11.いや、決して体目当てではなく!
「やぁ、こんにちは。申し訳ない、彼女と片時も離れたくなくてね」
扉を開き、私の肩をしっかり抱き寄せたまま、殿下が極上の微笑みでそう仰った。それまでソファーに座っていた公爵家のご令嬢、マルティナがゆったりと立ち上がって、優雅なカーテシーを披露する。わ、私より上手……。こちらを見つめて微笑む顔は美しくて、まるで春の女神のよう。絹のような光沢を放つ金髪に、宝石のような青い瞳。滑らかで白いお肌。それに、ほっそりとした腰を引き立てている、純白のレースがふんだんに重ねられたドレスを身にまとっていた。ついうっかり自分の腰と比較してしまい、落ち込んでしまう。
「ごきげんよう、殿下。申し訳ありません、その、不躾にも押しかけてしまい……」
「……そう思うのなら、控えて欲しかったんだが。なにせ、彼女以外の女性は視界に入れる気にもなれなくてね」
す、すごい。最初からまるで、溺愛しているみたいな台詞を────……。そこで先程の「君が許してくれるのならいつだって、これからするように触れたいんだが」という言葉を思い出して、顔が赤くなる。い、一体これから何が始まるんだろう? 硬直していると、私を優しくエスコートして、ソファーへと腰かけた。ご令嬢を見てみると早速、痛々しい微笑みを浮かべ、青い瞳にうっすら涙を滲ませている。
(き、綺麗……アルフレッド様は一体、この方のことをどう思って)
振り返ってみると、死んだ魚の目をしていた。あっ、もしかして緊張してらっしゃる……?
(そうよね? だって、綺麗な女性を前にすると、緊張するからって私を選んだわけだし……)
あ、自分で考えて傷付いてしまった。私があれかな? お子様で、綺麗な女性とは程遠いから? ごくりと唾を飲み込んでいると、殿下が私の手をぎゅっと握り締め、口を開いた。
「それで? 用件は?」
「あの、殿下……噂は本当でしたのね? まさかそんな、」
「獣人の娘と、そう言うつもりなら今すぐ退室してくれ。不愉快だ」
「いいえ……私は、そんなことちっとも」
「子爵家の令嬢であれ、なんであれ、私は彼女と結婚するつもりだ。……兄上の差し金でこちらへ来たとか? マルティナ嬢は」
そこで彼女がそっと、白い指先で光っている涙を拭った。少しだけ俯いたあと、意を決したかのように、ひたむきな青い瞳で殿下のことを見つめる。ああ、嫌だなぁ。もやもやする。
(殿下がこの女性を綺麗だって思いませんように。私のことだけ、好きでいてくれますように……)
怖い、怖い。もしも、アルフレッド様が彼女のことを好きになったら? 緊張して身を固くしていると、弱々しく首を横に振った。
「いいえ……ここへは私の意志で来ました。覚えていますか? 殿下はあの日」
「通りすがりの者として、義務を果たしたに過ぎない。君に何か特別な感情があって助けたわけではない」
「そんな……私、私、あれからずっと」
ひえっ、ひええええ……何があったんだろう? すごく、すごく気になってしまう!!
(舞踏会で介抱したとか……? あっ、ああああああとで聞こう。大丈夫、何もなかった! はずだもの!)
ぎゅっとアルフレッド様の手を握り締めて、涙を湛えたマルティナを見つめる。すると、すかさず握り返してくれた。ゆっくりと指が絡んでゆく。心臓がどきりと跳ね上がった。
「不安にさせてしまったかな? 大丈夫だよ、何も無いから。それに、私は君しか目に入らないし、こうして触れていたいのも君だけ、」
「もっ、ももももも申し訳ありませんが、殿下! 心臓が破裂してしまうので、あの、その」
だ、だめだった。人前でこれは無理だった。焦って真っ赤になっていると、私の手を握り締めたまま、にっこりと愉快そうに微笑む。
「可愛いね? 本当はもっともっと、」
「もうし、申し訳ありません。殿下! あの、もう少しだけ離れて、」
「嫌だと言ったら?」
「ひょわっ……?」
驚くことに、そこで私にキスをしてきた。至近距離で悪戯っぽく笑い、すぐに離れてゆく。
「悪いね。見ての通りだ。君に興味なんて微塵も湧かないし、今すぐに帰って欲しいんだが?」
(そっ、そこまでおっしゃ……!?)
