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王弟殿下はウサギ令嬢の私をご所望です  作者: 桐城シロウ
第一章 本当はか弱い王子様とウサギ令嬢の私
22/83

21.貴方を越える完璧な王子様なんていないの

 


 腕を引っ張られて息を飲み込んだ瞬間、ふっと、懐かしく思える場所に立っていた。私の部屋だ、ここ。今とはずいぶんと違っていて、白地に金の植物柄が浮き出た壁紙と毛足の短い、赤茶色の絨毯だけがいつもと一緒だった。見慣れた、でもかなり違う、手狭な居室には白いレースと、淡いミントグリーンのレースで彩られたゆりかごと木馬が置かれていた。そして人形のお家に、ぬいぐるみが床にばらばらと散乱している。


 淡く淡く、寝台近くのシェードランプがオレンジ色の光を放っていた。それは温かなオレンジ色の光で、その光に照らされ、憂鬱(ゆううつ)そうに顔を伏せているのはかつてのお母様だった。


「お母様……」

「会いたかったんだろう? 良かったね。……ああ、こうして見ると君にそっくりだ。目の色も髪の色も」


 はっと、目の前の光景から意識が引き戻される。そうだ、私は。アルフレッド様のために頑張って過去に行って、真犯人を突き止めてきたんだった。隣にイライアスがいることも忘れて、つい見入ってしまっていた。おそるおそる振り返ってみると、にっこりと、得体の知れない微笑みを甘く浮かべている。



「行っておいでよ、遠慮せずに。……もうすぐ夜が明けるからさ?」

「あ、もしかして違うんですか? 時間の流れが?」

「そうだね。もうすぐニワトリが鳴く頃だよ。さぁ、行っておいで。触れれはしない、こちらを見ることはもう無いけれど」

「は、はい……」



 とんと、背中を押されてふらふらと歩き出す。お母様、お母様。私と同じ、柔らかな栗色の髪をおろして、白いネグリジェを身に纏っていた。形は違うけど、ほぼ一緒だ。私が今着ているのと。涙が浮かび上がってくる。瞳の色は記憶の中にある通り、夏の瑞々しい若葉のような色合い。私の瞳よりも、ほんの少しだけその色は濃かった。肌は白くて、絹のよう。お父様がよく褒めてらした。でも、その顔色はすごく悪い。だってきっと、もうこの数ヵ月後には亡くなってしまうから。よく覚えている、その日のことを。



「お母様……シャーロットです、私です」



 涙がつうと一筋、流れて頬を濡らしていった。耐え切れなくなって両目を閉じ、くちびるを震わせる。子ウサギの頃の私が、お母様の膝の上ですぴすぴと眠っていた。白いシーツの上で、両耳をぺたんとさせて眠っている。お母様はこちらを見ずに、微笑ましそうな顔で、私の頭を優しく優しく、ゆっくりと撫で続けていた。またじわりと、涙が浮かんで頬を濡らしてゆく。



(話しかけても無駄だって、そう分かっているのに。お母様……!!)



 両手の拳をぎゅっと握り締める。そのまま近付いて、子守り歌をせがむみたいにしゃがみこんで、寝台の端へとしがみつく。立っていられなかった、あまりにも苦しくて悲しくて。お母様、お母様。その緑の瞳はもう、私を見ることは無いけれど。それでも今、私はお母様を見つめている。幻覚のようなものだけど、これは。



「シャーロットちゃん……」

「! はっ、はい、お母様」



 偶然だと思うの、これは。お母様の眼差しは、一心に子ウサギの私へと注がれている。でも、お母様が話しかけてくれた。もう一度、深くて甘い声で私に話しかけてくれた。嬉しくて嬉しくて、顔を歪めて笑う。


「ごめんなさいね、悲しい思いばかりさせちゃって……本当に、私の体がもう少し丈夫だったら良かったんだけどねぇ」

「お母様、お母様……!! でも、一番辛かったのはお母様でしょう? ……今はどうかな? よく眠れてる? 見晴らしが良い墓地だから、あそこは。土もふかふかで」


 棺の中に入ってるから、関係無いかなぁ。でも、私はべたべたで重たい土の地面よりも、さらさらでしっとりしている土の上をお散歩するのが大好きだから。お母様もそうだった。私と同じ、栗色の素晴らしい垂れ耳を見つめてそう考える。


