24.ハルフォード公の判断と人の姿でのいちゃいちゃ
突然飛び込んできた情報に、目を疑う。紙面に書かれていたのは“マーガレット王妃の姉、死去”という文字だった。午前用のシンプルな紺色ドレスに身を包んだシャーロットが、ひゅっと息を飲み込んで、新聞を握り締める。ウサギのシルエットがひっそりと混じっている、金と茶の植物柄が浮き出た壁紙と、ダンデライオンにシロツメクサ、そして、色鮮やかな花畑が織り込まれた絨毯が敷かれたリビングルームには、麗らかな、夏へと傾き始めた春の陽射しが射し込んでいた。
“……数日前から、風邪を患っていたマーガレット王妃の姉、エイミス侯爵夫人が亡くなった。葬儀は近親者のみで────”
「嘘でしょう? 信じられない……」
真っ先に出てきた言葉はそれだった。気を落ち着かせるために、たっぷりのお砂糖とミルクが入ったぬるい紅茶を飲み干し、ふうと息を吐く。隣に座った義妹のオリヴィアが美しい眉をひそめ、手元の新聞を覗き込んできた。その手にはバターナイフと、パンが握り締められている。
「お姉様? お知り合いでした?」
「いいえ、でも……一応、その、殿下の親戚に当たる方ですし」
「しゃ、しゃしゃシャーロット!? お前、殿下とは本当に結婚するつもりで、」
「お父様。私、それどころじゃないんです! 早く支度をして、王宮へ行かないと!」
食べかけの目玉焼きや人参のラペを置いて、勢いよく立ち上がると、オリヴィアが焦って袖口を掴み、引き止めてきた。
「お姉様! 私との、私との朝のお散歩は……!?」
「ごめんね、ヴィー? 私、呑気にダンデライオンの匂いを嗅いでいる場合なんかじゃないの! もう少しっ、もう少し痩せたいから悔しいけどっ」
「お姉様は太ってなんかいませんわ。そのままでよろしいのに……」
「ううん、だめなの。もうちょっと、きゅっとくびれたウエストが欲しいのっ!」
「あの、シャーロット!? お前、少しはお父様からの質問に答えて、」
「行ってきます! 帰りはいつになるか分かりませんっ!」
「シャーロット!? お前っ、ちょっと待ちなさい!!」
父親の制止の声が虚しく響き渡ったあと、ばたんと扉が音を立てて閉まる。はぁと、思いっきり溜め息を吐いた夫に寄り添い、カミラが嬉しそうに微笑んだ。
「ほら、あなた? ああなったシャーロットちゃんを止めれるわけがないって、よくご存知でしょう?」
「……」
「あらっ! 久しぶりにウサギの姿に戻ってしまいましたね!? ふふふふっ、可愛い~」
「お義父様……私にもあとで、良ければもふもふさせてくださいね?」
しゅるしゅる、ぽんっと落ち込んでウサギの姿へと戻った夫を、カミラが抱えて嬉しそうに笑う。細腕に前足を置いたラルフがふうと、もう一度深く溜め息を吐いた。
「シャーロットが王族の一員になるだなんて……つい、この間まで、あんなに小さい子ウサギちゃんだったのになぁ」
「……お姉様の子ウサギ姿、肉眼でしかと確かめたかったところですが」
「ふふふ、無理ねえ。残念だわ、私も見てみたかったんだけどねぇ」
「こっ、これは……!?」
「良かったです。シャーロット様がすぐにいらしてくださって……午前中は頑張っていたんですが、帰ってきた途端、限界を迎えてしまったようで」
「ルイ……余計なことを言わないでくれよ、頼むから」
「格好付けたい気持ちも分かりますが、その体勢だと無理ですね。全てが」
「……」
紺色のジャケットを脱ぎ捨て、シャツ一枚になったアルフレッド様が虚ろな目で膝を抱え、カウチソファーに座っていた。ルイが呆れた表情で、ふんわりと甘い香りを漂わせるハーブティーをカップへと注ぎ、手渡す。
「はい、一気に飲んでください。全部」
「熱いから無理だ……」
「あの、アルフレッド様? やっぱり、今回の記事はそういうことなんでしょうか……?」
両手でカップを持っていたアルフレッド様が物言いたげな顔で、ルイに目配せをすると、渋い顔つきをしながらも頭を下げ、執務室から出て行った。そのあと、腕時計をすぐに確認する。じ、時間が無いのかな? 大丈夫かな……。深いグリーンの地に、花柄模様が浮き出たドレスを着たシャーロットが、不安げな様子で両手を組む。すると、すぐに顔を上げて、困ったように微笑んだ。
「ごめん、不安にさせて……まさか、こんな形でハルフォード公が後処理するとは思ってもみなかったから」
「後処理……」
