19.それは愛情じゃなくて、執着だった
王妃様が困惑した顔で震え、私を抱っこしている手に力を入れた。僅かな指の動きが、「そんなこと出来るはずはない」とそう物語っていた。
「……あまりそういうことを言ってはだめよ、シャーロットちゃん。あっという間に足をすくわれてしまうから、」
「で、でも! あの、無策ではないのです。王妃様」
「本当に? 分かるというの? あの子を殺した真犯人が?」
王妃様の動悸が伝わってきた。凛々しく頷いて、前足にきゅっと力を入れて細腕にもたれかかる。前足がフィットする場所、見つけた!
「そりゃあ私は、こんなにもふわふわつやつやな毛皮を持っている、可愛いウサギちゃんですから! 王妃様が信じられないのも無理はありませんけど!」
「……」
「ですが、何も考えずに提案しているわけではないんです。王妃様。私、私はアルフレッド様のお傍にいてあげたいから……」
あの方はきっともう、私のふくふくしっとり毛皮無しでは生きていけないもの。ご本人もよく「ああ、その通りだ。君がいないと私は生きていけないだろうね」と仰って、真顔で頷いているし!
(うーん……一国の王弟をも虜にしてしまう毛皮の持ち主、それが私っ!)
ふんふんと鼻息荒く意気込んでいると、王妃様がふっと息を吐いて、いきなり肩から力を抜いた。そして、おもむろに黙って私を椅子の上へとおろし、ご自身も椅子へと座り直す。さっきまでのか弱さはもう、抜け落ちていた。青い瞳が鋭く光っている。
「本当に策があるのね? 大丈夫なのね?」
「は、はい! あの、その方が犯人であるという、確固たる証拠は入手出来ないかもしれませんが……」
「まぁ、いいわ。もうすでに終わった事件だもの。……目星を付けることが出来たら、それで」
お子さんが亡くなっているのに? どこか他人事のような言葉にもんやりしてしまった。ぐっとふわふわなお腹に力を入れて、ぽんと元の姿へと戻る。ドレスのひだを整えている私を見つめ、王妃様がどこか残念そうな顔をした。口元に笑みが浮かび上がる。
(ふふん! アルフレッド様、大丈夫でしたよ!? 王妃様も無事、私の毛皮の虜になってしまいましたよ!?)
帰ってから自慢しよう。でも、アルフレッド様、嫉妬しちゃうかな……? どうしよう? 困っちゃう。そう考えてカップを持ち上げ、香りの良い紅茶を口に含んでいると、王妃様が儚げな顔で肘をついて、どこか遠くの方を見つめ始める。
「そうね……貴女が嘘を吐くような子には見えないし」
「は、はい!」
とうとう、王妃様も私の素晴らしい毛皮を認めてくださった! 私達からすれば到底理解出来ないことだけれど、人間はふわふわ、しっとり毛皮を持っているだけで動物は嘘を吐かないと、純粋だと、そう信じ込んでいる。だから、あざといふわふわ毛皮の持ち主な私は、それもあって日々、懸命にお手入れしているのです。
「あの男に騙されているのかもしれないわね」
「お、王妃様……」
「まぁ、いいわ。黒幕を見つけてきてちょうだい。貴女が一体、どういう方法で見つけ出すのか。楽しみに待ってるわ」
「じん、人外者の方の力をお借りするとだけ、お伝えしておきますね……」
そこでぴたりと止まって、青い瞳を見開いた。人外者は気まぐれで数も少ない。人を食らったり弄んだりするという、言葉が通じる金等級人外者や銀等級人外者は特に危険で、絶対に取引をしてはいけない。そんな常識が骨の髄まで染み付いているからこそ、王妃様は青ざめてらっしゃるのだろう。
「契約……契約しているの? 一体どこの人外者と!?」
「いいえ、あの、契約はしておりません……そもそもの話、私は魔術師ではありませんし」
「なら、お父様が? 魔術書庫で働いているんですってね?」
「えっ、そこまでご存知なのですか……? ええっと、私、その、幼い頃に出会いまして。口約束ですが、いけると思います。このもふもふ毛皮で何とかしてみますっ!」
大丈夫。これまでもこの素晴らしい毛皮でどうにかなってきたもの! 目に輝きを乗せて、そう主張してみると、王妃様がいきなりぐったりとした顔で、ティーカップを持つ手から力を抜いた。いっ、一体どうしてでしょう……。
「……まぁ、いいわ。あれらは気まぐれだけど、約束を破ることはめったに無いもの。期待してるわね、シャーロットちゃん」
「あっ、はい! またあの、精神系の魔術でも何でも受けますので……それが証拠になればと」
お母様を亡くしたばかりの頃、私は森で一人の人外者と出会った。濃い霧が立ち込め、湿った雨の匂いが漂う、深い深い森の中で、その方は空中に浮かびながら言い放った。
『そんなに母親に会いたいのかい? 俺を呼んでまで?』
その時の苦い思いを噛み締め、うつむく。お父様に散々叱られてしまった時のことが頭に浮かんで、ぐっと胸の奥が詰まってしまった。王妃様が怪訝そうな顔をして、私のことを見つめてくる。
「……精神系の魔術って。貴女の負担になるでしょう? 一瞬だけ、正気を失うかもしれないのに」
「ですが、それだと」
「いいの。犯人の目星さえ付けば。裁こうとしているわけじゃないし。……今ね?」
「はい」
言葉を一旦切ったあと、美しい眉をひそめて自分のお腹をさすり出す。もしかしてお腹でも痛い……?