「シャーロットちゃん……ふふっ、可愛い。よく眠ってる。お耳もぴくぴく動かして」

「お母様、お母様……」


 分かってる、もう帰らなきゃ。両手で顔を覆って、寝台へと突っ伏す。知っているの、もうお母様がどこにもいないってこと。こんな風に過去へと戻って、その姿を一目見ることすら奇跡的だって、そう分かっているのに。涙も悲しみも収まってはくれなかった。



「お母様、お母様……!!」

「シャーロットちゃんは将来、どんな人と結婚するのかしらねぇ。ふふふ、飽きないの? この絵本ばかり持ってきて」



 ふと見てみると、お母様が微笑んで手にしていたのは、美しい装丁の絵本だった。気付かなかった。そうだ、これ。お気に入りの絵本で、よく読み聞かせて貰っていた。ぺらりと、優しい眼差しのお母様が“王子様と金貨のお姫様”という絵本のページをめくる。


「そうねぇ……それまで、生きていられるといいんだけどねぇ。私。シャーロットちゃんにぴったりの人、見つかるかしら? もふもふが上手で、ふふっ、甘い人参をくれるような人? そういう人が一番よね、結婚するのならね……」

「みっ、みみみみ見つかったの! お母様っ! 殿下が、アルフレッド様がそうなの!」

「でも、この子は王子様と結婚したいって言ってたわよね……んん~、どうかしら。出来るかな?」


 じわりと熱い涙が浮かんできた。そうだった。この頃の私は「王子様と結婚したい!」と言って、ぱたぱたと前足を動かしていたんだった。お母様がそんな私を見て、物言いたげに、何かをぐっと飲み込んでいた時のことを思い出す。


「まぁ、獣人だものね。私達は……無理ね、きっと。いないもの、わざわざ獣人を選ぶ物好きの王族だなんて」

「いっ、いるの! あと、アルフレッド様は物好きなんかじゃなくて、すっごく優しい人なの!! お母様!」


 ああ、そうだ。この声はもう届かないのかもしれない。私は今を生きていて、お母様は過去を生きているから。決して、交わることのない二つの声。それでも、何かが届けばいいと、そう思ってしまった。お母様、お母様。涙をごしごしと拭いとって、無理矢理にっこりと笑う。


「あっ、あのね? 私……信じられないかもしれないけど、王子様と結婚することになったんだよ、お母様」


 お母様は何も答えない。当然だ。少しだけ悲しそうな表情で、絵本の中の王子様と、すやすやと眠りこけている私を交互に見つめていた。深い愛情が滲んでいる。その温度に触れられただけ、いいと思わないと。幸せだって、そう思わないと。泣いてしまいそうだったけど、ぐっと我慢した。今度、アルフレッド様に聞いて貰うから、それでいいの。



「すごくね? 優しい方なの……優しくて、笑顔が素敵な方なの。あと、私のことをすごく愛してくれて、その代わり、心も狭いんだけど! それでもね? 私、アルフレッド様のそんなところも好きなんです……お慕いしていて、とても」

「ほら、シャーロットちゃん?」

「ぶ、ぶぶっ……」



 子ウサギの私がうなされている。お母様が慌てて何度か、「シャーロットちゃん?」と優しく聞くと、「お母さま……」と呟いてまた、深い眠りへと落ちていった。お母様がほっと一息吐き、また柔らかな、でも、悲しそうな微笑みをそっと浮かべる。