「証拠も無いからね、罪には問えない。が、公私混同はなさらない主義のようで……呆気なく、娘を毒殺したか」
「どく……さつ?」
「ああ。表向きは風邪をこじらせて死んでいるが……まぁ、言葉通りに受け取る連中がどれぐらい、いることか……」
深い溜め息を吐いたあと、ハーブティーをろくに飲まずにテーブルへと置いて、ごろりとカウチソファーへと寝転がった。相当ショックだったみたい、アルフレッド様は。すぐに駆け寄ることが出来ず、ぎゅっと拳を握り締める。
(私だって……遠くからお見かけしただけだけど。でも)
陛下から話が伝わったんだろうか。きっとそうに決まってる。それを聞いて、即座に動き、実の娘に毒を盛って殺した。────証拠が無くて、死刑に出来ない代わりにといって? ぞっとした。こんな話、珍しくもないんだろうけど。見てみると、アルフレッド様は両手で顔を覆っていた。
「アルフレッド様……」
「もう、終わった話だと思っていたんだ。……いいや、違う。終わらせたかったんだ、四年前の事件を。思い出したくもなかったんだが……」
「……一番お辛かったのは、アルフレッド様でしょうね」
「そうかもしれない。義姉上も兄上も冷たい人だから」
ここはウサギ姿でお慰めするべきかもしれない! でも、先日、アルフレッド様の従者である、アーサーから言われたことをふと思い出した。
『シャーロット様? ウサギ姿も可愛らしくて大変良いとは思うのですが、その、どうやら、アルフレッド様は人の姿の貴女を求めているらしく……』
『それはきっ、気が付きませんでした! 今度からは人の姿でお慰めしますね!』
でも、一体どうやって……? 私から毛皮を取ったら、何も残らないような気がするんだけど? 途方に暮れていると、ふと、手を下げて優しくこちらを見つめてきた。
「ロッティ、ごめん。せっかく会えたのにこうして……」
「いっ、いいえ! でも、その、人の姿でのいちゃいちゃの方が、アルフレッド様が喜ぶと、ア-サーからそう聞いたので、」
「ありがとう。じゃあ、そうして貰おうかな?」
「ふぉっ!?」
近寄ってその顔を覗き込んでみると、ぐいっと、おもむろに手首を掴んで引き寄せられる。気が付くと、アルフレッド様の腕の中にいた。私を後ろから抱き締めて、肩に顔を埋めている。か、顔は見えないけど、何気に距離が近いっ……。
「あっ、あの? で、でも、良かったですね……? もうこれで終わりですよ、怖いことは」
「本当かな……? このあとすぐ、義姉上とのお茶会が控えているのに?」
「えっ」
「招待されてるんだ……ロッティと揃って来るようにって、そう」
「大丈夫ですよ! 王妃様は、私が毛皮で落としておきましたからね!? アルフレッド様の敵ではありません!」
「毛皮で落としておいた……」
そのお顔がどうしても見たくて、腕を振りほどき、ソファーへと座り直して向かい合う。ぐったりと、くたびれたお顔をしたアルフレッド様には、妙な色気が漂っていた。虚ろな青い瞳に心臓がどきりと跳ね上がる。そして、いつもの上質なチョコレートのような髪はつややかで、雨が降ってきたからか、少しだけうねっていて癖があった。
「ロッティ……君がいると、何でも乗り越えていけそうな気がするんだ。ありがとう、私の傍にいてくれて」
「いいえ、私……アルフレッド様がいるからこそ、強くなれるんです」
「強く……ごめん、頼りなくて。もしかして、君に見捨てられる五秒前なのかな……?」
「えっ!? 一体どうしてそうなったんですか!? あのっ、私! かなりアルフレッド様のことが好きなんですよ!?」
ウサギのぬいぐるみでさえも、寝室に置いて欲しくない。私のリードだけを持っていて欲しいし、誰ともお散歩して欲しくない! ずずいっとアルフレッド様に近付いてみると、ふいに青い瞳を妖艶に細めて、私の手をそっと握り締めてきた。
「ふぉっ!?」
「やっと近付いてきてくれたね? ロッティ。人の姿で」
「心臓が破裂してしまうので、その、戻ってもいいですか……!? 素晴らしい毛並みのウサギちゃんに」
「だめだ。慰めてくれるんだろう? 今日はその肌で」
「ふぉわっ……」
指と指を絡めて、ちゅ、と艶かしくキスを落とす。おっ、王子様みたい! すごい! 固まっていると、さらに妖艶な微笑みを深めて近付いてきた。それから丁寧に、私の髪を耳の後ろへとかけ、満足げな笑みを浮かべる。間近でそれを見た瞬間、息が止まってしまった。そっか、私。逃げてたんだ、今まで。ウサギの姿になって!