「私のお腹の中に、赤ちゃんがいるの。陛下との子が」
「えっ!? それじゃあ、えっ、み、末発表のことをそんな、」
「そう。だから言わないでちょうだい。誰にも! 決して! 絶対に!!」
「あっ、はい。魔術に誓います……」
「ええ、ぜひそうしてちょうだい。私、私、今度こそ失敗するわけにはいかないの……!! だって陛下が、ギルバート様が他の女性を迎えてしまうもの! 何としてでもこの子を王位につかせて、私が、私が国母となって、ぎる、ギルバート様の唯一の女性であり続けるためにも……」
冷たく汗ばみ、薄いくちびるが震え出す。その青い瞳には、陛下への恋心と執着心が凝り固まっていた。────ああ、分かった。あのカーテンの陰に隠された、肖像画を見てぞっとしてしまった理由が。扉に描かれていた黒いドラゴンも、今、この目の前に並べられているチョコレートスフレやチーズビスケットも、全部全部、少しでも陛下の存在を感じていたいから。
彼女が陛下ゆかりのものばかりを集めて、この明るくも薄暗い、小部屋の中でひっそりと暮らしているから。お腹に子を抱え、必死に「他の女性を迎えませんように、私以外の他の女性を迎えませんように」と、ひたすらそう祈っているから。だから、春の陽射しが射し込んでいるこの部屋は薄ら寒くて、ほんのりと暗い。私が呆然と目を瞠っていると、構わず、自分のお腹をぎゅっと握り締める。
「誰が、一体何の目的であんなことをしでかしたのか……全然、ちっともよく分からないの! でも、もうだめなの。犯人を、真犯人を、黒幕を見つけ出さなくては……!! でないと、この子も殺されてしまう。無事に、無事に産めるかどうかすらもよく分からないというのに!」
「お、王妃様! お腹の子に障ります、どうか落ち着いて、」
「落ち着けるわけないでしょう!? ……でも、大丈夫。絶対に絶対に流産したりなんかしない。この子さえいれば、この子さえいれば、ギルバート様は私を王妃として認めてくださる、扱ってくださる。王宮から追い出されることもない、認めてくださる、褒めてくださるだろうから……」
ああ、よく分からない。伸ばした手は空中を彷徨い、舌は何の言葉も紡げない。私はアルフレッド様が好き。私に優しく笑いかけてくださるアルフレッド様が好き。あの冷たい、氷のような微笑を浮かべるだけの美しい陛下に、どうしてこうも執着なさっているのだろう?
(よく、よく分からないわ……でも、もしも、アルフレッド様が私以外の女性を迎えたら?)
毛皮で撃退するしかない! いいえ、手っ取り早く懐柔を……? まず、そのお相手の女性を素晴らしい毛皮で虜にしてから、「手切れ金はあげるから、殿下のお傍から立ち去りなさいっ!」と、傲慢に言い放つべきかしら?
(うーん……でも、私の毛皮とアルフレッド様。一体、どちらが魅力的なんでしょう?)
アルフレッド様のような気がする。うっかりそんなことを考えてしまい、慌てて王妃様に向き直った。頬が熱い、早くお会いしてお喋りがしたい。
「あっ、ああああの、よっ、よく分かりました! 王妃様のお考えは!」
「……絶対に、口外してはだめよ? いい?」
「お、仰せのままに。王妃様……」
厳かに胸元に手を当て、うやうやしく頭を下げれば、ようやくそれで落ち着く気になったのかふうと息を深く吐いて、背もたれへと体を預ける。それにしても、お腹の子は王子様かな? それともお姫様?