輝かんばかりの微笑みを浮かべているのに、酷く寒々しい。驚いて見つめていると、ふいにこちらに気が付いて、その青い瞳をふっと和らげる。ああ、好き。よかった、この女性に惹かれなくて……。
「ロッティ。それじゃあ、もう帰ろうか?」
「あ、あの! 少々お待ちください……!!」
「待つ理由も無いし、これ以上ここにいて、時間を無駄にしたくはないな。さてと」
「わっ」
するりと私の肩を抱き寄せ、頬に愛おしくキスをした。ふぁ、ふぁっ? どぎまぎして見上げていると、器用にウインクして「緊張すると言っていただろう? だから」と言ってきた。す、すごい。
(これは演技? どっち!?)
ものすごく混乱したまま、エスコートされて部屋を出る。ご令嬢のすすり泣く声が響き渡っていた。
「殿下」
「帰るそうだ。送ってやれ、ルイ」
「……かしこまりました。そのように」
いつになく、丁寧に頭を下げていた。そんなルイにすら目を向けず、私の肩を抱いて「行こうか」とだけ呟く。ど、どうしちゃったんだろう……。いつもより足早に歩いて、部屋の扉を開け、応接室を通り抜け、さらに奥の寝室へと入ってゆく。でも、この辺りは殿下の私的な空間で。
「でん、殿下!? あの」
「名前で呼んでくれると嬉しいんだが?」
「あっ、はい。ごめんなさい、アルフレッド様……」
「あーあ、ごめん。悪い。疲れた……ウインクなんて気持ち悪いことして申し訳ない。幻滅したよな……?」
「は、はい?」
私の腰から手を放し、お行儀良く靴を脱いでから、大きく寝台にごろりと寝転がった。それから両手で顔を覆って「死にたい、死にたい……!! どうしてあんなことが出来たんだろう? 私は。死にたい」とぶつぶつ呟き始める。も、もしかして殿下は。
「あの、すごく頑張ってくださったんですね……? でも、とっても素敵でしたよ!?」
「ありがとう、気を使ってくれて……優しいなぁ、本当に君は。でも、さっきのご令嬢だってあの行動には引いたはずだし……そもそもの話、好きでも何でもないのに、よくもまぁ、あんなことを」
「えっ、ええ……? でも、その、あの方はきっと殿下のことがお好きで」
「ロッティ」
手を伸ばして、こちらを見上げてきた。その乾いた手を握り締める。分厚いカーテンが閉められた部屋は薄暗くて、静かだった。蔦柄と小鳥が浮き出た上質な壁紙に、毛足の短い絨毯。飴色のアンティーク家具が並べられ、ほっと安らぐような雰囲気が漂っている。奥の壁には星が瞬いている、湖の絵が飾られていた。
「淋しいな。名前で呼んではくれないのか?」
「も、申し訳ありません。まだ癖が抜けず……」
「いいや……ごめん。淋しいだなんて、気持ちの悪いことを言ってしまって。私は、」
「気持ち悪くなんてありませんよ!? 嬉しいですよ!?」
「ああ、よかった……きっと、君に嫌われたら生きていけないだろうから」
どうしてだろう? いつになく弱ってらっしゃる。薄明かりに照らされた顔は青白く、憔悴しきっていた。それをどうにかしたくて手を伸ばしてみると、ちょっとだけ嬉しそうに笑う。そして、私の手首をぐっと掴んで、抱き寄せる。ぼふんと、寝台が大きく跳ねた。
「わっ!? あの!?」
「いちゃいちゃ、ここでしてみようか?」
「えっ? ふぁ、ふぁい? ある、アルフレッド様……!?」
距離が近い。青い瞳を細めて、嬉しそうに笑う。でも、もっともっと近付きたい、触れたい気持ちは私にもあるから。耳を震わせ、よじよじと近付いて肩口にしがみつくと、ひゅっと、殿下が息を吸い込んで止めた。
「あの……流石に歯止めが、」
