16.とある病んだ王妃の独白
あの方に選ばれた瞬間、天にも昇るような気持ちになった。ずっとずっと、密かに遠くの方から眺めて、憧れていた方だったから。
(いいえ、私だけではない。どこの誰もが、あの方に憧れていた……)
半分、鎧戸が閉じられた寝室は薄暗くて誰もいない。私の体のためにと言って、ほんの少しだけ開け放たれた窓から、爽やかな春の風が入り込んできた。白いレースのカーテンを揺らして、するりと私の頬を撫でてゆく。そろそろ動かなくては。それが分かっているのに、脳裏に蘇ってくるのはあの日の訃報と、「こんな筈では無かった」とでも言いたげな、アルフレッド殿下のお顔。
ぎゅっと、くちびるを噛み締め、手のひらに爪を立てた。許せない、許せない。何が正しくて、一体誰が嘘を吐いているのか。魔術に狂いなんてない。いつだって、魔術は冷酷なほどに真実を指し示す。
(一体、どうして……実行犯はアルフレッド殿下に頼まれたと、そう言っていたのに!!)
真実を見通す魔術は、その男の言葉を“真実だ”と指し示した。陛下は「男がそう思い込んでいるだけなのかもしれない。悪意を持って、アルフレッドに扮した何者かがいる筈だ」とそう仰って、あっさりとその疑惑を捨てておしまいになった。真夜中、数人の供だけを連れて、あの牢獄を訪ねた時のことを思い出す。男はくちびるを震わせ、まるで私に許しを乞うかのように、その骨ばった胸に手を当てた。鉄格子がはめられた、小さい窓からは静かな月光が射し込んでいて、柔らかく、哀れな男の姿を照らし出している。
『おお、王妃様……私は確かに、アルフレッド殿下に頼まれました。ええ、真を見通す魔術でもそうだと!』
『……それは確かなの? 相手の男は変装でもして、』
『いいえ……いかなる魔術を持ってしてでも、あそこまで上手くばけれますまい……あの御方の手首にあったほくろも、そして、馬術大会で付いたという額の小さな傷痕も何もかも……ええ、間違いなくアルフレッド様でございました。あれは』
長年、王家に仕えてきた執事がすすり泣く。静かな月の夜、男の嗚咽だけが響き渡っていた。男が鼻をすすって、丁寧に涙を拭う。
『私の……私の妻と子を人質に取られ、脅されてやったこととはいえ……あのように、あのように何の罪も無い、可愛らしい王子様を、』
『もういいわ、ありがとう。……明後日、処刑が決まったとか』
『悔いはありません。選んだのは自分ですから』
ずいぶんと潔い男だった。アルフレッド殿下に脅されて、仕方なくやったとはいえ、しないという選択肢も選べたのだと、そう語っていた。そして、私の息子を手にかけたことを何度も何度も詫びて、黙って断頭台へと立ち、その首を差し出した。これだけで終われるものか。私にはもう、後がないというのに。転がり落ちた首を見て、そう決意する。
(陛下は絶対にいずれ、側室を迎える……嫌だ、嫌だ。どうかそれだけは、それだけは絶対に阻止しなくては!)
