15.少なくとも私は、人参より価値があるらしい
きらきらと、初夏に傾き出した春の陽射しの下で、それらは光り輝いていた。真っ赤な宝石の粒を並べたかのような苺タルトに、さくっと軽やかな、檸檬風味のバタークッキー。熱々のチェリーがぎっしりと詰め込まれたチェリーパイに、ふんだんに蜂蜜と卵を使って焼き上げられた、ふわふわしっとり蜂蜜のケーキ。それに、爽やかなエルダーフラワーの冷たいゼリーと、キュウリのサンドイッチと、スコーンまで用意してあった。中央には瑞々しいオレンジがたっぷりと乗せられた、カスタードクリーム入りのチョコレートケーキが配置されている。
それを一口頬張ってみると、すうっと、口の中で爽やかなオレンジと甘いカスタードクリームが蕩けていった。ほんの少しだけ苦味がある、薫り高い紅茶を口に含めば、クリームの甘さが名残惜しく、じんわりと舌に残ってゆく。
「……それでですね? 殿下ったら、ずぅっとずぅっと、私の毛皮に夢中になっていて、すぐに婚約を申し込んでくれなかったんですよ……!!」
「あら、だめねぇ。あの子ったら。こんなに可愛いシャーロットちゃんを捕まえて」
「お姉様? それ、私のティーカップですから。貴女のはこちら」
「あら、ごめんなさい。ついうっかり……それにしてもねぇ? その、オーレリア? 二人の結婚についてだけど」
穏やかな美貌を曇らせて、ナディアが隣のオーレリアを見つめた。檸檬風味のバタークッキーを摘み上げていた彼女が、ひょいっと、片方の眉だけを器用に持ち上げる。
「……問題は陛下ではなく、王妃様の方でしょうね?」
「王妃様……? あの、お加減が優れないと、そう伺っておりますが」
「ん、んんん~……ありもしないことを言っているんだから、仕方ないわよね? お兄様はあの方を公爵家にお返しするのかしら?」
「まさか。そんなことはしないでしょう……こちらとて、ハルフォード公爵家と事を構える気はありません。軽々しく、そのようなことを仰らないでくださいませ。王妃様?」
「あら、そうね? 私も王妃様だったわ、そう言えば。ごめんなさい」
ナディアが青い瞳を優しく細め、「ふふふ」と笑ってクッキーを持ち上げる。ゆっくりと食べている、そのお姿を見て、つい羨ましくなって私も同じものを取って食べてみた。美味しい。バターの風味がしゅわりと、口の中で溶けていって、爽やかな檸檬の風味だけが香る。そうやってクッキーを楽しんでいると、向かいの席に座ったオーレリア様が気難しい顔をして、とんとんと、白い指でテーブルを叩き出した。
「陛下も陛下であの方は……どこか冷たい。どうでもいいのかしら? 仮にも自分の妻だと言うのに、まったくもう」
「私、オーレリアちゃんが王様になった方が上手くいくと思っているわ。ふふ」
「ええ、そうでしょうね? お姉様。お願いだから、軽はずみな発言をしないでくれる? 手紙を送ったのに、目を通していないのかしら?」
「通しているわよ、大丈夫。きちんとすみずみまで読みましたからね? はい、あーんっ」
「いい。やめて? 自分で食べれるから、別に」
このご姉妹はちょっと不思議な関係性だった。仲が良いのか、悪いのか、にこにこと穏やかに笑う姉のナディアが、嫌がるオーレリアの口の中へ、ブルーベリージャムをたっぷりと乗せたスコーンを突っ込む。不愉快そうな顔をしながらも、口の端を持ち上げて、まるで悪役のようにそのスコーンを持ち上げて食べていた。
「お義姉様? お義姉様も、いえ、私達にとっても信じられないことなのですが」
「あ、は、はい」
「四年前、あのお兄様……アルフレッドお兄様が、当時の王太子を毒殺した。王位を狙ってね?」
「し、信じられません! いいえ、出来ないと思います。アルフレッド様はそんなこと、決して!」
私が驚いて声を張り上げると、追加でスコーンを手に取って、クロテッドクリームを塗り広げていたナディアがにっこりと、でも、どこか困ったように微笑んだ。
