったの? 国母となる私が。ゆっくりと手を伸ばして、スカートの上から自分のお腹を押さえる。
「でも、私の勝ちだわ! これで、これで……ギルバート様は私だけのものになってくれるの……あの方は嘘を吐かないから、側室なんて迎えないはず、きっときっと」
そうだ、私はお姉様に勝ったんだ。生まれて初めて。かたや父親に毒殺され、かたや国母となる。ざわりと鳥肌が立った。愛おしくて、妬ましかったお姉様はもうどこにもいない。
「色んな、話したいこともあったんだけど……ねぇ、お姉様のこと、どう思う?」
「どう、とは……? 義姉上」
真っ直ぐな青い瞳は戸惑っていて、私の瞳よりもなお、宝石のような澄んだ煌きを放っている。……何も見えていなかったのかもしれない、私は。
(じゃあ、あの、陛下の眼差しは一体)
でも、これはきっと、あの方の弱くて脆い部分だから。そこに気がつくのは私だけでいいのだから、口に出して問いかけはしなかった。もったいない、私だけがあの方の全部を把握して理解していたい。
「お姉様は賢い方だったの。……いいえ、お父様の冷たさを誰よりもよく理解して、媚を売ってらした」
「こ、媚を……!?」
「そう。だからこそ、お父様が訪ねてきて、人外者と繋がりがあるかどうかを聞かれて……自分の死期を悟った」
たわむれにそう告げてみると、二人が揃って息を飲み込み、ショックを受けたような顔をする。二人はよく似ていた。その素直さも真面目さも、優しさも欲の無さも。愛されてきた者ならではの健やかさに包まれ、私の胸を深く、鈍く傷付けてゆく。……もう、手に出来ないものだ。どれもこれも。
「それで、なんて言ったと思う? お姉様は……お姉様は」
「な、なんて仰ったんでしょう? 最後に」
「に、憎かったと? 義姉上が……」
その問いかけに笑う。そんな単純な言葉だったら、どんなに良かったことか。
「さようならね、マーガレット……私達、どこで何をどう間違えたのかしら?」
目に浮かぶかのようだった。父親からそう告げられた時、お姉様の静かで美しい微笑みが浮かんできた。緩く長い金髪に、優しげに細められた青い瞳。きめが細かくて柔らかな肌に、誰からも愛された甘い顔立ちと薔薇の香り。
「私はよく覚えていてよ、庭先で花冠を作ってあげたこと。ねぇ、覚えている? 貴女は……あの時の笑顔、誰よりも可愛かったわ。私の可愛い妹、何も気にすることは無いのに」
お姉様は容姿のことで落ち込んで悩む私に、いつもいつも、そう言って励ましてくれた。明るい春の庭先で、細くて小さな指で花冠を編んで、笑顔で私の頭にかぶせてくれた。
『ねぇ! ほら! よく似合ってるわ、マーガレット』
『本当に? お姉様。でも、お姉様の方がよく似合っているんじゃなくて?』
拗ねてそう聞くと、おかしそうに笑って首を左右に振り、私の頬に両手を添えてきた。
『ううん! マーガレットが一番よく似合ってる! どこの誰が何と言おうと、私の妹は一番可愛いの!』
鼻の奥がつんと痛くなる。熱い涙が頬を濡らしていった。私はどこかでどうしようもなく、お姉様を盲目的に慕っていた。ふと気がつけば、膝の上にウサギがちょこんと乗っていた。焦ったアルフレッド殿下が、彼女をウサギの姿へと変身させ、膝の上に置いてくれたらしい。ふんふんと鼻息荒く、「さっ! どうぞ? 私の毛皮をもふもふしてくださいませ! 王妃様!」と言ってきた。軽く笑って、目元の涙を拭い、震えながらも両腕で抱き締める。
「私、私……」
「はい! もふもふしてくださいませ! どうぞ遠慮なさらずにっ」
「ろ、ロッティ? 時には話を聞くことも、大事なんじゃないのかな……?」
「えっ? あっ、はい……毛皮、いらない……?」
「いやいるけど。義姉上にとっては必要無いかもしれないが、」
「いるわ。……私も、今だけは」
「でっ、でしょう!? もふもふ、どうぞっ! 今朝もざっとですが、きちんとブラッシングしてきましたよ!」
認めたくはない、認めるべきじゃないのかもしれない。でも、二人の前では何も取り繕えなかった。壊れたかのように、涙がぼたぼたと零れ落ちてくる。
「好き、好きだったの、私……お姉様のことが!」
「で、ですよね……? お辛かったですよね?」
「義姉上……妹として当然の感情ですよ、それは」
私が顔にもふもふを押し付けるべく、もぞもぞと動いていたら低く笑って、さらにぎゅっと抱き締めてきた。よ、良かった。毛皮、王妃様相手だけど効いてるみたい?
(うん! これでこの国の王弟と王女様と、王妃様を毛皮で陥落させましたっ……!!)
やだ、悪女みたい! 私ったら! 私に何らかの悪い企みがあったら、次々と王族や重臣達を毛皮で篭絡し、この国を好きなように支配し、最後の最後は民衆に憎まれて、「素晴らしい毛皮の持ち主だけど、処刑するしかないか……」と言われ、処刑台の露となって消えていたのかもしれない……。
「この場合、傾国のしっとり極上毛皮の悪女と呼ばれるのでしょうか……?」
「えっ? 確かに君の毛皮は誰も彼もを魅了するし、国が傾くほどだとは思うけど」
「分かったわ、シャーロットちゃんが自信過剰なの。殿下のせいでしたのね?」
「「えっ!?」」
驚いて見上げてみると、くすりと笑って、私の背を撫でてくださった。うーん、残念! 三十五点ぐらい……。なでなでの腕前は、あまりよくありませんね。密かにがっかりして落ち込んでいると、そうとは気がつかず、アルフレッド様が「そろそろ帰っておいで。疲れちゃったのかな?」と言って、私のことを抱き上げる。腕に私を抱え、愛おしく何度も何度もキスをするアルフレッド様を見て、王妃様が困ったように笑っていた。
「いいわ。……許します。私から陛下にお話ししてみます。また今度ね」
「あっ、ありがとうございます、義姉上……!!」
「ありがとうございます、王妃様! やった! これで一歩、結婚へと近付きましたね!? アルフレッド様!」
「そうだね、ロッティ。良かったね……頑張ってくれてありがとう、こんな私なんかのために」
気が抜けたように笑って、アルフレッド様が私のふわふわな額へとキスしてくださった。ああ、良かった。早く、早く。
(婚約バージョンの首輪を付けたいっ……!! ああっ、楽しみ!)




