22.おやすみなさい、今夜こそ良い夢を
白く湯気が立った紅茶のカップを、アルフレッド様が手渡してくれた。それを受け取って、ふかふかのカウチソファーに腰かける。寝室に置いてあるものだからか、いつもより座り心地が良かった。それに、垂れ耳ウサギちゃんのぬいぐるみが置いてあった。私と同じ、栗色のふわふわウサギちゃん。
「あのっ、このウサギちゃんのぬいぐるみは……!?」
「あっ、ああ。ルイが買ってきてくれて……最近、その、ウサギと見るとつい欲しくなってしまって、それで」
私がすかさず、目の前のテーブルに紅茶のカップを置いて、険しい顔でウサギのぬいぐるみをもにもにと触って、確認していると、薔薇と枝に止まった小鳥柄の缶をテーブルの上に置きながら、不思議そうに首を傾げる。
「あの、ロッティ? 顔が険しいが一体、」
「浮気者……」
「えっ」
私以外のもふもふを求めるだなんて! 過去へ行ってお母様に会ってきたからか、いつもより情緒不安定で、嫉妬してしまってついつい、ウサギの姿へ戻ってしまった。ぽしゅんと体が縮んで、白いネグリジェが床へと落ちる。
「むきーっ!! 私の方がっ、私の方がもふもふですよね!? こんなのよりもっ」
「あっ、ああ。それはコットンで出来ているし……」
「っう、アルフレッド様。申し訳ありません……!! 私ったら、つい、心が狭くって!」
ウサギ姿のシャーロットが落ち込みながらも、後ろ足でけりけりっと、そのぬいぐるみを蹴り飛ばしていた。可愛くて、思わず口元が緩んでしまう。そうか。ぬいぐるみでもだめだったか。
(あれを見せたかったが、仕方が無い。もう少し待つか……)
ゆっくりと近付いてしゃがみ込み、目線を合わせると、カウチソファーで「ぷふん」と悲しげに鼻を鳴らした。円らなグリーンの瞳が愛おしくて、また笑みが深まる。
「ロッティ。君が一番だよ、すまない。会えない間……少しでも心の慰めにしようと思って、ルイに頼んで買ってきて貰ったんだ。君が嫌ならその、孤児院にでも寄付しよう。どうかな? それでもだめかな?」
「いいえ、アルフレッド様……申し訳ありません、心が狭くて」
ふしゅんと、落ち込んだ顔を見せる彼女の頭を撫で、「ロッティ」と出来る限り優しく、甘く囁いてみると、少しだけ嬉しそうな顔をした。ヒゲがひくひくと動いている。
「君が一番だからね? まぁ、私も……君が誰か他の男のぬいぐるみを、抱えて眠っていると嫉妬して、」
「まさか、このぬいぐるみを抱えて眠ってらっしゃるのですか……!?」
「裏切り者!」と言わんばかりに、彼女がわなわなと震え出す。その魅力的な、もふもふの体に触れたがったが、必死で耐える。ちなみに、彼女には口が避けても言えないが、あともう二匹ほど寝台の上にいて、さっきまではその子たちと一緒に眠っていた。
「いや、その……そうだ、ロッティ!? 君に見せたいものがあるんだよ!」
「アルフレッド様……眠ってらっしゃるんですね!? 私以外のもふもふを抱えて!?」
憤慨して、不満そうにだしだしっと、後ろ足でソファーの座面を蹴り出したので、慌てて先程の缶を持ち上げる。薔薇と小鳥が描かれた蓋を外すと、中には絵と同じ、真っ赤な薔薇と小鳥が入っていた。小鳥のほうは青と白の羽根を持っていて、よく出来た陶器製の小鳥のようにも見える。
「ほーら、ロッティ? これはこの間、シエラの大使に貰ったもので、砂糖で出来ているんだよ?」
「お砂糖で……?」
「そう。ほら、見てごらん?」
まずは本物の薔薇のように見える、花弁を一枚抜き取って紅茶のカップに浮かべてみた。すぐさま薔薇の香りを立ち昇らせ、ゆるりと、その身を溶かして消えてゆく。これは薔薇が練り込まれた砂糖で、紅茶がよりいっそう、赤く染まっていった。ウサギ姿のシャーロットが首を伸ばして、鼻をひくつかせながら「ほわ~!」と歓声を上げる。
「この小鳥はほら、こんな風に飛んでくれる」
「わっ! 魔術仕掛けのお砂糖なんですね……?」