「ふふふ、そうね? でも、あの御方は……お義姉様は、アルフレッドちゃんが真犯人だって、そう信じ込んでいるの」
「平たく言えば、精神を病んでいるのよ。エオストール王国の王妃様は!」
「あら、つれないこと。我が子を亡くしたんですもの……いきなり、あんな風にね? 考えただけで胸が張り裂けてしまいそうだわ、私」
「大丈夫よ。お姉様の子供達はとびっきり丈夫だから。それに情勢も安定してるじゃない」
「そうね? 風邪一つ引かないのよ、あの子達……やっぱり、私に似たのかしらねぇ」
のんびりとした声でそう話したあと、小さくスコーンを齧り取って食べ始める。でも、そっか。王妃様はまだ疑ってらっしゃるんだ。
(宮廷内の噂だけ聞くと……アルフレッド様はそんなことをしそうな方に思えてくる。でも、今は違う。分かる)
ちょっとバルコニーで手を振るだけでも、膝ががくがくと震えて、「今すぐカーテンの裏地と一体化したい!! 王族になんて生まれてくるべきじゃなかったんだ、私は! 生まれ直したい!」とぐずぐず泣いて、カーテンにくるまっちゃう、よわよわなアルフレッド様が王位を狙って……? はたして、そんなこと出来るのでしょうか? 脅されても出来無さそう、アルフレッド様は。私もスコーンを手に取って、苺ジャムとサワークリームを塗り広げる。この組み合わせが、あっさりしていて美味しくて大好き!
「想像すら出来ませんね、それ……」
「でしょう? お義姉様。むしろ、王位を押し付けてきた相手を殺害しかねない勢いで、泣き叫び出しそうなんだけど?」
「やだ、想像しちゃった。うふふふふ。どう? 今日のあの子は? 元気だった?」
「ちょっと顔色が悪かったんですけど……でも、私のウサギ耳をもふって血色が良くなっていましたよ! 触ります?」
「きゃ~! 触るぅ~!」
「ちょっと、お姉様……私が先ですからね? そのスコーンを食べてからにしてくださいませ!」
「え~ん、オーレリアちゃんばっかりずるい~、酷い~」
私がぽぷんとウサギ姿に戻って、椅子の上にちんまりと座っていると、目を輝かせたお二人がやって来た。交互に抱っこをして貰って、ブラッシングをして貰い、あまりの気持ちよさに耳がぺたんと寝てしまう。
「はふっ! オーレリア様も、もふもふ技術が上達してきましたね……」
流石はご兄弟。気持ちがいい手つきです。うっとりして、お膝の上でころりんとお腹を向けてみると、すかさず白い指を埋めて、もふもふと地肌を掻いてくださった。そうそう……そこの顎の下が好きなんです、私。もっと掻いて欲しい。
「ふふふ、良かった! どう? お姉様。お兄様の手と私の手、どっちが気持ちいい?」
「それはもちろん、アルフレッド様です……ぷっ、ぷうっ」
こうしてわざとらしく、可愛いらしい感じで「ぷっ、ぷっ」と鳴いてみると、アルフレッド様が異常に喜んでくださるので、鳴いてみる。すると予想通り、「可愛い~!!」と叫んで、もふもふっと両手で撫でてくださった。
「いいなぁ、オーレリアちゃん。私は~? ねぇ、私は~?」
「お姉様はもうちょっとあとで! 反省していなさい」
「え~? ごめんなさいね? シャーロットちゃん。だめかしら?」
「だ、大丈夫ですよ、ナディア様……」
さっき何度もしつこく、ふがふがと嗅がれてしまったのでびっくりした。抱え込まれて、目を丸くし、じたばたと暴れている私を見て、オーレリア様がすかさず「可哀想に、お義姉様!!」と言って助けてくださったので、別にもう大丈夫なんだけど。その優しい指に、うっとりして体を預ける。ちょっとアルフレッド様が恋しくなってきた。お会いしたい。
「っぷふん、私……アルフレッド様にお会いしたいです、ちょっとだけ寂しくなってきました」
「あら、お義姉様。私の手じゃご不満なの?」
「いえ、あの、思い出してしまうんです……もちろん、オーレリア様の手も素晴らしく気持ちがいいんですが。で、でも、アルフレッド様に比べると、やっぱり」