「可愛い……息、それ、出来てる? ロッティ」
「っふ、ふ、たぶん、出来てません、アルフレッド様……!!」
「すごく可愛い……あーあ、お茶会に行きたくないなぁ。ちょっとはご褒美が無いと、頑張れないなぁ」
「ふぉっ、ふぉっ……」
照れ臭くて、逃げ出したくて逃げ出したくてしょうがなかったけれど。ぐっと我慢をして、指に指を絡めて見上げてみた。苦しそうに青い瞳を細め、「ロッティ」と甘く囁きかけてくる。
「……キスは、まだ無理そうかな?」
「がん、頑張ります! 尻尾を出さないようにします!!」
「尻尾を……?」
「あっ、はい! 人の姿だと出てこないんですが! 辛くなってきたら、その、お尻の辺りにぽふんと出ちゃうんです……出たらすぐ、ウサギの姿に戻ってしまうので」
「なるほど。じゃあ、頑張って。ロッティ」
「っん、あの、アルフレッド様……!?」
すぐにくちびるが塞がれた。こうやっていちゃいちゃするのって、何日ぶりなんだろう……? 頭がくらくらしてきた。私を逃がすつもりは無いらしく、アルフレッド様が頭の後ろへと手を回して、ひたすら舌を捻じ込み、甘く吸い上げ、合間に「っは、ごめん。ああ、でも、すごく可愛い……」と言って褒めてくれる。
(いっ、いつもはもうちょっと優しいのに……!!)
ばくばくと、心臓が狂ったように鼓動を刻んでいる。でも、褒めて欲しい。もっともっと欲しい。甘くて優しい声で褒めて欲しい。ふっと離れた瞬間、見上げてみると、アルフレッド様が虚ろな顔をしていた。苦しいのを掻き消したいのかもしれない。なら、それをお手伝いしたい。
「っは、あの、もっともっと、その、いい子だって……いつもみたいに、褒めて欲しいです。アルフレッド様」
「……ロッティ、いい子だね? ごめん。そんなことを言われると、抑えが効かなくなるな」
「ふぉっ!? んっ」
今度はもっともっと深く、キスをされてしまった。言ったことを後悔するほど、首筋も体も熱くなってきてどうしようもなくなる。体を押して、「ちょっ、ちょっと待ってください、アルフレッド様!?」と言ってみると、青い瞳を細め、口元を拭いながら「もうだめなのかな?」と言ってきました。
(ああっ、誰か、唐突に色っぽくなるアルフレッド様への、対処法を、対処法を……!!)