缶の中から出して、手のひらの上に乗せると、ぱちりと黒い目を開けて飛び立って、紅茶のふちへと止まり、ちゃぷんと入って行った。カップの中で満足げに翼をたたみ、紅茶に浸って両目を閉じている。し、しまった。これは料理やお菓子作りに使うもので、紅茶がものすごく甘くなってしまう……。慌てて、不満げな小鳥を摘まみ出していると、彼女が弱々しい声で「アルフレッド様」と話しかけてきた。
「この……紅茶の真っ赤な薔薇を見たら思い出しました。あの、あのですね?」
「ああ、どうしたんだ? そうだ、あの人外者と過去に行っていたんだろう? その、何もされなかったか……?」
さっきはこんな夜遅くまであんな男と一緒に、と嫉妬して気が動転していたが、昼間「人外者の男を呼び出してみる」と言っていたことを思い出し、咳払いをすると、ウサギ姿のシャーロットが眉を下げた。ような気がした。
「実はその、真犯人が分かったのですが……」
「どっ、どうした? まさか、犯人は兄上なんじゃ、」
「いいえ、アルフレッド様。王妃様の……実のお姉様がしたことでした。人外者の、そっくりさんに頼んで」
「え」
あまりにも意外な人物の名が飛び出てきて、硬直する。先程摘み上げた小鳥は不満そうに、カップの横に立って、ピチュピチュと鳴いていた。仕方が無いので、気を落ち着かせるためにも、大きなポットの蓋を開けてその中へと促す。すると、あっさりと不満げに首を横に振られてしまった。
「そ、んな。だが、甥っ子だぞ……? あの子は。それに、ユリシーズへ誕生日プレゼントも渡していたのに!?」
「あの、自分ではなく、王妃様が陛下に選ばれたことにその、嫉妬してしまったらしく……あと、旦那様もだめでした。浮気をして、外に子供を作っていたそうです」
「そ、そうか……だが、たったそれだけで? あの子には何も、関係が無いだろうに……」
こう言っては申し訳ないが、家の存続のため、他の女性に子供を産んで貰うというのはごくありふれた話だし、黙って耐えるべきだろう。もちろん、彼女にそんな我慢は強いたくないし、夫も夫で、もう少し妻を優しく気遣うべきだったんだろうが。
(だが、まさか、そこまで彼女が追い詰められていたとは……)
どこかで納得もしていた。いつもは朗らかな笑みを浮かべている夫人は、ユリシーズを目に入れると、すうと、その笑顔の温度を下げていたから。なかなか子供が出来なかった上に、流産していることも知っていたから、「幼い子供を見るのが辛いのだろう」と、そう結論付けていた自分が愚かだった。ピチュピチュと騒ぐ小鳥を摘まんで、新しいカップの中へと放り込み、紅茶を優しく注いでやりながらも考えを巡らせる。
ふと、思い詰めたように黙り込む私を見て、ウサギ姿のシャーロットが立ち上がった。
「あのっ、アルフレッド様? 別に、アルフレッド様のせいじゃありませんからね……!?」
「ああ、分かっている。ありがとう、ロッティ」
まだこの耳から、あの子の断末魔が離れてはくれない。覚えておいてやるほうが供養になるだろうか? ……実の両親はあまり、あの子の死を悲しんでいない。陽だまりのような笑顔を浮かべ、「叔父様!」と言ってきた可愛い甥っ子。最期は、変わり果てた姿で死んでいった。この腕の中で強く強く、着ていたスーツにしがみついて────……。
「アルフレッド様! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ。ちょっと……めまいがしただけだから」
ぎょろりと白目を剝いた死に顔を思い出すと、背筋が震える。くらりとめまいが起きる。何とかよろよろと歩いて、カウチソファーへと腰かけると、ただちに「アルフレッド様!」と叫んで膝に乗ってきてくれた。密かに何度も蹴り飛ばし、踏み潰していたのか、ぬいぐるみは先程よりもぐったりとしている。
「ごめん、ロッティ……ああ、義姉上がこのことを聞いたら一体、どれほどショックを受けることか」