「なんだか悔しいわね、そう言われてしまうと。いいわ、私がお兄様のことを忘れさせてあげますから」
「ふぉっ?」
体をちょっとだけ起こして、目を丸くして見上げていると、青い瞳を歓喜に歪めてふるふると震え出した。でも、これ、知ってる。私が可愛いポーズをした時、アルフレッド様もよくこんな顔をする。
「かっ、可愛い~!!」
「おぶっ!?」
「もう、オーレリアちゃんもめちゃくちゃにしてるじゃないの~。いいなぁ、私もしたい~」
私を乱暴に抱き上げて、顔の横にぐりぐりっと頬擦りをしてきた。驚いて硬直していると、美しい顔が間近に迫ってきて、ちゅっと優しくキスをしてくる。ほわ、ヒゲが震えてしまいます……。
「あっ、あああああの、だめです!! アルフレッド様に怒られてしまいますから、私! もうっ、もうそれ以上はどうかお許しを、」
「大丈夫。ここにお兄様はいないもの。ねっ? お義姉様だって、たまには違う人にもふもふされたいでしょう?」
青い瞳を細めて、妖艶に笑った。前足でぐーんと、お顔を突っぱねているのに何も気にかけてらっしゃらない。
「で、ですが、アルフレッド様はものすごく嫉妬深い御方で、」
「でしょうね。よく知っていてよ、お義姉様。ほら」
「きゅっ!?」
また何度も何度も、鼻先や顔の周りに愛おしくキスをされる。向かいではつまらなさそうな顔をしたナディア様が「いいなぁ、可愛い~。いいな~」と呟きながらも、チェリーパイを切り分けてもぐもぐと頬張ってらした。
「きゅ、きゅっ……あの、どうかもうそのへんでっ」
「ええっ? そんな、お義姉様。陛下に認めて頂きたいんですよね? そのもふもふな体を私にちょっと売るだけで、」
「一体何をしているんだ、オーレリアは……」
「っふ、あーあ……時間が来ちゃったのね」
「ある、アルフレッド様……」
地獄から蘇ってきた死者のような、地を這うような声で話しかけてきたのは、ご公務を終えたばかりのアルフレッド様だった。すぐさまひょいっと、私をオーレリア様から奪い取って、優しく、けれどしっかり抱きしめてくださった。安心感がすごい。腕の中にもにもにと収まると、いつもの深い霧が漂う、雨の日の森のような香りが立ち昇る。
「オーレリア……いや、だが、まずは……大丈夫だったか? ロッティ。ごめんよ、遅くなってしまって」
「ぷ、ぷっ! だい、大丈夫です……楽しかったですよ、アルフレッド様」
「ああ、可哀想に。二人にこんなにもめちゃくちゃにされて」
「あとでブラッシングをして整えるつもりでしたのよ? お兄様」
「うるさい、黙れ。こっそり物陰から見ていたが、何度もキスしていただろう? 彼女に」
「やだ、まだそんなことをしているの? アルフレッドちゃんは」
びくりと体を揺らして、私を神経質にきゅっと抱え込んだ。ほんのりと汗の匂いが漂ってくる。苦手なのかな? お姉様のことが。
「姉上……お久しぶりです」
「ええ、久しぶりね? 本当に」
「その……ジークたちは元気ですか? 以前、会った時はかなりのわんぱくでしたけど……」
ジークというのはナディア様の息子で、イーディルハンスの王太子様だ。アルフレッド様にとっては甥っ子にあたる。鼻をひくつかせて状況を窺っていると、ナディア様がくすりと微笑んだ。
「そうね? まだまだやんちゃ盛りで……ごめんなさいね? 前回は貴方のことを泥だらけにしてしまって」
「い、いえ……姉上にそっくりですよね、本当に」
「あら、悪口かしら? 私への」
「いいえ、そんな、めっそうもない……」
どうも苦手というよりも、緊張して怯えてらっしゃるみたい? 身を固くして震え、私のことをぎゅっと抱き締めた。首を傾げていると、「うにゃん」と鳴いて甘えている猫を抱っこしながら、オーレリア様が悪戯っぽく笑う。
「お姉様は小さい頃、かなりのおてんばだったみたいよ? ウサギのお義姉様」
「ふふふふ、ごめんなさいね? 昔のことは水に流しましょう?」