「ごめんなさいね? シャーロットちゃん。……きっと、私は生きていられない。貴女が大人になるのを見届けてあげられない」

「っい、いいの! 別に! お母様、お母様!」

「でも、大丈夫……お父様もお兄様もいるからね? ふふ、きっと素敵な毛皮の女の子になるわ、シャーロットちゃんは。私によく似て!」


 ああ、そうだ。お母様の毛皮も本当に素晴らしかった。お母様が嬉しそうな笑みをこぼし、また私の頭を優しく撫で始める。



「きっとね? 大丈夫……優しくて、良い人と巡り会えて、この子はきっと、私がいなくてもちゃんと生きて行けるはずだから……」



 それは自分に言い聞かせているようでもあった。もう余命宣告をされていたお母様は、私にたっぷりの愛情を注いでくれていた。でも、最期の最期まで生きようとしてくれていた。ひび割れたくちびるで、私に「ごめんね? 傍にいてあげれなくて……」って、そう言ってくれた。大きく息を吸い込み、もう二度と動くことは無かった。皮膚も冷たく、かつて触れていた場所も強張ってゆく。


「っお母様……!! 大丈夫、なるよ! ごめんなさい、心配ばかりかけて。私、私、アルフレッド様と一緒に幸せになるから、大丈夫だよ……!!」

「さぁ、行こうか。もうそろそろ」

「ふぁ、ふぁい……」



 ぐすんと、鼻を鳴らして立ち上がる。もう行かなくちゃ。帰らなくちゃ、現代へ。私がぐずぐずと、目元を擦りながら泣いていると、イライアスが酷く困ったような顔をして、不思議な青い瞳を揺らし始める。鉱石のような、夜のような青と黒が混ざった瞳。


「……俺は、苦手なんだ。こういうの。慰めるのはあまり得意なんかじゃない」

「でっ、でしょうね……でも、大丈夫です。自力で泣き止みますから」

「困ったな。そうは言ってもなぁ」


 すごく弱り果てた声を出して、眉を下げ、私の頬にするりと両手を添えてきた。人外者にしてはすごく優しい。時を操ると噂のイライアスは、歴史的に見てもあまり残酷なことはしてこなかった。……らしい。図書館の文献で調べても、あまり出てこないもの。幼い子供にするみたいに、はぁと一つだけ溜め息を吐いてから、こつんと、おでことおでこを合わせてきた。ちかちかと間近で、夜空の金色の星が飛び散っている。



「君の……元気が出ることは何かな? これもあまり効果が無さそうだ」

「アルフレッド様に会いたいです、私。現代の!」



 思い切って言ってみると、にっと笑った。黒と青の瞳が猫みたいに細められる。また金色の星がちかちかと飛び散って、流線状の光が現れ、渦巻きとなって私とイライアスの体を包み込んでゆく。こうこうと、激しい風が私の髪を揺らしていた。お母様と同じ、栗色の長髪を。


「じゃあ、そうしようか? 人は時を操ると言うけれど、少し違うんだ」

「そうなんですか……?」

「そう。会いたい人、行きたい場所……俺の役目はそこへ人を連れて行くこと。だけどね? 誰が決めた訳でもない、俺が自分でそう思っているだけなんだ。ほら、願ってごらん? シャーロットちゃん」


 またいきなり、ぐっと近付いてきた。長い指が、風にたなびく髪を絡め取っていって、息が止まる。あまりにも近いその距離に、何もかもを忘れて飛びついていた。


「会いたい! 今すぐ、寝台で寝ているであろうアルフレッド様にっ!」


 ぱちんと音が鳴り響く。イライアスの表情が、黒髪に隠されていてよく見えない。でも、その口元には笑みらしきものが浮かんでいた。


「いいよ。じゃあ、会わせてあげよう。覚えておいて、シャーロットちゃん。君が願わなきゃ俺は時を乗り越えられない。どこへも行けない」


 人外者の言葉選びはちょっと複雑で、不思議で、どこかの学者さんが「複数のスパイスが固まっていて、何が何だかよく分からない。でも、芳しい香りだけは確実に漂ってくる」とそう例えていた時のことを思い出した。そうだ、彼らは決して、相容れない存在で────……。



「わっ、わあああああっ!? 暗殺者っ!?」

「わっ、わああああああっ!?」

「「うあああああああっ!?」」



 ぼすんと、いきなりアルフレッド様の寝台に飛び降りてしまったみたい。ひとしきり二人で叫び合ってから、ふと上を見てみると、豪華な天井にゆったりとイライアスが浮かんでいた。ぽかんと口を明けている私を見て、嬉しそうに手をひらひらと振る。