「……取り乱してごめんなさい。幸いなことに、エオストール王国は女でも王位が継げるから」
「気が楽ですね。それで随分と」
「そうね……でも、陛下は私とよく似た女の子がいいって。そう仰ってるの。王子の方が喜ばれるから、私は男の子の方がいいんだけど」
「喜ばれるから……ですか?」
「ええ。だって、まだまだ王位は男が継ぐべきって考えが浸透しているじゃない? それに、私はギルバート様そっくりの男の子が欲しいの。私なんかに似ないで欲しい……」
愛おしく顔を伏せ、お腹をゆっくりと擦り出す。この方に子供への愛情は無い。ひしひしとそんなことが伝わってきて、何だかやるせない気持ちになってしまった。可愛くないんですか? 自分のお子様が。そんなことも口に出せず、顔を伏せて、陛下の好きなものばかりが並んだテーブルを見下ろした。
「ああ、もうこんな時間ね? ごめんなさい、シャーロットちゃん。振り回してしまって」
「い、いいえ。その、アルフレッド様とのことは……」
「一旦、冷静になって考えてみるわ。いつまでも、四年前の事件に執着なんかしていられない。陛下に、陛下に呆れられてしまうかもしれないのだし」
「は、はい。良いことだと思います……」
「まぁ、犯人の目星が付き次第、教えてちょうだい。調べ上げるから、こちらで」
「は、はい。かしこまりました、王妃様」
彼女はどこまでも幼い王妃様で、その目が見つめるのはここには今いない、美しい陛下のことばかりで。退出の挨拶を済ませ、アルフレッド様が待つ執務室へと向かう。もう疲れた。それに頭がぼーっとする。
(何だか今日は色んなことが、どっとあったような気がするわ……)
とぼとぼと、壮麗な王宮の中を歩いてアルフレッド様に会いに行く。私のことを待っててくれるって、そう言っていたから。いいこいいこして貰おう、あの優しい手に。今は無性に、春の海のようなぬくもりを湛えている、アルフレッド様の深くて青い瞳が恋しい、懐かしい。その眼差しを見つめていたい、見つめられたい。春の光を受けて、深紅色の絨毯がしっとりと輝いていた。うつむきながら、黙々と歩いていると、ふいに黒い影が差す。
「……ロッティ? どうしたんだ? ウサギの姿になって。まさか」
「アルフレッド様! あっ、本当だ。いつの間にかなってる……」
ふすふすと鼻先を動かして、自分の姿を確認していると、アルフレッド様が痛ましい顔をして、そっとかがんでくださった。伸ばされた両手にほっとして、擦り寄ってみると、すぐに優しく赤ちゃん抱っこをしてくれる。落ち込んではいても、両前足を揃えることは忘れない! こうすると、「可愛い~!」と言って、でろでろとしたお顔で沢山キスをしてくださるから!
「ああ、ロッティ! 可哀想に! その、やっぱり義姉上は君に何か、」
「いいえ。でも、あの、一応落としてはきました……」
「あの義姉上が落ちたのか……ま、まぁ、君は可愛いウサギちゃんだからな! ちなみに、義姉上は君に何をしたのかな? きっ、キスとかは」
「あ、あの、そこまで落ちてはいませんでした……」
「そうか。ならいい、良かった。ロッティ、可愛いなぁ。お疲れさま」
嬉しそうに微笑んで、私のふわふわなおでこにキスをしてくれた。嬉しくなって、前足を動かしながら「ぷっ、ぷっ!」と鳴いてみると、よりいっそう嬉しそうに微笑んで、「好きだよ、ロッティ。愛してる」と言ってくれる。
(ああ、良かった。私が好きになった方が優しくて……)
いつも甘くて美味しい人参を小さく切って、口元に運んでくれるし! 私があげたウサギちゃん蝋燭も「可愛くて火が灯せないんだ」と言って、毎晩眺めてくださってるし! それに何よりも、いつもいつも優しい目で見つめてくれる。私が好きで好きで、大事でたまらないといった表情で、そっと撫でてくれるから。
「私、私、本当にアルフレッド様のことを好きになって良かったです! これから先も、ずっとずっと、どうぞよろしくお願い致します……!!」
「ああ、こちらこそよろしく。……ありがとう、ロッティ。君は本当に、私にはもったいないぐらいの、可愛くて優しくて、ふわふわが魅力的な女の子だよ」
珍しく、盛夏に咲いたひまわりのような笑顔をぱっと、弾けるように浮かべて私の頭にこつんと、おでこを合わせてくれた。そう、これが私の知っている愛情。王妃様のあれは愛情じゃなくて、もっともっと怖い、何かのような気がした。
「そうだ、私。一つ約束したんでした! 王妃様と」
「ん? 一体何を?」
「王太子様を殺した真犯人を見つけるって、そう約束してきました!」
「えっ、なっ、いや、ロッティ!? 一体どうしてそうなったのかな!?」
「な、流れで何となく……?」
「ロッティ……」