「あっ、は、はい、姉上……行こうか、ロッティ。ここにこれ以上いたら、君の素晴らしい毛並みが乱れてしまう」
「まぁ、もう、自分だって乱すくせに~」
「さようなら、お義姉様。楽しかったわ。またしましょうね、お茶会」
くるりと景色が回転する。一刻も早くここから離れたいのか、アルフレッド様が早足でコンサバトリーの出口へと向かっていた。鼓動もばくばくと速くなっている。
「あっ、あの!? ありがとうございました! 失礼します!」
「ばいばい、シャーロットちゃん。またしましょうね~」
ひらひらと、手を振っているナディア様のお姿が容易に想像出来た。しばらく歩いて人気のない庭園に行き着き、ふっと大きく息を吐いて、私を芝生の上に置いてくれた。うっかり黒い革靴の匂いを嗅ぎそうになってしまったけれど、ぐっと我慢して、黙り込んでいるアルフレッド様を見上げてみる。
「あ、あの? アルフレッド様……?」
「ああ、緊張した。どっと疲れた……」
「嫌なこと、その、されたりしたのですか……?」
「いや……ん~、まぁ、兄弟全員苦手だからな……」
「兄弟全員苦手……」
「ああ。同腹の兄弟がいればまぁ、違ったのかもしれないけどね」
アルフレッド様のお母様は側室で、たいそう美しい御方だったと聞く。ただ先王陛下はその美しい側室が身罷られた際、使用人に「全ての肖像画を焼け」と、そう命じて処分させてしまったらしい。でも、アルフレッド様のお顔を見上げると、その御方の顔が何となく浮かび上がってくる。
すっと美しく通った鼻筋に、小さく形が整ったくちびる。憂いを満ちた青い瞳は透き通っていて、綺麗なアーモンド形を描いていた。泣いていても喚いていても、どことなく、憂いを含んだ雰囲気が漂っているのは、お顔がお母様譲りだから? でも、アルフレッド様は逞しく、引き締まった体つきをしているし、濃いブラウンの髪が色気を足していた。見上げていると、ふとおもむろに、膝を抱えてしゃがみ込む。いつもいつも、アルフレッド様はこうして、ウサギ姿の私と目線を合わせてくださる。
「すまない。……あんな風に連れ出してしまって。君は楽しかったんだろう? ロッティ。キスされたりキスされたり、お腹をもふもふして貰って楽しんでいたよな? 私のことなんかどうでもよくなったよな?」
「あの、違います。淋しかったです……」
「嘘だ、絶対に嘘だ……楽しそうにしていたのに、私がいなくとも」
涙を滲ませた声で呟いたあと、ぐっと額を腕に押し付けて落ち込みだす。まったくもう。でも、そんなところが好き。私がいないとだめになっちゃうところが好き!
「アルフレッド様? あの、ご機嫌、直してくれませんか……?」
「……嫌だ」
「ふふふ、大丈夫ですよ? そんなアルフレッド様も好きですからね?」
「その、君のことを抱いても?」
「どうぞ! いくらでも抱っこしちゃってくださいな!」
逞しい両腕が伸びてきて、私をいとも簡単に抱き上げる。見てみると、嬉しそうな顔をして「ロッティ」と呟いてくれた。春の庭園はのどかで、ふわふわと、黄色い蝶々が横切ってゆく。
「アルフレッド様が一番好きですし、一番撫でられていて気持ちがいいです! どうぞ安心してくださいませ!」
「そうか……じゃあ、例えば事故で両腕が無くなったら、私はもう用無しなんだな……?」
「いいえ? あの、私はどんなアルフレッド様でも好きですよ?」
「申し訳無い、言わせてしまって……」
「さては、お姉様との再会でナーバスになっていますね……? そうなんですね?」
「……」
図星だったのか、押し黙って私のことをきゅっと抱き締めた。仕方無いので、「ぷぅぷぅ」と一生懸命頑張って鳴いていると、「可愛いなぁ、もう」と笑って、顎の下で頭をぐりぐりしてくださった。うん。やっぱりアルフレッド様といる時が一番落ち着く。
「アルフレッド様。私、どんな甘い人参よりもアルフレッド様のことが好きです! 愛してます!!」
「そ、そっか……私もだよ、ありがとう。ロッティ……」