「さようなら、シャーロットちゃん。またどこかの過去で。そのまた、もしくはどこかの未来で」

「あっ、はい……さようなら、イライアス」



 反射的に手を振り返していると、後ろに手を突いて震えていたアルフレッド様が、ほっと深く息を吐き出して、のそのそと座り始める。白い、サテン地のパジャマを着ていらした。


「もしかして……シャーロットか? 偽者じゃない?」

「あっ、はい! 私ですよ、アルフレッド様!」

「よ、よよよよよ良かった……!! いきなり天井から降って落ちてきたし、てっきり、私の首を狙う暗殺者かと思っ、」

「殿下!? 大丈夫ですか!?」


 その時、勢い良く部屋の扉が開いた。目にも止まらぬ速さで、私の頭にざっと白いシーツを被せ、アルフレッド様が背中へと追いやる。


「ご無事ですか!? 今っ、凄まじい叫び声が聞こえてきて……!!」

「あっ、ああ、悪い。その、つい、悪夢を見て叫んでしまってね」

「えっ? またですか……?」

「す、すまない。今度からはなるべく叫ばないようにするから……悪夢を見ても」


 衛兵らしき人が「はぁ」と呟き、たぶん、頭を下げて出て行った。ぱたんと扉が閉まる。絶対絶対、アルフレッド様の護衛をしてらっしゃる方は、よわよわな本性に気が付いてると思う……。シーツの中でそう考えていると、「ごめん、ロッティ。いきなりこんな、私の臭いシーツをかぶせてしまって……」と言って、ゆっくりと剥がしてくれた。いつもの、心配そうな顔がひょっこりと現れる。


「大丈夫か? その、すまなかった……本当に」

「いいえ。でも、私、怪しいですよね……!? いくら、アルフレッド様の婚約者とは言えども、こんな、こんな、その、眠っているところにいきなり」

「ああ。まぁ、それもあるが……君がその、穢れなき乙女でいる方がまぁ、いいだろうなと思って。……私との婚約がだめになった時に」

「えっ!?」

「いやっ、私は何が何でも君と結婚するつもりでいるが……!! でも、ほら? ロッティが私の意気地の無さに嫌気が差した時用で」

「嫌気が差した時用とは……?」

「とにかくも、変な噂が立つのだけは絶対に避けたいところだった。良かった。ああ、あやうく、君の名前に傷がつくところだったな……」


 もし、この婚約がだめになったとしても、私がちゃんと次の人と婚約出来るように。あの短い間で、咄嗟にそんなことを考えて隠してくれた。そのことが悲しくて、嬉しくて。うつむいて、ぎゅっと白いシーツを握り締める。


「私……アルフレッド様と婚約破棄なんかしません。絶対に応じませんっ!」

「ロッティ……!!」

「結婚します。私、思っていた以上によわよわで素敵な王子様とっ!」

「うわっ!? よわよわ……?」


 いきなり飛び込んできた私を受け止めながら、アルフレッド様が不思議そうに首を傾げる。幼い頃、夢見て、憧れていた王子様とはちょっぴりだけ違ったけど、でも、これでいい。童話の中の完璧な王子様よりも、アルフレッド様の方が素敵でかっこいいから。そっと優しく、逞しい両腕が背中に回される。いつもいつも、幼い子供がぎゅっと、ぬいぐるみを抱き締めるみたいに、私のことを優しく、でも、力いっぱい抱き締めてくれる。



「ありがとう、ロッティ……愛してるよ。それから、あと」

「はい! 私も愛してます! 大好きですっ」

「可愛いなぁ、もう……じゃなくて、ええっと、一体どうやってここへ来たんだ!? あと、あの人外者の男は一体!?」

「あっ」



 ひとまず、アルフレッド様がお茶を淹れてくれることになった。美しい人魚が、白い陶磁器のポットを抱き締めているかのようなデザインの、魔術仕掛けのポットがあるらしく、一瞬でお湯が沸くらしい。もうそろそろで夜が明けるのに、今夜は眠れないみたい?





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