陛下にこよなく愛されている王妃。それが一気に反転して、「息子を殺され、心を病み、ついぞ子供を産めなかった王妃」と蔑みの目を向けられ、歴史にそうやって、私の名前が刻まれるかと思えば、気が狂いそうになった。白いネグリジェ姿のマーガレットが起き上がり、ベッドの上で強く強く、くちびるを噛み締める。憤怒とやるせなさで頭がどうにかなってしまいそうだった。
(ずっとずっと、油断しないようにやってきたのに……一体、何が悪かったの? ここ最近は、本当に上手くいっていたのに)
あの女嫌いだとかいう、どこか腹の読めない男がおそらく、王位目当てに私の息子を殺してから、どんどん歯車が狂っていった。でも、しょせんは一時の夢に過ぎなかったのかもしれない。咲き誇る大輪の薔薇のような美貌を持ち、社交界の華と、そう愛されたお姉様と比べ、私は酷く地味な存在だった。姉の引き立て役にしか過ぎず、世間の辛酸を嫌というほどに舐めて、味わってきた。だから突然、降って湧いてきた幸福にも溺れず、身を慎んで、油断しないよう、油断しないよう、慎重に暮らしていたというのに。
でも、私は決して不細工ではない。主張の薄い目元と鼻、ほっそりとしていて華奢だと言えば聞こえはいいが、胸元も体もどことなく貧相だった。
(それに比べてお姉様は……髪も肌も、いいえ、どこもかしこもまるで花のように美しかった)
お母様譲りの波打つ金髪に青い瞳を持ち、愛らしい顔立ちにころころとよく変わる、無邪気な表情がより映えていた。真っ赤に熟れたさくらんぼのようなくちびるからは、うっとりするような甘い声が零れ落ちて、「まるで小鳥が歌っているかのようだ」と、吟遊詩人からもそう褒め称えられていた。多少、わがままなところもあるけれど、天真爛漫で無邪気、驕り高ぶるようなところは一切無かった。姉として、妹の私を可愛がってもくれた。私も私で、妹として慕っていた。────表面上は。
(お姉様はまるで、物語に出てくるかのような美しいお姫様で……)
だから、当時王太子であった、ギルバート殿下の妃を選ぶために、国中の貴族の娘を集めた舞踏会が催されると知った時。私だけじゃなくて、誰もがお姉様が選ばれると、そう信じ込んでいた。なんと言っても我がハルフォード公爵家は、代々王妃を輩出してきたような家だし、王家の覚えもめでたい。
他の公爵家や伯爵家の姫君たちも、美人とはお世辞にも言い難く、お姉様の勝ちは決まったも同然だった。舞踏会の前日、鏡台の前でパールのネックレスや、青い瞳に合う、サファイアのネックレスを取り出しながら、お姉様がはしゃいだ声を上げる。
『ねぇ! どっちにしようかしら? ああ、そうだ。マーガレットは何を付けて行くの?』
『お姉様……どちらもよくお似合いですよ。きっと、ウェディングドレス姿のお姉様も、さぞかし美しいのでしょうね……』
心から褒めてみると、ほんのりと頬を薔薇色に染め、「もうっ! まだ花嫁になるって、そう決まった訳じゃないでしょう?」と言って照れ臭そうに笑っていた。
いいえ、決まっているの。お姉様。見目麗しい王子様は美しいお姫様を絶対に選んで、結婚して幸せになるの。物語の中だけなの。王子様が地味で目立たない、娘のことを選んで愛するのは。現実は違う。夢なんて見る気にもなれない。見たら見る分だけ、自分が余計に傷付くだけだ。甘い甘いお砂糖の夢から醒めて、現実の苦味に顔をしかめたくはない。
(私……ううん、夢は見ないでおこう。お姉様の引き立て役でいようっと)
選ぶのは、お姉様の金髪と青い瞳が引き立つような、深いモスグリーンとベージュの可憐なドレス。私にお姉様のような華やかさはない。お姉様が薔薇なら、私は白百合のようだと、よくそう例えられた。でも、お友達に色の白さや華奢さ、儚げな雰囲気を羨ましがられたことはある。ならばそれを生かして、楚々とした、でも、お姉様の美しさが引き立つような、そんなドレスとアクセサリーを選べばいい。
それでも、胸の中には燃えるような憧れが灯されていた。あの涼しげな青い瞳に、淡い金髪と茶髪が混ざった、柔らかな髪の毛。顔は端正で、どこか冬の雪原を思わせる。それなのに甘い微笑みを浮かべて、誰にでも気さくに話しかける御方だった。でも、その硝子玉のような瞳は誰のことも映してはいなくて、薄い壁を一枚、隔てた向こうで話してらっしゃる。落ち着いた態度がそうさせるのか、そんな冷たい印象を人に与える方だった。
だからこそ、その御方の特別な存在になりたかった。誰かではなく、私に触れて、私だけをこよなく愛して欲しかった。女性の独占欲をとことん駆り立てるような、そんな美しい、氷のような王子様だった。だから、その青い瞳が私を捉えた瞬間、心臓がどきりと跳ね上がった。優雅に選ばれて踊って、あの華やかなで美しいお姉様ではなく、「マーガレット嬢。君さえ良ければ、私と婚約してくれないか?」と観衆が見守る中で跪き、ひたむきに見上げられた時、私の頭の中でファンファーレと天使の祝福が鳴り響いた。
(陛下、陛下、いいえ……ギルバート様!)