数分後。ぜいぜいと息を荒げて肩へしがみついていると、満足そうに笑って優しくゆっくりと、私の背を擦ってくれた。
「えらいえらい。よく頑張ったね? ロッティ」
「……あの、アルフレッド様?」
「ん? ああ、大丈夫だ。もう無理はさせないから」
「まっ、まだまだいけますっ……!! たぶん!」
「たぶん、か。じゃあ、遠慮なく甘えさせて貰おうかな?」
「ふぉっ、ぼっ?」
「……新しい声が出てきたね? ロッティ」
私から体を離して、嬉しそうに笑う。でも、この方はぜんぜん理解していない。私がどれだけ好きかってことを。意を決して見上げ、ぎゅっと抱き付いてみた。
「好きです、アルフレッド様。大好きです……!!」
「……ロッティ。たまに自分が夢を見ているんじゃないかって、そう思ってしまうなぁ」
「えっ? あの、一体どこを触って……?」
あるまじき場所をまさぐっている手に、どきりとして問いかけてみる。すると悪びれた様子も無く、「どこってお尻の辺り?」と返してきた。
「あの、尻尾は出てこないと思うんですけど……? ふぁっ!?」
「うん。やっぱりぜんぜん太ってないよ、ロッティは」
「どっ、どどどどどなたかが来たら私、私……!!」
「ああ、じゃあ、こうしようか?」
今日のアルフレッド様、何だか変! 遊び慣れている人みたいだ。焦りつつも肩に手を置いていると、手際よく、カウチソファーの背にかけていたジャケットを掴んで、私の腰辺りへとふわっとかける。な、何のために? これってまさか。
「あの、アルフレッド様? もしかしてこれは……」
「そう。目隠しにしようと思って。ジャケットが全部隠してくれるよ、大丈夫」
「ふぉっ!? えっ!?」
するりと、ドレスの下から手を差し込んできた。ごつごつとした手が太ももに当たって、ぐらりと視界が揺れる。こ、怖いかも! 少し!
「あ、アルフレッド様!? その、私!」
「すまない、余裕が無くて……」
「本当にですか!? すごく手際が良いんですけど!」
「それだけ、ロッティが魅力的だってことだよ。毛皮も素晴らしいし」
「あっ、ありがとうございます……!! 確かに毛皮は素晴らしいと、自信を持って言えて、ふぉわっ!?」
さらに手が太ももの裏を這い回り、背筋が甘く震えてしまった。咄嗟に肩にしがみつくと、アルフレッド様がひっそりと甘く、微笑んだような気がする。
「……怖かったら言ってくれ。やめるから」
「は、はい……頑張ります!」
「ありがとう。可愛いな……」
わざとなのか、耳元で恍惚とするような甘い声で囁いてきた。どっと、首筋に汗が滲み出てくる。ど、どどどどうしよう? こんな時、こんな時はそうだ……!!
「ロッティ。……今のは一体、誰に教わったのかな?」
「じっ、自分で考えました。アルフレッド様……」
ほっぺたに軽くキスをしてから、お返しに「すごく気持ちいいです、アルフレッド様……」と耳元で囁いてみると、限界が来てしまったらしく、すっと真顔で私から離れていった。そのまま膝を抱えて、落ち込んだように「はー……」と深い溜め息を吐く。
「あっ、あの、いちゃいちゃ、もういいんですか……?」
「歯止めが効かなさそうだからやめる。流石にここでする訳にはいかないからね」
「……あのっ、その、初夜に向けて、ウサギの姿に変身しないよう、私、頑張りますね……!!」
「ありがとう、頑張ってくれ。ロッティ……そうして貰えると助かるよ。あーあ、嫌だなぁ。お茶会。永遠にここでいちゃいちゃしてたいなぁ」
「ですね……」
でも、私としてはほっとしたかも? 先程のなまめかしい動きの手を思い出し、頬がぼっと熱くなってしまった。
「期待。その、続きをまた今度って、期待してもいいですか……?」
「今しようか、ロッティ」
「あの、お茶会は? あと何分後に出たほうが……」
「十分後、かな……」
「じゃあ、用意しなきゃですね! ハーブティー飲んじゃってください、全部。アルフレッド様。気持ちが落ち着くやつなんですよね? これ」
「……飲んでもきっと落ち着かないだろうし、私は今すぐ君と逃げ出したい」
「だめです! さっ、頑張りましょうね! アルフレッド様?」
「はい……頑張ります……うっ、うう。嫌だ、嫌だ……」
<セントジョーンズワートのハーブティー>
(よし。これを飲まなければ彼女に嫌われる、嫌われる。嫌われると思えば一気飲みなんて、たやすいこと……!!)
(アルフレッド様……このハーブティー、そんなに好きじゃないのかな? そうだ、今度、ルイに言って違うハーブティーにして貰った方が)