「で、ですね……」
実の姉が我が子を殺したんだ。その苦しみは計り知れない。彼女のむっちりとした、脂肪感のあるしっとり毛皮で覆われた体を抱きしめていると、徐々に、過去に聞いた断末魔が薄れてゆく。せめて、あの子をこの腕で看取れたのは幸いだったか。
「あの、アルフレッド様? 大丈夫ですか……?」
「……ああ、悪い。心配をかけてしまって。ありがとう、ロッティ」
「過去のアルフレッド様。その、すごく無邪気で楽しそうでした」
「無邪気で楽しそう……?」
私がユリシーズと遊んでいるところでも見てきたのか。確かに、あの時が一番平和で楽しかった。あの子が生まれたことで、私が兄上の代わりに王位を継ぐ必要性も無くなり、それに何よりも、息苦しい王宮に新しい命が誕生して、驚くほど空気が明るくなった。誰もが陽だまりのような笑顔を浮かべる、ユリシーズを愛して見守っていた。……ただし、リリアナだけは除いて。
「私……あの、もう一度、あんな風に笑うアルフレッド様を見てみたいです。私が笑顔を取り戻すことが出来たらなぁ、と。もう一度」
「……ロッティ。ありがとう。でも、君と出会えた今が一番幸せだからね?」
「えっ!?」
彼女が驚いて、むちむちな体をひねって見上げてくる。たまらなく可愛かった。耐え切れず、その額にキスをすると「ふぉわっ!?」と叫んで、くるりと前を向いてしまった。残念だ。
「あっ、あああああの、ええっと、幸せですか? 今! アルフレッド様はっ!」
「もちろん! ……ロッティは? ああ、いや、聞くまでもないか。君に大量のレッスンを課しておきながら、構って貰えなくて拗ねる税金の無駄遣い男なんか、」
「いえいえ! 幸せですよ!? 私っ! その、アルフレッド様に好きだと言って貰えてっ」
彼女が慌ててこちらを振り向く。ふわふわの足で、膝の上を踏みしめられる度に愛おしさが溢れ出す。可愛い。可愛いが暴走している。両手で顔を挟んで、耳の付け根辺りをわすわすと揉み込んでいると、うっとりと目を細めて「ふぁふっ……もふもふ技術が素晴らしいですねえ、アルフレッド様は!」と褒めてくれた。思わず、口元に笑みが浮かぶ。
「……良かった。それを聞いて安心したよ、ロッティ。ところでその、先程泣いていたのは?」
「えっ?」
「涙の痕が出来ていた。何か怖い目にでも……?」
今はもふもふとしている、目元に指を添えて聞いてみると、ぱちくりとグリーンの瞳を瞬いていた。可愛い、可愛いすぎる。このまま引っくり返して、お腹に顔を埋めて思いっきり深呼吸して、キスの嵐をプレゼントしたいところだがぐっと耐える。いくら婚約者を襲いたくとも、今はぐっと耐えねばならない。
「ええっと、その、幼い頃にお母様を亡くしたことはええっと、お話ししましたよね……?」
「ああ。もしや、母君に会ってそれで……?」
「そうなんです。それで、ちょっとだけ泣いちゃいました。でも、アルフレッド様がいるから大丈夫です! 好きです! 大好きっ」
「かっ、可愛いなぁ、もう……!! 良かった、君が怖い目に遭っていなくて」
優しく抱き締めて、ぎゅっと毛皮に顔を埋めると、嬉しそうにまた「ぷっ、ぷっ!」と鳴き出す。可愛い。分厚いカーテンが閉じられた部屋は薄暗く、明け方の静けさが辺りを支配している。
「あ、あの、アルフレッド様? そう言えば、王妃様にはなんてお伝えしたらいいんでしょう……?」
「……私から、まずは陛下にお伝えしよう。夫でもあるからね、義姉上の」
「あっ、ああ、それが一番ですよね? ほっとしました、それを聞いて」
ふしゅんと腕の中で息を吐く。彼女のふわふわとした体からは、バニラのような甘い、良い香りが漂ってきていた。
「……それにしても、一体どうして殺したんだろうな? 普通、妹に子供が出来たら嬉しいんじゃ……!?」
「で、ですよね!? あの、でも、王妃に選ばれたかったみたいです。あの人は」