どうかお願い、側室なんて迎えないで。そんな気持ちを押し殺して、冷静に「陛下。きっと私はもう、子供を産めません。どうぞ他の女性をお迎えになって」と申し出た時、ギルバート様はあっさりと「いや、その必要は無いだろう。君以外の女性を迎える気は無い、今のところは」とそう仰ってくださった。今のところは、今のところは。
私が子供を産めなくなったと、そう明確に分かった時、彼は他の女性をあっさりと側室に迎えるのだろう。だからこそ、早く公務にも復帰しなくては。四年前の、息子の死からも早く立ち直らなくては。
(でも……でも、私ももう二十九歳。これからどんどん、妊娠するのが難しくなってくる。ただでさえ、ただでさえ、なかなか授からなかったというのに!)
私は体が弱い。なかなか子供が出来なかったが、やんわりと側室を迎えるよう、そうすすめてくる周囲に向かって、ギルバート様は毅然とした態度を持ってして「彼女以外に、女性を迎える気は無い」と宣言してくださった。頻繁に贈り物を持って来てもくれた。落ち込んでいる時は優しく寄り添い、励ましてくださった。だからその期待に応えようと、必死の思いで子供を妊娠して、出産したというのに。
呆気なく、その命はアルフレッド殿下に散らされてしまった。それまでろくに寄りつきもしなかったくせに、やたらと私の息子を可愛がって、会いに来るかと思えば。
(アルフレッド殿下とのお茶会にだなんて……やるんじゃなかった、引き止めるべきだった、あの時)
月に何度か、ささやかなお茶会を二人で開いていた。私の息子も「叔父さま、叔父さま!」と言って、アルフレッド殿下にはよく懐いていた。人見知りだったのに、あの子は。子供の楽しみを邪魔するのも可哀想だと思って、女嫌いだと言ってはばからない、どことなく胡散臭い男の下へやっていた。でも、それが大きな間違いだった。甘いお菓子に毒を盛られ、呆気なく可愛い息子は死んでしまった。
『陛下!? 一体、一体どうして!! 犯人はアルフレッド様に脅されたと、そう!』
『いいや、何かの間違いだろう。あの子はそんなこと、絶対に出来やしない。これ以上調べるだけ無駄だ』
ギルバート様はこちらを見もせずに、あっさりとそう仰って、アルフレッド様を尋問にかけるようなこともしなかった。私の息子が亡くなってすぐ、アルフレッド様をなじっていたと聞いていたが、違うのか。ギルバート様、ギルバート様。ギルバート様。
『……君は少し疲れているんだろう。あんなショックな出来事があったんだ、当然だ。しばらくは公務からも離れて、ゆっくり静養するといい』
唯一、幸いだったのは夜の営みが途絶えなかったこと。ギルバート様は今でも寝室に通ってくださる。だから、だから今度こそは。
「今度こそは、産まれてくる子供を守らなくちゃ……結婚なんて、結婚なんて」
子爵家の出だという、獣人の娘と結婚がしたいだなんて。王位を狙っていないと、周囲の目を欺くための工作にしか見えない。でも、オーレリア様や他のご兄弟にそのことをお伝えしても、苦笑して「そんなことが出来るような人じゃない」と仰るだけだった。誰も、誰も私の話なんて聞いてくれない。信じてくれない。それに、アルフレッド殿下はそれまで、ろくに寄りつきもしなかったくせに、病に伏してからは甲斐甲斐しく、私の部屋を訪れるようになった。
『も、申し訳ない……義姉上。いいや、そんな言葉では到底、償い切れないのでしょうが。ただ私は本当に、あの子のことを殺しては、』
『っ出て行って! もう二度と私に会いに来ないで!!』
それでも最近は、私にどうしても獣人の娘との結婚を許して欲しいのか、またその姿を現すようになった。息子を殺しておいて、幸せになろうとするだなんて許せない。絶対に許せない! いいや、この結婚も策略の内なのかもしれない。陛下を私の息子のように毒殺したあと、王位を継いで、獣人の娘を側室にして、どこぞの大貴族の娘を王妃に迎えるつもりなのかもしれない。常に胡散臭い笑みを浮かべ、女嫌いだと言ってはばからない、得体の知れない男。それが私にとっての、アルフレッド殿下だった。
「馬鹿にして……!! 絶対に許すものか、絶対に」
でも、陛下もこの度の結婚には難色を示している。そして、私も腐っても王妃だ。私が反対している限り、重臣たちや城の者たちも反対し続けることだろう。城の女を束ねるのは王妃である、この私の仕事だから。もう一度、歯をきつく食い縛って、枕へとゆったり頭を預けた。
「馬鹿にして。思い通りにはさせない。決して、あの男の思い通りには……」