「え、ええっと、だめ、だめでしたか……?」
「いや? 全然?」
「よ、よかったです……その、好きです。私のこと、好きでいてくださってありがとうございまふ!!」
かん、噛んだ。思いっきり噛んでしまった。恥じているとおもむろに、ゆっくりと起き上がって「ロッティ」と甘く囁く。青い瞳がこの間のように、危うい光を孕んで揺れ動いていた。
「好きだよ、私も。……でも、分かるんだ。君の目を見ていたら」
「へっ? 何がでしょう……?」
また淋しそうに微笑んで、私の頭を優しく撫でてくれた。怖がらせないように、緊張させないようにと、そんな意図が伝わってきて、胸の奥で愛おしさが綻ぶ。そうだ、こんなところが好き。いつだって、私のことを尊重してくださるから。
「彼女に……さっきのマルティナ嬢に好かれていないことが」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、君のような目をしていないから……私の方こそありがとう。こんな、こんな、だめな人間なのに好きでいてくれて」
「いっ、いえいえ、全然、だめなんかじゃ……んっ」
丁寧にくちびるを塞がれた。まるで欲を煽るかのように、ゆっくりと優しく舌を絡めてきて、私の両手を握り締める。涙がじわりと目に浮かんできて、背筋がぞくりとした。ど、どこまでなら一体、許されるのでしょうか……? ぎゅっと両目をつむっていると、首筋に何回かキスをしてから、名残惜しそうに離れて「ロッティ」とだけ囁く。
「本当は……我慢なんてしたくないんだが。しなきゃだな」
「ふぁ、ふぁい。けっこん、結婚したらその、好きなだけいちゃいちゃ出来るので……!!」
「……だね。少しだけ頭を冷やす。暴走してしまいそうだ」
ごろりと、私に背を向けて寝転がった。お、思いっきりその背中に抱きついてしまいたい! でも、私もぐっとこらえる。たぶん、刺激しない方がいいから。
「あの……アルフレッド様はちゃんとその、私のこと、女性として見てくれてますか……?」
「もちろんだよ。確かにそのもふもふは魅力的だが、ちゃんと私は」
「そ、そうではなく! わ、私の好きなところって一体どこですか!? 自信が……ちっとも無くて。先程のマルティナ様がお綺麗だったから」
「ロッティ」
知りたい。本当に綺麗だったから、あのご令嬢が。すぐさま寝返りを打って起き上がり、寝台に座ってくださった。不安そうな私を見て、穏やかに笑う。
「大丈夫だよ、君が一番可愛いから。それに一緒にいて癒されるし、落ち着くし。……幻滅しないし」
「アルフレッド様に幻滅する方なんて、いるんでしょうか……?」
「いるよ、もちろん。いるよ……」
「アルフレッド様」
何か悲しいことでも思い出してしまったのか、胸元をきゅっと握り締めて落ち込んでしまった。でも、私がお願いしたからか「……笑顔も優しくて可愛らしいし、食べ物の好みも似ている。私の愚痴にも延々と付き合ってくれるし、どことなくいつも楽しそうだし」と、蚊が鳴くような声で教えてくれた。にこにこと笑って聞いていたら、ふいに私の胸元を見つめる。
「あと、マルティナ嬢は薄かったからなぁ。君の方が胸もあって、あっ」
「……殿下」
さっと胸元を隠すと一気に青ざめた。慌てて両手を上げて、「ち、違うんだ! ええっと!!」と言って焦り出す。
「いや、決して体目当てではなく! そうだ、一緒にいて落ち着くし、君の朗らかな性格が好きで」
「もう……いいです。ありがとうございます、殿下」
「ロッティ!? 違うんだ、ごめん! 今のは私が悪かったから……!!」