「王妃に……? だからと言って、あんな可愛い甥っ子を殺すだなんて! 少しでもその、可愛いだとか、愛しいだとか思わなかったんだろうか……?」
あまりにもおそろしくて震えながら聞いてみると、ウサギ姿の彼女も「ああ、おそろしい!」と言わんばかりに竦み上がって、そのしっとりとした毛皮を震わせる。
「でっ、ですよね……!? あんなにも可愛らしい王子様だったのに!」
「それに、王妃になったからと言って、一体何がどうなるんだ……!? そんなに魅力的なのか? 王妃の座というのは。女性から見て」
気になって、おずおずと聞いてみると、ウサギ姿のシャーロットがこてんと困ったように首を傾げた。よ、良かった。彼女もよく分からないみたいだ、その魅力が。
「さぁ……なりたいと思ったことがありませんから、よく分かりません。それに私は、毎日美味しい人参を食べて、皆様から可愛らしいわねと言われて、ブラッシングされるのが最高の贅沢なのですが」
「ああ、今の状況だね?」
「はい! 王妃様になるとあれでしょうか? もしかして、もっともっと沢山の人に褒めて貰えるとか……?」
「それはどうかな……でも、貢ぎ物を貰いたかったのかもしれないね?」
「そっ、そのためだけにあの、可愛らしい王子様に毒を盛って……!?」
「いや、うっ、うーん……彼女が何を望んでいたのかはよく分からない。が、権力が欲しかったのかもしれないな。あと、歴史に名を残したかったのかもしれない」
「そのためだけに、わざわざ……!? 毒を盛って?」
二人でしばらくの間、「うーん」と唸って首を傾げていたものの、疲れ果てたのでやめる。
「あれだね? ロッティ。世の中には理解出来ない人もいるんだね……」
「ですね……。どうして殺してしまったんでしょうか? よく分からないです」
「だね……」
「はい……」
小腹が空いたので、引き出しから缶入りクッキーと、彼女にあげようと思って入れておいた、乾燥させた人参を取り出す。それを渡すと、喜んで食べてくれた。それを眺めながら、チョコチップ入りのクッキーを噛み砕く。これは陛下がふらりと部屋にやって来て、「やる。好きだろう? こういうの」と言って渡してきたもので、まさかこんなところで役に立つとは。
「ぶ、ぶぶっ……眠たくなってきました、私。アルフレッド様……」
「じゃあ、一緒に寝るとするか。……ちょっと待っていてくれよ? 片付けてくるから」
「ふぁい……」
慌てて寝台の方へと行って、さっと、ぬいぐるみをクローゼットの中へとしまいこむ。見つかったら大変だ。彼女とよく似た、可愛いウサギのぬいぐるみだというのに!
(ごめんよ、ロッティ。誰かに譲る気なんて実は、ちっとも無いんだ……)
戻ってみると、両前足を隠してうつらうつらと、頭をぐらつかせて眠っていた。優しく「ロッティ?」と声をかけると、ぱちりとグリーンの円らな瞳を開いて、「アルフレッド様」と名前を呼んでくれる。
「……いいんだよ、いるだけで。それだけでもう、十分幸せだから」
「アルフレッド様……!!」
「でも、気にかけてくれてありがとう。ロッティ。さぁ、一緒に寝ようか」
「はっ、はい……!! 緊張します」
「そうか。一緒に寝るだけで……?」
彼女は中庭を一緒に散歩することをデートだと思っているらしく、侍女や衛兵に目撃される度、もじもじと忙しなく前足を動かして「いちゃいちゃ、見られてますね……!? アルフレッド様!」と言ってくるので、ウサギの姿で一緒に眠ることも恥ずかしいことなんだろう、おそらくは。抱えて眠りに就くと、安らかな夢が見れるような気がした。幸せだった。彼女も同じ気持ちになったらしく、腕の中でもぞもぞと動いて、体を捻り、私の頬にちゅっと、おやすみなさいのキスをしてくれる。
「……ロッティ。今の可愛い攻撃で、すっかり目が覚めてしまったんだが?」
「ふふっ、おやすみなさい! アルフレッド様。今夜こそは良い夢を……」
「ありがとう、おやすみ。ロッティも良い夢を……」




